第10話:銀髪の心拍、不完全な残像 / MECHANICAL PULSE
下界の最深部、遠呂智の本拠地。
かつて巨大な蒸気機関の心臓部だった空間を改造した作戦室は、逃げ場のない重苦しい空気に支配されていた。
壁に設置された古いモニターが、ノイズ混じりにハイブの監視映像を映し出している。
だが、そこに集う者たちの視線は、ただ一点──部屋の中央で沈黙を貫く男、ヤマトに注がれていた。
ガチ、ガチ、と硬質な金属音が室内に響く。
カズマが不機嫌さを隠そうともせず、自身の義足をメンテナンスしていた。使い込まれたオイルの匂いと、苛立ちが混じり合い、肺を焼くような感覚を呼び起こす。
「……ったく、何なんだよ! あんな奴、お前ならあっという間に噛み砕けただろ、ヤマト!」
カズマが、手にしたレンチを机に叩きつけた。
普段は「リーダー」と呼び、ヤマトの絶対的な力に心酔している彼がその垣根を越える時は、感情の閾値を超えた時だ。
だが、糾弾されているはずのヤマトは、ぴくりとも動かない。
伏し目がちに考え込むその横顔は、彫刻のように硬く、一点を見つめたまま固まっていた。
彼の脳裏には、先刻の戦場で切り結んだ「白銀の八咫烏」──カケルの、あの瑠璃色の瞳が焼き付いて離れない。
「いつものお前なら、あんなヘマはしなかった! 何が『白銀の八咫烏』だ! ただの弱そうな優男じゃねえか!」
カズマの怒声が、鉄の壁に反響する。
敵前での意図せぬ退却。
それは、高天原の圧政に抗うレジスタンスにとって、敗北以上に屈辱的な「迷い」に見えた。
「……カズマ。ヤマトにもきっと、考えがあったんだよ。そんなに怒らなくても……」
場を宥めるように、弱々しい声が響いた。
声の主は、銀髪の小柄な少年・ミツルだった。
硝煙と鉄錆が立ち込める戦場という血生臭い場所には、あまりにも不釣り合いなほどに繊細で、儚い容貌。
深い青色の瞳の奥には、常に消えない自責の念が澱みのように漂っている。
自信がなく、常に他人の顔色を窺うようなその挙動は、彼が生まれ持った「欠陥」ゆえだろうか。
ミツルの胸の奥からは、精密時計にも似た、微かな駆動音が響いていた。
その心臓は、生まれ持ったものではない。
胸元には、それを証明する『UNIT-03』の刻印が残されている。
自分は、楽園の誇りを汚した「不完全品」である。
そんな拭い去れない劣等感が、彼の細い肩を押し潰していた。
ヤマトがふと顔を上げ、ミツルを見た。
その瞬間、ヤマトの視界が一瞬だけ歪む。
──似ている。
人を疑うことを知らない真っ直ぐな瞳。
目の前にいるミツルの姿が、かつて自分を信じ、崖の淵から手を伸ばした「三年前のカケル」の残像と重なる。
「お前は黙ってろ、ミツル! あんな無様な逃げ方、俺は許さねえぞ!」
カズマがミツルに牙を剥く。
その荒々しい剣幕に、ミツルは肩をすくめ、戸惑いながらもヤマトの顔色を伺った。
ミツルの瞳に不安の色が混じるのを、ヤマトは漆黒の義手を強く握り締めることで黙殺した。
この作戦室にいる誰も、ヤマトがなぜあの時、拳を引いたのかを理解していない。
「救世主」と呼ばれ、「百獣の王」と崇められる自分の中に、今なおカケルという名の「消えない火種」が燻り続けていることを、ヤマト自身も認めたくはなかった。
「……ヤマト。白銀は、捕虜を奪還するためにまた来るわ。次の作戦を立てましょう」
ニナの言葉が、作戦室の熱を奪った。
彼女はヤマトの迷いに気づきながらも、それを指摘することはしない。
ただ、現実に立ちはだかる脅威を、冷酷なまでに洗練された軍勢の影を突きつける。
ヤマトはゆっくりと立ち上がった。
漆黒の義手が、主の意思に呼応するように、青白い放電をパチパチとはじけさせる。
「……ああ。次は、逃さない」
その声は冷たく、自分自身に言い聞かせるような響きを持っていた。
ミツルが安心したように息を吐く。
だが、ヤマトがその背中に抱える影は、もはや誰も立ち入れない深淵へと堕ちていた。
作戦室の重い空気から逃れるように、ヤマトは無機質な廊下を一人進んでいた。
目的地は、静寂だけが許された、サクラの眠る場所──隔離療養室。
だが、背後から小走りの、けれどどこか遠慮がちな足音が追いかけてくる。
「ヤマト、俺も一緒に行ってもいい?」
透き通るような声の主は、ミツルだった。
廊下の天井から点滅する予備灯の僅かな光を反射して、彼の銀色の髪がキラキラと、霧氷のように美しく輝く。
その非現実的な輝きに、ヤマトは足を止めることなく、ただ微かに眉を寄せた。
返答はなかった。
だが、ミツルはヤマトの背中についてくる。
拒絶の言葉がないこと、そしてヤマトの歩調が僅かに緩んだことを、ミツルは敏感に感じ取っていた。
「……ねえ、次は俺も一緒に行きたいな。昔みたいにさ、ヤマトが危なくないように、俺も戦いたいんだ」
少し後ろを歩くミツルが、ぽつりと呟いた。
彼の胸の奥では、精密時計が狂ったような、不自然に速い機械的な駆動音が響いている。
心臓を機械化された少年。
その華奢な体格からは想像もつかない神速の剣を振るうが、それは常に、内蔵された機械が制御を失い暴走する、死と隣り合わせのリスクを孕んでいた。
彼らを観察し、医学・機械工学の両面から支えるイツキの診断によれば、ミツルの心臓は極めて精巧に作り込まれているものの、その安全が保証されているのはあくまで「穏やかな日常」という狭い範疇に過ぎない。
抜剣し、その神速を解放すれば、心臓という名の精密機械は自らの熱でその身を焼き焦がし、じわじわと崩壊を始めてしまうのだ。
ミツルを含め、ここに集いし「UNIT」の業を背負う者たちは、カナメとイツキによる絶え間ないメンテナンスが無くては、そう遠くない将来、その命の灯火を強制的に消されてしまう運命にある。
「……お前が戦線に出るほどのことじゃない」
ヤマトは前を向いたまま突き放すように言った。
それは過保護な温かさではなく、組織の長としての冷徹な判断に近い。
だが、ミツルにはその真意が届かない。
「……俺は、遠呂智のみんなの為に、ヤマトのために戦いたいんだ。……やっぱり、頼りないかな、俺」
悲しげに俯くミツル。
その縋るような視線に、ヤマトの足が止まった。
三年前の瑠璃色が、まだ網膜の裏に焼き付いている。
ヤマトは、かつての記憶という名の鎖が、目に見えない速度で首筋を締め上げたような錯覚を覚え、ピタリと歩みを止めた。
ミツルも驚いたように足を止める。
ヤマトはゆっくりと振り返り、無機質な漆黒の指先で、銀髪の少年の頭をそっと撫でた。
冷たい鋼鉄の指先に、ミツルの髪の柔らかさと、生身の頭皮の微かな熱が伝わってくる。
その胸の奥では、機械心臓が危うい速度で時を刻んでいた。
「お前の剣は、誰よりも速い。だからこそ、いざって時の為の最高の武器として取っておく。……お前の力は、決して誰にも劣っていない」
ヤマトの金色の瞳に、僅かながらの熱が宿っていた。
ミツルはその言葉を、自分を肯定する福音のように全身で受け止める。
俯いていた顔を上げ、気恥ずかしそうに、けれど誇らしげに肩をすくめた。
「……ヤマトがそう言ってくれるなら、信じるよ」
全面的に信頼しきった笑顔。
その純粋さが、かつてのカケルのように眩しく、今のヤマトには痛々しいほどだった。
ヤマトはそれ以上言葉を重ねず、再び踵を返した。
背後で弾むように続く足音。
サクラが眠る「揺り籠」へと向かう廊下で、ヤマトは漆黒の義手を静かに握りしめた。
カケルに似たこの少年を、戦場という名の奈落へ突き落とす日は、そう遠くない。
復讐と、自分たちがようやく得た居場所を守る意志。
それだけが、擦り切れた命を今なお奮い立たせていた。




