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「連載版」余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました  作者: 夢見叶
第3章 病人を疑った令嬢、という噂が走る

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第9話 誰が、冷たい令嬢と呼ばせたのか

 薄青の便箋だった。


 朝食室に春の陽が差し込み、白い皿と砂糖壺を等しく照らしていた。父は紅茶を口へ運ぶ途中で止まり、配膳台の端に伏せてある便箋を私が見た瞬間、一拍だけ迷う顔をした。父の迷いはだいたい短い。決断の速い人だから。


「ヴェルティナ」


「拝見しても、よろしいですか」


 父が答えず、便箋を私の前へ押した。答えずに渡すのは、読んで娘が傷ついてから止めることはできないと分かっているからだ。


 差出人は、ル・グレイス侯爵夫人。


 丁寧な草書体で、招待状と記されていた。「病に苦しむ令嬢方をお慰めするための、小さな茶会に」。末尾に一行、「クラウディア様のご快癒をともに祈る場として」とあった。


 病に苦しむ令嬢方。


 ご快癒を祈る場。


 私は便箋を裏返した。裏は白かった。


「欠席なさい」


 父が言った。短く、珍しく、直接的に。


「欠席すれば、逃げたと見られますわ」


「踏まれるよりはましだ」


「踏まれた場所と、言葉と、時刻は記録できます」


 配膳台の向こうで、リオンが息をのんだのが聞こえた。父がため息をついた。借用書騒動のあと、父は私に何も言わなかった。ただ朝食の砂糖壺を、私の右手の届く位置へ変えた。それだけで十分だった。


「リオン、白い手袋を」


「はい。……お嬢様、お顔の色が」


「平気よ」


 笑顔は出てきた。


 ただ、一拍遅れた。



 白百合サロンは、昼過ぎの光の中で砂糖菓子と誰かの香水が混ざり合っていた。


 天井の白漆喰が高く、声をよく反響させる部屋だった。12、13人の夫人と令嬢が円形の椅子に収まり、各自が扇を手に談笑している。私へ宛てられた椅子は、入口から最も遠い場所にあった。


 侯爵夫人は淡い青の茶会服を着ていた。濃い金茶の髪を高く結い上げ、首元の真珠が三連。私が席に着くと、表情を整えて笑顔をつくった。完璧な笑顔だった。完璧すぎると、縫い目が透けて見える。


「まあ、いらしてくださって嬉しゅうございますわ、ヴェルティナ様」


「ご招待ありがとうございます」


 頭を下げながら、左隣の席を確かめた。


 カトリーヌ様が座っていた。淡い草色のドレスに白扇を半分だけ開いて膝の上に置いている。砂糖菓子に手を伸ばしながら、視線だけで室内の右半分を静かに読んでいた。私が隣に座ると、扇の骨が微かに角度を変えた。意味はまだわからない。わからないが、何かを指していることは分かる。


 紅茶が配られた。私は両手でカップを包んだ。白手袋越しでも、温かさが通る。


「ヴェルティナ様は、本当にお強い方ですのね」


 右隣の夫人が言った。四十代半ば、真珠の耳飾り。声は柔らかかった。声の柔らかさは、言葉の形とは別の話だ。


「どのようなことで」


「まあ。病にお苦しみの令嬢の診断書を疑うなど、よほどのお方でなければ難しいでしょうに」


「難しいでしょう」という語尾。


 難しい、は非難ではない。しかし「よほど」と並べると、冷たいと同じ意味に変わる。


 私は紅茶を受け皿に置いた。カップが小さく当たった。


「まあ」


 私は微笑んだ。一拍おいてから。


「病を疑ったのではございませんの。言葉の出所を確かめただけで」


「でも、クラウディア様があれほどお苦しみだったのに」


「そのお言葉」


 私は夫人の目を見た。声は変えなかった。


「どなたから、最初にお聞きになりましたの」


 夫人が、一瞬だけ黙った。


 扇の骨が止まる音がした。侯爵夫人の真珠が揺れた。


「そう……ですわね。侯爵夫人様から、かしら」


「そうでございますか」


 私は微笑んだ。


「承知いたしました」


 白手袋の内側で、親指の爪が掌に食い込んでいた。笑顔は崩れない。崩れないのは私の性分の厄介なところで、本当は傷ついているのに、自分でもそれが分からなくなる。これを気づいたのは最近のことだ。


 それからしばらく、砂糖菓子が回り、春の花の話が出た。侯爵夫人が「クラウディア様は今日も神殿の祈りを欠かさないとか」と口にするたびに、夫人たちの表情が柔らかく揺れた。誰かが「お気の毒に」と言い、誰かが「信仰深くていらして」と言った。部屋の温度が、砂糖菓子の甘さの方向へ少しだけ傾いた。


 私は紅茶を飲まなかった。


 飲める状態でなかったということに、カトリーヌ様は気づいていた。彼女は私の手元を一度だけ見て、扇を静かに閉じた。ぱちん、という音は、隣の夫人が砂糖菓子を選ぶ音に紛れた。


 手帳は持っていない。社交の場に革表紙の手帳は馴染まない。


 だから記憶した。


 耳飾りの夫人。右隣の椅子。「よほど」と「難しい」の語順。「侯爵夫人様から、かしら」という確認の速さ。私が質問した直後だけ、侯爵夫人の笑顔がほんの一拍止まったこと。


 帰宅したら書く。



 帰り道、カトリーヌ様が私の馬車に乗った。


 問う前に扉に手をかけていた。馬車の内側は、サロンより静かだった。車輪の音だけが床板から伝わる。春の夕陽が窓から斜めに入り、カトリーヌ様の白扇を橙に変えた。彼女は背もたれへ深く座り直し、ひとつ息をついた。サロンでの笑顔が、初めて少し外れた顔だった。


「耳飾りの夫人、先週も侯爵夫人の茶会におりましたわ」


 扇の骨が膝の上で静かに畳まれる。


「あの言い回し、昨日まではございませんでした」


「……昨日まで?」


「ヴェルティナ様のことは、一昨日まで診断書を問題にした令嬢と呼ばれておりましたの。今日から病人を疑った冷たい令嬢に変わりましたわ」


 私は手帳を取り出した。揺れる馬車の中で、字が少し乱れる。


 診断書を問題にした。病人を疑った冷たい。


 同じ事実ではない。前者は行動の記録。後者は人格の評価。


「……誰かが、変えたのですか」


「変わるものは、直す者がいますわ」


 カトリーヌ様が扇を膝に置いたまま、窓の外を一度だけ見た。夕暮れの王都が、橙と灰色のあいだで揺れていた。


「噂にも、最初に口にした方はいらっしゃいます。そして、途中で手を入れた方も」


 馬車が邸の前で止まった。


 私は手帳に書いた。止まった馬車の中で、走り書きで。


 噂記録第1。白百合サロン、午後。

 伝播者、耳飾りの夫人。初出源、侯爵夫人主催の場。

 文言変化:「診断書を問題にした令嬢」より本日「病人を疑った冷たい令嬢」へ。

 変化の出所、未確認。


 邸に入ると、リオンが申請書の控えを持って待っていた。


 王宮医療所の封蝋。セバスチャン様からの名誉保全面会申請の受理控え。しかし余白に一行、手書きで加わっていた。承認には同席者の選定が必要で、三日以上を要する見込みだと王宮職員から連絡があった、とリオンが静かに教えた。


 その連絡が邸へ届いたのは、茶会が始まる直前の時刻だったという。


 偶然にしては、行儀がよすぎる。


 私は申請書の控えを手帳に挟んだ。革表紙が、セバスチャン様の名前を静かに閉じた。


 窓の外はもう夕暮れで、王都の灯が一つずつ点り始めていた。


 翌日、噂の言い回しはまた変わるかもしれない。


 ならばまた、記録する。


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