第16話 四十五分
大川の渡河地点を見張る哨戒陣地は、川辺から西へ三キロ弱、緩やかに盛り上がった雪堤の裏に据えられていた。
厳冬期のピークは過ぎつつあるが、夜明け間近の冷え込みはこの冬でも指折りのものだった。
空は快晴に向かうようだった。刺すような冷気を孕んだ風がそぞろ吹いている。しばらく雪は降ってはいなかったが、いまだに積雪は二メートルほどの高さを維持していた。皇国の雪解けはまだ先のようである。
陣地内では、音響索敵装置のモニターが定期的に高い駆動音を立てていた。装置そのものは川向こう、帝国側の地面に埋めてある。拾った振動を波形に直し、有線で陣地まで引いてくる。以前の襲撃以降、ただ針が凪いだままの画面を見続けるのが監視当番の仕事であった。
カムイ防衛軍に属する第2910小隊のカッパーアサルト四機は、雪堤の裏で膝をついたまま、低出力で待機していた。排熱スリットから細く白い蒸気が漏れ、立ち上がっては夜気に溶けていく。歩兵たちは塹壕の底で背中を合わせ、順に手を擦り合わせていた。
前任である岡田正孝少尉が配置換えされ、後任に任命されたのは中津慎太郎少尉であった。三十四歳。カムイ防衛軍が編成されたとき、曹長から野戦昇進した叩き上げである。彼自身は機兵であるため、哨戒陣地の指揮と小隊の指揮の両方を執っていた。人手の足りないカムイ防衛軍では仕方のないことである。
代わり映えのない索敵モニターの針が振れたのは、東の稜線が白み始め、太陽が顔を見せようとした時であった。波形が示したものは敵影ではなかった。それにしてはあまりにも小さかった。だが、人より大きい波形である。
監視を行っていた歩兵は、中津へと念のため報告することにした。波形を描く針で紙に写し取り、中津の下へと持参した。
「中津少尉。報告があります。川向こうで波形を捉えました」
中津は紙を受け取りながら答えた。仮眠明けに、顎髭を当たっていた最中であった。
「なんだ。敵影か?」
「それが……」
歩兵はなんと答えるべきかに迷った。些細なことでも報告義務がある以上、一応報告に来ただけであったからだ。彼自身、経験浅く、この波形をどうとらえるべきかわからなかった。
「んー、黒騎士ではないなぁ。人、でもない。動物とすると、野生の大きい動物はおらんだろうし、うーん……とすると馬か?」
何が変わるわけでもないはずだが、ランプに透かして見たり、裏返してみたり、中津はとにかく忙しなく手を動かしながら考えているようだった。
「馬、なぁ。帝国が馬を使うとは思えんし。……ん?」
突然、中津が穴を開けんばかりに紙を凝視し始めた。歩兵は思わずぎょっとした。しかし、中津には部下の失礼な反応を咎める余裕もないようだった。
中津は、突然はじかれたように走り出した。手に持っていたカミソリを投げ出し、反射的に歩兵はそれを受け取った。それから、あわてて中津の後を追い始めた。
中津は、モニターを食い入るように見ていた。波形の大きさは変わらずだが、さっきより数が増えているようであった。
「ソリだ」
中津は呟くように答えた。モニターの波形を指でなぞり、どうやら大きな波形のあとにわずかに盛り上がった極々小さな波を追っているようだった。
「いかん、奴らだ。馬にソリを牽かせとるんだ!黒騎士だ!」
中津の大声に歩兵はぽかんとしていた。周りのほかの作業に従事していた者もそうであった。
――これだから新兵どもは。
中津は大声で怒鳴り散らした。
「なにをぼさっとしとるか!さっさと本部へ報告!ソリに乗った黒騎士が向かって来とる!カッパーを出すぞ!儂も出る!」
哨戒陣地はあわてて動き始めた。半信半疑の者もいたようだが、中津の下で長く苦楽を共にした者たちは、彼の判断を信じて行動した。
いまだ敵機の姿は肉眼では捉えられていない。それでも、カムイ要塞の通信部宛てに通信が送られた。
黒騎士再来。それは、まさしく風雲急を告げる凶報であった。
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カムイ要塞の司令室に届いた「黒騎士再来」の通信に、真壁良成大佐は即座に海燕隊の出撃を命じた。
第二報の詳細では、捉えたのはソリと馬と思しき波形であり、いまだリツァーリそのものは影も形も見ていないという。
だが、それを黒騎士襲来と判断した中津慎太郎少尉を、真壁は疑わなかった。粗暴なようでいて、細かいところを見逃さないその判断力に信頼を置いていたからだ。
海燕隊出撃の命を受け、面々は兵舎から格納庫へと急いでいた。時刻は午前六時半ほどで、起床の遅い佐伯、我妻、英親はいかにも寝起きという体であった。対照的に、嗣巳、凜花、日高の三名は起床も早く、いつものように規範通りの軍服姿であった。
兵舎を出て格納庫に向かう途中、嗣巳は懐かしい顔と再会した。同じく軍服を着て、装甲車に乗り込む列に並んでいる白井二等兵である。
お互い、出撃の途中である。目が合ったので、嗣巳は敬礼だけしておこうかと考えたが、白井が話しかけてきた。
「九条伍長!お久しぶりであります」
本来なら立ち話をしている場合ではないのだが、意外にも英親は嗣巳に許可を出した。
「嗣巳、先に行ってるぞ。一分だけやる」
英親の考えを嗣巳は読めなかった。だが、英親はそれだけ言うとほかの面々を連れてさっさと格納庫へ向かっていく。
嗣巳は、白井と少しだけ話すことにした。
「申し訳ありません、九条伍長。出撃でしたか」
白井は少しだけ落ち込んだようであった。まるで、叱られることを恐れる子犬のようであった。
「いや、構わないよ。隊長も許可を出してくれたし。長話はできないけれどね。元気そうだね」
白井は顔を輝かせてまくし立てた。
「ありがとうございます。九条伍長の活躍、私も耳にしております。やはり、九条伍長は機兵でこそ真価を発揮されるのでありますね」
白井は、搭乗する機体の無い三週間ほど、歩兵隊で軍務を行っていた際の部下であった。機体の受領にも立ち会っている。
それから、話す機会は訪れなかったが、変わらず壮健であることは喜ばしいことかもしれなかった。
「君も出撃か?」
嗣巳は装甲車の列を見ながら問いかけた。
「はい。カッパーキャノンのパイロット交代であります。とはいえ、私は操縦できませんので、座るだけですが。九条伍長のすばらしさをより痛感しております」
白井は照れ臭そうに笑った。
嗣巳は、少しだけ思案した。真壁は愚直にも戦力誤認を目的としたパイロット偽装作戦を行っているようだが、その効力は既に疑わしいと思えた。
敵は側面からの奇襲を考えているようだし、次の手が必要だろう。
「そうか。白井二等兵、戦いはないと思うが、正規のパイロットではないのだから、気を付けて。では、私はこれで」
敬礼をして、嗣巳は格納庫へと向かった。
白井はその背中が見えなくなるまで、敬礼を送り続けていた。
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地下格納庫の中では、命令が届く前から整備兵たちが働き詰めであった。
半地下の耐雪格納庫は風こそ入らないが、その広さゆえに薪のボイラーだけでは空気まで暖まらない。整備兵たちは防寒着に身を包み、白い息を絶えず吐きながら作業に当たっていた。
ハンガーに直立した六機の各関節部には、熱水で暖められた保温布が幾重にも巻かれ、湯気が足元へ低く垂れている。機体内部を循環する機械油が冷えて固まることを避けるための処置である。そのため、機体の周りは暖かく、機体に対して緻密な調整作業を行う整備兵の手が冷えて使い物にならなくなることは避けられていた。
海燕隊の面々が到着し、少し遅れて嗣巳も格納庫で合流した。
「よぉ、嗣巳。お前にもダチがいたんだな」
英親が茶化すように投げかける。日高は呆れたように肩をすくめていた。
「ええ、隊長。それなりに友人はいます。まあ、彼は元部下ではありますが」
嗣巳が受け流すと、つまらなさそうに英親は手を振り、自機の下へ進み始めた。皆、それに倣い搭乗の準備にかかる。
嗣巳が自機の近くへ行くと、整備兵が保温布を引き剥がして床へ放り、油圧計の針を読み上げた。別の整備兵が脚立を持って近づき、素早く上りながら剥き出しになった各関節の油圧シリンダーを布で拭い、継ぎ目に滲みがないかを順に見ていく。手信号で点検完了の合図を受け取ると、嗣巳は脛部の外部搭乗スイッチを押した。重い油圧音とともに胸部ハッチが開き、内側から昇降用のロープが繰り出される。それを伝って機体に乗り込んだ。整備兵たちは蜘蛛の子を散らすように機体から離れていった。
コクピットのハッチを閉じ、中央に鎮座する革製のシートに座り込み、体を固定するベルトを締める。シートの座り心地は決して良いとは言えないが、嗣巳にとっては揺り籠のように感じられた。
コクピット内の各モニターは電源が入っておらず、内部は静まり返っていた。電源を入れる必要がある。
まず、コクピット横に備え付けられた大きなレバーを力強く、上から下に振り下ろした。カァンと大きな音が鳴り、続いてシートの底が揺れる。それを何度か繰り返すと、ブゥゥンと鈍い駆動音が響き、断続的な揺れが発生する。コクピット底に備え付けられた、揚力晶共振炉を作動させたのだ。
しばらくして、モニター頭上にあるランプが緑色に点灯した。メインモニターのスイッチを入れると、各モニターやパネルの電源が入り、メインコンピューターの起動が始まった。
続いてアイカメラが起動し、メインモニターに格納庫内の映像が映し出された。映像は安定するまでしばらく走査線が走っていたが、やがて、正面の赤いカッパーソードがはっきりと見えるようになった。英親の機体もまた、起動プロセスが完了したようである。
コクピット内のいたるところに備え付けられた油圧パイプを、共振炉から得られる運動エネルギーにより駆り出された機械油が、まるで血液のように循環していく。
機体の状態を示す情報を確認し、出撃前の最終確認を行っていく。整備兵はまったく素晴らしい仕事をしたようである。完璧な状態であった。最後に武装のチェックを行う。登録されている武装は標準武装である【百雷】、第3世代標準サーベル【大騒速】、そして【鳴神】の三種である。
嗣巳は通信回線を海燕隊のチャンネルに合わせ、操縦桿を握った。
「九条嗣巳伍長。準備完了であります」
続いて、日高、佐伯、我妻、凜花と出撃準備が整ったことを示す通信が送られてくる。
『よぉし!海燕隊、発進するぞぉ!』
最後に英親のかけ声とともに、六機は順にハンガーを離れ、地下格納庫のスロープを徒歩で登った。
先頭は赤いカッパーソードであった。専用装備である大型重斬刀【断割】を腰に提げている。次いで銅色の制式仕様のカッパーソードが一機。ただし、制式では一振りのはずの、近接斬撃刀【袖雪】を二振り装備していた。その後を、頭部に大型センサーを増設したカッパーアサルト、重装型のカッパーキャノン、装甲を削り落とした軽量型のカッパーアサルト、最後に、第3世代のカッパーアサルトが続いた。先頭のカッパーソード同様に、長大な銃身を持った専用装備を背負っていた。
カムイ要塞から東の大川まで、およそ十五キロ。カッパーの巡航は時速三十キロである。戦艦以外の高速移動手段を持たぬ皇国機にとって、それが上限であった。足裏の揚力晶が接地の瞬間ごとに斥力パルスを刻み、深雪を音もなく左右へ弾いていく。到着までの所要時間はおよそ三十分を見込んでいた。
六機は縦列を崩さず、機体をオートモードで走行させた。その間、コクピット内ではブリーフィングが行われていた。
『まず、戦況を確認する。最新の報告によると、哨戒陣地が確認したのは、重輓馬と思われる馬とソリの波形であるそうだ。機影はまだ確認していないが、件の戦闘ソリに乗ったリツァーリと判断したようだ』
日高が全体に戦況報告を共有する。
『なんだそりゃぁ。実は行商でしたってことはねぇよな!』
我妻の声は通信越しであっても大きく、少し音が割れているほどであった。
『それはないだろう。帝国は馬を使用しないはずだし、あの位置を皇国の行商が通るとは思えない。哨戒陣地の見立ては正しいはずだ』
日高が冷静にそう返すと、ついで佐伯が質問した。
『だとすると、なぜ馬を?』
『これは予想だが、前回の戦闘の報告によれば、ソリの推進にはブースターを使用していたとある。おそらく燃料を温存しているんだ』
日高の指摘は鋭かった。おおよそ、間違いはないだろう。
『それよりよぉ、馬の出所が気になるな。奪ったものなのか、もしくは皇国民が協力をしているのか』
英親が重い声でそう告げた。実際、帝国が馬を使用しない以上、ソリを牽引しているのは皇国の馬に間違いない。
『お言葉ですが隊長。たとえ皇国民が協力していたとしても、咎められる謂れはないと思います』
凜花は静かな声で告げた。だが、その声には確かな怒りが込められていた。彼女は正義感が強いことを、この短い間で海燕隊のみんなは理解していた。
『ま、俺も別に責めるつもりはねぇよ。ただ、もし喜んで協力しているんだとしたら、帝国の統治は相当うまくいっているということになる』
英親の懸念を、日高は肯定した。
『そうだな、間違いない。西守の言う通り、帝国の統治は進んでいるとみるべきだろう。となると、兵站の問題も解消されるかもしれない』
日高は海燕隊で唯一英親を西守と呼んでいた。階級は英親が上だが、長らく苦楽を共にしてきた二人である。その絆は計り知れなかった。
『ま、俺ら兵士は少しでも多く敵をやるだけさ。それで、作戦はどうする』
空気を切り替えるような英親の発言を、日高が引き取った。
『そうだな。敵がすでに渡河済みかどうかだな。哨戒陣地が襲撃されている最中なら、戦況を見極めながら突撃。哨戒陣地が占領済みの場合は、我妻の砲撃を切っ掛けに急襲。渡河前なら、九条の狙撃から始めよう』
日高から、告げられた各パターンの作戦配置図が送られてくる。嗣巳はその情報を処理しながら、頭の中でイメージをしていく。
果たして当てられるのか、まず嗣巳はそこを考えておく必要があった。シールドスキーなら当てられるが、ソリならどうだ。旋回速度は。小回りは。
いくつかのパターンを頭の中でシミュレーションしていく。相手の速度によるが、チャンスは一度だけかもしれない。高速で距離を詰められれば、次弾を装填する時間は与えられないだろう。
『凜花、初陣だが肩の力を抜けよ。サポートは佐伯がやる。お前は目の前の敵に集中するんだ』
凜花は英親の配慮をありがたく感じた。実際、初陣の重圧は肩に重くのしかかっていて、手汗と震えが止まらなかった。もしかしたら、さっきの通信に震えが乗っていたのかもしれなかった。
『何も考える必要はないぞ。こっちで合わせてやるから』
続く佐伯の声は、とても優しいものであった。最初の印象こそ悪かったものの、その実、彼自身は面倒見の良い兄のような存在であった。
凜花を襲う重圧はそれだけではない。嗣巳の存在もある。初陣から類まれなる戦果を挙げ続けている彼の前で、無様な格好は見せたくなかった。
凜花は深く深く息を吸って吐いた。少しだけ、体の震えが収まった気がした。
――ただ、目の前の敵に集中するだけ。それだけでいい。
だが、機体が戦地へと近づくたびに、凜花の操縦桿を握る手は湿っていくのだった。
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海燕隊が大川の哨戒陣地に達したのは、日の出からちょうど四十五分後であった。
既に哨戒陣地の小隊は展開し、大川越しに扇形に陣形を組んだ五機のリツァーリと相対していた。いずれもソリに乗りブースターを装備した、例のリツァーリであった。
日高はまずそこで、小さな違和感を覚えた。なぜ、いまだに哨戒陣地が無事であるのか、その理由が解せなかった。また、豊村の見解では十五機相当と言われていた中で、たったの五機だけというのも気になっていた。
大川渡河地点の威力偵察は既に済んでいるはずで、シールドスキーを止められなかった戦力を考えれば、大川渡河地点の制圧など、ソリを手にした帝国にとって、造作もないはずであった。
『日高曹長。狙撃準備に入ります』
しかし、嗣巳の通信が日高に考える暇を与えなかった。
当初の作戦パターンにのっとり、嗣巳はまず哨戒陣地の周りに雪を掘って作られた狙撃用の塹壕に機体を潜り込ませ、鳴神の狙撃準備を開始した。鳴神の反動を抑えるアンカーが必要だが、背面にも築かれた雪の壁が、鳴神の衝撃を吸収してくれそうであった。あとは、ある程度の反動を考慮して狙撃をするしかなかった。
嗣巳が狙撃準備を開始したと同時に、相対するリツァーリも、ブースターを点火し戦闘準備を開始していた。特に中央の敵機は、嗣巳だけを見ているように感じられた。
――まさか、俺たちを待っていた?
日高は違和感をぬぐうことができなかった。しかし、それを口にするだけの猶予を戦況が与えてくれなかった。
『小隊は下がれ!邪魔になる!』
英親のオープン回線での通信を拾い、先に展開していた小隊が後退する。それと入れ替わるように、英親と凜花が間に出た。当然、嗣巳の射線を遮るようなことはしなかった。
『撃ちます』
嗣巳がそう声をかけたと同時に、雪で作られた塹壕が、射撃の衝撃に耐えかねて崩れた。だが、嗣巳の射撃は完璧であった。
鳴神の砲口に装着された多孔式マズルブレーキから横へ、白い発射炎が鋭く吐き出された。音を置き去りにして発射された弾丸は、反動を受けてなお敵を目がけてまっすぐに飛んだ。
誰もが直撃を確信していた。だが、嗣巳だけは己の失敗を理解した。
敵は、弾丸が発射されるのとほぼ同時に、すでに散開を始めていた。あらかじめ射撃の瞬間を予想していたようである。昼間の高原での狙撃が、相手に情報を与えていたのかもしれない。
弾丸は虚空を薙いで、その姿を消した。同時に、散開していた敵機がブースターで大川を飛び越え、高速で接近しつつあった。
嗣巳は鳴神を捨てた。次弾の装填をしたところで、当てることは無理だと悟った。その余裕を敵は与えてくれないだろう。壊れた塹壕から抜け出し、百雷を構えた。
海燕隊は三つに分かれていた。先頭の英親と凜花、そしてその二人を支援できる位置で、短銃身カービン【疾雷】を構えた佐伯、百雷を構えながら戦況を見極める日高と、その護衛を担う我妻。そして、狙撃を終えた直後の嗣巳。
まず、敵の五機のうち、二機は蛇行しながら移動し、円錐状の槍と大きな盾を構え、英親と凜花に接近戦を仕掛けていた。敵の戦い方は非常にシンプルであった。高速移動を主軸としたヒットアンドアウェイである。
何とか足を止めようと、動きながらの銃撃に特化した疾雷を用いて、佐伯が弾をばらまくが、それらは外れるか、敵の装甲と盾に弾かれるだけであった。
英親と凜花が接敵の瞬間に敵の姿勢を崩そうと試みるが、武装のリーチ差がそれを許さなかった。とにかく、敵の動きが巧みであった。一定のリーチから攻め込まれぬよう、じわじわと消耗させてきていた。
避けきれぬ攻撃が、英親と凜花の装甲を剥いでいく。特に、凜花の消耗が激しかった。いつしか、佐伯は凜花の援護を優先するようになっていた。
いつかの嗣巳を見習い、敵のアイカメラを狙ったり、相手の進行方向の雪面を銃撃し、相手の軌道を変えさせたりと巧みに牽制を行っていた。
凜花は新兵であることを考慮すれば、抜群のセンスを感じるほどの粘り強さを見せていた。並の新兵であればとっくにバラバラになっている。だが、いつまで持つのか。
タイムリミットは決して遠くないように感じられた。
別の二機もまた、同じく蛇行をしながら、我妻と日高に襲い掛かっていた。こちらも主軸はリーチを生かしたヒットアンドアウェイであった。だが、英親らとちがい、我妻と日高は接近戦を行うすべを持ち合わせていない。圧倒的に戦局は不利である。
だが、さすがに歴戦の雄であるというべきか、二人はそもそも接近を許さない戦法を心得ていた。特に我妻の技術が光ったのである。
まず、我妻は敵の蛇行運動から接近を許してはいけない軌道のみを冷静に見極め、的確に足元へ、カッパーキャノンの炸裂弾を当てていった。敵は軌道を変えざるを得なくなり、思うような接近を行えずにいた。
敵はまず、我妻の死角から攻めることを選んだ。機体の左右に取り付けられた砲塔は正面への砲撃しか行えない。見えない角度からの一撃であれば、接近できると踏んでいた。
だが、それらは全て日高の的確な索敵と指示により阻まれていた。三百六十度に生じる死角は、その指示に応じた振り向きざまの砲撃によってことごとく潰され、我妻と日高は半径五百メートル以内への接近を許さなかった。彼らが、ぐるぐると二人の周囲を周回したまま、膠着状態が続いていた。
その動きを見て、日高は確信した。
敵の目的が時間稼ぎであると。
残る一機は、ただまっすぐ、他の一切に目もくれず嗣巳だけを目指していた。
嗣巳は直感した。間違いない、ここで左腕を切り落とした、あのリツァーリだ。敵機の背後に復讐の炎を幻視した。それほどの勢いである。
嗣巳は百雷を背へ回し、腰のサーベルを抜いた。初撃は、辛うじて受け流すことに成功した。というのも、高速移動の推進力を得た槍の一撃は、推力で劣る第3世代のカッパーアサルトでは受けきることができなかったからである。
二撃目は受けることをやめた。相手の突撃を右にかわし、伸びきった左腕を切り払おうとした。それはまさしく、一度目の邂逅と同じ形であった。しかし、結果は同じではなかった。
ブースターの瞬間加速により、切り払ったサーベルは虚空を描いた。すぐに体勢を整え、振り返って敵を見る。
旋回を終えた敵は、同じ手は二度と食らわぬと、そう語っているようであった。
嗣巳は意識を切り替えた。相手は決して侮っていい相手ではない。ウォードールの操縦歴で言えば、おそらく自分の何倍も長いであろう。
油断は捨てろ。何も考えるな。ただ、一つになればいい。
鳴神を外したという事実。機体に応えられなかった悔しさ。ほんのわずかな焦り。それらは全て、強固な心の蓋によって、奥底に沈められていく。ざわついた心の水面が凪のごとく静まっていく。
――俺は。
一瞬、英親の言葉が頭をよぎったが、それすらも捨て置いて、嗣巳の心はカッパーアサルトと一つになっていく。
瞬間、続く三撃目はただかわすことにした。揚力パルスの出力を上げて瞬間的な反発を得て、飛びすさる。
それから続く何合もの攻撃を、相手の重い一撃を利用してあえて反発することで耐えていく。一撃も食らわない。だが、度重なる衝撃と着地で嗣巳の機体は着実にダメージを負っていた。
もう何合目かわからぬ攻撃を同じようにかわし、相手が旋回をするその瞬間、嗣巳はサーベルを左手に持ち替え、右手で背の百雷を取ると、相手の足元を銃撃した。
それは、ソリと結合している足部分を的確に捉え、また、ソリ自体にも着弾した。だが、リツァーリの装甲とソリ自体を貫くことはなかった。
敵は初めて動揺を見せた。度重なる攻撃により、自機の一番速度が遅くなる瞬間、すなわち旋回の瞬間を見切られたのだと、悟ったようである。
嗣巳の狙いはまさしくそうであった。もっとも射撃の有効な瞬間を見極め、まずはソリとリツァーリ自体の切り離しを狙ったのである。狙いはよかったものの、百雷の火力では成し得なかった。
ならばいい。もう一度来い。もう速度は見切った。次はその足とソリを切り離してやろう。
嗣巳はコクピットの中で獰猛に笑った。今までにない死地に身を置いて、心が沸き立つものを感じた。それは普段感情を抑え込む嗣巳が、己を出す唯一の瞬間であるかもしれなかった。
敵は、ブースターを全力で吹かし、迫ってくる。
いいぞ、来い。そのまま――。
しかし、嗣巳の意思に反して、敵は嗣巳を避け、そのまま大川へと走り、飛び越えていった。
みれば、他の四機もそれに追随していた。どうやら撤退を選んだらしかった。
嗣巳は、静かに矛を収めた。煮え切らない何かが心に渦巻いているのを感じた。
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嗣巳にとっては初めての、四十五分ほどの戦闘であった。海燕隊にも哨戒陣地にも、実質的な被害は無いに等しかった。
勝利と呼んでいいかはわからないが、少なくとも敗北というわけではなかった。
だが、危ういところではあったかもしれない。特に英親と凜花の損耗は激しかった。
『敵は何で引いたと思う』
日高はなにかを恐れているようだった。
『お前が最初に言ってたじゃないか。燃料を温存しているってことは、戦闘時間に限りがあったんだろう。俺たちの粘り勝ちだ』
英親が気楽に言うが、日高の懸念はまだ終わらないようであった。
『もちろん、それもあると思う。だが、俺には奴らが時間を稼いでいたようにしか見えない』
『いったい何の?』
『それは――』
日高の懸念を裏付けるように、哨戒陣地から割り込み通信が届いた。
『海燕隊へ!本部より伝令です!黒騎士の襲撃を受け、カムイ前線崩壊!』
それは、カッパーキャノン三百機により築かれた銅色の城壁が、破られたことを告げるものであったのと同時に、海燕隊の敗北を意味していた。
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