Log2-22//万能な力(1)
クローニング局ではクリプタが局長へ就任し、以前よりも沈黙の星での情報収集が可能になったのと引き換えに、クリプタに会うことが難しくなっていた。連絡が一方通行になってしまったために、次の指示まで時間がかかるようになったのだ。式典への生贄選出に一刻の猶予も許さなくなったミカミは、メビウスの見学と称して、クリプタに会いに来ていた。
「ここが執務室か。随分と立派になったものだな。監視はやはりあるのか」
「この部屋は問題ない、信用されてる。お前も聖宰官に意見ばかりしていないで、彼の直属になるくらいになったらどうだ」
倫理を逸脱したミルザムのやり方に、諜報のためといってもそう割り切って同調することはどうしてもできなかった。しかし、いつまでも立ち止まってはいられず、どこかで事を進めなければ帝国の繁栄は続き、支配から逃れられなくなるのだ。その葛藤の中で苦しんでいたミカミは、目標に向かって着々と計画を実行していくクリプタが恐ろしいとも感じていた。
そんなミカミの苦悩も知らずか、知らないふりをしているのか、クリプタは淡々と計画を伝える。
「なんとかあと数年以内には枢密府の中枢に、協力者を得たいんだ。近衛団が望ましいが忠誠心も高く、選抜試験はブラックボックスだ。簡単には人を送り込めない」
ため息をつきながらクリプタは片手で額を支えた。具体的な手立てまではまだ出せずにいるようだった。
「メブド団長が実質皇帝の腹心と言われているからね。どんな人物が所属しているかも公にはされていないし、接触するのも難しそうか……。教会に来ていても情報がないんじゃ認識しようがないからなぁ……」
しばらく共有事項の確認などで二人は部屋に缶詰になったが、ミカミは頃合いを見てクリプタへアルフリーナのことを尋ねた。
「アルのことなんだが、本当にあの作戦で問題は無いのか。都合よく医療棟から廃棄クローンが出るものなのか……」
作戦に不安のあったミカミはもう一度確認を取っておきたかった。
「問題ない」
なんの迷いもなく返すクリプタに、これ以上何も言えなくなったミカミは、粛々と当日の流れを擦り合わせた。
「彼女を抜けさせた後の監視はお前に任せるが、早く実務から離れてもう少し動けるようになった方がいい」
気の迷いを見透かされたような問いに、ミカミは顔を緊張させる。
「わかっている。これは僕自身の問題だから、なんとかするよ」
「頼んだよ」
気の重さにため息をつきながら部屋を出ると、足元に勢いよく何かがぶつかってきた。痛みはなかったものの、床に子供がひっくり返って転がっているのがすぐに目に入る。
慌てて抱き起こすと、少女は屈託の無い笑顔でありがとうと言って、何事もなかったようにクリプタの執務室の方へと走っていった。
「紫紺色の髪と瞳……。まさか、気のせいか」
ミカミは、走り去る子供の後ろ姿を見届けながら、アルフリーナの脱出作戦を成功させねばならない緊張と、彼女のその後のことを案じていた。
クリプタの指摘どおり、今の自分に必要なものは、地方の教会運営を行うことではなく、教会そのものをコントロールできる地位と、そこに至るまでの太いパイプが必要だったのだ。
(僕は彼女のために法衣を纏うと決めた。たとえそれが神の意に背くことであってもだ)
その頃、メビウスのプラントではアルフリーナがハクと共に、ミルザムの要人達を案内していた。
「この少女達が式典の要となるわけですか」
眼鏡をかけた聡明そうな男は興味深そうに、ふたりをまじまじと見ながら隣を歩く男に問いかけた。
「ええ、神のご所望でもあるのです」
ミルザムの部下と思わしき男は、雄弁に式典へ少女達を捧げることへの正当性を解くと、それに同調するかのように聡明そうな男はニヤリと笑みを浮かべた。その顔を見たアルフリーナは背筋が凍りつき、力も萎えるような絶望感に苛まれた。
「選出はどのような基準で決められるのです?」
「……あまり詳しくはお話しできませんが……より神に近いものを送り出せと」
「ほう、それは興味深い。皇帝陛下は賛同しておられるのか」
「はい。近年国内の統制が強まり、その批判を交わす目的もございましょう」
「それは、可哀想に」
後ろを歩く男達の会話を聞いていたハクの顔色がみるみるうちに悪くなっていくのがわかる。真実を知らされなくても、言葉の端々から何か恐ろしいことが起きるというのはわかるのだ。アルフリーナは隣で歩調の緩んだハクの手を取ると、応接室に向かって地を踏み締めるように歩いた。
その途中、正面からは見覚えのある法衣を着た男が歩いてくるのがわかった。顔を逸らしたかったが相手にその気は全くなく、真っ直ぐに自分を見据えてゆっくりとこちらに向かってくる。法衣を着た男にすぐに気づいたミルザムの部下は、驚きを隠せず思わず声をかけた。
「おや、ミカミ司祭をこちらで見掛けるとは。視察……といったところかな」
ミカミよりも立場が上であることはすぐにわかったが、その男は揶揄うような言動で下品な言葉を並べ立てた。
「嗜好品の選定に随分と慎重なようだ。東の館にはミカミ司祭と同じカプリヴェリアの血を引く一族も揃っていますよ」
その言葉に反応したミカミは、その男の胸ぐらを掴んだ。
アルフリーナはすぐに手を離すよう、仲裁に入ったが全くその声は届いていないようだった。
「もう一度その言葉を口にしてみろ、お前の喉を掻き切るだろう」
そう吐き捨てるように言うと、投げるようにミカミは男を突き放した。
「こっ、こんな事をしてミルザム様に報告し、お前を教会から追放することもできるのだぞ!」
通り過ぎていくミカミの目は憎しみに満ちていたが、その背中は助けを必要とする物悲しさも帯びていた。
アルフリーナはこの時初めて、自分のことばかりで彼の抱えている苦しみを何一つ、見ていなかったのだと気がついた。
(彼はいつも私を守ろとうしてくれていたけど、私は彼のことを何一つ気づいてあげられていなかった。自分の境遇ばかり悲観して、救おうと動いている人たちのことを疑ってばかりで……)
すぐにでも彼の背中を追いかけてしまいたかった。
けれど今はそれが叶わないのだと。
平然を装い、ハクの恐怖を落ち着かせることしか出来なかった。
水面下で作戦が進む中、アルフリーナの脱出作戦は、すぐに実行に移されることになった。
なぜなら、式典の詳細が噂で流れ始めると、それを絵合わせするかのように、やってくる男達の会話を聞いてはピースが繋がり、その絵が完成を迎える頃になると、恐怖に支配された少女達はまともな精神状態ではいられなくなったのだ。
地獄絵図の完成に合わせるように、ハクは応接室で男の胸を割れたグラスで突き刺した。
半狂乱ともいえる悲鳴を聞いたアルフリーナが駆けつけると、真っ白なシーツは鮮血で染まり、ベッドの上には血まみれのあの聡明な男が、すでに息絶えていたのだ。部屋には鉄錆のような生々しい匂いまでもが漂う。
アルフリーナには関係のない出来事だったが、取り乱し、暴れるハクを抱き抱えたアルフリーナも血に染まる。
駆けつけた管理者たちは当然のようにアルフリーナを共犯と見做し、拘束したのだ。
「何があった」
クローニング局内にある拘禁室を訪れたのはクリプタだった。局長であればここへも調査という名目で簡単に行き来ができるのだろうとぼんやりと考えた。冷たい床の上で小さく丸まり、アルフリーナは力なく答えた。
「私は何もしていない、現場に駆け付けただけ。何度もそう言ったけど、クローンの私の言うことなど誰も信用しないわ」
「あの頃の威勢はどうした」
この状況をみてそう言ったクリプタに、怒りも沸いたが、すぐに意味のないことだと、言い返すこともばからしくなった。なにも言わないアルフリーナを特に気にする様子もなく、クリプタは小さな声で言った。
「明日の午前二時、ここのセキュリティを緩める。部屋を出たら着替えて地下の浮行船へ乗り込め。その先に人を手配している」
「⁉︎」
驚いて顔を見返すと、本当のようだった。要件を伝えにきただけで、すぐにクリプタは戻って行ってしまった。
翌日、アルフリーナは硬いベッドの上でその時を待っていた。ここを出るための精神力は、もはやミカミに会うことだけが原動力で、ほかには何も考えられなくなっていた。
この日はベッドのシーツと新しい着替えの交換日で、一式の入った袋が戸口から投げ込まれた。アルフリーナはその袋の中身が逃げ出すための着替えなのだと、即座に理解すると、袋を抱き抱えるようにして横になった。
閉鎖された空間で静かに目を瞑っていると自分が今どこにいて、何を考えているのかさえもわからなくなってしまうようだった。あのときに見た男の見開いた目が
頭から離れなかった。
うとうとと、時間も曖昧な中、重い瞼をこじ開けるようにしていると扉の方から、カチッという小さな音が響く。すぐにロックの解除された音だと気がつくと、アルフリーナはそっと扉の前に立った。
閉ざされたはずの自動扉はゆっくりと開き、覗き込んだ廊下には警備クローンが慌ただしく走って行くのが見えた。
差し入れられた衣類は先ほどの警備クローンと同じもので、アルフリーナは急いで袖を通すと、息を殺すように一直線に並ぶ拘禁室の前をそろりと歩いた。
クリプタの作戦の内なのだろうか。あたりを巡回する警備兵は見当たらない。
出入り口に近づくにつれ、アルフリーナは怪しまれないよう、背筋を伸ばし堂々と歩いた。やがてフロアの出口が見えた時だった。カタンと、拘禁室の物資用戸口が開く音がした。身体中に走る緊張を飲み込むようにゆっくりと戸口の方を見る。
「アルフリーナ?」
そこから呼び止めたのは、一緒に拘束されたハクだった。
「ハク! そこにいたのね」
小さな戸口から覗かせた顔はやつれ、食事もきちんと取れていないようだった。
「やっぱりあなたは、生かされるのね」
ハクのぽつりとつぶやいた言葉で抑えていた鼓動が突き出すように鳴り出した。そしてハクは続ける。
「何も言わなくてもわかるの。いつの日からあなたの行動が自分は違うのだと言っていたから」
「どういうこと……」
「自分はここから助かることができるから、あたしに手を差し伸べたのでしょう?」
その言葉にハッとした自分がいたことに気がつくと、この場にいることが恐ろしくなった。逃げてはダメだと言い聞かせながら、アルフリーナは絞り出すように言った。
「そんなんじゃない。私はハクを励ましたくて……」
核心を隠せずに、場当たり的についた嘘はいかにも軽薄で脆く、相手を更に傷つける。けれどそうだと認めてしまうのは、自ら築き上げた虚像を壊してしまうようで出来なかった。ハクは全てを理解し、諦めたように言った。
「いいのもう。あたしはここから出られないし、あとは死ぬだけ。安全なところから引っ張れもしない縄を垂らすあなたにちょっと意地悪言っただけ。せいぜい外の世界で苦しんで生きてよ」
そう言ってハクは、戸口を閉めてしまった。アルフリーナは何も出来ない現実に叫びたくなった。彼女の言葉で心をかき乱されたアルフリーナだったが、最後に悪態をついたハクを責める気にはなれず、かと言って心から助けたいという気持ちにもならなかった。
沈みかけた船にしがみつく者の手を、振り払うのは仕方がないのだと言い聞かせながら。二度と忘れることのできない後味の悪い去り際に、苦しみながら出口を潜り抜けた。
足音の消えた拘禁室で一人ベッドにうずくまったハクは、一筋の涙を流すと、小さくつぶやいた。
「ごめんね、ありがとう。これでいいよね、あたしは主人公にはなれないのだから」




