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02 邂逅

 市の通りは狭く長く、のき下の札が揺れ、木の盤に当たる音が響いた。張超ちょうちょうは小人数の郡吏を伴い、屋根の下と陽の帯のあいだを歩く。売り手の声は平らで、買い手は掌で品を量っていた。人の往来に濁りはなく、しかし笑いは浅い。昨今の騒擾そうじょうがまだ町の隅に残っているのだろう。


 道の真中で男が二人、肩をぶつけ合って荒い声を上げた。片方は荷車の柄を握り、もう片方は布を巻いた包みを胸に抱えている。罵りはほんのわずかなきっかけで火を噴きそうであったが、群れの輪の外から一人の偉丈夫が歩み寄るなり、腕を軽く差し入れて二人の間を割った。体の置きどころに無駄がなく、両の足は地を確かめて動かぬ。


 「ここは売る場であって、力を試す場ではない」


 叱るというより、筋を置く声であった。荷車の男の肩の角度を指で直し、包みの男の足先を半歩退けさせる。二人は息を吸い、互いの手の中のものに気づいたように視線を落とす。輪がほぐれ、人の笑いが通りに戻った。偉丈夫は誰にも威を示さず、ただ手短に礼をして立ち去る。


 「子源、ありがとうよ」


 果物を積んだ卓の後ろから、店主が声を掛けた。偉丈夫は振り返り、片手を挙げる。笑いを見せぬ笑いが口の端にうすく射し、背はすぐ人波に紛れた。周囲の商人はそれぞれの作に戻り、子らは大人の顔色を見てから縄を拾い直す。張超は立ち止まり、今の手の運びを頭の内に並べてみた。余計な角がどこにもない。


 「いまの男を、知っているか」


 張超が小声で問うと、傍らの郡吏が一歩進み出て通りを見やる。


 「臧子源。前の広陵太守が孝廉に挙げ、即丘の県令を務めた者にございます。体格・容貌とも評が高く、今は郷里に在りながら、市ではああして揉め事を収め、人の頼みに背きませぬ」


 郡吏は続けた。即丘で簿を正して税を軽くし、兵の番を乱さぬよう筋を立てたこと。霊帝の末に官を捨てて帰ったのちも、家に閉じこもることもなく学舎の前の広場で若者に弓を教え、老いた者の荷を持って川を渡したこと。口伝の断片はどれもよく揃っている。


 張超は人だかりがほどける先を目で追い、果の卓に近づいた。店主は張超たちの衣の合わせに気づいて姿勢を改める。


 「先ほどの子源という男、毎日ここに来るのか」

 「毎日ではございませんが、朝番の終わりか、陽が傾くころに。商いの邪魔をすることは一つもなく、揉めが立つと、いつの間にか間に入ってくれます。力で抑えるのではなく、指で道を示すような塩梅で……いや、言葉がすぎました」


 店主は舌を引っ込め、卓の上の柑を拭いた。張超は頭を横に振って、言葉の続きを促すように掌を軽く上げる。店主はひと呼吸置いて声を落とした。


 「官に戻ればよいのに、と誰もが申します。けれど、あの人は笑って、時機ではないとだけ。子らはあの背を見て、背筋を伸ばすのです」


 張超はうなずく。通りの先で臧洪が老人の荷束を肩に移してやり、橋板の継ぎ目を確かめてから渡していた。歩はゆるりと、置く足には迷いがない。郡吏が顔を寄せて囁く。


 「太守、呼び寄せますか」


 張超はしばらく返事をせず、通りの色と人の息を胸にしまい込むように目をすがめた。名を尋ね、どこからどこへ歩んできたかを確かめるのが先と心で決める。彼は群から外れ、陽の帯の方へ歩を向けた。先刻の二人はもう別れて、荷車は角を曲がり、包みの男は布を締め直している。何事も起こらなかったかのように、市はまた等しい拍子に戻っていた。


 臧洪が橋のたもとで老人に礼を受け、手を振って離れる。張超は距離を保ったままその背を追った。肩は広く、腰は落ち着き、歩みは早からず遅からず。人を押さぬ早さである。


 張超は歩みを速め、臧洪に声を掛けた。


 「広陵太守の張超と申す。臧子源殿、少し時間を借りられるだろうか。民の暮らしぶりを訊ねたい。二人で話せるだろうか」


 臧洪は振り向き、目の端に笑みを浮かべる。


 「面白い。市門の傍の酒肆はどうです」

 「勿論だ」


 市門の風が簾を撫でた。背後で郡吏が一歩進み出る。


 「ご同行を」


 張超は穏やかに首を振った。


 「役務ではない。今日は直に人の声を聞くだけだ。ここは下がってくれ」


 郡吏らは顔を見合わせ、しぶしぶ列を解く。ひとりは詰所へ戻り、ひとりは市門の見張りに就いた。誰も後を付けぬ。


 「何かあれば使いを走らせてください」


 最年長の郡吏が一礼し、そう言い置いて去った。


 「では、張太守」


 臧洪が肩を軽く回す。張超はうなずき、指で方角を示した。二人は人波の切れ目を待ち、歩をそろえる。簷の影が地を渡り、壺酒の匂いが漂った。雑踏は絶えず、声は穏やかに混ざる。


 「気遣いはいらぬ。太守としてでなく、ただの人として語りたい」


 張超が言った。


 「承知した」


 臧洪は短く応じる。


 往来には干し魚の香が流れ、簿を抱えた書吏が足早に行き過ぎった。張超は先の揉め事の余韻が残っていないか耳で測る。人の拍子は戻っていた。臧洪は笑いを含み、足取りを緩めて張超に合わせる。


 市門近くの酒肆の内、素木の卓に盃が二つ、壺の口から温い香が立った。簾の向こうの人声は遠く、ここだけ拍子が落ち着いている。張超は盃を押しやり、臧洪に向き直った。


 「この町はどう見える。困っているところはどこだ。老いた家、夫を失った家に、手は届いているか」


 臧洪は盃の縁を親指でなぞりながら答える。


 「川筋は荒れやすい。橋板の継ぎ目と市門の番、そこを外せば拍子が崩れる。倉は朝に開かず、申の刻に動かすとよい。弱った家には麦や粟を貸し、返しは収穫で見ればいい。学舎の前と市門に告示の板を立てれば、弱い者が声を上げられる」

 「夜の見回りはどうだ。小路は暗くないか。価の乱れは出ていないか」

 「見回りは刻で交替させれば怠けは出ぬ。十で足りるな。里で更番を回し、戸前に灯を掲げれば、風にも消えにくい。価は今のところ商いが身内で保っている。簿を昼に広げておけば、筆は曲がりにくい」


 張超はさらに問うた。


 「手前勝手な吏はいないか。孤の子に、寝るところはあるか」

 「吏はいますぐ改まる者と、筋を示しても改まらぬ者に分かれる。前者には任を、後者には別の働きを与えるほうが早い。孤の子は、学舎の縁に居つく者がいる。戸長に任せれば目が届くだろう」


 張超はうなずく。


 「見張りを広くしよう。病家の賦は軽く、孤と寡の戸には役を免ずる。穀は惜しまず出す」


 臧洪が笑った。


 「あんた、いい人だな」


 張超は照れたように盃を持ち口を湿らせた。酒は強くない。首や頬にさっと色が上る。


 「私は兄の張邈ちょうばくの背で育った。あの人は人の難に懐を開き、叱るときも笑っていられる。私はどうにも影が似合う。どう足掻いても、私では才も胆も兄には届かぬのではないかと、ときどき思う」


 臧洪はうん、と短く受けた。次いで、うん、とまた受けた。目は逸らさず、言葉の置きどころを計るのみである。


 「兄の友の席に交じると、私はすぐ口数が減る。話はわかるのに、声が喉に詰まって出ない。さきほどの市での子源殿の手つき、胸のつかえが取れた。筋を置く人だ。私にはその筋がいつも少し足りない」


 臧洪は盃を置き、掌を卓に軽く当てた。


 「筋は、人が寄れば太くなる。一本では折れやすい」


 張超が顔を上げる。伏せていた目に灯の明かりが戻り、臧洪は笑みを深くした。


 「張太守、俺にあんたを支えさせてくれ」


 盃の中の酒が揺れる。張超は目を見開き、身を乗り出した。


 「本当か!」

 「本当だ」

 「よし、祝いだ!」


 臧洪が止める間もなく、張超は壺を取り盃へと注いだ。弱いことを自ら知りながら、飛び上がらんばかりに喜んで、一息に飲み干す。喉に熱が走り、咳がひとつ漏れた。


 「おいおい。無茶な飲み方をしてぶっ倒れんなよ、張太守」

 「よい。今日はよい。民の声を聞けた。子源を得た」


 臧洪は笑いながら、うん、と受けた。簾の外では暮れの色が町に降る。二人の盃は空で、壺の口からまだ温い息がのぼった。


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