Log2-20//馥郁(ふくいく)の聖域(1)
その頃、アルフリーナ達は記録の検証を再開していた。ミメアのことを聞かされたばかりでミルザムたちの話をヘリヌールにするのは気が引けたが、立ち止まっている暇も限られていたのだ。
心を鬼にしたアルフリーナは彼女の話をまとめながら、もう一度ヘリヌールへ問うた。
「何度も言うけど、私と動くってことはまた同じようなことをするのよ。それで本当にいいの? 泣いていたら仲間達は救えないし、これは私たちにしかできないことなの」
栗色の瞳からはもう心の揺らぎは感じられず、むしろミメアのことで前を向くしかないとヘリヌールは決心がついたようだった。
「大丈夫です、本当だったら私はここにいないはずなんです。だから与えられたこの時間をメビウスの彼女たちのために使いたいんです」
まっすぐなその眼差しはヘリヌールの覚悟そのものだった。すぐにアルフリーナはエアビューを開くと作業を始めた。
「ミルザムの顧客リストを作るわよ」
「はい!」
ヘリヌールのヴォイドリンクに記録されていた音声データは一年分に満たないものしか残っていなかったが、ミメアの方には数年分の記録が残されていた。
その中からメビウスに関わりのある人物の名前を取り出すのはそれほど難しいことではなかったが、音声だけということもあり、それらを解析し、特定するのには時間がとにかく必要だった。
彼らの密会は、教会のトップを担うミルザムのスケジュールの中で、同行者の居ない時間帯に限られていた。メビウスの者達を不法に引き出す顧客の候補がリストアップされると、目を覆いたくなるような人物ばかりが名を連ねる。
ただ、ミメアの記録から弾き出された名前もほとんどがヘリヌールの記録と重なる人物ばかりで、ミルザムが相手の選定を慎重に行っていたことが浮き彫りになった。
「うーん。帝国の財政を担う宰官側近に、武器調達の権限を持つ管理者。それにクローンを生み出す開発局の研究者かぁ。うまいこと彼らを利用して機密情報を集めながらメビウスを脅しの材料にしてたのね。どこまでも恐ろしい男だわ」
長時間の作業となり、アルフリーナは座り疲れて、とうとう足を机の上に投げ出した。彼女の意外な一面にヘリヌールは目を見張ったが、気がつけば夕食を取り損ねるほどの時間がすでに経過していた。
ちょうどワサトの夕食の催促が聞こえてきたので二人は作業を中断し、食事に向かうことにした。
テーブルにはすでに入学準備で忙しいアマヨリの姿はなく、アルフリーナは冷めてしまったシチューを義務のように体に流し込んだ。
近日中にはクリプタへ報告を入れる予定があったので、すぐにでも作業に戻りたかったのだ。
黙々と食事を取るアルフリーナにヘリヌールは気を遣うように言った。
「この後すぐに残りの分を片付けないとですね」
状況を察したヘリヌールに、パートナーとしての可能性を感じたアルフリーナは、先ほどよりもやる気が出てくるのだった。
ミメアの記録の解析も終盤を迎え、最後の一番古い記録を確認しているときだった。アルフリーナにとって聞き覚えのある声が収められていたのだ。
「ミルザム様、星辱者の生贄ですが一体いつまで続けるのでしょうか。私は反対です。今までどおりカプリヴェリアから贈られる羽衣だけで十分ではないですか。なぜここの者達を……アストラ神はそのようなことは望まれてはおりません。それに……」
声の主はどうやら、星辱者の生贄にメビウスの者達を利用することに反対しているようだった。もともと帝国では創星神であるアストラ神への供物は、星辱者の着用していたと言われる羽衣を燃やしているだけだったのだ。ところが、ミルザムが聖宰官としての地位を確立するとともに少女達を供物として捧げるようになっていた。
その声の主の意見などまるで無視するかのように、ミルザムは憐れむように言った。
「ミカミよ、お前も聖職者であるなら教義を否定するようなことを言ってはならぬ」
「しかし、本来の神は星神であり創星神は神ではなく、理そのものであるはず。なぜミルザム様までそのようなお考えになったのです」
声の主は一歩も引かぬ様子でミルザムに食い下がった。
「正しさというものは、その時力を手にしているものの道理で変わるのだよ。神という存在も同じくだ。教義など人々の都合で時代と共に変えられてゆく、今がその時だということだ」
「そのためなら本来の神をも捨てろとおっしゃるのですね」
ミルザムの深いため息が聞こえると、呆れたような口調でこう言った。
「ミメアよ、頭の硬いこの男を慰めてやりなさい」
「やめろ、私は聖職に就くものだ。ここを訪れる者達のようにはならぬ」
大きな笑い声を上げたミルザムは声の主を笑い飛ばしながら言った。
「本来であればヴェイルを装着し、ただの器として生かされるしかないクローン達をこうしてこの中で自由に生かしているのだ。慈悲を与えているのは我々なのだよ」
「さあ、ミカミ様。わたくしの手をおとりになってください」
アルフリーナは慌てるようにして音声を止めた。思いがけない声の主に、カタカタと指先が震える。
様子の変わったアルフリーナを前にして、ヘリヌールは心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか。顔色が悪いですよ、今日はもう休まれたほうが……」
けれどアルフリーナはかぶりを振り、続けると言ったのでヘリヌールは気になったことを素直に話した。
「あの。このミカミという方、組織のメンバーですよね。アマヨリから便利屋の名前を教えてもらったときに聞いたんです。もう……亡くなっているとも……」
ここにいればどこかで必ず聞いてしまうその名に、アルフリーナは諦めたように、頷くと、ポツリと言った。
「忘れるなんてできないものね」
その一言で全てを察したヘリヌールは、アルフリーナの気持ちを気遣うように言った。
「大切な人なのですね、それなら忘れるなんてできないです。彼は記憶の中でしか生きられないですから」
「そっか、そうだよね私が忘れちゃダメよね……」
心の奥底ではわかってはいた。けれど、彼のことを思い出すたびに心が抉られていくようで、その度に忘れてしまいたいと願わずにはいられなかった。そんな時間さえ作らぬように忙しく動き回り、自分を保っていたのだと今になって気づく。
行き場のない怒りや悲しみは、時間の経過と共に心を蝕みつくし、ぽっかりと空いた場所には、無という時間が存在するだけなのだ。
アルフリーナは彼の死そのものを見ようとしていなかったことに気がついた。
ヘリヌールは見守るように、アルフリーナの言葉を待った。
「ミカミはね、私をメビウスから救い出してくれた人なの」
彼女の口から語られる思い出に、ヘリヌールはそっと耳を傾けた。
――アルフリーナ回想
クローニング局の中でも異質な存在であったメビウスと呼ばれるプラントは当初、神に仕える聖職者たちの労働力として作られたプラントだった。帝国中の教会へ出向き祭壇の飾り付けや供物の管理、訪問者への対応など、プラントの中でも比較的優遇されたクローンだった。神事に携わることからプラントそのものが聖域のように扱われていたのだ。
けれど、いつしかそれは教会の都合により、本来、被るはずのバウンドヴェイルが廃止され、遺伝子の改変により容姿を意図的に整えられた。
教会へ相談に来る権力者たちの道具に代わっていったのだ。そこに目をつけたミルザムは、メビウスのクローン達を情報収集のための手札として利用することを思いつき、教育を施した。
「ねえ、リエラが逃げ出そうとして死んだみたいだよ」
隣の畳まれたままの上掛けを眺めながら、ハクという少女が小声で言った。アルフリーナは、またかというように、軽い返事をすると、ベッドに潜り込んだ。
ヴェイルのない少女達はプラントの外からくる人間達に様々なことを聞き、各地の教会に赴くことから外の世界を知っていた。
隙を見て逃げ出そうとする者も多かったのだ。
もちろん、常に監視されているため、逃げたり情報を口外したりするようなことがあれば厳しい処罰が科され、場合によっては命を奪われた。
アルフリーナには、わざわざ問題を起こすことがバカらしく思えて、とても彼女達に同情する気にはなれなかった。
(ここで言われたとおりにしていれば、ヴェイルもないし、人間と同じように生活ができるのに……、わざわざ死ににいくなんて考えられない)
思ったような返事が聞けなかったハクは、リエラが逃げ出した理由を付け加えるように言った。
「どうやら、教会の司祭と駆け落ちしようとしたみたい。そんなのすぐにバレてしまうのに。気の毒よね」
「……本当にバカね」
物のように扱われる彼女達だったが、美しい容姿に惹かれ、稀に自分のものにしたいとクローンを連れ出してしまう人間がいるのだ。しかし、管理されているクローンを持ち出すことなど当然できるわけもなく、処罰されるのは決まってクローンである彼女達。
ヴェイルを付けていないために、相手に特別な感情を抱かぬようよく訓練されていたが、稀に感情の振り幅を乱された者が同じ過ちを犯し、処分されてしまうこともあった。
「でも、そんなふうに誰かを想って死ねるって少し羨ましいかも。あたしなんて人間に絶望しすぎて何の感情も湧かないよ。アルだってそう思わない?」
「そうね……。そんなこと考えるのもくだらないわ」
ただ、生きるためだけの世界。
籠の中で生殺与奪を握る人間達に翻弄されながら一日を生き抜く蝶達。
空を飛べる日など来ないのに、備わった羽は一体何のためにあるのだろうと考える日々。籠を覗き込む眼はいつも残酷で、卑怯で、無情だ。
そんなものと心を通わせることなど絶対にないと思っていた。
彼と出会うまでは。




