Log2-15//心を閉ざす少女(1)
エレノア本人の協力を得るため、アマヨリは再びトゥレイス家へ来ていた。
セネリス経由で当主をうまく説得してくれたのか、今回は屋敷にしばらく滞在することになったのだ。
念のため、クリプタへ許可は取ったが、ミルザムの屋敷へ行くことはワサトたちでなければ認めないと、許可してもらえなかった。アルフリーナからは、エレノアを説得して欲しいと頼まれた。それはアマヨリにかかっていた。
こっちにきてから友達なんて作ったこともないのに、どうやって仲良くなればいいのだろう。
――それに私は……。
あまり考えないようにしていたが、アマヨリは自分がクローンであることに、どうしても負い目を感じてしまっていた。セネリスには前に進むと宣言したものの、奥底にこびりついたこの認識は簡単に取り払えるものではなかったのだ。
ミルザムという太いパイプを維持しておきたい当主は、令嬢たちと会うことに賛成していたがエレノアを連れ出すことに少々不安も感じているようだった。
エレノアは夫妻が遅くに授かった一人娘でもあり、とても大切に育ててきたという。人見知りでもあり、学園以外は屋敷内で過ごすことも多いと聞いた。
今回のパーティーへの参加も、エレノアのリハビリになると思い、招待を受けたが、顔を隠した状態ですら、人に会うことを嫌がったのだ。
穏やかで優しい子、と夫妻は言っていたが、アマヨリは何をきっかけに彼女と話をすればいいのか考えあぐねた。
トゥレイス家に来てからすでに二日が経っていた。
(どうしよう、このままじゃ時間だけが過ぎていく。今日は話すきっかけを作らないと)
アマヨリは焦りを感じつつ、なにかきっかけがないか考える。
そこへ、エレノアの部屋から食事の配膳を終えたクローンが出て来るところに遭遇した。
「そうだ!」
ひらめきはあっという間にアマヨリを動かした。
――コン、コン。
部屋から返事はなく、扉が開く気配すらない。いつもクローンがやっていたようにアマヨリは昼食を乗せたトレーを片手に、扉をそっと開けた。
アカンサス柄の優美な壁紙に金糸の施されたオリーブ色のカーテン。数人は寝転べそうなベッドに、堂々と部屋の真ん中を陣取るグランドピアノ。
どれをとっても豪華で素敵な部屋の片隅で、長い胡桃色の髪を一つに編み込み、赤色の眼鏡をかけてポツンと読書に耽るエレノアがいた。
「えっと、昼食をお持ちしました」
いつものクローンとは違う、見知らぬ人が入って来たことにエレノアは驚いて、読みかけの本を落としてしまった。ズレた眼鏡から覗く瞳は怯えている。
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの。昼食ここに置いておきますね」
驚いたまま固まるエレノアに代わって、アマヨリは足元に落ちた本を拾い上げた。
「この本! 私が読みたかったやつだ!」
思わず本のタイトルを見て声に出してしまうと、エレノアは今にも消え入りそうな声でポツリと言った。
「も、持って行かれますか……」
アマヨリは思わず聞き返す。
「いいの……?」
「私はもう何度も読んでいるので、どうぞ」
そう言ってエレノアはまた静かに他の本を手に取り、読み始めた。うれしくなったアマヨリはすぐにお礼を伝えると、本を抱えて部屋を後にした。
もう少し話せそうだと思ったが、まずは共通の話題を作ろうと借りた本を読むことにした。
施設を出てからアマヨリには友人と呼べる者がいなかった。
ワサトやアルフリーナを慕っているが友人と呼ぶにはなんだか烏滸がましく感じてしまう。尊敬する気持ちが強い分、どこか遠慮がちになっていた。
施設で過ごしたメンバー達のように何でも相談したり、馬鹿なことをしたりはしゃぎあったりができなかった。
エレノアとは同じ年齢ということもあり、同世代の女の子と話したいという気持ちもアマヨリに少しずつ芽生えてきていた。
「すまないね」
屋敷に来てから一週間が経った。いまだに会話もままならない状況に当主は申し訳なさそうに謝った。けれどアマヨリは諦めてはいなかった。本を借りてから、感想を共有したいと思い、食事のトレイに感想を記した手紙を添えていた。それは単に彼女の心を開きたいと思ったのではなく、読んだ本があまりにも素敵だったので、その気持ちを彼女と共有したかったのだ。
施設にいたときも、ダイアンとよく本の感想を言い合って過ごしたことを思い出した。
(ダイアンもこういうお話し好きだったよな……)
何かをするたびに呼び起こされる記憶の断片が、どんどんとダイアンから遠ざかっていくようで、思い出すことが苦しくなる。
辿りつくことのできないゴールに気が遠くなるようだった。
「朝食、置いておきますね。今日はりんごが新鮮で美味しかったですよ」
アマヨリはいつものように、食事をテーブルに置こうとすると、エレノアに声をかけられた。
「りんごはすごく好きなんです、あの……、手紙ありがとうございます……」
思いもよらぬエレノアからのお礼に、飛びつくようにアマヨリは答えた。
「私もりんごは好きなの! あとあの話、まだ続きがあるのですよね」
アマヨリは目を輝かせながら、興奮気味に言った。エレノアは少しオドオドとしていたが、アマヨリの純粋な態度に警戒心を解き始めていた。
「あります! 続きもあるのでぜひ読んでください」
部屋に戻ったアマヨリは早速借りた本を読み始め、久々にゆっくりと読書の時間を楽しんだ。
屋敷にいる間も当主は気を遣って依頼料まで支払ってくれていたために、アマヨリは、食べて屋敷をうろつくだけの日々に気が引けていた。エレノアと接していないときは屋敷内の清掃や家事全般を、他のクローンたちに混ざって行うようにしていたのだ。
とにかく、時間があると嫌なことばかり考えてしまい、何かしている方が気が紛れた。
鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてくる早朝、屋敷内のカーテンを開けて回ると、外はすっかり雪景色になっていた。真っ白な家々の間から、ひっそりと顔を出す太陽は、宝石のように輝く。それは長い冬を越えるための貴重な宝物のようなものであり、人々の拠り所でもあった。
「今日はよく晴れ渡ってる!」
アマヨリが屋敷中のカーテンを開け終わる頃、厨房からは料理人が昨日から仕込んでいた野菜スープや、肉とワッフルの焼けるいい匂いが漂ってきた。
広い屋敷内を動き回ったからなのか、部屋が暖かく保たれているせいなのか、体は少し汗ばんでいる。すぐにアマヨリは朝食を厨房から受け取り、エレノアの部屋へ急いだ。
「おはようございます。朝食お持ちしましたよ」
そろりと開いたドアの隙間から、エレノアが顔を出した。寝起きのようだがローブを深く被り、表情は伺うことができない。
「ありがとう」
気だるそうな声で、そそくさと扉を閉めようとしたので、アマヨリは慌てて扉を掴んだ。
「いえ! エレノア様、今日は本の感想を伝えたくて、私の分もそこにあるのです」
「えっ……」
二人の間にしばらく沈黙が流れる。
再び追い返されそうだと思ったアマヨリは、勢いよく、部屋の中に足を踏み入れた。 おそらく屋敷の人や、クローンであれば、エレノアが拒否の仕草を見せた途端に諦めて、すぐに身を引いていたに違いない。腫れ物を触るように扱っているのをアマヨリも感じていた。
半ば強引に部屋に入ってきたアマヨリを前に、エレノアはどうしていいかわからず、立ち尽くしていた。
「昨日は時間があったので一気に読みました。でも、あの結末はちょっと腑に落ちなかったというか、なんかモヤモヤが残っちゃって」
さりげなくカーテンを開けながら、アマヨリは話を一方的に続ける。
「それにあのヒロインの煮え切らない態度ってなんなのかな」
久しぶりに窓から入り込んだ光に眩しさを感じたのか、エレノアは手で光を遮るようにしていた。そして、再び光の方を眺め、真っ白な世界に引きこまれるように、窓に手を伸ばす。光を浴びた彼女の横顔はどこか孤独に見えた。
エレノアは何かを思い出すように遠くを見つめながら、アマヨリの話に答えた。
「それは……ヒロインがまだ恋に目覚めていなくて。他のシリーズでそのヒロインは別の仲間に恋をして成長するんです。私も最初は、あれ? と思ったんですけど……続き読みますか?」
夢中になって話すアマヨリに、エレノアはいつの間にか相槌をし、会話をしていた。
アマヨリもただ楽しくて、二人は自然とテーブルで向き合い、朝食のワッフルを頬張りながら本の話に夢中になっていた。
「それでね、私ちょっと特殊な環境で育ったから、恋とかそういうのよくわからないんです。でも、この主人公みたいに恋する人はたくさん見てきたんです」
「えっ、誰かを好きになったことってないのですか?」
エレノアの思いもよらない質問にアマヨリはたじろいだ。
「エレノア様はあるんですか?」
なんとなく自分だけがそれを知らないような気がして、アマヨリは恐る恐る聞いてみた。エレノアは少し沈黙したものの、それを誰かに話したかったようにも見えた。
「……あります」
俯きながら、エレノアは小さく呟くように言った。
「同じ学園なんですけど、私じゃ話しかけることもできなくて。それに……」
なにかを言いかけて言葉を飲んだエレノアは、深刻な事情を抱えているようだった。
アマヨリは少しためらいながらも、聞いてみる。
「学園かぁ〜。その人は話しかけづらい雰囲気なのです?」
「違うの。自分に自信もないし、話すの苦手だし、ダメなんです。私じゃ……」
話しかけたことのない人に、どうやって恋をするのかアマヨリには不思議で仕方なかった。それに、前にレンユウが言っていた、恋をすると会いたくて仕方がないという気持ちがあるはずなのに、屋敷にこもったままでいるエレノアにますます疑問が湧いた。
「エレノア様はなぜ学園に行かないのです? 気になる方がいるなら会いたいと思うのですが……」
アマヨリの素直な問いに、エレノアは観念したように重い口を開いた。
「私の場合は……。友人の気持ちを考えずに行動してしまって、拗れてしまったというか……」
口籠って何か言いたそうにしていたが、話を進めることを躊躇しているようだった。アマヨリは構わず呟く。
「拗れるかぁ、確かに私にも心当たりが」
アマヨリは施設にいたころの出来事をぼんやりと思い出し、ダイアンからよく言われていた〝僕の気持ちも考えてよ〟という言葉が浮かび、今になって心に響いた。
「学園に行くのを辞めたのは、友人関係だったのですね」
「……はい。ずっと友人達とは仲良くしていたのですが、かなり怒らせてしまったようで。謝罪どころか全員から無視されてしまって」
いくらオメガ9のメンバーと拗らせたといっても、何日も同じことで無視されることはなかった。エレノアの無視されている状況は、アマヨリにはとても異常なことのように感じられた。
「そんな、エレノア様だって謝ってるのに!」
「いえ、私がきちんと伝えられなかったのがいけないんです」
涙ぐむエレノアを前に、全体像が掴めずに焦るアマヨリだったが、施設とは違う友人たちの態度に、沸々と怒りが湧いた。
ふと窓を見れば、エレノアの部屋からは雪の中でもわかるほど、よく手入れされた庭が見える。暖かくなればきっとバラなどが咲き誇る素敵な庭なのだろうと思えた。
彼女をここに閉じ込めてしまうほどの事情がそこにあると思うと、アマヨリはじっとしてなどいられなかった。
「ちゃんと話ができればいいのよね、私と一緒に話に行きましょう!」
エレノアがあまりにも驚いた顔をしたので、突拍子もないことを言ってしまったということだけはアマヨリにもわかった。
エレノアの友人たちに会うには、学園に行くことが必要なのはもちろんのこと、園内に部外者は立ち入れない。全寮制であるため相手の自宅へ行くことも叶わないのだ。
エレノアからは気にしないでと逆に気を遣われてしまい、アマヨリは少し落ち込んだ。




