第13話 鉄の軍馬
真壁良成大佐は、司令室の窓辺に立ち、久方ぶりに晴れ渡った空を見上げていた。
連日連夜牙を剥いていた猛吹雪はここ数日鳴りを潜め、薄い雲間から零れる弱々しい陽光が、二メートルを超える根雪の稜線を鈍く光らせている。要塞の外壁を叩く風にも、心なしか刺々しさが抜けているように感じられた。
今が戦時であることを忘れさせるような優しい冬の昼間であった。
海燕隊に白石凜花が加わり、補給部隊が去ってから、すでに五日が過ぎていた。
真壁は窓辺を離れ、卓上に歩み寄った。そこには昨日、本島から届いた一通の電文が置かれている。もう何度読み返したか分からない。
「皇国鎮台、本島撤退完了セリ」
――やり遂げた。
真壁の心は万感の思いで満たされていた。開戦当初、北原に見捨てられたこの地で、寄せ集めの兵力を掻き集め、独立部隊「カムイ防衛軍」を結成し、撤退する皇国鎮台の殿を務めさせられた、あの頃の混乱を思えば、この一文の重みは計り知れなかった。弾薬もろくに残っていない中、三百機のカッパーキャノンで虚仮威しの砲列を敷き、歩兵にパイロットの真似事までさせて、ただひたすら時間を稼いだ。二週間、と北原は言った。決死に稼いだこの二週間で、皇国鎮台は本島への撤退を完了させたのだ。
これでもう、守るだけの戦をせずとも済む。
窓の外の雪原を見渡しながら、真壁はそう思った。帝国もあれから目立った動きを見せていない。大川での敗走、鳴神による威力偵察、そして猛吹雪の夜襲――立て続けに痛烈な一撃を浴びせられた帝国が、次の一手をどう繰り出すか、慎重に見極めているに違いなかった。
その慎重さこそが、真壁にとっての好機だった。ただ蹂躙されるだけの戦に新兵を巻き込み、その命を散らすことは忍びないが、海燕隊を中心に戦術を立てていけば、このカムイの地で、北領奪還の足掛かりを得られるかもしれない。
本島では、おそらくは再度部隊編成が行われ、この北領の奪還のための鎮台規模の軍がまた派遣されてくるはずだ。
そのために戦況を整えておくだけでいい。取り返せるだけの領地を取り返しておけばいいのだ。
無理に新兵の命を散らすこともないだろう。海燕隊が、西守英親が、九条嗣巳がいれば、この戦況をものにできる。
真壁にとって、海燕隊は武器そのものであり、この戦況に引導を渡す切り札であった。
先日新設させたばかりの哨戒拠点を中心に、まずは奪われたカムイ高原の皇国第2防衛基地、現在の帝国本営を奪い返すための布石を打つ想定であった。
哨戒拠点からの報告は、これまでのところ平穏そのものだった。帝国本営の周辺に不審な動きなし。定時連絡は途切れず届いている。まだ小規模な拠点ではあるが、これで帝国の動静をある程度は掴めるはずだ。
真壁の口元に、珍しく笑みに似た皺が浮かびかけた、その時だった。
通信卓のブザーが、司令室を劈き、通信機から切迫したオペレータの、悲鳴のような声が響いた。
「前線哨戒拠点より緊急通信!黒騎士襲来!」
畳みかけるように、二の矢のごとき続報が飛び込んでくる。
「北方より、黒騎士を五機確認!いずれも雪上を高速移動中!」
真壁の背筋が、瞬時に凍りついた。
まさか、大川渡河地点と同じ……?
真壁は深く息を吸い込み、己の心を落ち着けた。
大川渡河地点と同じ戦術であれば、実際に戦闘を行った嗣巳の意見をもとに対処法を編み出していた。
それは、カッパーキャノンの砲撃で足元を狙うこと。シールドスキーの弱点は大きく二つあり、原則直線移動しか行えないことと高速移動中の姿勢が強制されていることがあげられる。高速移動中に姿勢を崩しさえすれば、あとは自滅するだけ。それが出された結論であった。
真壁も事前にシールドスキー戦術を主軸に帝国が奇襲をかけてくることを想定し、三機のカッパーキャノンと十分な弾薬を与えていた。高速移動中であっても、直線移動を行うリツァーリの足元への砲撃は、たとえ砲撃手が新兵であっても十分可能である見込みだ。
大丈夫、対策はしている。問題ない。
真壁は自分にそう言い聞かせた。いずれ、撃退の報告が上がるはずだ。
しかし、そう思う端から、真壁の脳裏には、かつて英親が漏らした言葉が過ぎった。
――やつらがおとなしくしているとはとても思えねぇ。
その後、帝国本営を見張る皇国哨戒拠点からの通信は途絶した。
平穏の冬はまたもや、白銀の嵐とともに過ぎ去っていたのだった。
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ザスタヴァの整備ドックに、白い息が幾重にも立ち昇っていた。
完成した戦闘ソリ、トロイカを用いた奇襲部隊、「タブン・シュトルム」の先日までの三日間の訓練――否、それはもはや前哨戦というべきかもしれなかった。
ゲルマン・コルニコフは、居並ぶ精鋭たちの機体を一機ずつ見渡しながら、そう思った。
電磁ロックの誤作動でソリごと投げ出され、雪原に半身を埋めた者。旋回半径を見誤り、僚機と正面衝突しかけた者。ブースターの出力を絞り損ね、着地の衝撃でコクピット内の肋骨を軋ませた者。三日間、怒号と悲鳴が絶えなかった、地獄のような訓練であった。
だが、いま目の前に整列したタブン・シュトルムの騎士たちに、ソリの上でよろめく者はもう一人もいない。
「みんな、よくやり遂げた」
ゲルマンは短く、それだけを告げた。巌のようなその一言の中に秘められた、確かな労いの思いを感じ取り、精鋭たちは報われたように顔をほころばせた。
ゲルマンは、ミハイルを筆頭に、四人の精鋭を前に呼び出した。
「喜べ。これより、皇国の前哨拠点に奇襲をかける。我らタブン・シュトルムの初陣だ」
騎士たちの歓声が上がる。訓練を終え、一日の休息を得て、彼らは血気に逸っていた。
その中で、若い騎士が逸る心を抑えきれぬとばかりに声を上げた。
「ゲルマン卿、全員で出撃しないのですか?」
ゲルマンは静かに答えた。
「燃料の問題がある。訓練で相当数消費したからな。ここでいたずらに消費するわけにはいかない。それに――」
一瞬、ゲルマンの口の端に獰猛な笑みが浮かんだ。
「貴様らの戦場はそう遠くない。今回はあくまでお披露目だ。それまで、槍を磨いておけ」
ゲルマンに答えるように、その若い騎士も好戦的な笑みを返して下がった。タブン・シュトルムの士気は上々であった。
「では、十分後に出陣する!」
ゲルマンのかけ声を受け、皆、散り散りに準備を始めた。
「姫よ。今度こそ、あなたに勝利をささげます」
アレクサンドラの期待に応えるべく、ゲルマンもまた、自身の愛機に乗り込むのだった。
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ザスタヴァの前に五機のリツァーリが一機を中心として扇形に整列していた。
いずれも、足元には長方形の厚みのある鉄板の上に乗っていて、積雪に沈み込むことなく直立していた。
戦闘用ソリ「トロイカ」に搭乗したリツァーリたちの強襲部隊、「タブン・シュトルム」の精鋭たちである。
「ゲルマン卿。やつは現れるでしょうか」
ミハイルは静かにゲルマンに告げた。しかし、その声には隠しようのない飢えがあった。修復されたばかりの左腕を軋ませるように、操縦桿を強く握り締める。あの日、たった一発の狙撃で全てを奪ったあの男への復讐の炎は、寸分も鎮まってはいなかった。
「ミハイルよ、そう逸るな。やつとは必ず相まみえるさ」
ゲルマンは諭すように語った。復讐にとらわれすぎるきらいのあるミハイルに、少しばかりの不安を覚えたのだ。
「まずは眼前の目標に集中するのだ。楽しみはまだとっておくがいい」
ミハイルは獰猛に笑った。
「ええ、やつを八つ裂きにするその時まで、私は決して止まりません」
ゲルマンの心配はどうやら杞憂であったようだ。
「司令室から、アレクサンドラ殿下もきっと見ていることだろう」
ゲルマンは士気を高めるため、また、アレクサンドラへ覚悟を届けるため、あえて外部回線に切り替え発破をかけた。
「見よ!足を待たぬ無様な我らに高貴たる姫が鉄馬を与えてくださった!これは姫からの最後の慈悲であると心得よ!」
ゲルマンは騎士の誇りたる円錐状の槍を天に向けて大きく掲げた。
「これより我らタブン・シュトルムは!憎きトゥポーイどもを駆逐する!この地に戻るとき、その時我らの手には勝利のみである!果たせぬものはこの地で家名とともに雪に沈め!」
続いて、円錐状の槍を前に突き出し、ブースターを点火させた。ゲルマンに続いて、四機も同じく点火を始める。
「いざ行かん!我らが命を捧げよ!」
ゲルマンはそう咆哮すると、ブースターの出力を上げ、全速力で飛び出した。
『アレクサンドラのために!』
続く四機も、一糸乱れぬ声で咆哮し、ゲルマンへと追従した。
その姿をアレクサンドラは、司令室の窓から見守っていた。
彼女のプルシアンブルーの瞳には、ただ、誇り高き騎士たちの勝利への確信だけが映っていた。
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帝国本営を見張る皇国哨戒拠点は、突然の警報に蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
「音響索敵装置に反応あり!敵機五機!か、かなりのスピードで接近中!」
皇国哨戒拠点と帝国本営は約五キロの距離がある。その中間地点に備え付けられた音響索敵装置が、リツァーリの反応を捉えたのだ。
大川哨戒陣地から配置換えされ、皇国哨戒拠点の現指揮官の岡田正孝少尉は、迅速に指示を出し始めた。
「猛スピードということは、シールドスキー戦法での奇襲だな。よし、待機中のウォードール隊を全機出撃させろ!」
シールドスキー戦法はすでに対策を講じられた戦法である。どうやら帝国は、皇国の対抗手段が、あの機械のような九条嗣巳だけしかないと思っているらしい。
岡田は皇国の意地にかけて、忌わしき帝国の黒騎士を迎え撃つことに決めた。
哨戒拠点の現在の戦力はカッパーアサルト八機とカッパーキャノンが三機である。五機であれば十分対抗可能と考えられた。
「いいな!砲撃手に伝えろ!機体を狙うのではなく、直線移動中の足元を狙えと!」
拠点内の戦力は、拠点からおよそ五百メートル先の地点に、手際よく全て展開された。
まず、カッパーキャノンが三機、一定の間隔をあけて横列に並び、砲撃準備を整えた。その背後にカッパーアサルトが百雷を構えて待機している。
カッパーキャノンの砲撃で迎え撃ち、姿勢を崩したところをカッパーアサルトで追い打ちをかける作戦であった。
「展開完了。迎撃に備えます」
しばらくは静けさが続いていた。やがて、雪煙を巻き上げて、五つの漆黒の影が現れた。
「敵機確認!黒騎士です!たしかに速いです!」
岡田は通信機から響く砲撃手の報告を聞き、予想を確信に変えた。
「やはりシールドスキーか。よぅし、適正距離に引き込んだらすぐに撃て!いいな、足元だぞ!」
繰り返しの忠告を指示し、岡田自身も緊張を隠せない様子で、報告を待っていた。
司令室のモニターのレーダー画面には、展開された部隊を示す青い点が点滅して表示されていた。やがて、敵機を示す赤い点が同じく点滅して現れる。
「よし、そろそろ――」
「し、シールドじゃない!やつらシールドに乗っていないぞ!」
「ソリだ!岡田少尉!敵はソリに乗っています!」
岡田は驚愕した。
まさか皇国が使用する運搬用のソリに乗っているというのか。だが、やることは変わらないはずだ。
一拍の空白を開けて、岡田は指示を出す。
「取り乱すな!ソリだろうと変わらん!足元を狙え!」
岡田の指示を受けて、カッパーキャノンは狙いを定めて一斉に砲撃を開始した。
右肩に取り付けられた砲塔が火を噴き、鉄の砲弾がリツァーリめがけて放出された。
ドウゥン!
砲弾はまるで、噴き出す間欠泉のように雪飛沫を巻き上げながら着弾した。大地を揺るがす衝撃と豪快な音がカムイ高原を駆け抜けた。
「やったか!」
一瞬の静寂のあと、巻き上がる雪飛沫を突き抜けて、漆黒の影が滑走していた。
しかも、五機は決して直線移動をせず、散開しながら狙いをつけられないよう蛇行していた。これこそ、本当のスキーのようであった。
「岡田少尉ぃ!やつら、動きます!狙いが付けられません!」
悲痛な砲撃手の声が司令室に木霊した。
「ば、馬鹿な!敵は機動力を手にしたというのか!」
由々しき事態であった。それは皇国が持っていた雪上戦闘における戦闘的優位性を喪失したことを意味していた。
皇国の冬はまだ明けることはないのだと、岡田は絶望とともに理解した。
「ええい!総攻撃だ!接近を許すな!」
岡田の指示に従い、控えていたカッパーアサルトも戦闘に加わる。
百雷を乱射し、甲貫を持って嗣巳よろしく居合のように切り払おうと試みる。
だが、戦果を挙げられた者は誰もいなかった。
司令室には、ただ阿鼻叫喚の断末魔の声だけが鳴り響いていた。
もはや、言葉を発するものは誰もいない。
接敵開始からおよそ二分。ただ、モニターから味方機がロストしたことを告げる、無慈悲な電子音だけが響いていた。
岡田は、やがてすべての味方機の信号が消えたのち、悲痛な声で告げた。
「拠点を、廃棄する。本部に通信しろ。敵、鉄馬を得たり、と」
その通信を最後に、皇国哨戒拠点は崩壊した。




