第14話 敗戦と凱歌
カムイ要塞の会議室では、集められた幕僚と将校による軍議が行われていた。その中には海燕隊の面々もいた。
「敵、鉄馬ヲ得タリ」
帝国本営を見張る哨戒拠点から送られた最後の通信文は、ただその一文のみであった。
ただし、何が起きたのか、真壁は全てを悟った。リツァーリは鉄馬、すなわちこの雪上戦闘における機動力を得たのである。
詳しいことは、撤退中の生き残った歩兵部隊に聞くしかない。救援の手筈はすでに整えている。
敵は、どうやら追撃をしてはいないようだった。だが、哨戒拠点自体は破壊されつくされているだろう。
軍議は、絶望の雰囲気に包まれていた。
「哨戒拠点は壊滅。おそらく、カッパーも奴らの手に渡ったとみるべきだろう」
真壁の声は暗く沈んでいた。今朝方の二週間の時間稼ぎをやり遂げたという安堵は、すでに影も形もなかった。
カッパーキャノンの防壁は、再び前線へと展開されている。その部隊の報告を聞く限り、元の重苦しい睨みあいが戻ったと考えていいだろう。しかし、それもいつまで続くかわからない。
その沈黙を破ったのは、慌ただしい駆け足の音だった。
「失礼します! 撤退中の歩兵、収容に成功しました!」
飛び込んできた伝令が、真壁に一通の報告書を差し出した。目を通す真壁の眼鏡の奥で、細い瞳がわずかに揺れる。
収容された歩兵は四名。いずれも重度の凍傷を負いながらも、意識は保っていた。彼らの証言によれば、迎撃に出た機体はソリを使用した相手の高速移動に翻弄され、為すすべもないまま雪原に沈んでいったという。だが、動かなくなった機体の全てが、そのまま鉄屑として打ち捨てられたわけではなかった。おそらく、ほぼすべての機体は回収されたと見られる。そのうち、確認できる範囲ではほぼ原形をとどめている機体は二機になるという。
「拠点指揮官の岡田少尉はどうなった」
真壁の問いに、伝令は言葉を選ぶように答えた。
「カッパー全滅後、やつらは拠点に攻撃を仕掛けたそうで。何名かを拠点から脱出させ、自身は投降したそうです」
つまり、捕虜となったということだ。それは機体鹵獲や捕虜から得た情報のアドバンテージすらも失ったことを意味していた。好調に向かっていたはずの戦況は、まったくの振り出しに戻ってしまった。
岡田少尉は喋るだろうか。真壁はそれを考えていた。
皇国の兵士は基本的に、捕虜となった場合に祖国の情報を渡すことは厳禁とされている。世界協定に触れる場合もあるため、それにより厳罰になることはないが、情報の漏洩は軍内の評価に差し支えることは間違いなかった。
「しかし、シールドスキーではなくソリか。つまりは運搬に使用する揚力橇をリツァーリ用に改造したというわけか」
真壁は唸るように告げた。
「おそらく入手元は帝国に占領されている村や町からでしょう」
作戦参謀の一人がそう付け加えると、自身の懸念を続けて述べた。
「ここでの問題は、帝国が揚力晶の加工技術をどこまで身に着けているか、です」
それはもっともな懸念であった。まず、揚力晶自体の原産は皇国本島であり、また、皇国のみに存在する鉱石である以上、
その技術流出はもっとも恐れなければならないものであった。
「これについて、豊村技師長。君の判断はいかがかね」
真壁は、軍議に同席している豊村一茂技師長に尋ねた。壮年のいかにも職人気質な男で、軍議の席でありながら、軍服を身にまとわず作業着のままであった。しかし、それを誰にも咎められないほどの実績を持つ男でもあった。
英親とも旧知の縁で、たびたび海燕隊の機体の調整も彼が行っていた。
「まず無理だろうな。カッパーの足をひったくったからって、そう簡単に解析して盗めるようなもんじゃねぇ。それに、揚力晶の扱いだって、やつらには扱いきれんだろうよ」
仮にも軍籍のものとは思えない口調と態度であった。油まみれの作業着で、豪奢な作戦卓に上半身を投げ出しながら答えるその姿に、数名の幕僚は苛立ちを隠せていなかった。
「しかし、豊村技師長。考えたくはないが、技術提供された場合はどうかね」
真壁の発言に、幕僚たちは息をのんだ。それは彼らにとって最悪に他ならない。
「無論よ、石の原産地でないとはいえ、揚力橇は北領で生まれたんだ。そら、現地のやつらが手を貸せば可能さ」
鼻をほじるような気楽さで、豊村は返答した。しかし、発言の内容は決して気楽なものではなかった。なぜなら皇国では海外への技術流出は厳罰化されていたからだ。
その技術の内容によっては極刑もありうるものであった。
「まあ、でもあのリツァーリだったか?あれに組み込むことができとらんということはだ。おそらくソリをかき集めて溶接でもしたんだろうて」
英親が横から口をはさんだ。
「つまりよぉ、おやっさん。やつらはソリを量産できるほどじゃねぇってことか?」
「そうなるわなぁ。周辺から徴収したと考えても、やつらにとっては生活必需品だぜ。全部渡すことはねぇと思うんだよなぁ。まあそうさなぁ」
なにやら頭の中で計算をしているのか、豊村はぶつぶつと頭を搔きながら考え込み始めた。
「うーん、そうさなぁ。多く見積もってもせいぜい十五機ほどじゃないかなぁ。いずれにせよ、北領の皇国民がどれほど帝国に協力しているか次第だろうて」
あまり、楽観できることではなかった。
「ですが、皇国では技術の流出はご法度です。さすがに、彼らもそこまでは……」
若い作戦参謀の声に、英親は真っ向から否定した。
「北原の馬鹿親父が焦土撤退なんざやらなきゃよかったんだ。食い扶持を失った国民たちは捨てられたも同然だぜ。皇国より帝国を選んだとしても仕方ねぇよ」
さすがに鎮台の総司令官である北原に対して、真っ向から唾を吐く英親に同調をするものは誰もいなかった。ただ、皇国より帝国を選ぶ国民の心理は理解したようだった。
たしかに、民草というものは己の生活のほうが大事である。治める国が皇国であれ帝国であれ、明日を生きる糧があればよい。それは決して責めるべきものではない。
「北領の残存資源と帝国の量産体制。これはどれぐらいで確立されると考えられるか、教えてくれ」
真壁が空気を変えるように声を上げた。情報参謀が立ち上がり、資料を見ながら話をつづけた。
「まず、北領の残存資源ですが、加工前の揚力石、加工後の揚力晶、合わせて約五トンほどと推定されます。なお、これらは全て民間用のものであり軍事用の資源はすべて皇国鎮台が本島に持ち帰っております。これらは北領全体に分布していますが、帝国がカラホト、カムイ周辺を占有していることを考慮すると、おそらく半分以上は奪われたものと考えられます」
結論は豊村が引き継いだ。
「てことはつまり、そうさなぁ。技術流出を前提として、リツァーリの転用に三か月、そこから量産にさらに二か月ぐらいかなあ。ソリに絞るんだったら、ひと月で三百は作れるだろうなぁ」
それは、皇国側の猶予が全く残されていないことを示していた。雪上での機動力の差によって得られた戦闘的優位性を失ってしまっては、皇国に勝ち目はなかった。
真壁は眉間を揉みこむ衝動をこらえた。司令官として、形だけでも無様な真似を見せるわけにはいかなかった。だが、具体的な猶予を見せつけられ、言葉を失う幕僚たちにかけるべき言葉をまだ見つけられていなかった。
「そのソリに乗った五機、海燕隊ならやれるぜ」
静寂を切り裂いたのは英親であった。それは決して大声ではなく、低く事実を淡々と述べただけのものであったが、確かに希望を与える声であった。
「近接戦闘、かく乱、援護射撃、すべてを高い練度でこなせるのは、もはや海燕隊だけだろう。任せな」
幕僚の中に安堵が広がった。
「しかし、九条伍長。貴様は当てられるのかね」
真壁が嗣巳に確かめるように問いかけた。幕僚の視線が嗣巳に集中した。誰も彼も、期待している答えは同じのようであった。
「はい、真壁大佐。率直に申し上げます。まず、鳴神を使用しての狙撃に関して、シールドスキーであれば確実に当てられます」
嗣巳は淀みなく言い切った。
「しかしながら、ソリはまだ見たことがありません。蛇行の機動性もそもそもの運動性も理解できていないので、確実に当てられるか、断言はできません」
幕僚の間に落胆が広がる。嗣巳は意に介することなく話をつづけた。
「ですが、鳴神にこだわる理由もないかと考えます。重要なのは相手の足を止めること。ソリ自体の装甲が薄いと考えるのであれば、百雷で十分狙えます」
嗣巳の意見は幕僚たちにとっては及第点であった。だが、中にはやはり懐疑的なものもいた。
「おいおい大佐殿。うちは嗣巳だけじゃねぇんだぜ。かく乱や足止めなら佐伯と我妻で十分だ。足さえ止めたら俺と凜花で八つ裂きにできる。負けやしないさ」
英親は敗北を一切匂わせなかった。真壁はこれこそを英雄の器と感じていた。
「いいだろう、西守少佐。作戦はまた追って伝える。次の戦闘は君たち海燕隊に任せよう」
真壁にとっても、戦場の士気を高めるために、英親の存在はありがたかった。真壁もまた、英親の掲げる「赤」の意味を知っているのだ。
軍議は真壁といくつかの幕僚を残して解散となった。それ以外のものは退出し、それぞれの持ち場で待機となる。
嗣巳は、会議室を出た後の廊下で英親に呼び止められた。
「嗣巳よぉ、あそこは嘘でも当てれますって断言するところだぜ」
英親は不服そうにそう告げた。
「隊長。お言葉ですが、自分は事実のみを伝えろとそう学びました」
それは軍学校における上官への正しい報告であった。
「もちろんそれはそうさ。けどよ、士気ってのは戦争を行う上で最も大事なものだ。俺たちは今のカムイ防衛軍にとっての希望だぜ」
英親の言いたいことを、嗣巳は理解していた。だが、狙撃について問われたとき、あそこで述べたことは純然たる事実であった。
「隊長、断言します。自分は鳴神を当てられるかどうか、現段階では判断できません。ですが――」
英親をまっすぐと見つめ、曇りのない目で嗣巳は続けた。
「決して負けるつもりはありません。自分は鳴神がなくとも、奴らに後れを取りません」
それもまた、嗣巳にとっての事実であった。
英親は満足したように笑った後、嗣巳の肩を軽くはたいた。
「上出来だ。嗣巳、お前にはやっぱり機械は似合わねぇよ」
それだけ言い残すと、英親は背中を向けて立ち去る。
残された嗣巳は、しばらくその言葉の意味を逡巡していた。
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ザスタヴァの整備ドックに、五機のリツァーリが帰還したのは、出撃からわずか三時間後のことであった。
牽引されてきたのは、鹵獲された二機のトゥポーイである。無骨な銅色の胴体の中心部には、槍で貫かれたような大きな穴が開いていた。それは無残なる鉄の亡骸だった。
ゲルマンたちの帰還を心待ちにしていた「タブン・シュトルム」の面々が、大きな歓声とともに出迎えた。皆、英雄たちの凱旋を口々に称えていた。
機体から降りたゲルマンたちは、彼らが斉唱する軍歌を笑顔で受け入れた。
ひとしきりの騒ぎが静まったのち、ゲルマンはミハイルを伴い、司令室へと向かった。
室内に通されると、帝国式に作り替えられた豪奢な椅子にアレクサンドラが腰かけていた。その傍に控えるアンドレイが報告を促す。
ゲルマンは跪いて、戦果を報告した。
「敵前哨拠点を完全に制圧いたしました。トゥポーイを二機持ち帰り、敵の指揮官は投降しました。すべて拘束し、今回収に部隊が向かっています」
「上出来だ、ゲルマン卿」
アレクサンドラの声には、隠しきれない満足の色があった。プルシアンブルーの瞳は、輝きを増していた。祖国の青い宝石を思わせる美しさであった。
「トロイカの実戦性能はどうであった」
「完璧です、殿下。奴らは我々に一太刀はおろか、鉛玉一発掠めることもできませんでした」
ゲルマンの傍らに同じく跪いたミハイルもまた、勝ち誇った表情を見せていた。
「そうか。それで、例のトゥポーイは現れたか?」
アレクサンドラの問いかけは、あの忌まわしき狙撃手を指していることは明白であった。
「今回、奴は姿を見せませんでした。あくまで新兵ばかりの小さな拠点だったようです」
ゲルマンの言葉を聞きながら、ミハイルはその瞳に復讐の炎をくべつづけていた。
「そうか」
アレクサンドラは短く返答した。アンドレイだけは、その声にわずかな落胆が含まれていたことを見逃さなかった。
「ゲルマンよ、ご苦労であった。褒美はあとで取らそう。なんでも言うがいい」
ゲルマンはその巌のような声で告げた。
「恐れながら殿下、褒美をいただくのであれば、あの忌まわしきトゥポーイを討ち取った暁に、是非」
それは武人としての誇りであった。ミハイルだけではない。ゲルマンもまた、あの雪辱を果たすことを誓った身である。
「いいだろう。それでこそ帝国騎士である。ゲルマン、それにミハイルよ。そなたら二人には因縁深い相手だ」
アレクサンドラは寛容であった。また、騎士たちの武人としての誇りに深く理解があった。それもまた、彼らが崇拝すべき姫としての器量であるのかもしれなかった。
「必ず奴を討ち取れ。その時には、望んだ褒美を必ず与えよう。今日は休むといい」
ゲルマンとミハイルは司令室を後にした。
トロイカを得た二人の中で、今度こそは対等にあのトゥポーイと向き合える喜びがあった。
片方は武人としての誇りを。片方は復讐の炎を。
この三人が相まみえる未来は、もう眼前まで迫っていた。




