Log1-06//過ち
「今日はどんな本を読んでるの?」
いつになく真剣にアマヨリが本を読み入っていたので、ダイアンは横から覗き込んだ。表紙には〝閲覧厳禁〟のラベルが貼ってある。
アマヨリは、クリプタのヴォイドリンクを使って、今度は秘密の書庫に出入りしたらしい。そしてよりにもよって侵入先の本を持ち帰ってきている。
これでは言い訳のしようがなくなってしまうと焦り、ダイアンはアマヨリから本を取り上げた。怒って本を取り返そうと、ダイアンに掴み掛かったアマヨリは、せっかく治療用ブーツを卒業できたのに、思い切り足をついて苦悶の表情を浮かべた。
「いっっったーい‼︎」
「僕のせいじゃないからな!」
二人は喧嘩になり、アマヨリはダイアンに向かってバカと叫ぶ。ダイアンも負けじと大きな声で言い返した。
「バカはどっちだ! ここに閲覧厳禁って書いてあるだろ!」
「だって! この字読めなかったんだもん!」
なるほど、とあっさり納得するとダイアンは取り上げた本をアマヨリに返した。自分と異なりアマヨリはまだ読めない文字も多いのだ。仕方なく明日、時間を作って二人でこっそり返しに行こうと思い直した。けれど大事なことはきちんといっておかねばならないとアマヨリの前にしゃがみ込み、いつもの紫紺色の瞳をじっと見つめる。
「冒険が楽しいのはわかるけど、ここを出るのもクリプタのセキュリティキーを使うのも本当はいけないことなんだ。僕もつい楽しくて、一緒に冒険しちゃうけど。これはクリプタに返してもう外に出るのはやめよう」
「約束したのに?」
「それはまた別の話だよ。これがなくたって、十五歳になったらここを出られるんだからその時に一緒に……」
ダイアンは言いかけると、ふと、ここを出ていった人達の言っていたことを思い出し言い知れぬ違和感を覚えた。
――そうだな、今度ここに来るときは
――絶対に迎えに来るから
――みんな、また会おう
――あれ?
「ダイアン?」
「ごめん、アマヨリ。これは僕が持つ、クリプタに返すのはやっぱりやめだ」
アマヨリは不思議そうな表情を浮かべたままだった。
「本は明日、僕が返してくる」
「それまで読んでいていいってこと?」
ダイアンは仕方がないといった顔で本をアマヨリに突き返すと、再び布団の中にくるまった。頭の中ではさっき思い出した言葉がぐるぐると巡り、激しい不安に襲われた。その不安を取り除きたくて、すぐにでも明日になってほしいと強く目を瞑った。
――本当に透明な世界はここを忘れてしまえるほどに楽しい世界なの?
――大切なひととの約束を破ってしまえるほどに?
――本当は、ここへは戻ることができないんじゃ無いの?
考えたく無いことが次々と頭を掠めた。
一方、アマヨリは明日本を返すと言われてしまい、慌てて読み進めていた。
本は図書室にも置いてあるが、どの本も難しかったり、読めない文字が多かったりと、なにより知りたいと思ったことは書かれておらず面白くなかった。
けれど、この前見つけた場所にある本たちは、あらゆる興味を掻き立てるものばかりが並んでおり、持ち出さずにはいられなかった。
挿絵の入った革張りの本に、埃を被った古い本、開くと映像が飛び出すものもある。何冊か持ち出したかったが、制服の下に隠さねばならないので、この本1冊を持ち帰るのが関の山だった。
小さな灯りを頼りに、文字を追いながら間断なく読み進めていくと、アマヨリのページを捲る手が止まる。そこにはアルダナリ達とは違う、大人の女性に小さな女の子が大事そうに抱き抱えられている挿絵があった。その絵を見てアマヨリの心に、なんだか温かい気持ちと、底知れぬ寂しさも一緒に押し寄せてきた。経験したことのない感情にアマヨリは思わず胸を押さえた。そして、急にクリプタの顔が浮かんだのだ。
♢♢♢♢
翌朝ダイアンは早朝から部屋を飛び出し、クリプタの元に来ていた。いつもの大きなデスクでたくさんの画面と睨み合っていたが、ダイアンのただならぬ表情を見て、仕事を中断して隣に腰掛けてくれた。
「どうしたんだ、血相変えて。まさか……、おねしょでもしたのか、その歳で!」
「そんなわけないだろ! クリプタまでアマヨリと同じこと言って、バカにすんな!」
珍しくダイアンの気は立っていた。いつもならこんな冗談も軽く流して笑う余裕すらあるのに。なんだか心に余裕がないと感じていた。クリプタは冗談だよと言って笑っていたけれど、自分とクリプタの温度差にヤキモキした気持ちになった。
「ごめん、ごめん、いいよ。本題に入ろうか」
「よりによって、アマヨリと同じ冗談とか……」
「お前がすぐ本気にするからだよ、悪かったよ。なにか相談があるんだろう?」
「うん、あのさ、十五歳になったらさ……」
ダイアンが話し始めると、部屋には来訪者を知らせる通知音が響き、話は中断を余儀なくされた。
「施設長宛に荷物が届いているのですが、いつもの禁止図書の書庫に運ぶ予定が……」
執務室の扉の前でこちらの様子をうかがいながら、一人の青年がお伺いを立てている。クリプタは少し考える仕草をして指示を出し、再び話を戻そうとしたが青年は言いづらそうに話を切り出した。
「あの、それが管理長から早めに確認してほしいと言われていまして」
「ええーっ、まったく管理長の奴! 面倒なことばっかりこっちに押し付けて。すまないダイアン、席外すけどすぐ戻るからここで待っていて」
そう言うとクリプタは青年と共に部屋を出て行ってしまった。一人残されたダイアンはこれをチャンスだと捉えた。彼は部屋に人をめったに入れない。だから先ほどの青年も扉の外から声をかけている。出入り口には監視装置があるが、部屋の中にはそういった類のものは置かれていないのも前に盗み聞いて知っている。
ダイアンは少し緊張しながらデスクの上に置かれた書類の束を手に取り、パラパラと流し見てみる。難しい文章や数字の羅列ばかりでここから何かを探し出すのは難しいと瞬時に思った。が、見覚えのある文字が通り過ぎようとしているのを引き止めた。
「今、アルファ1って書いてあった」
そのページに目を落としながら、一つ一つ書かれていることを拾って行った。何かの報告書と書いてあることは認識できる。時系列が並び、普段から日課で行っている観察記録のような構成だった。
(えっと、自然めん……?、なんて読むんだ? 改変漏れ事案に関する報告書。改変漏れ?どういうことだろう)
そのまま読めそうな部分をかいつまんでいく。
――経緯:アルファ1にて発熱および咳を伴う症状がX月X日に発生し〜、
(ときどき誰かがなるやつのことかな。アルファ1でもいたんだ。原因が書いてあるっぽいな……)
――原因:生成時のXXXXによるXXXXの適用漏れが原因とされ〜XXXXをXXXXした
しかし、ダイアンには読み方はおろか意味のわからない言葉が並び、理解するのは至難の業だった。
「だめだ、わかんない。この次のところはどうだろう。対処と結果……」
――対象の感染者を医療処置にてXXXXし、XXXXを投与しX月X日医療棟にてXXXを法令第X条X項によりXXX処分
「しょぶん? 処分って……どういうことなんだろう」
普段口にすることの無い言葉が一瞬でダイアンを凍り付かせた。
――死亡確認時刻:XX:XX:XX
「死……、これって……」
書類を捲る手からじわりと汗が滲み、視線はその言葉から離れられなくなった。けれどその状況をバッサリと断ち切るかのように、扉のセキュリティの反応した音がかすかに聞こえダイアンは飛び上がった。
「!!」
慌てて書類を元の場所に戻すと、冷えたソファに滑り込むようにして着席した。
部屋に戻るなりクリプタは、ぶつぶつと愚痴をこぼしながらダイアンに詫びると、再び本題に入ろうとした。けれどダイアンは、先ほどの書類に書いてあった文字が頭から離れず、自分の質問がリスクを孕んでいるかもしれないことに気がついた。
「えっと、十五になったら……なんだけどさ」
「なんだ、言ってみなさい」
「僕、ここで働きたいんだ!」
「⁉︎」
いくらなんでも、もう少しマシな理由を探せただろうと、自分のついた嘘に情けなくなった。目の前ではクリプタがそんなことを言いに、わざわざここに来たのかとでも言いたげな顔をしてこちらを見ている。こちらの真意を探られないように、適当に理由をつけて早くこの場を立ち去らなければならないと、ダイアンは焦りで挙動が落ち着かなくなった。クリプタから呆れられて、時間を取らせたことを咎められると思っていたが、意外な答えが返ってきてしまった。
「何を言い出すのかと思えば……、こちらも考えていなかったわけでは無いのだが……。君が十二歳の誕生日を迎えたら、私のところに来られるよう調整してみよう。また時間のあるときにゆっくり話そう。それまで今の話は口外厳禁で」
――しまった。
下手な嘘はつくものでは無いと、この時ダイアンは、心の底から後悔した。
♢♢♢♢
クリプタと戻る途中、アルダナリに連れられた別の班のメンバーとすれ違った。これから水泳の練習を個別にするようだった。水泳は人気の日課でもあったが泳げない子供たちにとっては全く楽しくないものだった。こうやって個別に教わって泳げるようにならないと管理官から後で折檻されるのだ。通り過ぎていく子供たちの顔は覇気が無いようにも見えた。
水泳だけじゃない、勉強も武術の稽古も上手くできないと理不尽な目に遭う。
アルヘニクスの、ここは優遇されている。という言葉は考えれば考えるほど説得力を失ってゆくのだ。書類に書かれた言葉も、クリプタについた嘘も追い打ちをかける。ダイアンの心は、底の無いプールに落とされたガラス玉のようにスルスルと沈んで行った。
――このままじゃ溺れてしまいそうだ。
落ち込んだ気分のまま、廊下でアマヨリにバッタリ出くわした。なぜアマヨリが反対に向かうのか。その先にある部屋を思い出し、瞬時に察したダイアンは、咄嗟に話しかけた。
「僕の後を付けてきたのか、部屋で待ってろって言っただろ」
しかしアマヨリは、首を横に振った。ダイアンはてっきり、アマヨリが禁止図書を保管している部屋に勝手に返しに来たのだと思っていた。うっかりボロが出てしまうのでは無いかとハラハラしたが、目的は異なるようだった。
「違う、クリプタに会いにきたの」
クリプタは少し困った顔をして言った。
「今日は来客が多いな。何かあった? 向こうへは勝手に行かない約束だろう」
「うん……」
いつもの元気な返事が返ってこなかったので、クリプタは何も言わずアマヨリの手を取ると、日課室に向かって歩き始めた。
足はもうだいぶ良くなって、時折もたつくこともあるものの、一人で歩けるまでに回復していた。歩調を合わせて彼女の隣を歩くクリプタの後ろでダイアンは、溺れかかった気持ちを少しでも浮上させようと、早朝から起きた出来事を頭の中で整理していた。
すると、追い立てるようなアラームが日課の始まりを知らせた。
「いけない、早く戻らないと。ほら乗って」
前を歩いていたクリプタは廊下の真ん中で屈みこむと、アマヨリを背中にヒョイっとおぶった。まだまだ幼さの残る少女は、さっきまでの沈んだ表情から一変して、嬉々としてクリプタの背中にしがみついている。なにやら楽しそうに話しているのもちらほらと聞こえた。
「クリプタの背中、おっきくてあったかい」
クリプタも、いつもはあまり見せない優しい眼差しで、背中の少女に何かを伝えて微笑んだ。
考え事もまとまらず、重い足取りで歩いていると、
いつの間にか二人との距離が少しずつ離れて行くのがわかった。
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