Log2-16//悪党 (2)
――くしゅん!
大きなくしゃみが会議室に響く。
「あれ? 施設長どうしたんですか、風邪なんて珍しいですね」
「わからん! くしゃみがさっきから止まらないんだ」
「仕事のしすぎじゃないですか」
部下の一人が気遣って、ちり紙を差し出した。
会議中の室内には各プラントの管理官たちが集められ、施設長であるクリプタへ報告をあげていた。
「最近、開発局側のゲノム編集工程で、編集後の検査が十分に行われていないために、ゲノム異常症を発症するエラー個体が少し増えています。再発防止の報告までもがオペレーションの一つとして形骸化してしまっているようです。施設長からも開発局へ注意を促していただけませんか」
「具体的な数と症例をまとめたものが欲しい、あとで送っておいて。局長に直接話すよ」
「承知しました、ありがとうございます」
クローンを生み出す過程はある程度自動化されつつあったが、まだそのほとんどは人の手に頼られていた。当然ミスや漏れが起きることもしばしばあり、そのしわ寄せは、小さなクローンたちの命で償われた。
バウンドヴェイル装着前の生身のヒトを相手にする管理官たちの中には、クローンを人と同じように考え、理解を示す者も多かった。一方、上流工程を担う開発局では完成した個体を直接見る機会が限られ、一人の人間を扱うという感覚が希薄になっていた。
それは、安易なミスという形で繰り返され、代替可能な消耗品を扱うような姿勢は、クローニング局の職員たちとの間に、倫理観の違いという壁を作った。
ただ、クリプタは開発局のその傲慢さを利用することもしばしばあった。
ゲノム異常症を発症したエラー個体をクリプタは正当な理由をつけて積極的に自分の管理下で引き取っていたのだ。
開発局側としては単に処分費が浮き、自分たちの報告書作成の手間がごっそりなくなるわけで、悪い話ではなかった。
どうせ廃棄対象になるのだからと、ミスの発覚したクローン体は担当者間で簡単に引き渡しが行われていたのだ。
管理の網から溢れ落ちた個体は、最終的な廃棄を前提とした〝有限資産〟として登録し直される。廃棄されるまでの期間は、研究用として利用できる。
一人、神妙な面持ちで、会議に参加する女性がいた。
「あの、施設長、オメガ9で引き取っているエラー個体ですが、症状が軽ければ薬で抑えられますが、症状が重くなる場合、結局我々の手間が増えるだけかと思っているのですが……。やはり最初の生成過程でミスを起こさないようにしてもらうのが、私も必須だと考えます。周りの子供たちの精神的な負担もありますし……」
彼女はとても優秀な部下で、他の管理官に比べて意見も積極的に出してくれる。なにより、クローンを大切に育てている一人だった。
「確かにデネボラの言うとおりで、初期段階でエラー個体を発生させない運用が必要だ。ただ、人の手で行っている以上ミスは必ずある。我々が引き取りを止めてしまえば、優秀な個体まで失うことになる」
処分を免れたエラー個体は、遺伝子特有の症状を薬で抑えられれば優秀なアルダナリにすることができた。
通常アルダナリなどの労働力として利用されるクローンは、アルファ1などの下位のクローンたちから造られている。
デネボラも納得したように答える。
「そうですね、上級階位者をオリジナルに持つ個体を、単純な労働力に利用し島外に出すことは禁じられていますからね」
「ああ。だからこそ有限資産として登録してしまえば、制度上はただの廃棄待ちの研究用クローンだ。制度の片隅に追いやられた有限資産の利用方法など、いちいち確認されることもない」
上級プラントの個体はオリジナルに都合よく編集されているために、優秀な個体が多い。その優秀さゆえ、クローニング局内で利用するには都合が良かった。さらにクリプタは、この有限資産として引き取れなかった廃棄クローンまでも、廃棄処理の過程で回収し、組織の駒として利用する運用を確立していた。そのクローンたちには新たなIDが与えられ、水面下でクリプタの駒として動き始めていた。
クリプタは真面目に議論するデネボラに視線を合わせ、続ける。
「技術が進めば人の手が入らなくなり、エラー個体を無くせるのだけどね。我々はできることをやるしかない」
広い会議室の中では部下たちとそれぞれの課題について話し合いが続いた。ここには誰一人として真剣に取り組まない者などいなかった。
皆がその時の最善を考え、少しでも現状を良くしようと動いている。
クローンたちを傷つけたり、儲けの道具にしたり、悪意を持って管理官という仕事を務める者など、ここには少なくとも存在しないのだ。
物語の中に現れるような悪意を持った人物たちであれば、どんなに良かったか。
そう思うとこの世界を隔てるものは一体なんなのだろうか。
明確な答えなど誰も持ち合わせていない。その中から、自分にとっての正解を選択しなければならない状況に、クリプタは気を抜けなかった。
「フィー7のデネボラ管理官に依頼事項がある」
「はい」
デネボラは返事をし、真っ直ぐクリプタの方を見て指示を待つ。
開発局でのクローン技術は日々進歩していた。それに合わせてクローニング局でも大きく運用を変えるなど、職員を対応させることも重要な施設長の役割だった。
「来月、開発局から試作段階のハイブリッド型のクローンが搬入される。身体能力を軍事用に強化している。うまく行けば今の地上部隊の半分以上を置き換えられる。光線ルームで収集する記録の管理と訓練施設での行動管理を徹底してほしい」
「承知しました」
フィー7の管理官であるデネボラは、クリプタの依頼を聞き入れると、顔を緊張させた。
会議を終えた室内では居残った管理官たちが、私語に花を咲かせていた。
「ねー、デネボラ、今日も指名が入ったね。施設長、彼女とかいないらしいよ〜!」
イタズラに同僚たちから揶揄われたデネボラは、顔を赤らめながら焦茶色の髪をなでつけて平常心を装った。
「別に。私だから指名したわけじゃないでしょう。優秀な兵士を作るには、フィー7の環境がベストなのよ。それに! 彼女がいるかなんて私聞いてないです!」
「えー、なんか嬉しそうだけど?」
デネボラの反応を面白がって、また別の同僚が茶々を入れる。
「施設長、局のオペレーターの子達にも人気みたいだよ〜。連絡先くらい交換したら?」
クローニング局でのクリプタは、いつもアマヨリたちに振り回され、皆を叱りつけるばかりだったが、部屋の外に出れば、この広大なクローニング局を任された責任者であり、ここで働く職員たちの上司でもあった。
若くして局長という責任のある役を任されているだけあって、その仕事ぶりに異論を唱える者は誰もおらず、部下たちからは鬼と言われていた。局内の女性たちからも密かな人気があり、本人は気づいているのか、いないのかという態度で振る舞っていた。それが逆に女心をくすぐり、噂話は絶えない。デネボラもその一人だった。
「そんなの無理! 仕事以外の会話なんて私できない」
デネボラは同僚たちの揶揄いに、頬を染めながら、腰掛けた椅子の上で縮こまるように足を抱える。
「そうかなー。仕事で絡むなら話しやすいじゃない。なんか業務で困ってることってないの? 相談とかしてみたら? 私ならそうする〜」
後押しをしているのか、面白がっているのか。
同僚たちは無責任に、見えぬデネボラの背中をぐいぐいと押すようだった。
「うーん、ワサトの奴。今月いくら使ったんだ……。アジトの引越しに、渡航費……新型ゴーグルにドレス……。あいつら……」
資金源はしっかりと確保していると言っても、無尽蔵に使えるほど予算があるわけではなかった。クリプタは請求金額を見ながら大きくため息をついた。
ヴォイドリンクからの呼び出しが鳴ると、すぐに画面を閉じ、いつもの施設長へと戻る。
「どうした?」
「あの……。デネボラです。お忙しいところすみません、ちょっと相談したいことがありまして……」
クリプタは決して、部下からの相談事や依頼を無碍にすることはなかった。円滑に業務が進められてこそ、沈黙の星に集中できるのだ。
すぐに会議室へ向かうと、いつも真面目で仕事熱心なデネボラがそこにいた。
「どうした、珍しいね。新しいクローンのこと?」
「あ、えっと。はい……。フィー7のメンバーから仕様の異なるクローンと、現行型とで何か摩擦が起きるのではと懸念が挙がっていまして。私も少し心配だったので」
焦茶色の髪がサラサラと肩から滑り落ちていく。泳ぐような視線は自信がないのだろうか。目の前の彼女は少し遠慮がちに付け加えるように言った。
「こんな相談、施設長にするのは間違っているのかもしれないですが……」
不安そうに俯くデネボラを前に、クリプタは少し表情を崩して和やかに話す。
「何も間違ってないよ。確かに個体差が原因でクローン同士が違和感を抱く可能性もあるね。ハイブリッド型のサンプルが一体、開発局で管理されているから、それを見に行ってみるのはどうだい?」
わざわざ呼び出すくらいに不安があったのだろう。デネボラの不安を取り除くようにクリプタは具体的な方法を伝える。けれど彼女はまだ何かあるようで、ぎこちない会話が続いた。さすがに様子のおかしい部下に、クリプタは至って事務的に尋ねた。
「何か業務以外の悩みごと……かな?」
核心を突かれたように、デネボラは頬を真っ赤に染めながら顔を上げる。
焦茶色の瞳が自分を捉えている。
その顔を見たクリプタは、彼女の不安の正体をすぐに察知した。
「あの、あのっ、施設長は……、お付き合いとかしてる方いらっしゃるんですか……。えっと、みんなが気になるって言うので聞いてこいって……。はぁぁぁ、ごめんなさい!」
耳まで真っ赤にしながらデネボラは縮こまるようにして顔を両手で覆った。
「そういうことか。いないよ。この歳で独身だと周りが心配して困るね。ははは」
長くここにいれば、時々こうやって色恋沙汰に花を咲かせた女性たちから声をかけられることもあった。
昔であれば、なんだかんだと言い訳をしながら断ることも。
けれど、今は違った。
眉間の皺を緩めるように、クリプタは微笑む。
「君は優しいからね。クローンたちも君のことを信頼してる」
さらに頬を赤らめたデネボラはかぶりを振りながら、はにかんだ笑顔を見せて言った。
「私、施設長のこと尊敬してるんです。きちんと相談にも乗ってくださるし、トラブルがあってもちゃんとフォローしてくれるので。それに私、クローンの子供たちと過ごすの、好きなんです。みんなは感情移入するなって言うけど、せめて十五歳までは大切に育ててあげたいんです」
キラキラと輝いた瞳を捕らえるように、クリプタは視線を合わせ、普段見せることのない笑顔を見せた。
「尊敬なんてされるほどの人間ではないけど、そう言ってもらえて嬉しいよ。それに、クローンに対する君の考えは素晴らしいと思うよ」
「よかった。こういう話をすると、みんな嫌がるんです」
「そうだね。あまりクローンのことを人として公に話すのはリスクがあるからね。もし、そのことで相談したいことがあれば、ここへ連絡して」
そう言ってクリプタは、別のヴォイドリンクの連絡先をデネボラへ飛ばした。
少し驚いた顔が、すぐに笑顔に変わる。
彼女の視線に感じたものは間違っていない。
そう確信すると、クリプタの中で彼女への言葉が軽くなっていった。
来たときとは考えられないほど明るい笑顔を見せたデネボラは、足取り軽く部屋を出ていった。
「なにを、たぶらかしているのかしら」
彼女と入れ違うように、部屋の前に立っていたのはファイルを抱えたアルフリーナだった。
「人聞きが悪いな。何もしてないよ」
気まずそうに、ヘラヘラといつもの笑みを浮かべながら、クリプタは両手を上げる。
「どー見ても純粋そうな部下を手なづけた感じね。どうせ好意を利用して使うんでしょう? それともただの遊びかしら。いずれにしても最近思うけど、あなたが一番、悪党ね」
「おい、どういう意味だ」
アルフリーナは呆れた顔で手をヒラヒラと振ると、そのまま通り過ぎていった。
「別にいいさ……。悪党でも」




