Log2-22//万能な力(2)
浮行船に乗り込むと、アルフリーナは制服のネクタイを締め直した。ヴォイドリンクからは、拘禁室からクローンが逃げ出したという連絡が飛び交っている。顔写真が出回り始めていたが、アルフリーナは居眠りをするように顔を俯いて目立たぬように気配を消した。
しばらくすると、騒々しかったヴォイドリンクの逃走者情報は、被疑者死亡により確保という連絡に変わる。アルフリーナはホッとすると同時に、言い知れぬ不安にも襲われた。
浮行船は二時間ほどかけて帝都へ入ると、そこで声をかけてきたのは、キュウザンという大柄の男だった。頭は坊主で一日中屋外にいるのか、日に焼けた肌は黒々している。目鼻立ちのはっきりした顔はタウコニア人のようだった。
「アルフリーナのお嬢さん、これからはわたしに同行願いますぞ」
屈強な見た目とは異なり年の功なのか、穏やかでいて例えるなら山そのもののような寛大な男だった。
キュウザンと連れ立って、いくつかの浮行船を乗り継ぎ、山道を徒歩で向かった先には小さな山小屋があった。ミカミの教会にある田園風景とはまた違った自然の営みがあった。
「すまない、本当はアジトが別にあるのだが、追跡を避けるのにしばらくここに留まり、護身術くらいは覚えてもらうことになっている」
山小屋といっても快適に暮らすには不自由のなさそうな部屋だった。虫は多かったが、この辺りは島や帝都に比べると比較的暖かく、雪も降らない地域のようだった。
「わかったわ! キュウザン。素敵な場所ね」
「それはよかった。この山は色々なことを教えてくれる。明日から教えることも多いから今日はわしの山仕込みの手料理でも食べてゆっくり休むといい」
キュウザンは山での過ごし方や、料理の仕方、メインである護身術の使い方を一つ一つ丁寧に教えていった。おおらかな山のような性格に、アルフリーナは安心を覚え、着々と力をつけていった。料理はあまり得意ではなかったが、狩や解体など自給的な生活も悪くはない。最初は抵抗すらあったものの、すぐに自然に溶け込み深く傷ついた心を少しずつ癒していった。
「なんだか、最近笑うようになったのう」
「え?」
ニコニコと肉を頬張るアルフリーナの姿を見て、キュウザンは安心したように言った。その言葉に、いつの間にか心から笑うことを忘れていた自分に気がついたのだ。
「そうかしら。ここでの生活は忙しくて、クヨクヨしている暇がないことに気づいたの。これを食べたらすぐに薪を作らないと、お風呂にも入れないでしょう」
「苦しいときは休むことも大事だが、忙しくしてみるのも手だな。そうやって時間が過ぎていくことで和らぐ苦しみもあるのだよ。わしの老婆心だがね」
何も聞かず、触れずに見守ってくれるキュウザンに、心救われてきたアルフリーナは、いつしか見えないところで支えてきてくれた沈黙の星のメンバーに感謝の気持ちを伝えたいとさえ思うようになっていた。
「キュウザン、私できること少ないけど何か目標を見つけるわ」
「がんばり過ぎないのもポイントだぞ。アルお嬢さんは、完璧を目指し過ぎている。もちろん命懸けの場ではそうでなければならないが、普段はもっと気を抜いて、ゆっくりしなされ。ここでの生活は気を抜くことと、気を高める練習なのだよ」
キュウザンの言葉が少しだけ、アルフリーナの心を軽くした。
「ほれ! 外に出て昼寝でもしてみなさい。それにもうすぐアジトに移る支度もせねばならん。ここにはもう戻れないから今のうち、今のうち」
そう諭したキュウザンは、籠いっぱいに入った芋を持って外へ出ていった。
この日二人は、のんびりと外で甘い焼き芋を頬張った。
キュウザンは、アジトにアルフリーナを送り届けると、そのままレバルトへ戻って行った。名残惜しそうに見送ったアルフリーナは思い切り深呼吸をした。
決して日の目を浴びれるような場所ではない下層階位の人々の住むエリア。
アジトと呼ぶには抵抗のある家屋は一見、平屋造りの古びた住宅ではあったが、中はそこそこリフォームされており、地下室もあった。
普段は誰もいないと聞いていたが、そっと部屋の奥へ進むとリビングから人の気配がした。
「誰だ」
低く透き通るようなその声に、アルフリーナは思わず持っていた荷物を床に落とした。
「アル……」
そう呼びかけた男は駆け寄り、力強い腕にすぐに自分が覆われるのがわかった。
抱きしめられた感覚が身体中を駆け巡り、音を鳴らし始めた心臓に合わせ、頭の先からつま先まで勢いよく血液が巡っていくのがわかる。
その名を呼べば、夢から覚めてしまうのではないかと恐る恐る唇を動かすと、すぐに温もりで塞がれた。
暖かな感触、重なった優しい視線。それはアルフリーナに現実を知らせる。
夢ではないと確かめたくて、伸ばした指先で触れた頬は濡れていた。
それを知るだけでアルフリーナの心は満たされた。
「無事でよかった……」
安堵の表情を浮かべたミカミは、アルフリーナの頬を慈しむようにそっと撫でた。
「キュウザンが送ってくれたわ、指示があるまでここにいるように言われたの」
「そうか、無事に回収したとだけしか聞かされていなかったから、ずっと心配してた」
もう、あの場所へ戻らなくていいのだと、ミカミの表情を見てアルフリーナはやっと実感が湧いてきた。今までのことがどっと心に押し寄せ、たくさんの感情を流していった。
「ミカミ……、わたし……」
その感情を一つ一つ受け止めるように、ミカミは立っていることがやっとのアルフリーナを支え、安心させるように言った。
「僕は君の明日も、明後日も、十年……いや、百年先も怯えて生きることのない世界にしたい。そして本当の神を取り戻すよ」
抱きしめられた腕の強さは、アルフリーナの心に安寧を与えた。
そして、ずっと心にあった不安を吐きだした。
「私ね、いつの間にか自分だけは周りと違うのだと心のどこかで思っていたみたい。メビウスの娘たちなんて、いつもどうでもいいと思ってた。同じ境遇で何の優劣もなく、ただ不幸な運命だけが同じ。心を通わすことも、親切にすることも、馴れ合うこともバカバカしくて。でもあなたにここから出してあげると言われてから、私はあのカゴの中で特別になったの」
ミカミはただ静かにアルフリーナの話を聞いていた。
「関心のなかった人たちのことが急に目に映るようになった。バカな私は浮かれていたんだと思う。なにも……、いままで通りに振る舞って静かに去ればよかったものを、未来が見えた私は彼女たちの声に耳を傾け、同情した。見捨てていくのだとわかっていたのに……」
自分だけでは抱えきれない感情に押しつぶされそうになっていたアルフリーナは、顔を伏せながら咽び泣いた。ミカミは何も言わず、優しく抱きしめ続けた。
二人は明かりも灯さぬまま、しばらく時間を過ごした。
陽も入らぬ場所にあるアジトは、日中でも照明が必要なほど薄暗かった。どこかカビ臭い室内は暗雲垂れ込める状況を助長するようにミカミを憂鬱にさせた。
どこか落ち着きのないミカミに対してアルフリーナは彼が何かを話そうと迷っているのがわかった。それは恐らく明るい話ではないことは確かで、このまま他愛もない話題を振ってしまえば聞くことはないこともわかっていた。
「ミカミ……、何か話があるんでしょう?」
ぎくりとした顔でこちらを見たミカミは、小さく頷き覚悟を決めたようだった。
ミカミはエアビューを開くと、自らの身分証を見せた。
上から順に追っていくと、見覚えのない肩書きが目に入る。
途端にアルフリーナの表情がこわばった。
「聖機卿……」
驚くアルフリーナにミカミは自分に言い聞かせるように言った。
「これなら、司教と違って中枢に入り込むことも、直接ミルザムの指示を受けることもできる。教会は別の司教に任せることになるけど、今の状況を変えるためにはこれしかないんだ」
ミカミの藍色の髪と瞳はカプリヴェリアの民である証でもあった。カプリヴェリアで司教をする両親を持ち、幼い頃から星神を尊び、祈りを捧げて生きてきた。
神罰戦争が始まり帝国の支配が進むにつれ、かつては最先端の科学技術を誇っていた神の国は瞬く間に衰退していった。そこに集まる民たちもまた、星神と共に帝国に蹂躙されていったのだ。
幼くして両親を亡くしたミカミは孤児となり、教会に引き取られたが、帝国によって挿げ替えられた神と教義を強要されて生きてきた。やがて彼は両親と神を奪った帝国を憎むようになり、帝国へ反旗を翻したのだった。
そんな彼が、星神を星辱者にまで落としめた帝国へ忠誠を誓い、偽りの神に祈りを捧げることがどんなに屈辱的で冒涜的なことかは、アルフリーナには十分わかっていた。
誰よりも信仰深く、教会へ訪れる人々の悩みを聞き入れ、たくさんの人々を導いてきたミカミが、教会を手放し聖宰官であるミルザムの配下で彼の手足となることは、彼の望む結果ではないのだ。
「星神の教えで人々を救っていこうとしていたのでしょう、あいつの配下になればひどいこともするのよ?」
アルフリーナはどうしても、もう一度彼の気持ちを聞いておきたかった。
「後悔はないよ、あのままでは情報収集にも限界がある。帝国を揺さぶれば星神を取り戻すこともできるんだ、それが今なのだよ」
真っ直ぐにアルフリーナを見つめ返した瞳は、先ほどまでの不安や迷いは断ち切られ、力がこもっている。そして、ミカミはさらに続けた。
「君のように苦しむ子供たちを救いたい。そして、君の未来も。そのためなら偽りの神に降ることも苦ではない。むしろ本当の神であれば正しいことだと言ってくれるはずだ」
「私は、神とか教義とか全然わからないけど、あなたがそう言うのなら信じたくなったよ。だって、ほら。私今ここにいるし」
ミカミは微笑むと、アルフリーナをそっと抱き寄せた。
「でもお願い、命に関わるような危ないことだけはしないで……」
「……」
どこか悲しそうに微笑んだ彼の顔が、アルフリーナの記憶から離れなかった。
ミカミの聖機卿就任と共に、ミルザムはますます帝国内での権勢を振るうようになった。それに伴い、メビウスの動きはより不透明なものとなり、星辱者の式典も軍を巻き込む形で大規模なものに変貌していった。
♢♢♢♢
「ミメアの話では、違法薬物を売買するようになったのは、ここ数年のようです。ミルザムは別邸と呼ばれる枢密府公認の館を持っています。取引はそこで行われているのではないかと。少なくともメビウスのクローン達の間で薬を売買する話は出たことがないんです」
ヘリヌールは記憶を辿りながら慎重に思い当たることを話した。
「枢密府公認の館って……、ドムス・プラエダのことよね……」
「はい、何度か連れて行かれたので。あそこであれば教会の管理から切り離されています。教会関係者以外の軍の関係者や、役人なども出入りしているので売り先には困らないかと」
アルフリーナの見立てでは、メビウスは教会直轄のプラントであるために、違法薬物を取り扱うには、その聖域性を傷つけることになり、教会全体の信用を失う恐れがあった。だからこそミルザムは、メビウスを利用した販売経路とは別に、直接的な取引の場として、通称プラエダと呼ばれる館を利用したのだろう。
トゥレイス当主を窓口として薬物を流通させ、その対価を慈善団体への寄付という形で支払わせる。そして教会のつながりを利用して、その寄付金を回収する。それが彼の築いた利権の構造なのではないかと結論づけた。
「メビウスはあくまでも情報収集のための機関なのよ。教会には色々な悩みを抱えた信者が訪れるから。万が一教会が薬物を扱っているなどと噂が立てば、誰も本音を話さなくなるわ」
ヘリヌールは相槌を打ちながら納得した表情でアルフリーナを見て言った。
「教会の繋がりとメビウスを使って情報を集め、ミルザムは訪問者の弱みにつけ入りプラエダでコントロールするわけですね」
「ええ」
見合った二人はお互いの決意が静かに重なり合うのを感じた。
そこに言葉は必要なく、目的に向かって走り続けるという決意の現れでもあった。
「これから、ですね」
そう言ってミメアの形見となったブレスレットをヘリヌールは強く握りしめた。




