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「連載版」余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました  作者: 夢見叶
第4章 診断書は、誰のために書かれたか

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第24話 明日の昼までに、家門名を選べと

 王宮からの通達には、明日の昼まで、とあった。


 フォーリュア伯爵邸の作戦室には、暖炉の熱が残っていた。午後の光が長机の端を斜めに切り、窓に近い席だけが薄く白い。机の上には7枚の札が一定の間隔を置いて並んでいる。1枚につき1件。診断書の番号、病名、余命欄、処方箋番号、商会支払い記録。家門名は伏せられ、患者名も伏せられている。ただし、6枚には何らかの金銭記録が紐づいていた。


 7枚目だけが、裏返しのままだった。


「自主提出期限、という形ですな」


 父が通達を畳んだ。窓際の椅子に沈んだ体は重そうに見えるが、眉は動かない。新聞をたたむ時と同じ音で、父は通達を正方形にした。


「期限までに関与を申し出た家門は、王宮が事情聴取を非公開で行う。期限を過ぎた場合は、公聴会で名を開く可能性がある」


 リュカ兄様が低く笑った。腕を組んだまま、書類入れの縁に手首を乗せて。


「救済に見せた選別だ。弱い家から名乗り出る」


 ロベール様は、黙っていた。長机の反対側、私の右斜め前。彼の前にはル・グレイス家の封筒が置かれている。きちんと結んだ襟元と、何度も開閉した封筒の角の痛み具合が、今日は妙に釣り合っていた。


「全て公開すればよい、とは言えませんのね」


 私の声は思ったより静かだった。


「本当に病を信じて利用された家もあるでしょう。逆に、弱い家に罪を被せている高位家門もあるはずです」


「ですから、慎重に」


 セバスチャン様が言った。


 窓側に立つ彼の横顔は、昨日の薬剤師ギルドの入り口で見た顔より少し角張って見えた。暖炉の熱が届かない側。外套は着けたまま。淡い灰色の目が机の上の6枚の札を見ていて、7枚目の方は見ていない。銀のステッキが、ほんの1拍だけ床を鳴らした。それだけだった。


 慎重に。彼は何度もそう言う。正しい。正しいけれど、その正しさの陰に、まだ私に見せない名前がある。



 扉が軽く叩かれたのは、その時だった。


「失礼いたします」


 カトリーヌ様は、春色の外套を腕に掛けたまま入ってきた。扇が半分だけ開いている。室内を一巡させた視線が、机の上の7枚の札で一度だけ止まり、それからロベール様の封筒へ移った。


「にぎやかですこと」


「カトリーヌ様」


「ちょうどよかったわ。ロベール様、その商会記録の一覧を少しよろしいかしら」


 カトリーヌ様は、空いている席へ音もなく腰を下ろした。ロベール様が整然と横に並べていた書類を見て、扇の縁をゆっくり走らせる。


「時系列は分かります。ですが、この順番では夫人方がどこで眠るか分かりませんわ」


「夫人方に読ませるつもりはありません」


「王宮に読ませるのでしょう。王宮の方も人ですから」


 カトリーヌ様が扇で1枚をそっと手前に引いた。ロベール様の手が止まる。封筒の角を揃える指が、今日はいつもより強く紙を押さえていた。


「……順番を変えれば、因果が見えにくくなります」


「見えにくくなるのは、正直に並べた時も同じですわ。重要なのは、誰が最初にお金を受け取ったかでしょう」


 リュカ兄様が小さく鼻を鳴らした。怒ったのではなく、面白い方向から正論が来た時の音だった。


 ロベール様の封筒の角が、揃わなかった。


「……兄の受取記録が、1番見えやすい位置に来ます」


「ええ。それが、1番正確な事実でしょう」


 カトリーヌ様は扇を閉じた。薄い音が暖炉のはぜる音に混じる。室内が、少しだけ静まった。


 ロベール様の喉が、1度だけ動いた。答えではなかった。決意とも違った。家の名を、どこから切れば残るかを震えながら測っている人間の沈黙だった。


「父の名がある以上、私は被害者ではいられません」


 声は小さかった。けれど聞こえた。


「家を守りたい。ですが、嘘を家名にしたくはありません」



 その後の話は、制度の話だった。落ち着いている、というのは正確ではない。ただ、怒りより先に羽ペンが動く体になってしまっただけだ。


 期限の仕組み。封蝋が乾く前の差し替え可能時間。非公開聴取と公聴会の違い。ノエル様の商会記録が王宮へ届く順番。セバスチャン様が1つずつ整理し、父が1つずつ頷く。兄は腕を組んだまま時折口を開き、カトリーヌ様は扇をほぼ使わずに聴いていた。


 リオンが紅茶を替えに来た。私は初めて、自分の指先が冷えていることに気づいた。白手袋の内側だけが、ほんの少し湿っている。


 7枚目の札は、まだ裏返しのままだった。


「では、家門名ではなく」


 私は手帳を開いた。


「まずは、発言者から始めます。誰が病名を口にしたのか。誰が余命を伝えたのか。誰が金を受け取ったのか。家の名ではなく、人の言葉から」


 室内の音が、1拍だけ消えた。


 セバスチャン様が、初めてはっきり反対の目をした。淡い灰色の目が私を見た。診断する目ではなく、行き先が違うと知っている人間の目だった。


「それは」


「それは、何ですの」


 私は問い返す前に、問いが来ることを知っていた。


「家門名と発言者を同時に追えば、誰がどの言葉で動いたかが見えます。診断書の名前欄が空欄でも、発言者の記録があれば繋げられます。ジェフリー様が、王宮大広間で2か月と仰ったように」


 彼は何も言わなかった。


 言わないことを、私は今日初めて、拒絶と受け取らないようにしようと考えた。


 彼の目は、私の提案を見ていた。見て、その先にあるものも見ていた。その先に何があるか、今の私には分からない。けれど、彼には見えている。


 私たちは今、同じ真実へ向かいながら、違うものを守ろうとしている。



 会議が終わり、廊下へ出た。


 作戦室の扉が閉まる音がして、石床に靴音が散る。父は執務室へ、リュカ兄様とカトリーヌ様は並んで玄関の方へ向かった。ロベール様だけが、机の前で少し動かなかった。


「明日の昼前に、私が参ります」


 背後から声がした。


 振り返ると、彼は扉を開けたまま立っていた。封筒を、今日初めて、外套の内側へ押し込んでいる。角が揃っていなかった。


「王宮へ、ですか」


「はい。家門名を、自分で持っていきます」


 彼の声は若かった。礼儀正しい次男の声ではなく、もう少し前の、家の名前を背負う前の声だった。


「どこまで名前を出すかは、まだ決めていません。ですが、誰かに持っていかせるのは違う、と思いまして」


 私は頷いた。言葉は要らなかった。



 セバスチャン様は、最後に残っていた。


 廊下の薄い光の中、銀のステッキを右手に収めて立っている。暖炉の熱が届かない側のまま、外套も脱いでいない。灰色の目が私を見ていた。診察台の温度がまだある目で、けれど今日だけは、少しだけ違う角度から。


「ヴェルティナ嬢」


「はい」


「今日の提案について」


「まだ撤回するつもりはございません」


 1呼吸の間があった。


「承知いたしました」


 その言葉が、私自身の口癖と同じ形をしていることに、私は少し驚いた。承知、という言葉は、返す人間によって全く違う温度になる。


「ただ、1つだけ」


 彼は続けた。銀のステッキの握りを、親指の腹で1度だけ撫でる。


「発言者を追うなら、私の名前も、どこかで出てきます」


 廊下の冷たい空気が、石床から這い上がった。リオンが袖口のハンカチを1度だけ直す気配がした。


「発言者として、ですか」


「医師として、です」


 彼の声は平らだった。平らなだけだった。


「ベルナール医師と私の名が、同じ書類に並ぶ可能性があります。その時、あなたの記録と、あなたとの関係が問われるかもしれない」


 私は彼を見た。


 灰色の目は逸らされていない。逸らさないために、彼は今この言葉を選んでいる。そういう目だった。


「……承知いたしました」


 声が出た。出てから、低すぎたと気づいた。


 書けない、と思った。この沈黙は、記録してよい沈黙ではない。けれど、書かないことも、今日からは1つの記録になる。


 銀のステッキが石床を鳴らし、彼は廊下を歩き出した。3歩目だけ、ほんの半拍遅い。


 明日の昼まで。


 7枚目の札は、まだ誰も読んでいない。

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