↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第二幕】断絶の双星/ DIVIDED STAR  作者: 星乃ふみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/19

第12話:泥濘の真珠、飢獣の肝 / THE FALLEN CHERUB

「生きろ」


 柔らかな光の奥で、ヤマトの声だけが響いた。


 伸ばした手から、温もりが滑り落ちていく。

 追いかけようとしても声が出ない。


 強烈な衝撃が、世界を蒼白く塗り潰した。


「……ヤマト……ッ!」


 カケルは乾いた喉を震わせ、勢いよく目を開けた。


「……目が覚めたのね」


 知らない天井。

 錆びた梁(はり)。


 壁は、異なる色の鉄板を継ぎ接ぎして作られていた。

 点滴台は古びた配管を曲げたもの。寝台の脚には、役目を失った歯車が高さを揃えるために噛ませてある。


 部屋の隅には、解体途中の義手や義足が、眠る人間のように壁へ立て掛けられていた。


 高天原なら「不良品」として即座に焼却されるものばかりだ。

 だがここでは、捨てられたものが別の役目を与えられ、誰かの命を支えている。


 視界を覗き込んできたのは、額にゴーグルを乗せた少女──クシナだった。

 彼女はカケルの額に手を当てて熱を測ると、手際よく左肩の包帯を確認し始める。


「助かったみたいね。危なかったけど。……傷口は洗浄して縫合したわ。感染止めも入れてある。生きているだけマシでしょ」


 少女の淡々とした言葉に、カケルはハッとして自分の体を見下ろした。

 左肩には、何層にもわたる厚い包帯が巻かれている。


「……ぁ……」


 震える右手を、左肩へと伸ばす。


 脳はまだ、そこにあるはずの指先を動かせという信号を送り続けている。

 だが、手を伸ばした先にあるのは、耐え難い「空白」だけだった。


「……ない。僕の、腕が……」


 包帯の先に虚空しかないことを悟り、カケルは右腕で空っぽになった左肩を強く掴んだ。

 そこには感覚だけが幽霊のように残り、実体がないという、身を切るような喪失感があった。


 ──だが、それだけではない。


 切断された断面の奥、皮膚の下で、あの「月白の稲妻」の余韻か、不自然なほどの「熱」が脈動しているのをカケルは感じていた。

 それは生き物の呼吸というよりは、暴走寸前の機関が発する不気味な排熱(はいねつ)に近い。


 少女はカケルの動揺を待たず、医療機器を片付け始める。


「まだ寝てなさい。余計な力を使うと、縫った場所が開くわよ。私はクシナ。ここから一歩も動かないで」

「待って、答えて……! 二人は、どうなったの!? ヤマトは……サクラちゃんはどこ!?」


 カケルが無理に身を起こそうとしたその時。

 重厚な金属音と共に、部屋の分厚い扉が、乱暴に蹴り開けられた。


「ガッハッハ! その少年《ジャンク》は起きたかい!」


 豪快な笑い声が鼓膜を震わせ、部屋の空気が一変した。


 蹴(け)り開(あ)けられた扉の先に立っていたのは、油の染みたタンクトップ一枚で、巨大な戦槌(ハンマー)を軽々と担いだ女だった。

 逞しい腕には古い機械の焦げたような匂いが染み付き、彼女が動くたびに熱風が部屋に流れ込む。


 あまりに場違いな熱量と豪快な笑い声に、カケルの意識は追いつかず、ただ呆然(ぼうぜん)と彼女を見つめることしかできなかった。


 昨日の凄惨《せいさん》な墜落劇と、この騒々しいまでの生命力。

 そのあまりの乖離(かいり)に、脳が拒絶反応(きょぜつはんのう)を起こしているようだった。


「おい少年! 生きているならまずは笑いな! 死神を追い払うにゃあ、景気のいいツラが一番なんだからよ!」

「お母さん、静かにしてってば。まだ目を覚ましたばかりなんだから」


 少女──クシナが、使い古された医療用ピンセットを盆(トレイ)に置き、ため息混じりにたしなめる。


 だが、女の勢いは止まらない。

 彼女はドスンと戦槌(ハンマー)を床に下ろすと、身を乗り出してカケルを覗き込んできた。


「いいかい、食欲が戻ったら、あたし特製の精強肉湯(スタミナスープ)を作ってやるよ! 飢獣(きじゅう)の肝(きも)に、そこらの汚泥で育った根性(こんじょう)野菜をぶち込んだやつだ。胃袋から魂を叩き直してやるからな! 今はとにかく寝てろ。……しかし、廃材回収に行ったら、とんだ拾い物をしたもんだよ」

「拾い物……」


 カケルはその言葉の意味を咀嚼(そしゃく)できず、力なく首を傾(かし)げた。


 今の自分は、拾い上げられるほどの価値があるものなのだろうか。

 そんなカケルの心中(しんちゅう)を見透かすように、クシナが淡々と事実を告げる。


「あんた、ゴミ捨て場で飢獣(きじゅう)に狙われて死にかけてたのよ。お母さんが見つけて、見捨てるのも寝覚めが悪いからって、ここまで連れ帰って処置させてもらったわ。ここはハイヴ北地区(ノース・セクター)の端っこ。あんたが落ちてきた奈落の底よりは、いくらか空気が吸える場所よ」

「飢獣(きじゅう)……。拾われた……?」


 カケルは、自分の体の左側に意識を向けた。


 ない。

 重みすら消えた肩が、妙に軽い。


 その欠損を確かめるたび、夢の中で見たヤマトの顔と、自らの力で友を葬りかけた恐怖が蘇った。


 掌(てのひら)に残っているはずの親友の熱は、今は冷たい空気に溶けて消えていた。


「ま、何があったか知らないけど、とりあえずここは安全だから。今はゆっくり休んで」


 クシナが毛布をかけ直そうとした時、女が再びグイと顔を寄せてきた。


「それにしても、あんたみたいに上品な顔は、この辺じゃ珍しいねぇ。汚泥の中にポツンと真珠が落ちてるみたいだよ。顔立ちも、残った右手の指も細くて綺麗だ……。もしかして、天上界(てんじょうかい)から落ちてきた天使様かい?」


 天使。

 かつて自分たちがいた、あの傲慢(ごうまん)なほどに白い楽園を皮肉るような言葉に、カケルの喉がひきつった。


 答えは出なかった。


 言葉にしようとすれば、喉の奥からせり上がってくるのは血の味と、形容(けいよう)しがたい悲鳴だけだったからだ。


 カケルの瞳から、大粒の涙が溢れ、枕を濡らしていく。

 声も出さず、ただ静かに、止めどなく泣き続ける。

 その姿に、さっきまで豪快に笑っていた女も、少しだけ眉を寄せて黙り込んだ。


「……とりあえず今は寝てて。ほら、行くよお母さん」


 クシナに促され、女は「なんだい、景気が悪いねぇ。あたしの自慢の腕前を見せてやったのに」と不器用な照(て)れ隠(かく)しのように呟(つぶや)きながら、部屋を後にした。


 バタン、と重い鉄の扉が閉まる。

 だが、扉の向こうからは、まだ二人の話し声が遠く響いていた。


「おいクシナ、景気付けにスープに飢獣(きじゅう)の肝を生でぶち込んでやるか! 精がつくぞ!」

「やめてよ、今のあの子にそんな刺激物は毒だってば。普通に野菜を煮込みなさいよ」

「硬いこと言いなさんな、肝は鮮度が命なんだから。あの天使様も、これ一杯でシャキッとするさ!」


 遠ざかっていく、騒がしくも温かな日常の音。


 それが消え去ると、今度は静寂が、恐ろしいほどの重圧となってカケルの鼓膜(こまく)を押し潰し始めた。


 カケルは、嗚咽とともに溢れ出す涙を止めることができない。


 存在しない左手の指が、何かを掴もうとする。

 脳は確かに命令を送っているのに、応える指先はどこにもなかった。


 それでも幻の手は、何度も暗闇へ伸びていく。

 奈落へ消えたヤマトとサクラを、今度こそ掴み直そうとするかのように。


 だが、何ひとつ触れることはできない。


 助けられなかった。

 唯一無二の親友も、守ると誓ったその妹も。


 左腕を失った空白よりも、その事実の方が遥かに痛かった。


「う……っ、ヤマト……サクラちゃん……」


 絶望の重力が、カケルの心を暗闇の奥底へと引きずり込んでいく。

 そこにはもう、光の一片すら残されてはいなかった。


「なんだか……深い事情がありそうね」


 クシナが廊下で、今しがた閉めたばかりの扉を振り返った。

 その向こう側にいる少年の、あまりにもか細い気配を案(あん)じるように目を細める。


「ケッ、訳アリなんてのはこの下界(ハイヴ)じゃ珍しいことじゃないさ。死に損なった理由をいちいち数えてりゃ、指がいくらあっても足りやしない。とっとと元気になって、あたしの特製肉料理でも食らえば、どんな悩みも雲散霧消(うんさんむしょう)よ!」


 女は豪快に笑い飛ばし、大きな手でクシナの肩を叩いた。

 その手の熱さに、クシナは少しだけ安心したように息を吐く。


「……そうね。そうだといいけど」


 クシナはもう一度だけ扉を見つめ、母の後に続いて廊下の奥へと消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。