表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました  作者: 夢見叶
第4章 診断書は、誰のために書かれたか

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/28

第17話 紙は燃えても、薬は忘れるのか

 薬草の匂いは、扉の外まで来ていた。


 王都東区、薬剤師ギルドの正面扉が開いた瞬間、私の喉が詰まった。甘く苦く、乾いた草の気配。それは社交界の香水でも、紅茶の湯気でもなかった。もっと実直な何かだった。手帳のインクや封蝋とも違う。薬は正直だ、と後から思った。主人の都合で匂いを変えない。


 天井まで続く薬棚が、廊下の奥まで並んでいる。白い薬袋が整然と積まれ、冬の朝の横からの光が棚の縁を細く切り取っていた。見習いらしい若い薬剤師が2人、入口の脇に立っていた。私たちを見た瞬間、1人がはっきりと体を強張らせた。断罪に来た者を迎える身体の動きだった。


「王宮証言保全室からの命令書です」


 セバスチャン様が書類を差し出した。声は平らで、怒ってもいない。ただ正確な声だった。


 見習いの1人が命令書を受け取り、奥へ走る。もう1人が私を見た。令嬢が薬棚に来た、という目だった。診断書も読めない娘が記録を荒らしに来た、と書いてある顔だった。


 リオンが小声で言った。


「この匂い、衣装に残ります」


「三日で取れます」


 戻ってきた見習いが真顔で返した。リオンが何か言おうとして、止まった。正確すぎる答えの前で言葉を失うときの顔だった。


 私は手帳を開く。到着時刻、午前10時47分。薬剤師ギルド正面玄関。


 そこで羽ペンが一度止まった。


 廊下の奥、受付台の横に黒い小皿があった。灰皿だった。白く積もった燃え残りの上から、まだ薄く煙が上がっている。


 セバスチャン様が無言で、私の肩の少し前へ出た。窓側に近い方へ、ごく自然に。匂いが薄くなる場所へ。言葉ではなかった。



 薬剤師長室は、思ったより狭かった。


 机の上に乳鉢と秤。壁の棚に鍵束が幾つも掛かっている。南向きの窓は閉じられ、冬の光が斜めに机の端だけを照らしていた。ミシェル・ダヴィエ薬剤師長は背中を向けて棚の前に立っていた。白い頭髪が短く刈られ、肩幅が狭い。それでも動かない。古い城門のような立ち方だった。


「処方箋の控えを提出していただけますか」


 セバスチャン様が言った。


「診断書は見ておらん」


 答えは速かった。聞かれる前から用意していた声だった。


「薬剤師は処方箋を見る。診断書を見るのは医師の仕事だ」


「では、処方箋には何と書かれていましたか」


 私が聞いた。


 薬剤師長の肩がわずかに動いた。振り返りはしなかった。鍵束を握り直すような、小さな動きだった。


「薬の名と量だけだ」


「その薬は」


「医師が書いた病のための薬だ。それだけだ」


 棚の鍵束が一つ、かちりと音を立てた。


 セバスチャン様はすぐには口を開かなかった。私も開かなかった。押せば崩れる壁ではないと、2人とも分かっていたのだと思う。彼は乳鉢の横の秤へ目を向け、目盛りを数えるように視線を動かした。秤は何も載せていないのに、きちんと水平だった。


 薬剤師長ミシェル・ダヴィエ。乳鉢に刻まれた薬草の香り。鍵束を握る、赤く節張った手。悪人の手ではなかった。長く薬棚の前に立ってきた人間の手だった。


 私は手帳に書く。時刻、午前11時3分。薬剤師長、処方箋控えの提出を拒否。診断書は未確認と発言。


 書き終えて、手帳を閉じた。


「承知いたしました。では、調剤室だけ、見せていただけますか」



 調剤室は石床で、足音が響いた。


 白い薬袋が棚の列に並んでいる。麻紐で結ばれ、番号を振られていた。見習いの1人が先に立って歩き、処方箋の保管棚を示した。灰皿はここには置かれていない。廊下のものを遠く離れているのに、甘く苦い草の気配だけが、どこからか薄く漂ってきた。


 私の鼻が正直に反応した。喉の奥が詰まる。けれど、白手袋の指先だけは手帳の端を押さえたまま離さなかった。


「棚の番号に、抜けがございます」


 リオンが棚の端を指した。処方箋の番号が振られた引き出し札が、3か所だけ欠けている。見習いが「紛失です」と答えた。声が少し速かった。


 セバスチャン様が棚の前に立ち、白い薬袋を1つ持ち上げた。手袋越しに封を確かめ、ゆっくりと袋の口元へ顔を近づける。息を吸う。数秒、止まる。


「これは」


 彼が言った。声が変わった。医師の声になった。


「処方箋42通の匂いではありません」


 調剤室が、ぴたりと静かになった。


 見習いが何か言いかけ、やめた。リオンが私を見た。私はセバスチャン様の横顔を見ていた。窓からの光が当たって、表情の半分だけが見える。難しい顔ではなかった。ただ、何かを読んでいる顔だった。


 私は廊下の灰皿を思い出した。まだ煙が上がっていた、あの燃え残り。白く積もった灰の下に、何か別の色があったような気がした。確かめに戻れるかは分からない。封蝋が入れば、棚も廊下も王宮のものになる。それまでに、何があるか。


 紙は燃やせる。


 けれど、薬は自分の行き先を匂いで覚えている。


 私は手帳を開いた。調剤室。処方箋番号、欠番3か所。セバスチャン様発言、「処方箋42通の匂いではない」。時刻、午前11時19分。


 書き終えて、一度だけ顔を上げた。


 灰皿の燃え残りに、まだ何かが残っているとしたら。紙が燃えても、薬の名前は残る。名前が残れば、行き先が見える。


 次に確かめることは、一つだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ