Log2-20//馥郁の聖域(2)
「君、落とし物だよ」
深い藍色の髪を短くまとめた青年に呼び止められ、アルフリーナは階段を降りる足を止めた。
「ありがとうございます」
手のひらに、神事で身につけていた耳飾りがちょこんと載せられた。星を模した四芒星の赤い石がいくつもぶら下がった華やかな耳飾りだった。
よくよく見ると、留め具がすっかりと折れて、もう身につけることはできなさそうだ。
「げっ、どうしよう……。これから使うのに……」
今日は地方の教会から神事で呼ばれ、祭壇のある部屋へ移動する最中だったのだ。重苦しい髪飾りに、透き通った羽織、国章の刺繍が施されたドレスが体の自由を奪い、走って控え室に戻ることが難しそうだった。
苦虫を噛み潰したように顰める顔を目の前にして、藍色髪の青年は申し訳なさそうに言い添えた。
「すみません、もしかしたら僕が踏んでしまったかもしれない」
「え!」
少し嫌な顔を浮かべたアルフリーナだったが、諦めて踵を返すと、再び藍色髪の青年に呼び止められた。
「すぐに直すから、少し待っていて」
適当なことを言っているようには見えなかったので、そのまま男を待つことにした。すぐに道具を持ってきて、テキパキと金具を別のものに付け替えると、あっという間に耳飾りとして身につけられるようになった。
「よかった、応急処置的なものだから、また壊れてしまうかもしれない。あとで新しいものを届けるよ」
そう言って、藍色髪の男はどこかへ消えていった。
(お礼、言えなかったな)
アルフリーナはほっとして、すぐに階段を駆け降りて祭壇へ向かった。
なんとか無事に耳飾りも壊れることなく、神事を終えると、司教に連れられてアルフリーナは教会の地下深くまで降りてきていた。
階位の高い権力者が神の力を得ようと、集まる場所。
神事を行うための大理石の敷き詰められた荘重な雰囲気とは異なり、暗くよく目を凝らさなければ相手の顔もわからぬような闇に包まれた部屋。
窓はなく、ソファと机に天蓋の降りたベッドがあるだけの。
司教は、すでに中にいる人物を把握している様子で、アルフリーナへこう伝えた。
「神へ報告できるよう、彼の苦悩を聞いてあげなさい」
「わかりました、そのように勤めます」
部屋をノックすると、男の声で入室を許可された。ゆっくりと探るように暗闇へ足を踏み入れる。
いつものように髪を解き、羽織を脱ぎ去ると天蓋をそっと潜った。
「あなた様の心のうちをお話しください、アストラの神へ届けましょう」
セリフのように吐き出した言葉に吐き気を覚えながら、ベッドに足をかけた。
「やはり、教会はこのようなことをさせていたのだね」
ふと、その声に聞き覚えがあることを思い出した。ベッドはがらんと空いており、声は後ろから聞こえる。驚いて振り向くと、ふわりと肩に重なるものを感じた。
「これをかけておきなさい、今君の着ていたものを持ってくるから」
声の主は床に脱ぎ捨てた衣装を集めて渡し、ソファに腰掛けた。
「さっきの……直してくれた人だよね」
上掛けを羽織ると、聞き覚えのある低く透き通った声に向かってアルフリーナは尋ねた。声の主は部屋のあかりを灯し、こちらに向かってにこやかに微笑んだ。やはり先ほどの藍色髪の男が座っていたのだ。
「僕はミカミ、ミカミ・シュケイア。別の教会の司教をしている」
法衣を纏っていないので司教であることを疑ったが、別の教会ということが何かただならぬ事情を孕んでいるような気がして、関わり合いになりたくないと直感的にアルフリーナは感じていた。
「何かのパフォーマンス? それとも教会の抜き打ち検査かしら」
警戒したように距離を取りながら、男の目的を尋ねた。けれど、ミカミは隠す様子もなく静かに答えた。
「僕はメビウスプラントの実態調査をしている。教会の労働力だけであったはずのクローンがヴェイルを付けず、娼館まがいのことをやっているなどと、誰が信じただろうか。なぜこんなことを?」
ミカミの話は嘘を言っているようには聞こえなかった。実態調査という言葉がアルフリーナの興味を引いた。
「ヴェイルをなくしたのはあなたたち教会でしょう。それに娼館ではなく、異端者やおかしな思想を持った者が教会に居ないかを調べてるの。それをプラントの責任者に報告してる。悩みを打ち明けに来る権力者から情報を引き出すこともあるわ」
その言葉に顔色をさらに変えたミカミは、あっさりと事実を話すアルフリーナを驚くように見上げて言った。
「嘘を言っているようには聞こえない。君はそんなことを話して大丈夫なのか」
アルフリーナは鼻で笑うと、こう言い返した。
「だって、あなたが聞いたんじゃない。あなただって私の方の記録に残るのよ。それを知っていて聞くのだから、何か術を持っているんでしょう?」
ミカミは参ったと言わんばかりに、苦笑いを浮かべると、ヴォイドリンクの情報書き換えができるのだとあっさりと認めたのだ。
「やはり君に聞いて正解だったようだね。君の安全は保証する。僕に協力してくれないか」
素性の知れない男の言っていることを信用するにはあまりにも情報が不足していたが、アルフリーナは、なぜか男が嘘を言っているようには思えなかった。
関わってはダメだと本能で引き止められたはずなのに、すでに言葉を返してしまっていた。
「あなたに協力する私のメリットは何?」
「……君をここから、解放できる」
――逃げられる?
ここから逃げることをあんなにも否定していたのに。
何の因果か、まるでその運命に引き寄せられるように、アルフリーナはミカミの手を取っていた。
当時、ミカミはすでに沈黙の星の構成員だった。司祭の肩書を持ちながら、帝国の示す教義に異論を唱え、かつての星神の聖地であったカプリヴェリアを手中に収めた帝国を憎んでいた。クリプタと共に反帝国を掲げ、クローンの解放と帝国の支配から国々を救おうと活動をしていたのだ。
その過程で、教会の仕事を担っていたはずのクローンがいつの間にか少女達に変えられ、ただの司教であったミルザムが聖宰官に選出されてからというもの、メビウスというプラントに異変が生じるようになった。
視察という名目で権力者達がメビウスを訪れるようになり、各教会に少女達がおぞましい理由で送り込まれるようになったのだ。何一つとして、合理的な理由を見出せなかったミカミは、メビウスの中で何が行われているのか独自に調査をしていた。
ミカミはもともと敬虔な宗教家であり、自身の運営する教会では祈りを捧げに来る人々に教えを説き、悩み苦しむ人々へ救いの手を差し伸べてきた。そんな彼の純粋な優しさがアルフリーナには時に理解しがたく、深く関わることを躊躇させるのだった。
「今日は軍の関係者。名前はわからないけど、階級は佐官クラス。軍のパレードでメビウスの娘たちを使いたいとミルザムと話してた」
あれから、アルフリーナは教会への派遣要請を利用して、ミカミへ情報提供をするようになっていた。プラントに直接、ミルザムが訪れることは稀だったが大体その時は何か大きな転換点があるのだ。この時も、軍の関係者と共に見学に訪れており、こっそりと立ち話を盗み聞いていた。
「ついに軍の関係者まで関わり出したのか……」
「ねぇ、ミカミたちは人間なのでしょう? なんでクローンの解放なんてそんな危険な橋を渡るの? 私には全然理解出来ない。第一そのクリプタという男はプラントの管理官なんでしょう? 私たちの敵じゃない」
ミカミは教会の祭壇に供えられた小さな花々を手に取ると、アルフリーナへ手渡した。受け取った花は真っ白に咲き誇り、柔らかく甘い香りがふわりと漂う。
「花?」
「確かに君のいうとおりだね。僕たちはこのまま何もしなくても十分幸せに生きていける。でも、彼が言ったんだ。時間をかけ大切に育てて咲いた花も、摘み取って枯してしまうのは簡単なことだと。この花達を何のためらいもなく枯らしていくことが僕たちの使命なのかと。彼が管理官を務めることには理由があるんだよ」
ミカミの横顔を窓から差し込む月明かりがぼんやりと照らす。
その横顔は悲しく、多くの罪を背負ったかのようにも見える。
「それがあなた方の正義っていうわけなのね。随分と崇高な考えね」
罪を背負った気でいる彼らがあまりにもご都合主義に思えて、アルフリーナは素直に返事ができなかった。納得していない顔を浮かべたアルフリーナにミカミは同情を示すようにいった。
「こんな世界を造っておいて、あまりにも勝手な言い分に聞こえると思うけど、終わらせたいんだ本当に。こんな世界を」
「……それができたら、きっとミカミは神様ね」
古い造りの教会は先祖代々引き継がれてきたもので、今はミカミが所有していた。都会の近代的な教会に比べると随分と質素で貧相な造りではあったが、アルフリーナにはどこか神秘的で落ち着く場所だった。
祭壇を囲うようにして張られた象牙色の石床の上を清らかな水が流れ、月が顔を出す日には、窓に映り込んだ月がうっすらと水面に浮かぶ。祭壇に飾られた花々が役目を終えて散りだせば水面は優しく受け止め色に染まる。
そうやって自然と人々の祈りと共に、この小さな教会は綾を綴ってきたのだ。
ミカミ自身もそんな教会と共に生き、ずっとこの場所を守ってきた自負もある。
帝国の行いを絶対に許すわけにはいかなかった。
「人は争う生き物だからね、ある種仕方のないことでもあるんだ。だけど神罰戦争を経て神の教義が書き換えられてからは、どんどんおかしな方向に向かっている」
「あー、えっと。アストラ神って存在は本当はないとか、あるとかってやつ?」
「そう。本当は星神がこの世界を創り、守ってきたんだ。帝国はあるときから星神をカプリヴェリアに伝わる教義や神話の中から消し去り、最近では星を巣食う星辱者としている」
アルフリーナは星神や創星神にまつわる話には全く興味はなかったが、最近になってやたらとメビウスに訪れる者たちの会話から星辱者という言葉が聞こえてくるのは気になっていた。
ミカミは聖職者であるために、これらの教義の改ざんや蹂躙が堂々と行われていくことに強い怒りを感じているのだと思っていた。けれど彼の抱く怒りは、それだけではないのだとアルフリーナは感じ始めていた。
「星神を崇拝することに何かまずいことがあるってことなの?」
「僕は……」
何かを言いかけたミカミだったが、すぐに部屋の気配に気がつくと、教会の裏口へ視線を移した。
そこからひょっこりと現れたのは、黄金色の癖っ毛と同じ色の瞳をした長身の男だった。
「やあ、こんな時間にすまない」
「なんだ、おまえか。こんな時間に局を抜け出して大丈夫なのか」
「問題ない。ところで彼女が言っていた協力者か?」
「そうだ。彼女がアルフリーナ。こっちはクローニング局オメガ9の管理官、クリプタ・ヴェリラキアだよ」
ミカミが手短に紹介すると、クリプタは随分と軽い感じで挨拶を交わしてきた。その見た目と若さからとても反抗組織をまとめ上げている男だとはとても思えず、半信半疑の表情で質問をした。
「あなたが……。私、何を信じればいい?」
すると、クリプタは笑い声を上げながら、ごもっともと頷きながら答えた。
「そりゃそうだよね、俺って軽そうだし、とても信用ならない感じだよね。ストレートに言ってくれて助かるよ」
「当たり前でしょう、あなたたちのやろうとしてることは、死罪になるほどのことなのよ。うかうか命を預けて簡単に切り捨てられるんじゃ困るのよ」
アルフリーナは、メビウスにやってくる聖職者の顔をした悪魔達をあまりにも見てきたせいで、年ごろの少女のようにやすやすと人を信じようとはしなかった。
簡単に人を信用できるほど安寧な世界で生きてきたわけではなかったのだ。裏切ることも裏切られることも日常茶飯事で、一体何を頼りに相手を信じることができただろうか。アルフリーナは黄金色の瞳を見透かそうと、探るようにじっと見つめた。
「参ったな、色々と説明もしたいんだけど、実は今日ここに来たのは星を見に来たんだ」
クリプタは頭をかきながら、教会の外に停められたゼルグライドを指差した。
アルフリーナとミカミは連れ立ってゼルグライドへ向かうと、そこには毛布にくるまった小さな女の子が気持ちよさそうにすやすやと眠っている。
「待ってくれ、お前子供がいたのか⁉︎」
「まて、待て。ミカミ。縁談の話は山ほどくるが俺はまだ未婚だ。この子はクローニング局の子だよ。事情があってさ。まだ五歳になっていないから、プラントに入れないんだ。それで俺が養育者をやってる」
声にならない声でミカミは驚いていたが、クリプタは苦笑いを浮かべたまま話を続けた。
「もうさ〜、泣き止まなくて。仕方なく外に連れ出したんだ。ここなら星が見えるだろう?」
「ああ。見えるが連れ出したのがバレたら……大事だぞ⁉︎」
少しトーンアップしたミカミの声を塞ぐように、クリプタは人差し指を口元に立て、眠る子供を起こさぬよう、注意した。女の子はすっぽりと毛布にくるまり、起きる気配はなさそうだった。
「よく眠ってるのね、泣き疲れたのかしら。星なら教会の裏を抜けた墓地がひとけがなくていいわよ」
アルフリーナの言葉に顔を明るくしたクリプタは、嬉しそうに礼を伝えるとそそくさとゼルグライドに乗り込んだ。
「もういくのか」
「今日はこっちが目的だからね。早く戻らないといけないし、また折を見て連絡するよ。アルフリーナへも説明が必要だろう?」
ゼルグライドの窓から小声でクリプタはチラリとアルフリーナを見やると、ニコリと微笑んだ。
「必要ないわ、あなたがどんな人かわかった。局内で協力できることがあったら向こうでまた会いましょう」
そう言って、軽く手を振りクリプタを見送った。
アルフリーナも部屋へ戻ろうと引き返そうとすると、手首を掴まれ歩を阻まれた。
「待って。もう少し話さない?」
珍しくミカミが引き留めたので、アルフリーナは少し驚いた。なんとなく自身も話し足りない気がしたので、そのまま二人は教会のベンチに腰を下ろすことにした。
「まさか子育てしているなんて思わなかったよ。あんな顔初めて見た」
感慨深そうに話すミカミから、二人の関係が長い付き合いなのだというのがよくわかる。ミカミの方がクリプタより年上だったが、どこか純粋でときどき少年のような顔をする彼の方がアルフリーナには幾分か幼く映った。
「信じてくれてありがとう、約束通り君をメビウスから必ず解放するから」
心から微笑んだ彼の表情に、アルフリーナも思わず微笑みを浮かべてしまい、恥ずかしさから持ったままのエルダーフラワーで思わず顔を隠した。
小さな花々からは優しい香りがそっと伝わり、まるでミカミの心のように思えた。




