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アポカリプシスの監視者  作者: 新堂まなぶ
第3章『取捨』

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Log3-2//誤解(1)


 教室は騒然となった。

 アマヨリの制服からはポタポタと水が滴り落ち、泳ぐ術をなくした魚のオブジェが、床の上でうねりつづけている。

 ――迷っている暇などなかった。

 ――口を聞かない理由はあっても、水を浴びせる理由はない。

 低く、鋭さの籠もる声でアマヨリは言った。

「こんなことをしても何の解決にもならないよ、パル」

 目の前の顔はみるみるうちに紅潮していき、パルは吐き捨てるように言った。

「なに? ヒーロー気取り? 何も知らないくせに余計なことしないで」

「パルは間違ってる」

 パルの睨みつけるような目をじっと見返す。自分の意志を変える気など微塵もない。

 何か言いたげな顔で、パルは他の友人達と教室を出て行った。


「アマヨリさん、なんで庇ったのです?」

 床を拭きながら、エレノアが怯えたように尋ねた。

「なんでって……。だっておかしいよ。水槽の水かけるなんて」

 言いたいことがあるのなら、はっきり言えばいいじゃないか。

 そうアマヨリは思っていた。そして、何も言わないでいるエレノアにも苛立っていたのだ。

「エレノアは、一体何をしたの? ちゃんと教えてくれないと話し合いもできないよ」

 制服をタオルで拭いながら、アマヨリは語気を強める。

 床に座り込んだまま黙り込むエレノア。

「こっちまで泳いできてたよ。手伝うよ」

 困り果てたアマヨリの前に差し出された手のひらには、勢いよく流れた魚のオブジェ達がパタパタと動いている。

 ジンは空になった水槽に水を汲んできてくれた。

 しばらく三人は何も話さぬまま、教室の片隅で後片付けを続けた。黙々と床を拭くエレノアの姿が街中で働くクローンの姿と重なった。

 ――言わないのではなくて、言えないのかもしれない。


 アマヨリは、穏やかに言った。

「エレノア……、ごめんね。私、自分のことばかりでちゃんと話聞いてあげられなくて」

「……アマヨリさんのせいではないですよ」

「ううん。私ずっとエレノアと話す機会を自分から避けてた」

「……」

「私、パル達の怒りを買ってしまうんじゃないかって」

 アマヨリはじっとエレノアを見つめ、彼女が話してくれるのを信じた。

「……誰にも言わないで欲しいんです」

 ジンも同調するように頷き、教室の扉を閉めてくれた。エレノアは覚悟を決めたようにぽつりぽつりと話し始めた。


 ある日の夕暮れ時、図書館を出たエレノアは一人の男子に話しかけられた。いつもパル達とチャンスを狙っていても、なかなか話しかけることができなかった彼が、自ら声をかけてきたのだ。

「驚かせてごめん、その本が気になって思わず声をかけてしまって」

「いえ、私もずっと声をかけようと思っていたんです」

 話したことのない人物と話すには抵抗があった。それでも、パルと毎日のように彼を教室や食堂でこっそり見ているうちに、いつの間にか親近感を抱くようになっていた。

「それは奇遇だね。どうも最近、女子達の囲みがひどくて参ったよ」

 本当に困っているのか、彼はずっと背後を気にしながら歩いていた。

「この本よかったら読まれますか? これ、私のなんです。気に入っていて何度も読んでいるので」

 男子は驚きつつ、微笑みを見せた。

「いいの? ありがとう、どうりで図書館で探しても見当たらないはずだ」

 キラキラと目を輝かせ、どこか懐かしむような顔で本を手に取った。

「天地創造の絵本、これ子供の頃によく見ていたんだ」

 そう言って振り返った彼の笑顔にエレノアは目を奪われた。

 木漏れ日が彼の精悍な顔つきを、幼い少年のように映し出す。その一瞬が今まで覗き見てきた彼の記憶をかき消すように、淡く儚く、エレノアの心に焼き付いたのだ。

「……本、好きなんですね」

「うん。俺あんまり人と話すの得意じゃなくて。一人になりたいんだけど、一人になるとすぐに誰か来るから困ったよ」

 素直な気持ちを話す彼の姿に、少し同情したくなったエレノアは思わずこんなことを言ってしまった。

「なんだかいつも大変そうですよね。違うクラスの人といたら話しかけづらいと思うので、一緒に歩きますよ。図書館にいるときは、私は空気だと思ってください」

 まずは彼とキッカケさえ作れたら、あとはパルの恋路を応援しようと思っていた。

 そんな思惑があるとも知らず、「ありがとう」という彼を見て、エレノアは少し申し訳ない気持ちになった。


 アマヨリはジンと共にエレノアの話に聞き入った。

「そんな感じでときどき放課後に、図書館裏のベンチで会って本の話をするようになったんです」

「よく取り巻きの女子達に見つからなかったね」

 ジンが心配そうに言うと、エレノアは項垂れながら事の顛末を話してくれた。

「それが……。二人で何度か一緒にいるところを、パルが見ていたみたいで。誤解されてしまったのか、そこから友人たちに無視されたり、嫌がらせされたりするようになってしまったのが始まりです」

 事情も確かめず、一方的に無視をする友人たちにアマヨリは嫌悪感を抱いた。この先の学園生活への不安が募る。

 人を好きになると友情まで捨ててしまえるのだろうか。パル達の行動がどうしても理解できなかった。

「そういうことだったんだ。でも弁解もさせてくれないの?」

「ごめんなさい。先にアマヨリさんに話せば良かったのだけど、こんなことに巻き込むつもりじゃなかったから、言わなかったの」

 申し訳なさそうに、すっかり涙の乾いたエレノアは落ち着いて言った。

 そんな彼女を見てジンは不思議そうに首を傾げる。

「君たちなんか面白いね。それがもし原因なのだとしたら誤解だと言ったらいいんじゃないの?」

 エレノアがまた口をつぐむ。

 アマヨリは恐る恐る尋ねた。

「もしかして、誤解と言えなくなった理由があるの?」

 こくりと小さく頷くエレノア。

 目元を押さえながらジンは教室の壁に寄りかかった。

「あぁ、ごめんわかってしまったよ。つまりは、君も彼を好きになってしまったんだろう?」

 顔を真っ赤に染めたエレノアは、小さく返事をした。

「罪作りなやつめ」とジンが苦笑いを浮かべる。

 出揃った原因のパーツが繋がったが、アマヨリは腑に落ちていない。

「ごめんなさい、嫌がらせもショックだったのだけど、友人を裏切ってしまった自分が許せなくて。しばらく学校に行かなければ忘れられると思っていたのですが……」

 施設にいたときも、年長者の女子たちから好意のある人物で同じ名前が上がることもしばしばあった。

 先のことなど鮮明に描くことのできないあの場所では、誰かを責めてまでそれを手に入れようとはしない。

 知らず知らずのうちに諦め、自ら手放していたのだとアマヨリは思い知った。

「でも……好きなんだよね? ライバルなら勝負を挑めばいいじゃない」

 競技の決着のように言うアマヨリに、思わずエレノアは苦笑いを浮かべたが、真剣に話を聞く彼女の姿勢に、少しずつ気持ちを打ち明けた。

「いいえ、勝負では解決できないことだと思います。友人は私のことを信じて彼のことを話してくれたんです。もっと友人の気持ちを考えてあげられたら……。ここまで溝を深めてしまって、今じゃ他の友人たちからも避けられて話すきっかけもなくしました……」

「そんなのおかしい! 同じ人が好きだからって、みんなで無視をするなんておかしいわ」

 エレノアはためらいがちに頷いた。

「うーん。どうすればいいんだろう」

 考えのまとまらなかったアマヨリは、思わずジンに助けを求めた。

「クラス長としてもこのままじゃ良くないと思うし、パル達にトゥレイスさんの本当の気持ちを正直に話してみるのはどうかな。避けられてるようならこちらで場を取り持つよ。人を好きになることは悪いことではないのだからね」

 クラスのまとめ役だけあって、ジンは解決の方向性まで提示してくれた。

 おかげでエレノアの表情も少し明るくなり、アマヨリはジンが味方になってくれたことがとても心強かった。

「わかりました……逃げないで、彼女達とも話してみます」

 顔を上げたエレノアを見て、アマヨリはもっと彼女の力になりたいと思った。

 

 寮に着くなり、どっと疲れが襲いかかってきた。

 アマヨリは着替えもせずにそのままベッドへ横たわる。エレノアの一件が解決に向かおうとしていることに安堵し、ダイアンのことを思い浮かべた。

(あの時もダイアンのことが好きな女子のために、協力しようと皆で作戦を立てたりしたなぁ。ダイアンったら全然興味がないとか言って全く取り合ってもらえなかったけど。あの頃ってこんな難しいことだなんて考えてもみなかったな……)

 ――そういえば。

(ダイアンって好きな娘とかいたのかな。聞いたことないな)

 不意に、レンユウが言った言葉を思い出した。

〝それがアマヨリだと思うけどな〟

 勢いよく、ベッドから起き上がったアマヨリは、「まさか、まさか」とつぶやき、レンユウの声をかき消そうと、ジタバタと暴れた。

 そして残った虚しさだけが、アマヨリを再び孤独にした。

 

 

 目の前では、不機嫌を極めたパルが頬杖をついている。

 その両脇には彼女を気遣う二人。

 しばらくの間、張り詰めた空気が食堂の片隅に漂う。

「えっと……、まずは、トゥレイスさんの話を聞いてもらえないかな」

 ジンが説明を促すと、エレノアは声を絞り出す。

 その声は少し震えているようだった。

 パルは表情を変えず、静かに聞いていた。アマヨリは祈るような気持ちでパルの言葉を待った。

「エレノアはずるいよ。そうならそうだって言ってくれればよかったのに。言えなかったのは私に気を遣ったからじゃないでしょ!」

 パルの不信に満ちた言葉がエレノアを責め立てる。

(エレノア、なにか言い返さないと!)

 パルはため息をついた。

「本当は、彼との時間を独り占めして私のことバカにしてたんでしょう? 大体、謝るなら一人で来なよ。二人は関係ないじゃない、エレノアのそういうとこ、ほんとに嫌い!」

「待って、違うのパル! そうじゃないの!」

 弁解する間もなくパルは去ってしまった。

 どこか遠くを見つめたジンの姿が、物事の複雑さを表すようだった。


 アマヨリはエレノアの部屋を尋ねていた。

 きちんと整頓された室内は、アマヨリの雑然とした部屋と違って屋敷の中を思い出させる。エレノアは、嘘をついたり、誰かを馬鹿にしたりできる人ではない。それだけはアマヨリは譲れなかった。パルも知っているはずなのに。

「次はどうやって話しかけようか……」

「私は大丈夫ですよ、仕方ないです」

「でも……なんだか納得いかないよ」

「ふふふ。アマヨリさんは割と白黒はっきりしたいタイプなんですね」

 ――たしかに。

 物事ははっきりしていた方がいい。中途半端なままだと気になるのだ。

 アマヨリは少し自分自身のことを考えた。

「私は、自分の言いたいことも言えないから、アマヨリさんが羨ましい。父とのことも見ていてわかったでしょう?」

 当主はエレノアの親という存在だったので、アマヨリは二人の関係を気にしたことはなかった。いつも当主の言うことを素直に聞くエレノアを、言いつけを守るいい娘だと思っていたし、当主は娘だから色々と頼むのだろうと、アマヨリなりに見ていた。

「エレノアは、トゥレイスさんに言えないことがあったの?」

「それはたくさんあるわ。父の仕事のこともだし、アンサンブルの時もそう。ミルザム様の元で何をしているのかだって聞けないのよ」

 今まで見てきた当主の真実を知るアマヨリには、簡単に答えることのできない話だった。

 いつか彼の真実を知るときが来てしまうのだろうか。みぞおちがギュッと痛くなる。

「パルはさ、エレノアのこと嫌いって言ったけど、そんなことないと思うんだ」

 怒りの中で、パルの目から今にも涙が溢れそうだったのを思い出す。

 パルもまた、言えないのだろうとアマヨリは思った。

 エレノアとパルは幼馴染なのだ。

 恋心はわからなくても、その絆の深さは知っている。

「エレノア、私やっぱり白黒つけたい。行こう」

 アマヨリはエレノアの手を取り、パルの部屋に向かった。

 窓の外は月明かりに照らされた花壇の花々が薄ら青く光る。

 自分の気持ちとは裏腹に、外は静寂が広がっていた。

 ドアの外でアマヨリはエレノアの戻りを待った。

 自分が出る幕もなく、パルは部屋にエレノアを通したのだ。

 彼女が落ち込んで帰ってきたら、受け止め、励まそうと考えていた。

 ――仲直りできたら?

 ――一緒に喜びを分かち合えばいい?

 二人の仲が元に戻ることを願っていたはずなのに、そう思うとなぜか気持ちにもやがかかるのだ。アマヨリは、しゃがみ込んだ。

 無性にオメガ9のみんなに会いたくなった。レンユウやダイアンとも随分と喧嘩をしたものだったが、今はあの時の感情になれる相手もいない。

 ヘリヌールもどこか遠い存在に思える。

 今二人は何を話しているのだろう。

 アマヨリはエレノア達のことが気になって仕方なかった。

 

 ――二人は自分と一緒にいてくれるだろうか。


 しばらくしてドアの向こうから二人の笑い声が聞こえてくると、アマヨリはそっと、その場を後にした。


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