05 盟約
旗の列は遠くまで続き、はじめに張邈の軍が酸棗に到り、続いて劉岱、孔伷、橋瑁の旗が順に立った。
張邈は裾を払って一歩進み、弟の顔を見やる。張超は半歩退いて礼を尽くした。周囲には諸侯の供が控え、視線が往き来する。劉岱は衣の襟を律し、慎み深い。孔伷は唇の端にわずか笑みを含み、語る前から思案の形が見える。橋瑁は名を告げたのみで余計を言わぬ。
ひとしきり挨拶が済むと、張邈は人の輪から半身を外し、弟にだけ届く声で告げた。
「案ずるな。お前が決めたことは、私が支える」
張超は視線を落とし、しかし迷わず答える。
「兄上がそう言うと、決める前に答えが出てしまいます」
張邈はわずかに笑み、諸侯の方へ身を返した。人の心はひとところへ寄り、明日の事がそこに形を取りつつある。剣を包む布の音がかすかに鳴り、野に散っていた志が、一つの呼吸を求めて集まりはじめている。
その夜、各陣の灯は遅くまで消えず、斥候は交替で線を結んだ。穀と水の勘定が札に書き足され、鼓手は刻を測って腕を休める。臧洪は幕外に立ち、列の端から端まで見渡した。人は多い。だが、心を一つにする言の芯が要る。彼は掌を握ってすぐに開いた。明日の朝、諸侯が並ぶ。そこで言うべき一句がまだ誰の喉にも宿っていない。
翌朝、幕の中央に席が設けられ、諸侯は左右に並んだ。礼の次第は簡素で乱れはない。まず兵の割り、道の刻、糧の調えを順に確かめ、最後に盟約の儀へ移ることが告げられる。
「盟の詞は、誰が告げよう」
張邈が問うと、視線がゆったりと場に巡った。劉岱が先に口を開く。
「私は辞したい。声より筆に馴れている」
孔伷がうなずき、柔らかく言を継ぐ。
「私も遠慮させて頂こう。公山殿の言に同じです」
橋瑁は息を落ち着かせた。
「私は後ろを支えます。器と糧を外さぬことに努めたい。詞はふさわしい方に」
張邈は三将を見渡し、席を正す。
「では、子源に任せたい。人となりは私が請け合う。公山殿、公緒殿、元偉殿、よろしいか」
劉岱は慎ましくうなずいた。
「承知した」
孔伷は袖を返し、目を眇める。
「異存はありません」
橋瑁もまた応じた。
「同意いたす」
臧洪は席を離れて進み、拱手する。
「粗才ながら、拝命つかまつる」
吏が走り、壇を設える支度が始まった。木を組み段を組み、清めの水と器が運ばれる。今日こののち、言が軍の心を束ね、旗の下にあるものの行く末を定めるのであった。臧洪は壇の前に立ち、段の高さを目で測る。張邈は軽くうなずき、諸侯はそれぞれの席で身を正す。
風がひと筋幕の合わせ目を通り、裾が鳴った。壇の前に器が置かれ、将兵の列が並び、刻が満ちた。
想いがひと筋に定まる。臧洪は段の縁に足を揃え、木の角の固さを踏みしめて上がった。衣の襟に指を添える。器は清められ、壇の右手に置かれていた。吏が身を退き、空へと道が開いていく。
臧洪はそこで壇に上り、器を手に取り血をすすると、誓いを立てて言った。
「漢の王室は不幸に見舞われ、今や天下統治の大権を失っている。賊臣董卓が悪行を重ね、天子を虐げ、民を苦しめており、国家の破滅の危機が懸念されている」
言の初めに風が止む。人々は肩を揃え、唇を結んだ。臧洪の背はまっすぐ、声は段の角で折れずに伸びていく。喉の奥で息が揃い、列の端まで波のように伝わった。
「兗州刺史の劉公山、豫州刺史の孔公緒、陳留太守の張孟卓、東郡太守の橋元偉、広陵太守の張超は、正義の兵を糾合し、国家の困難に立ち向かわんとしている」
名が告げられるたび、席で襟が正され、鎧の縁が微かに触れ合う。誰も先を争わず、在ることの責務が列を伝った。
「われらは盟約を結び、心をひとつにして臣下としての忠節を捧げ、首を失い頭を落とすとも、二心を持つことはない。この盟約に背くものあらば、その生命を奪い、子孫をも絶滅させることであろう。天の神よ、地の神よ、漢室のご先祖の御霊よ、どうかご照覧あれ」
最後の句で空気が澄み、遠い先の地まで見えるようである。臧洪は器を下ろし、拱手した。列から熱がせり上がり、握りの節が固くなる。従卒も工人も眉を上げ、胸で期するところを固めた。
沈黙は薄氷のように張りつめ、次の瞬きで割れて波となる。列の先から末まで眼差しがひとつに向き、甲の合わせ目がかすかに触れ合った。刹那、後列の若い伍長が胸を張って叫ぶ。
「可!」
その一声が火口となり、左右で、可、可、と呼声が重なった。腹から出た声が地を固め、列の足がひとつに運ぶ。
張超は頬にのぼる熱を覚えた。あの日、市の通りで初めて耳にした声が、いまは万人の骨に届いている。友を推した誇りが胸に満ち、思わずうなずいていた。
張邈は席で目を眇め、劉岱は襟を正し、孔伷は息を吐き、橋瑁は視線で列を見届ける。
誓いの朝は呼声も高く、列はすぐ支度へと返る。斥候は道の筋を確かめ、弓の弦は改められ、槍の継ぎ目が締め直された。出立の印は降りぬ。旗は高く保たれたまま、刻が積もった。翌日は偵の報が遅れ、さらにその翌日も印は下らず、幕の端には待ちの符ばかりが増える。人は乱れず歩度を保ったが、胸の熱は言に換えられぬまま詰まる。
日が粛々と過ぎていく。出立の刻は告げられず、矢は束のまま、剣も鞘を離れぬ。使いは往き来したが、前へ押し出す一手は下されなかった。備えの記の行が痩せ、炊煙は早くに消える。
張邈は席を立ち、諸侯を呼んで告げた。
「ここは解く」
劉岱は目を伏せ、致し方なし、と答え、孔伷は、志を折らずに、と続ける。橋瑁はうなずき、返す文の手筈を始めた。張超は言を飲み、臧洪は拱手して受ける。
夜の火は小さく保たれた。合図は上がらず、幕の縁がわずかに動く。明けて列は順に解かれ、旗は箱に納められた。使いは各郷へ戻る順を記し、道の刻をふたたび定める。
臧洪は最後に壇の跡へ歩み、段の木肌を指で撫でた。誓いのときについた爪のような小さな痕が残り、木肌のささくれが指先に触れる。そこに息を合わせるように掌を離した。
「志は置いてゆかぬ」
背に張邈の声が落ちる。臧洪は拱手し、振り返らず歩き出す。董卓の兵と刃を交えることはついになかったが、あの朝の言と息は、散る列の背中に長く残った。




