第09話:蒸気の残響、届かぬ呼称 / UNTITLED REUNION
深くフードを被った男が、カズマの背後からゆらりと、亡霊のように現れた。
シンスケから提示された、あの解像度の低いホログラムと同じ、光をすべて飲み込むような漆黒の義手。
ドクン、とカケルの鼓動が跳ねた。
見覚えのある禍々しいシルエットに、嫌な予感が加速する。
(UNIT-08……)
忘れもしない、かつて親友がその身に課せられた、忌まわしき識別番号だ。
名前さえ与えられない下界で、ただの部品として扱われていた少年を縛っていた「業」そのもの。
もし、あの男が本当に彼なら。
なぜ、レジスタンスの王となった今もなお、その呪いを背負い続けているのか。
(別人だ……別人であってくれ)
それは半ば祈りのような、縋るような想いだった。
目の前の男が、自分が三年間追い求め、同時に殺してしまったかもしれないと悔やみ続けてきた「彼」であってほしくない。
再会が、こんな血生臭い奈落の底であってはならない。
しかし、カケルのそんな迷いを断ち切るように、男が跳ねた。
重厚な駆動音と共に、漆黒の義手が空気を爆ぜさせる。
「……死ね」
弾丸のような踏み込み。
漆黒の右拳が、カケルの顔のすぐ脇を抜け、背後のコンクリートを粉砕した。
破片が頬を掠め、熱い血が伝わる。
カケルは反射的に鞘ごと刀を引き上げ、追撃を受け止める。
だが、男の攻撃は止まらない。
義手から噴き出す高圧の蒸気がカケルの視界を奪い、その隙を突いて漆黒の腕が喉元を狙う。
「──ッ!」
神速に近いカケルの回避を、相手の暴力的な瞬発力が上回ろうとしていた。
絡み合う白銀と漆黒。
金属が削れる甲高い悲鳴が、狭い通路に反響する。
ただの機械的な駆動ではない。
かつて自分を救うために振るわれた、あの理不尽なまでの『野生』が、より研ぎ澄まされた殺意となって牙を剥いたのだ。
至近距離。
フードの奥に沈む表情は読み取れない。
ただ、肌を刺すような苛烈な殺気だけが、視線を通さずとも濁流のように溢れ出していた。
名前を呼ぼうとしても、喉が塞がって声にならない。
もし、この男が本当にヤマトだとしたら。
その名を口にすれば、軍人と反逆組織という、決して相容れない立場での再会を確定させてしまう。
それは、避けられない戦いの中で、互いの命を奪い合う運命を受け入れることと同義だった。
「……遅えな。どこかの国のデカブツみてえだ」
男の声が、地鳴りのように低く響く。
その瞬間、ヤマトが高天原の神機兵を一瞬でスクラップにした光景がフラッシュバックした。
外の世界を知らなかったカケルが目にした、ヤマトが初めて戦う姿。
カケルは無邪気に彼を英雄のように崇め、ヤマトの周りをはしゃぎ回った。
(ヤマト……!)
間違いない。
その声は、かつてカケルを「バカ皇子」と呼びながら、不器用な優しさで笑いかけてくれたヤマトのものだった。
ヤマトはカケルがかわした拳をそのまま地面に突き立て、それを支点にして鋭い回し蹴りを放つ。
カケルはかろうじてそれを防ぐも、迷い切った心が、彼本来の神速を確実に鈍らせていた。
「……嘘だ」
震える唇から漏れたのは、拒絶と確信の入り混じった呟きだった。
カケルの絶望を待たずに、ガチリッ、と硬質な金属音が地下通路に反響した。
逃げ場のない至近距離で、無銘の刃と漆黒の義手が噛み合い、散った火花が、一瞬だけ装甲を白く照らし出す。
その閃光の中に浮かび上がったのは、忘れもしない「UNIT-08」の文字列。
刃越しに、二人の義手が共鳴するような高周波が響き、カケルの神経を逆なでした。
フードの隙間から覗く、獲物を屠る獣の如き金色の瞳。
そこから溢れ出す圧倒的な筋力と圧力が、カケルの全身を押し潰さんとする。
「……くっ!!」
カケルが耐えきれず息を漏らした瞬間、漆黒の腕がさらなる出力を解放した。
カケルの体は弾かれた薄刃のように後方へと跳ね飛ばされ、コンクリートの上を無様に削りながら十数メートルも押し出される。
カケルは火花を散らす靴底の摩擦を強引に制し、体勢を崩しながらも即座に刀を構え直した。
だが、握りしめた柄から伝わる左腕の痺れが、今の衝撃が「かつての親友」によるものであることを残酷に証明していた。
荒い呼吸の向こう側、漆黒の男は追撃してくる様子もなく、ただ冷徹に立ち尽くしている。
滴る水音だけが響く、死の沈黙。
やがて、男は興味を失ったかのように、地鳴りのような声で吐き捨てた。
「……とんだ期待外れだな。俺が出るまでもねえ」
吐き捨てるように呟くと、ヤマトの義手から漆黒の蒸気が立ち込めた。
圧縮された圧力が解放される不気味な排気音。
「……カズマ。お前が相手をしろ。この程度、お前でも十分過ぎる」
ヤマトはフードの向こうからカケルを捉えたまま、カズマに語りかける。
カズマが不敵な笑みを浮かべ、再び身を乗り出したその時。
「……ヤマト、なのか?」
その呼び声に、ヤマトの肩がピクリと跳ねた。
ゆっくりと、金色の瞳がカケルを捉える。
驚愕にじわじわと見開かれたその瞳の中に、ヤマトは見た。
三年前に死んだはずの、白磁の檻の残影を。
そして、それ以上に眩い、失ったはずの瑠璃色の光を。
フードの影から覗く金色の瞳が、カケルの瑠璃色と真正面から交わった。
その瞬間、ヤマトの瞳が大きく揺れた。
沸騰していた殺気が一瞬で凍りつき、戸惑いへと変質していく。
「……お前は……」
ヤマトの唇が、戦慄に震えた。
目の前の「敵」が、三年前、自分に手を伸ばした、あの「バカ」であるはずがない。
だが、その瑠璃色の瞳に映っているのは、紛れもなく今の自分──血に塗れた獣の姿だった。
ヤマトの不自然な静止を見たカズマが首を傾げ、怒号を飛ばした。
「おい、リーダー! 何してんだ!!」
しかし、二人はその声などまるで聞こえないかのように、お互いを見たまま動けずにいた。
滴る水音、遠くで響く砲声。
そのすべてが遠のき、ただ二人の視線だけが、三年の空白を飛び越えて激しくぶつかり合っていた。
「……違う」
掠れたヤマトの声が、呪いのように、あるいは祈りのように、暗闇の中に響いた。
ヤマトの脳内で、壊れた映写機が回るように記憶の断片が高速で弾け飛ぶ。
かつて自分が砕いた杯の水を浴び、呆然と立ち尽くしていた顔。
眩しく輝いた瑠璃色の瞳。
孤独な皇太子の涙。
そして──あの日の、必死に手を伸ばした、涙と汗に歪んだ顔。
「……っ……!」
喉の奥から、獣のような短い呼気が漏れた。
ヤマトは床へ拳を叩き込むと同時に、左腕でカズマの襟首を掴んだ。
ドォォォォンッ!!
砕けた床下から黒い蒸気が噴き上がり、二人の姿を呑み込む。
「ヤマト!!」
カケルが霧の中へ飛び込んだ時、指先に触れたのは、まだ熱を帯びた煤煙だけだった。
蒸気が薄れたとき、そこにはもう誰もいない。
あとに残されたのは、拳に深く抉られた陥没だけ。
それは、再会を喜ぶことさえ許されない、二人の歪な運命の断裂そのものだった。
カケルは刀を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。
頬を伝うのは、地下通路の湿気か、それとも堪えきれなかった涙か。
「生きていた……。でも、どうして……」
再会した親友は、自分の知る「ヤマト」と同じ瞳を持ちながら、知らない三年間を全身に纏っていた。
世界を憎み、漆黒の牙で全てを喰らい尽くそうとする、最果ての王。
遠くで響く砲声が、再び現実を呼び覚ます。
軍の死神と、レジスタンスの王。
かつて同じ空を見上げた二人は、今、真実の太陽が失われた下界の底で、救いようのない殺し合いの渦へと引き摺り込まれていった。
カケルの震える左腕の白銀だけが、行き場のない光を鈍く放ち続けていた。




