第18話 同じ筆跡の診断書が、もう一通
余命欄の数字だけ、筆圧が深かった。
王立医療所の照合室。午前の薬光灯が羊皮紙を白く照らす中で、私は2通目の診断書を前にして、しばらく息をするのを忘れた。病名は違う。患者名も黒く塗られている。家門名も、王宮の規則どおり伏せられていた。けれど、余命を示す数字だけが、妙に右下へ沈んでいる。
見覚えがあった。
クラウディア様の診断書写しにも、同じ癖があった。
「ベルナール医師の筆跡と見てよろしいでしょう」
セバスチャン様は薬光灯の下で、紙を傾けた。白い光が羊皮紙の繊維に沿って走る。長身を灯りに向けて少し屈める姿勢で、灰色の目は微動もしない。薬を診るとき彼は、そこだけが静止する。他の部分が動いていても、あの目だけは離れない。
「同じ医師が、違う病に、違う余命を?」
「正確には、違う病名を使って、似た構文を書いています」
「構文」
「ええ。病ではなく、言葉の型です」
喉の奥が冷えた。
病は人を苦しめる。けれど病名は、人を動かす。婚約を遅らせ、借金を待たせ、見舞金を集め、誰かの同情を奪う。ベルナール医師は病を診たのではない。誰かに都合のよい言葉を書いたのだ。
そう気づいた瞬間、私は自分でも驚くほど、怒りではなく冷静だった。怒りというのは、相手が人間に見えている時に来る。今は、型の存在だけが見えている。
傍らでエリオット書記官が台帳を開く音がした。彼はインクで染みた指で、番号だけを素早く確認していく。
「7件のうち、病名の一致は2件。残りは異なる病名ですが、余命欄の記入癖は全件で確認が必要です」
「全件、余命欄を照合してください」
私が言うと、エリオット様は一度だけ目を上げた。驚いてはいなかった。確認した、という目だった。
◆
扉を叩く音は3回だった。
入ってきたのはロベール・ル・グレイス。以前より少し痩せている。服の仕立ては整っているが、袖口の擦れに実務の跡がある。彼が差し出した封筒は、折り目が不自然に多かった。何度も開き、何度も閉じ、渡すべきか迷った跡だ。差し出す直前、彼はもう一度だけ封筒の端を指で伸ばそうとして、止めた。
「商会信用院から、照合できるものを持って参りました」
待合の椅子を勧めると、彼は座らなかった。
「この診断書の家門は、借金の猶予を受けています。病人の治療費を理由に、商会へ申請を出したようで」
「診断書を証拠として?」
「はい。発行日から3日以内に、申請が通っています」
私は封筒ではなく、彼の指を見た。震えていた。
悪意だけなら、裁くのは簡単だった。けれど今、目の前にあるのは悪意ではない。恐れと、家と、信じてしまった誰かの記録だ。同じ紙の上に、罪も弱さも「このまま治るかもしれない」という切ない願いも、全部乗っている。
「この家門の当主は」
「娘が重い病だと伝えられたようです。娘さん本人は、診断されたことをご存じないようで」
「今は」
ロベール様が、封筒の角を揃えるのをやめた。
「快復しています」
知らないまま、快復した娘。知らないまま、借金の猶予を受けた家。ベルナール医師の書いた数字が、この家にとっては商会への申請書の入口だったのだ。
私が何か言おうとする前に、リオンが傍でそっとハンカチを出した。薬草の匂いが移っている白い布。誰に差し出すでもなく、ただ持っていた。
ロベール様が「もう1通あります」と言った時、声は礼儀正しかったが、語尾だけ少し若くなった。
「兄だけではありません。見舞金の口座が、兄と父で別々です」
私は手帳の端を、親指で押さえた。
父侯爵の名。その意味の重さを、ロベール様は今の顔で全部背負っている。封筒の角はもう揃っていない。彼の指が、折れた紙の縁から離れないままだった。
「承知いたしました」
私は言った。
「照合させていただきます。すべて」
ロベール様がわずかに目を上げた。謝罪を受け取ってもらえた人の顔ではなかった。許された人の顔でもなかった。ただ、次の重さを渡す覚悟を決めた人の顔だった。
◆
医療所の小庭は、冬の光が斜めに入っていた。石畳の目地に霜が残り、植え込みの葉先だけが白い。私とセバスチャン様の間に、風ではなく静寂があった。
「利益を得た者が、全員同じ悪とは限りません」
彼は私の隣で話した。正面を見ていた。灰色の目が空の色と混ざって、今日は少し薄い。銀のステッキが石畳を一度打つ音は静かで、けれど確かに届いた。
「分かっています」
「分かっていても、怒りたい日があります」
私が返すと、彼はわずかに目を細めた。笑ったのか、困ったのか、どちらにも見えた。
「それは正しい感情です。記録の妨げにはなりません」
「ではなぜ、急いではいけないのですか」
沈黙が来た。
セバスチャン様が沈黙する時、空気の質が少しだけ変わる。答えを用意しているのではなく、どこまで言葉にするか、測っている沈黙だ。私はそれを知っている。知っているから、この数秒、白手袋の縫い目が指に当たる感覚だけが妙に正確だった。
「名前を急ぐと、救える人を失います」
「救えるとはどういう意味ですか」
「弱い家門の当主は、診断書の仕組みを知らなかった。彼らを最初に断罪すると、本当に嘘を売った者が彼らの後ろへ隠れます」
分かる。分かるが、分かることと受け入れることは違う。
石畳の霜が、風もないのに少しだけ光った。私は手帳を膝に置いたまま、開かなかった。
「では、急がない証言の順番を作るのは、どなたがお決めになりますか」
セバスチャン様が私を見た。直接、今ここで。
「あなたが決めます」
私はそれを聞いて、手帳の表紙に親指を置いた。押さえるだけで、開かない。
彼の言葉は短かった。だから余計に重かった。説明ではなく、委ねる言葉だと気づいたのは、少しだけ後になってからだ。
庭の隅に、昨日の薬草を干した棚がある。匂いはほとんど飛んでいる。けれど乳鉢の縁に、白い粉が薄く残っていた。
量れないものがある。量れるものもある。
見舞金の金額は量れる。診断書の発行日は量れる。ロベール様の封筒の折り目は量れない。セバスチャン様の今の沈黙の意味は、まだ量れない。
「明日の昼までに」
私はひとつ息を整えてから、続けた。
「封蝋が乾く前に、薬剤師長が黙る理由を聞かなければなりません」
セバスチャン様が答える前に、リオンが扉口から声をかけた。
「お嬢様、ミシェル様が照合室にお戻りになりました。鍵束を持ってきていないとのことで」
鍵束を、持っていない。
私と彼は同時に立ち上がった。今度は彼の方が半歩早かった。




