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「連載版」余命半年の幼馴染と添い遂げたい? 承知いたしました  作者: 夢見叶
第3章 病人を疑った令嬢、という噂が走る

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第15話 日没までに、面会記録を整えなければ

「日誌でよろしければ、9度すべて、残っております」


 リオンがそう言った時、私は最初、何のことか分からなかった。


 伯爵邸の小書斎は、朝の光が斜めに差し込む狭い部屋だ。いつもは父の書類が積まれているが、今日だけは私の書類が卓を埋めている。茶会の招待礼状、朝刊の切り抜き、セバスチャン様との正式面会申請、王宮への同席札の控え。紙が増えるほど、私の痛みは公的な形を得ていく。けれど同時に、私の私生活が少しずつ外へと開かれていく。


 見られたくないものまで。


「リオン。9度すべて、とは」


「ジェフリー様が夜会を反故にされた日のことでございます」


 彼女は藍の布張りの小さな日誌を、両手でまっすぐ差し出した。侍女用の記録帳。衣装の選択、来客の時刻、食事の内容、紅茶の替え時。屋敷の内側を写す鏡。


 日誌の存在は知っていた。王宮証言保全室への清書をしていた夜、リオンが「差し出すなら、手帳だけでは足りません」と言った。あの時は聞き流した。けれど今、両手で差し出されて初めて、別の感覚が来た。


 私は手を伸ばしかけて、止まった。


 自分の手帳に書くことには、慣れている。自分の痛みを、自分の言葉で残すことには。けれど人に記録されていた、と知る感覚は、別の場所を刺す。


「それは、あなたの仕事の記録でしょう」


「はい」


「私のために出すものでは」


「お嬢様のために、書いたものでございます」


 リオンは視線を逸らさなかった。侍女が主人をまっすぐ見つめるのは礼を欠く。けれど、その目から目を離せなかった。


「1度目は、ドレスの裾に皺が残りました。2度目は、夜会靴の留め具が未使用のままでした。3度目は、紅茶が3度冷めました。……9度目は、お嬢様が招待状の裏に何かを書かれました」


「リオン」


「お嬢様は、疑っていたのではございません」


 彼女の声が、ほんの少し震えた。


「待っておられたのです」


 胸の奥が、音もなく崩れた。


 私は泣かなかった。泣けなかった。けれど、日誌には私が待っていた時間が残っていた。冷めた紅茶。未使用のドレスに付いた保管札。馬車が戻らなかった夜の気温まで。そのすべてが、私が冷たかった証ではなく、傷ついていた証になる。


 日誌をもう一度だけ見た。ページの端に、細かい字が並んでいる。


「……セバスチャン様ご来訪時、扉の開き、とありますわね」


「同席者のおられた時刻と角度です。記録の癖でございます」


 私は思わず、日誌を少し顔から遠ざけた。


「そこまで記録しなくても」


「お嬢様が気づかれていなかっただけで、私はずっと」


「リオン」


「……はい」


 声を遮ったのに、彼女の口元がかすかに上がった。主人が赤くなった、と分かった時だけ出る顔だった。


 廊下から、銀のステッキの音がした。



 応接間には秋の西日が窓の端を染めていた。室内の白い壁が斜めに陰り、空気が乾いて薄い。


 セバスチャン様が、束になった同席札を卓の上に置いた。私とリオンが向かいの椅子に座る。3人の間の卓は広い。面会申請の書式が、距離まで指定していた。


「面会記録の提出期限は、今日の日没です。同席札と侍女日誌の両方を添付いただければ、癒着疑惑への反証になります」


 彼はいつも通り、手続きの話から始めた。


 いつも通り、それが一番先に言いたいことではないと、数秒後に気づく。緊張すると、事務の順番から入る。そういう人だ。


「侍女日誌を証拠として出すのは、少し抵抗があります」


「内容は確認しておりません。記録の存在が確かめられれば十分です」


 セバスチャン様が卓に向かい、同席札を1枚ずつ確かめ始めた。その視線が、卓の端から端まで、椅子の距離を一度だけ測るように動く。


「カランデール卿」


 リオンが静かに言った。


「そこまで測られますと、お嬢様のお茶が冷める時間も計測なさいますか」


 彼は一拍置いた。


「紅茶の冷却速度は、医療との関係が」


「ございません」


 リオンが、銀盆を胸元で少しだけ持ち直した。私は窓の外を見た。笑みが出そうになったのを、冬前の枯れた庭で誤魔化す。


 セバスチャン様の手が、同席札の途中で止まった。


「リオン様」


 銀のステッキが、床に垂直に立てられた。静かな、短い音だった。


「この1枚、インクの色が違います」


 リオンが身を乗り出した。私も目を凝らした。確かに、他の札より色が薄い。乾き方が、違う。


「汚れかと思っておりました」


「汚れではありません」


 彼の声の温度は変わらなかった。けれど、顎の角度が少しだけ固くなった。


「この札は王宮発行です。私が受け取った時は、他と同じ色でした」


 静寂が落ちた。


 同席札は癒着疑惑を潰すための制度だった。セバスチャン様が距離を測り、リオンが立ち会い、王宮が発行した記録。私たちが噂の材料を与えないために用意した盾。


 その盾に、誰かが手を入れた。


「改竄、ということですか」


「証明には照合が必要です。ただ、今日の提出にそのまま使うのは危険です」


 私は少し間を置いた。


「では、改竄された札も一緒に提出しましょう。控えを押させて」


 セバスチャン様が、私を見た。


 驚いた顔だった、とあとから思う。怜悧な目元が、わずかに緩んだ。


「……そうしましょう」


 彼の口元が動いた。笑みとは言えない。けれど、何かが和らいだ。



 王宮の提出窓口には、日没直前の赤い光が差し込んでいた。石の床に、長い影が伸びている。兄のリュカが先に窓口の前に立ち、私は1歩後ろで待った。


「面会記録の提出です。こちらの1枚、控えの印をいただけますか」


 受け付けの職員は、書類を受け取りながら流れるように手を動かした。日時、発行番号、同席者名。形式的な確認。


 その手が、一瞬止まった。


 ほんのわずかだ。瞬きを1つ分ほど。けれど私は、リオンが日誌を差し出した時と同じ細さで、それを見ていた。


 職員はすぐに動きを再開し、印を押した。控えが手元へ戻ってくる。


「確かに受領いたしました」


「ありがとうございます」


 リュカが控えを受け取り、石畳を歩いた。私はその後ろを歩きながら、乾いたインクと今日の日付を確かめた。


 同席札は恋愛疑惑を作るための道具として動かされた。けれど今日から、それは別の何かの入口になる。


 日没の赤が、石畳を染めていた。

 職員の手が止まった理由を、私はまだ知らない。それを知る時が、次の扉だった。

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