Log2-13//淑女(2)
その頃、配膳係に扮したワサトは、セネリスから提供された情報を元に、ある人物の近くで飲み物を用意していた。
「これは、ミルザム様でいらっしゃいますか」
トゥレイス家の当主は恰幅のいい男に声をかける。
「おや? 私の仮装はあまり意味がないようだね」
上機嫌に笑うその男は、枢密府の聖宰官 イヨリス・ミルザムだった。
創星神アストラの教えを教義とする教会のトップとして君臨している。
表向きは聖職者でありながら、他民族の宗教や教えを統制局を使って弾圧し、異端として迫害していた。
「荘重な雰囲気を纏われていては、すぐに気付いてしまいますよ」
「トゥレイス君も楽しんでいるようで良かったよ。今回は厳選して招待状を送っているから楽しみなさい」
当主の言葉に気をよくしたミルザムは、グラスに注がれたシャンパンを一息に飲み干した。しばらく二人は世間話と当たり障りのない政治の話をして時間を潰しているようだった。
「ところでミルザム様、今日の招待客の中に、例の方はいらっしゃるのですか? ご挨拶をしておきたいと思っていたのですが」
ミルザムは少し言葉を濁しながら言った。
「それはまた、おいおいにと考えている。こういった場は鼠が紛れ込みやすいのでね」
「なんと、このような万全のセキュリティであっても……、ですか?」
辺りをキョロキョロと見回す当主に、ミルザムは声をあげて笑った。
「そんなもので防げるのなら近衛団の部隊は必要ないだろう。君もそう思わないかい?」
――どういう意図なのか。
カートを横付けし、シャンパンを注いでいたワサトに、ミルザムは不意に話を振った。
けれどワサトは、質問の内容をわざと聞き返す。
「申し訳ありません、恐れ多くも業務に専念しておりまして。貴殿のお話を伺っておりませんでしたので、よろしければもう一度教えていただけますか」
ミルザムは会場に響き渡るほどの声で笑う。
「ははは。君は優秀なようだね。でも一つ君に難点を挙げるとすると、私は……
左利きでね。右側から注がれるのは好かん。そのくらいのことは周知されていると思ったが……」
宰官が主催するパーティーともなれば、招待客を迎える準備には細心の注意が払われていた。配膳を担う人々も当然に、経験を積んだ者が揃えられる。
事前にパーティーのテーマに合わせた料理、招待客の好みや配慮など、詳細な打ち合わせがなされているのだ。
特にミルザムは注意が必要だった。一般的なマナーは通用せず、彼専用のルールがあるのだ。
「まだわからないのか。お前がこちら側に回ればいいのだよ」
他の招待客は全く気づく気配もなかったが、この目の前の男だけは違っていた。
ワサトは少しの動揺も見せないよう、配慮が不足したことを詫びた。
しかし、ミルザムは執拗にヴォイドリンクに登録されているIDを見せるよう求めてきた。もちろんIDそのものは、偽造しているため、簡単に見破れるものではない。ただ、端末を没収されると厄介だった。
その場に、静かな緊張が走る。
「どうした、提示できないのか」
ミルザムは押し黙るワサトに詰め寄る。
緊張した面持ちで頭を下げたワサトは、ヴォイドリンクに手をかけた。
後ろから、聞き覚えのある声がかかる。
「ミルザム様、こちらのウェイターに何か失礼がありましたか? であれば私が責任を取りまして代わりの者をすぐに用意させますので」
「これは、ヴェリラキア局長」
仮面を外しながら、突如現れたクリプタは、ミルザムに深々と頭を下げた。
ミルザムは表情を強張らせ、咳払いをすると、ワサトをそれ以上追求せずその場を離れるよう促した。
「お久しぶりです、ミルザム聖宰官。最近はテロ対応で枢密府もご多忙と聞いております」
「あぁ、その件は軍が全て対応することになろう、じきに収まるだろうよ」
立派に蓄えた顎鬚を撫で付けながら近況を伝えるミルザムの横で、トゥレイス当主は新たに現れた青年に視線を送る。
「あの、ミルザム様こちらの方は……」
当主は遠慮がちに尋ねると、すぐに青年は笑顔で挨拶を交わした。
「クローニング局の局長をしております、クリプタ・ヴェリラキアです。ご挨拶を兼ねて、会場を回っておりまして」
当主は肩書きを聞いて、畏まると深々と頭を下げた。
「そうだ、トゥレイス当主、今日は娘を連れてきたのでは?」
ミルザムの指摘で当主は思い出したように、連れていたはずのアマヨリがいつの間にか、いないことに気がついた。あたりを見回すと、料理のブースで目を輝かせている少女を見つけ、ヴォイドリンクで慌てて呼び出した。
クリプタがミルザムを上手くあしらったおかげで、ワサトは難を逃れて会場の片隅で一人の女性に叱られていた。
「全く、まだ一ヶ月とはいえ、早く仕事を覚えて! 失礼があってはプロ失格よ!」
聴衆と化した招待客を尻目に、アルフリーナはわざと聞こえるように叱責をした。それにワサトも同調し、「申し訳ありません!」と見習いらしさを全開に、素直に謝罪してみせた。
「ふぁ〜、助かったよーアル〜。いつ帝都に戻ってきてたの?」
会場から退出した二人は、地下のワイン貯蔵庫で補充用の酒類と空き瓶をカートに載せ替えていた。割と重労働なので、誰もこの仕事をやりたがるものはいない。アルフリーナがその役を買って出ると、皆喜んでその役目を譲ってくれた。そして新人に教えるという名目でワサトを連れ立って、二人になれる機会を狙っていたのだ。
「危なかったわよ、彼が気付かなかったら面倒なことになっていたわ」
「まさか給仕の常識まで、変えられてるとは思わなかったよ〜」
本来、ワサトは、会場の清掃員として雇われていた。そこから、いつもの変装で配膳係へと成り代わり、パーティー会場へ入り込んでいたために情報が不足していた。
すっかり意気消沈ぎみのワサトのぼやきを聞きながら、アルフリーナは言う。
「あの男のやりそうなことよ。私もセネリスからの頼み事があって少し前に入ったの」
「ミルザムの件?」
「いいえ。私は別件。ミルザムの件はワサトに任せる」
ボトルを布でぬぐいながら、ワサトはうんざりしたように言った。
「ここの警備は尋常じゃないよ。会場じゃ下手に動けない。パーティーの招待客も事前のリストと合っていないようだし。教会関係者のはずだったけど、違うみたい。だいたいなんで先生がいるんだ? 俺全く聞いてないぞ」
アルフリーナは少し考え込むようにしてポツリと言った。
「そうね……。先生がいる……」
「ふぁ〜、あんなに疑われたんじゃ、もうミルザムの近くに寄れないよ」
ワサトがここへ潜入している目的は、ミルザムが声をかける人物を特定し、会話の内容を盗聴すること。そして、トゥレイス当主とミルザムの関係を調べて欲しいとセネリスから依頼されていた。
パーティーの招待客リストも、事前に会場の責任者を買収して入手し、把握していたはずだった。
けれど、不思議なことにリストにいない招待客が何人もいたのだ。先生もそのうちの一人で、ワサトにとっては予想外の遭遇だった。後々バレたときの言い訳は山ほど考えていたが、まさか本人に遭遇するなど考えてもみなかったのだ。
「セネリスも知らなかったんじゃないかしら。先生も驚いていたから。招待客の中に財宰官であるファドラと開発局職員のプラグマもいたの。リストに載ってた?」
ワサトは首を左右に振った。アルフリーナはすこし考えて、言った。
「正確なリストを出せない理由があるのよ。表向きの招待客とは別に、伏せておきたい人物がいる」
ワサトは言葉を失い、アルフリーナの顔を凝視する。
「冗談だろ? じゃあこのパーティーはただの教会関係者の集まりじゃないのか」
静かに頷くアルフリーナ。
「伏せられている中に、主催側の人間が混ざってる」
ワサトは肝を冷やし、恐る恐る尋ねた。
「あのプラント関係……、なのか」
聖宰官であるミルザムは、クローニング局内のとあるプラント管理を担っていた。
そのプラントを使い、自分の意のままに非合法な手段で、莫大な資金を得ていたのだ。
「その可能性が高いわね。ミルザムの連れていた女たちを見たでしょう? ミルザムが声をかけているのは資金力のある富豪や企業の代表ばかりよ。プラントがらみのパーティーで間違いなさそう」
「……」
押し黙るワサトの肩をポンっと叩くと、アルフリーナは部屋を出て行こうとした。そして、既に把握していたように言い添えた。
「こうなったらやるしかないわ。情報収集なんとかお願いね。私はセネリスの頼まれごとがあるから……、またアジトで」
アルフリーナは何かを思い出したように、振り向く。
「アマヨリが当主から離れていたようだから気をつけて見てあげて。なんだか目立つし」
その言葉で、ワサトは思わず声をあげた。
「あっ……そうだった、了解」
補充したワインを会場へ運びながら、アルフリーナに言われたとおり、すっかり忘れていた彼女のことを追いかけるように急いだ。
「しまったな、ほったらかしにしてた……」
その頃、アマヨリはワサトの心配をよそに、豪華な料理の数々に目を輝かせていた。
初めて見る芸術のようなオードブルに、ほどよく火の通された肉料理、口直しの果実を使ったソルベやジェリー、なんと言っても一番心を躍らせたのは、華やかに甘い香りを漂わせたケーキや焼き菓子たちだった。次から次へと皿に取り分けてもらっては、ペロリと平らげ、セネリスから教わったマナーも振舞いも目の前の料理を前にして、消え去っていた。
再び料理の提供を待っていると、ヴォイドリンクからトゥレイス当主の呼び出しが入った。
「エレノア、挨拶があるから食事は程々にして戻ってきなさい」
「そっ、そうですね、お父様」
ナプキンで口元を抑え、はち切れそうなお腹に力を入れて凹ませると、再び淑女となったアマヨリは、当主のところへ慌てて戻ったのだった。
「ミルザム様、ご無沙汰しております。エレノアでございます」
「おぉ! あのエレノアか! 随分と大きくなって、仮面ごしでも美しさが滲み出ているよ」
練習通り、エレノアを演じ切る横で、ニコニコとこちらを見ている男がいたことに気づいたアマヨリは、先ほどのことを思い出して収めた怒りが再び沸き起こっていた。
「エレノア、こちらはクローニング局のヴェリラキア局長だよ、ご挨拶を」
何も知らない当主は、アマヨリへ挨拶を促したのでよそよそしく振る舞うことになった。しばらく会話は蚊帳の外であったが、ミルザムの突拍子もない提案に、アマヨリはひどく動揺した。
「どうだねヴェリラキア局長、君ももういい年だろう。縁談も断ってるそうじゃないか。彼女のように若い女性は」
当主は舞い込んだ良縁に少し乗り気のようだった。
「うちのエレノアは大変内気な部分はありますが、優しい気の利く娘です。懇意にしていただけたら親としては大変ありがたいことです」
ニコニコと仮面越しでもわかるほどの愛想笑いを浮かべるクリプタに、アマヨリはどことなく怖いという感情が湧いた。普段は眉間に皺を寄せたまま小言を言う彼と、とても同じ人物とは思えなかったのだ。そして娘の意向などまるでないものとして進められる大人たちの会話にも違和感を覚えた。
「それはありがたいことですね。こんな素敵な女性と添い遂げられるなら本望です。しかしながら、私はまだまだこの帝国内において未熟者です。国への忠誠を誓っている身ですから神の許しも必要でしょう」
(エレノアと結婚ってことだよね……?)
婚姻という事象についてアマヨリはまだピンと来なかったが、外側の世界に来てからは家族や夫婦、結婚についても便利屋業務を行う中でしっかりと学んできた。結婚はお互いに尊敬し合い生涯一緒になることだと聞いた。ある人からは、大好きな人とずっと一緒にいるための仕組みだとも聞いた。でも今聞いている限りだとどうやら家というくくりのために結婚するのだと言っている。アマヨリは色々な形があるのだろうか。と悶々と考えてしまった。ミルザムも当主も冗談の一つとして話しているのか、一人顔をしかめたままのアマヨリに気づくこともなく、流れるように話題を変えて行った。
「それでは、失礼しますね」
そう言ってその場を離れようとしたクリプタは、当主の隣で退屈そうにするアマヨリの手を取った。
「エレノア、それではまた」
か細い指先をまるで壊れものを扱うように引き寄せると、そっと口付け、颯爽と雑踏の中へ消えていった。
触れた唇の感触が思考を停止させる。
嗅ぎ慣れていた香水の匂いは、鼻先を刺激した。
それはどこか知らない人のように思えて、初めてクリプタという一人の人間の姿がアマヨリの中で浮かび上がった気がした。
「……お父様、わたくし、お腹が空きました」




