Log2-17//暴君
季節は寒さのピークに達し、人々は少ない日照時間を惜しみながら、屋外での活動に勤しんでいた。
ミルザムからの招待状に記された日付も刻々と迫っており、アマヨリはエレノアと演奏会の準備を始めていた。
「お父様、ミルザム様には私の従姉妹として、アマヨリさんを招待していただくことはもう聞いていただけたのですか?」
エレノアは演奏会への参加にあたり、当主に条件を出していた。
やはり父親と一緒とはいえ、幼少期に会っただけの顔も思い出せない相手と会うのは難しく、アマヨリが一緒であれば参加することになっていた。
エレノア自身、もともと人見知りでもあり、しばらく部屋に籠りきりだったせいか、人に会うことに抵抗がある。アマヨリはそんなエレノアを励ましながら、少しずつ準備を進めた。
エレノアの同行の提案は、アマヨリたちにも好都合だった。無理な潜入をしなくても、堂々と招待客として相手の懐に入ることができる。ワサトたちも乗り気になった。
「特に問題ないそうだよ、この前お会いした娘さんたちがいるから、親睦を深めなさい」
当主は当たり前のようにエレノアに交流することを勧めたが、エレノアもこういった付き合いには幼いときから慣れていた。強制されているわけではないが、断ることは難しい。暗黙の了解のように、当主の都合に合わせる。
「わかっています。年も近いようなのでアマヨリさんも一緒に懇意になれるよう努めます」
物分かりの良い娘に内心感謝しながら、当主は二人に訪問着を揃えるよう伝える
エレノアは、何かを飲み込んだような表情で、小さく頷いた。
「エレノアさん、私楽器は弾けないのだけど大丈夫かな……。それに洋服なんて選んだことないから心配だな」
パーティーの時は仮面で顔を覆っていたし、ドレスはセネリスが選んだし、何かボロを出してしまわないかアマヨリはソワソワとしていた。
それを見たエレノアは、クスッと笑うと、アマヨリを自分の椅子の隣に座らせた。
「すごい、座ってみると鍵盤の多さを感じる…… 」
エレノアはアマヨリの手を取り、自分の手のひらを重ね、鍵盤に指先を押し当てながらゆっくりと音を響かせた。命が宿ったように震えた鍵盤の重みが指先へ伝わると、次の音を求めて次々に重なった指先が動いた。その音はどこか優しく、弾く人の心を垣間見ているような音色だった。
「私が左側を弾くから、アマヨリさんは右側でずっとこのリズムで弾いていて」
「うん、やってみる」
初めての経験にワクワクとしたアマヨリは、エレノアの言うとおりに音を鳴らしてみる。
「アマヨリさんその調子です!」
「すごい、これしか弾いてないのにメロディーになってる!」
二人はごく自然に笑い合う。
「エレノアさん、なんだか私が勝手にパーティーで約束してしまって、巻き込んじゃいましたね」
「いえ、アマヨリさんが約束しなくても父がしていましたから、気にしないでください」
ピアノの手を止めるとエレノアは少し浮かない顔をしていた。
「父は……、私のことなど政治の道具にしか思ってないのです。仕方ないですね。この世界では階位ある方々が全てですから。父の立場もわかるんです」
そう言ってエレノアはまたしばらくピアノを弾き始めた。その音はどこか先ほどより、悲しみを帯びた音色のように思えた。
アマヨリにはエレノアの気持ちを理解することができなかったが、階位制度に縛られる社会の中で苦しむ人々を見てきて、やるせなさを覚えたのだった
ミルザムの屋敷は、帝都の中でも有数の管理区画と呼ばれる、一般人の立ち入りが禁止された区域にある。許可がなければゲートさえ通過できない場所だ。
当主は通行証の表示を見せると、ゼルグライドから降りるよう促され、荷物検査を受けた。
こういった場では、アマヨリはいつも緊張した。
ワサトたちから大丈夫だと言われていても、偽装を尽くした自分にどこか不備があるのではないかと考えてしまう。
無事に通行が許可され、緊張が和らいだアマヨリは、ゲートの先に足を踏み入れる。
そこには、今まで見てきた街並みとは比べ物にならない立派な建物が並び、雪の降る季節だというのに街に雪は見当たらない。極夜など忘れ去られたかのように、人工太陽が煌々と街を照らしている。
季節を知らぬ花々が街路に植えられ、まるで全てが紛い物のような街並みに、アマヨリは違和感を抱いた。その違和感が、自分自身へと跳ね返ってくるような気がした。
屋敷で出迎えてくれたのは、パーティで出会ったミメアという女性だった。どこか落ち着き払った雰囲気が印象的で、体の曲線に沿ったドレスは、目を逸らしてしまうほど妖艶だった。パーティー会場でも一際目立っていた女性だった。
「お待ちしておりました、中へどうぞ」
笑顔ではあったがどこか芯のない表情は、あの時と同じだった。
白磁を思わせる純白の髪は珍しく、対照的な黒い瞳は、相手の心の内を見透かすかのようだった。
招かれた部屋にはアンティーク調の彫刻が施されたグランドピアノにバイオリン、ビオラにチェロまで揃えられている。本格的な楽器が用意されていることにエレノアは少し緊張した面持ちで、アマヨリの方を見た。
「大丈夫だよ、エレノアなら!」
この日のために新調した萌葱色のシンプルなドレスを着たエレノアは覚悟を決めたようにアマヨリの手を握った。
少し遅れて部屋に入ってきたのは、ミルザムとヘリヌールたちだった。
仮面を外した姿はやはりヘリヌールで間違いない。そばかすの浮かぶ顔に、下ろした自慢の栗色の髪は腰まで伸びて、施設にいた頃よりも大人びた女性になっていた。
ミルザムはふくよかな体で息を切らしながら当主へ挨拶をすると、隣で佇むアマヨリに視線を向けた。
「今日は楽しまれていってください。エレノアの従姉妹も一緒だと聞いていたが……可憐なお嬢さんだ」
アマヨリに関心を示したミルザムは、すぐにアマヨリの顔をまじまじと見た。薄紫色の穏やかなドレスを控えめに着こなし、社交界での派手な装いとは反対にしていた。
「どこかでお会いしましたかね?」
念のためワサトたちの指示で髪を黄金色に染め、瞳は流行りの色付きレンズを装着していたが、用心深いミルザムは、どこかで顔を合わせているのではと思い出そうとしていた。
「親類ですが少し複雑な生い立ちでして。うちで預かっているのですが、来月からエレノアと同じ学園に通うことになりました。娘が増えて賑やかになりましたよ」
訝しむミルザムの思考を断ち切るように当主は話しかけると、ミルザムは納得したように、それ以上追求することはなかった。
「そうか、色々と苦労をしているのか。エレノアも一人で寂しかろう。いい話相手になってよかったではないか」
そう言ってミルザムは、当主へ耳打ちするようにそっと一言付け加えた。
「娘を増やしたければ、こちらで用立ててもお前なら問題ないぞ」
思わず苦笑いを浮かべた当主は遠慮がちに手を振ると、エレノアの顔をチラリと見た。当のエレノアは既に演奏のイメージを整理しているようで上の空だった。
クローン特有のアマヨリの鋭い五感が、低く交わされたミルザムの会話を拾う。アルフリーナから聞いているミルザムの実態に迫るような発言だけに、アマヨリは全身の毛が逆立つのを感じた。
(はやくヘリ姉に接触して色々確認しないと!)
しかしヘリヌールが一人になる機会を終始窺っていたが、なかなか部屋を出る様子がない。
演奏会はピアノの得意なエレノアが難なく奏者との息を合わせ、あまりにも楽しそうにピアノを弾くもので、屋敷内で働く者たちも部屋に集められ、拍手喝采となった。ミルザムは久々の演奏に、満足げにチェロの響きを高揚させている。
ヘリヌールは当初、フルートを演奏していたがあまり得意でないのか、納得のいかない表情で講師を務めている男に演奏を代わってしまった。アマヨリはそれをチャンスと捉え、ヘリヌールの方へ視線を送り続けた。
手元のティーカップには、くっきりと紅の跡が付き、アマヨリはそれを実行の時だと考えた。
「すみません、化粧を直したいので少し席を外してもいいですか」
少し大きな声でそう当主へ伝えると、すぐに伝わったのか案内役のクローンに導かれてアマヨリは部屋を出た。それに合わせるように、ヘリヌールも口元を抑えながら、席を外した。
「私がこちらの方をご案内しますので、戻ってください」
ごく自然に二人は化粧室へ向かい、アマヨリはカバンに忍ばせておいたメモを取り出しそれをヘリヌールの前に差し出す。
周りに人気のないことを確認している。
「屋敷内は……、今は大丈夫。話せるわ」
ヘリヌールはそう言って、蛇口を捻り、ヴォイドリンクを外す。
堪えていたものをたまらず吐き出すようにアマヨリに駆け寄り、抱きしめた。
「まさか……、まさか会えるなんて……。神様はいたのね」
「ヘリ姉!」
涙を流すまいと、こらえたヘリヌールは現実を確かめるように、アマヨリの頬に手を当てる。
アマヨリは、震える手をそっと重ね、あの時のような笑顔を見せた。
「トゥレイス家の養子になったの? ヴェイルは向こうで付けられなかったのね……」
「うん。色々手引きしてくれる人たちがいて、今は事情があってエレノア様の家でお世話になってる」
よかったと心から安堵するヘリヌールに、ただならぬ事情があることはすぐにわかった。ここまでの経緯をワサトたちの存在を隠しながら、ざっくりと話したアマヨリは、ヘリヌールへここに連れてこられた理由を尋ねた。
「なぜ、私だったのかはわからないけれど儀式の後、私はメビウスというプラントに連れて行かれたわ。そこでは神に捧げる星辱者と呼ばれる者として、様々な訓練を受けたの。ミルザムは、そのプラントの管理者なのだと思う。定期的に視察に来ていたから。聖宰官と呼ばれているようだけど……そんなの絶対嘘!」
そう言ってヘリヌールは顔を手で覆うと、それ以上何も言わなくなった。
ここで幸せに暮らしているのなら、ヘリヌールのことは深追いするのはやめようと思っていた。パーティーの時から感じていたアマヨリの違和感はやはり的中した。
「ここから逃げよう? 今すぐは無理だけど必ず迎えに行くから」
「無理よ。わたしだって何度ここからあの娘たちと逃げようとしたか。その度にすぐに捕まって仕置きを受けるの」
ドレスを捲り上げた部分から見えたのは、引き裂かれたような傷跡が生々しく、腿の部分にくっきりと残っていた。思わず声が出そうになったアマヨリはその傷を直視することができなかった。そして、ヘリヌールは絞り出すような声で言った。
「私たちに関わってはダメ。あのトゥレイスという男もメビウスプラントに関わっているのよ、今日だって、参加予定だったヘゼが、折檻で怪我をして部屋に閉じ込められてる」
「え? どういうこと?」
外からヒールで歩く音が近づいて来る。
すぐに、扉が開かれた。
――!!
「次の楽曲がはじまりますよ、先生が交代だとおっしゃってます」
ミメアが二人を呼びに来たのだ。歩く音の時間があまりにも短く、会話を聞かれたのではとアマヨリは警戒する。
蛇口から流れ続ける水の音だけが響く。
ミメアはアマヨリをじっと見据えると、核心を突いた。
「前回、パーティーに来られたのはあなたの方ですよね?」
驚いたアマヨリは唐突な追及に、心臓が跳ね上がる。
けれど、相手に悟られぬよう、ひと呼吸置き、あっけらかんとして答えた。
「気づいちゃいましたか? 実はエレノアが学校のことで気を病んでしまって。なかなか外に出るのが難しいと言うので、困った伯父様から頼まれて私が代わりに行ったんです。騙すようなことしてごめんなさい。伯父様のためにも言わないでおいていただけると助かります」
「私も、今そのことを聞いていました。ミメア姉様も気づかれたのですね」
ヘリヌールがフォローするように話すと、ミメアも少し警戒心を解いたようだった。
「それならそうと言ってくだされば良かったのに。何かあるのではと疑ってしまいましたよ。エレノア様は良くなられたのです?」
「はい! 二人で今日の演奏会をきっかけに学園に通おうと準備してきたんです。ミメア様たちとも音楽仲間になりたいと、今日は楽しみにしていました」
「楽しんでいただけているようでよかったです」
先ほどの感情のない顔つきとは異なり、色の差した表情にアマヨリは胸を撫で下ろした。
ここへ来る前、アマヨリは作戦会議でアルフリーナから指示されていたことがあった。
「いい? こんな偽装すぐにバレてしまうのだから、バレても大丈夫な言い訳をしっかりと用意しておきなさい。とにかく怪しいものではない。敵意や意図はないと相手に思わせることが必要よ」
アルフリーナの言葉どおりの結果に、アマヨリは沈黙の星たちの経験の重みをはっきりと見た気がした。
化粧室を出ようと、扉の前に手をかけたヘリヌールを見て、ミメアは何かに気づいたようだった。
「ヘリヌール、ヴォイドリンクが付いてないようだけど……」
「えっ! あ……」
「ここに落ちてましたよ」
アマヨリはニコリと笑って、ヘリヌールへヴォイドリンクを手渡した。
「あれ……いつ落としたんだろう」
「気をつけて……」
ミメアは念をおすように、ヘリヌールを鋭い表情で見下ろした。
部屋へ戻る途中、アマヨリは何か得られる情報はないかと、怪しまれない範囲でミメアへ話しかけていた。休日の過ごし方やミルザムの屋敷での振る舞いなど、自分の話を適度に交えながら一つずつ記憶していった。
その二人の後ろをトボトボと歩いていたヘリヌールは、そっと金属製のポーチを開けた。そこには、先ほど自分で外したはずのヴォイドリンクが入っている。
「……」
ヘリヌールは慌ててアマヨリから受け取ったものと挿げ替えた。
演奏会は無事に終了し、気をよくしたミルザムはまた招待したいと言って当主を快く送り出した。帰りのゼルグライドの中で次の約束を取り付けた当主は上機嫌でエレノアに言った。
「あちらのお嬢さん方もなかなかの演奏だったね。次回も頼むよエレノア」
「……そうですね。女性たちは終始、何かに怯えているように見えたのが気になりましたけどね。これがお父様のお仕事につながるといいですね」
「ははは、そうだね……」
歯切れの悪い当主の返事にアマヨリは、ヘリヌールに言われたことを思い出していた。
――トゥレイス当主もメビウスプラントに関わっている。
メビウスプラントとは一体どんなプラントなのだろう。アジトへ戻り、すぐに報告したいことが山のようにあった。
♢♢♢♢
――コンコン。
扉の前には女中のクローンが一人立っていた。
「旦那様がお呼びです」
こんな時間に呼び出される理由はわかりきっていた。
表情もなく、ヘリヌールはガウンを纏うと、いつもの部屋へ向かった。
護衛の立つ扉をくぐると、天井から垂れ下がる天蓋に囲まれたベッドには既にミメアが横たわっていた。白磁色の髪は体にまとわりつき、蜘蛛の糸のようにその身を離さないでいる。まるで呪いのように絡みついた糸が、羽を蝕まれた蝶を地獄へと引き摺り込むように。
ヘリヌールは唇を噛み締め、ベッドに横たわると、シーツに差し込む一筋の光を目で追った。
その一筋の光は、ミメアに絡みついた糸を鮮明に映す。
たとえその糸を断ち、天を仰ぐことができても、失った羽は戻らない。
羽ばたけず地に落ちれば、どこまでも続く深い闇に、全てを飲み込まれてしまうだけだ。
この一筋の月明かりすら、ヘリヌールには自分たちを見放したように思えた。
「――そうだ」
男は思い出したように、ベッドに寝そべる二人に言う。
「今度の式典での星辱者は、おまえたち二人にしたよ」
「⁉︎」
血の気を失っていく二人にミルザムは喜べと、まるで名誉のように言ってのけた。
「ミルザム様どうかお考えなおしを!」
ミメアはすがるように声を震わせ、涙を流す。
取り合う気のないミルザムは冷ややかにこう言った。
「クローンごとき、ここまで不自由なく暮らしたのだから最後は神にでも仕えよ」
泣き崩れるミメアを前に、ヘリヌールは力なく答えるのがやっとだった。




