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「連載版」余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました  作者: 夢見叶
第2章 終わったはずの朝に、手帳は開かれる

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第7話 この記録は、証拠にならないのですか

「私的記録は、証拠ではありません」


 王宮書記官エリオット様は、私の手帳を閉じた。


 音はしなかった。けれど胸の内側で、何かが硬く落ちる音がした。


 王宮証言保全室は、予想より狭い部屋だった。応接間より2回り小さい石造りに、薬光灯が3つ吊られている。燈芯が白い光を四方へ押しつけ、窓は北に1枚だけ。そこから見える石畳の中庭には、今の時刻、陽が届かない。壁一面に青い台帳が並び、机の上には羽根ペン、封蝋皿、証言分類用の小札。感情が入り込む隙間のない、よく整った場所。


 向かいに座る書記官エリオット様は、30代半ばと見えた。【修正①】目元は眠たげだが、書類へ落ちると別の色になる。インク染みのある白手袋、細い首に白いクラバット。机越しの姿勢だけが定規で測ったように真っ直ぐで、感情を出す余地を自分から閉じていた。


 私は長椅子の右端に、膝の上へ手帳を置いて座った。リオンが左後ろに立ち、セバスチャン様が右の椅子に腰を下ろす。銀のステッキを膝の脇に静かに置く。同席申請書の通りの配置で、彼との間には椅子1つ分の空白がある。


「本日は、9度の夜会に関する発言記録の確認が目的です」


 エリオット様の声は事務的で、波1つなかった。感情のない場所の方が、言葉は正確に扱われる。私はそれをいい徴候だと思った。


「こちらが、9度すべての記録です」


 革表紙の手帳を卓上に滑らせた。


 エリオット様は白手袋のまま受け取り、最初のページから読み始めた。発言者、時刻、場所、確認者。整然と並ぶ欄を、目が追う。5度目の夜会の記録だけ、字が少し滲んでいることを私は知っていた。彼の指が、そこで止まった。


「……発言者、時刻まで」


「ええ」


「照合はされましたか」


「記録した際の証人として、侍女リオン・ベルナが同席しておりました」


 エリオット様はページをめくるのをやめ、手帳を静かに閉じた。台帳の横に置く。置き方が丁寧なことが、かえって不穏だった。


 私の人差し指が、表紙の角を探して止まった。


「この記録は、あなたが書いたものにすぎません。第三者の署名、保全時の立会い、公証印――いずれもありません。単独では証拠能力を持ちません」


 薬光灯の燈芯の音だけが残った。


「私的文書です。発言者・時刻・場所の正確さは認めます。しかし第三者機関による照合なしには、王宮書記局の公式記録への接続が困難で――」


「承知いたしました」


 声が出た。自分でも、少し驚くほど静かだった。


 エリオット様の口が止まった。


「続けてください」


 彼は2秒間、私の顔を見た。それから台帳へ視線を戻し、残りを読み上げた。私的記録の定義。照合要件。受理保留の手続き。言葉は正確で、同情が1語も混じらなかった。


 私は聞きながら、自分の指先を見た。


 白くなっていた。


 凪いでいた、というのは嘘である。顔だけが凪いでいて、指先は9度目の夜をまた歩いていた。発言者、ジェフリー・ル・グレイス。時刻、午後7時12分。彼の背中が扉の向こうへ消えた角度まで。9度分、正確に書いた。証拠にならないと、言われた。


 右隣で、セバスチャン様がステッキの握りを1度だけ撫でた。


 1秒遅れて気づいた。助け舟を出すかどうか迷っているのだと。出さなかった。その沈黙が、私に話す順番をくれていた。



 エリオット様が台帳を開き、羊皮紙1枚を卓上に広げた。


 7件の診断書一覧だった。家名、日付、医師署名が縦に並ぶ。1件目から6件目まで読めた。7件目だけ、家名の欄が黒く塗り込まれていた。薬光灯の白さの下でも、その塗りだけがひときわ厚く沈んでいた。


「この7件目は」


「保護措置です」


「どなたの保護ですか」


「現時点では開示できません」


 声は平らだった。ただし、台帳を押さえる指に、わずかに力が入るのを私は見た。


 リオンが後ろで小さく息を吸った。声にはしなかった。しかしそれで分かった。彼女も同じものを見た。


「エリオット様」


 リオンが口を開いた。部屋の空気が1度、温度を変えた。


 エリオット様が彼女を見た。眠たげな目が、一瞬だけ書類から離れた。


「5度目の夜会の夜、お嬢様がお帰りになってから、私は紅茶を3度替えました。冷めたからではございません。お嬢様が1口もお飲みにならなかったので。これは私の日誌に記録がございます。補助資料として受け付けていただけますか」


 エリオット様はわずかに黙った。


「侍女日誌は、記録局の判断次第で補助資料となります。書式を後日お渡しします」


「承知いたしました」


 リオンが音もなく元の場所へ戻った。


 私は後ろを振り返らなかった。振り返れば、顔を崩すと分かっていたから。彼女が何の資格もなく、この冷たい部屋で声を上げてくれた。それだけで、指先の白さが少し変わった気がしたが、気のせいにしておいた。



「書記官殿」


 セバスチャン様が初めて口を開いた。診断書を読む時と同じ、温度のない声だった。


「薬光灯では、心は照らせません。彼女の記録が証拠でないなら、その記録が指している場所を照合してください。場所は、彼女が示します」


 1拍、遅れた。


 彼は今、証言の場を私へ渡した。全部を、私の口から引き出すために、黙って待っていた。


「エリオット様」


 手帳を引き寄せた。最初のページを開き、右端の細い欄を指でなぞった。


「第1回夜会の翌日、ジェフリー様からクラウディア嬢へ送られた見舞い用の花を手配した花屋が、この欄に記録しております。【修正②】王都花街のドゥボワ商会です。支払いが誰の名義で行われたか、帳簿で照合可能です」


 エリオット様の羽根ペンが、止まった。


「第4回夜会の前後に、神殿への祈祷申請が3件行われています。申請者の氏名と日時は神殿記録に残るはずです。診断書に記載の医師名についても、王立医療所の出勤記録と照合できます」


「……照合先が、手帳に」


「この手帳は証拠ではございません」


 声は平らだった。


「ですが、証拠にならない痛みでも、起きたことではございます。起きた場所へ至る道が、ここにあります」


 エリオット様は私の顔を見た。台帳の向こうから、4秒ほど。眠たげだった目が、初めて書類の矛盾を追う時と同じ色になった。それから羽根ペンを持ち上げ、走らせた。


「照合先一覧を、書記局へ提出してください。様式はこちらです」


 1枚の紙が、手帳の隣に置かれた。


 私の親指が、表紙の角へ戻ってきた。今度は閉じるためでも耐えるためでもなく、次のページを開くために。


「承知いたしました」


 セバスチャン様が、息を細く吐いた。音にならないほど小さな息で、私は聞こえなかったふりをした。なぜなら聞こえてしまったら、私まで息を吐きそうになったから。


 窓の外の石畳に、午後の光が細く差し込み始めていた。


「7件目に関しましては」


 エリオット様へ、もう1度だけ目を向けた。


「今しばらく、お待ちします」


 黒塗りの欄には、まだ名がなかった。


 しかし、名のない欄が存在すること自体を、私はもう手帳の次のページへ書き始めていた。


 発言者、王宮書記官エリオット・マルタン。

 時刻、午後2時17分。

 7件目の家名は、不明。


 不明、というのが記録だった。名のない家が、どこかにある。


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