Log2-13//淑女(1)
「一体どういうことだ、なぜ、なぜ君がここにいる」
柔らかくウェーブがかった黄金色の髪を後ろへ流し、黒のタキシードに身を包んだ男から、アマヨリは突如呼び止められた。
取り分けられたオードブルは、今日の舞台にふさわしく、彩り豊かに皿の上を飾っている。これを楽しみに今まで頑張ってきたこともあり、一口も食べられないままにこの場を離れなければいけない事態に、アマヨリは心底がっかりした。
会場入りして間もなく、アマヨリはこの正装姿の男に捕まってしまったのだ。
今回のパーティーは身分を隠して参加する趣向で、仮装や面をつけることがドレスコードとなっている。当然、アマヨリも装飾を施した蝶のような面をつけており、目の前の男もタキシードに合わせた洒落た面をつけていた。問われた内容に心当たりのなかったアマヨリは、練習どおりに和やかな笑顔で挨拶をした。
「失礼ですが、以前どこかでお会いしてましたか。あいにく面越しで失礼があってはいけませんので。あちらでお話ししませんか」
アマヨリが視線を送った先には、トゥレイス家の当主が他の招待客と歓談に勤しんでいた。とにかくボロがでないよう、なるべく会話をするときは単独で行動せず、当主の元へ戻るように言われていたのだ。
しかし、正装姿の男は何か考えがあるように言った。
「ほぅ……。それはお寂しい、私をお忘れですか。それならこちらへ来ていただけたら、正体を明かしましょう」
そう言うと、正装姿の男はアマヨリの手を取り、会場の傍に設けられた別室へと続く廊下へと歩き出した。どこか覚えのあるような、ないような感覚にアマヨリは必死に記憶を辿った。それと同時に、会場から連れ出されたこの危機的状況を、どう対処しようか考えを巡らせた。
しかし、下手なことを言ってトラブルになるのを避けるため、ただ黙ってついていくしかなかった。そもそも今日は主要人物との簡単な挨拶回りをして、控えに戻るはずだった。当家の娘の出席がわかれば良く、無理に来場者と関わってボロを出す必要はない。
(どうしよう、これは……、私ではなくエレノアだと思っているのよね……。上手く誤魔化したいけど、エレノアの人間関係まで深く把握してないし、理由をつけて引き返した方がいいのかな……)
廊下へ出ると、ピアノや管弦楽の響く会場の音は遮断されたかのようにプツリと途切れ、廊下にはノスタルジックなシャンデリアの煌めきが乳白色の大理石の床へと写り込む。ヒールを飲み込む真っ赤な分厚い絨毯は、足元をさらに不安にした。
「すっ、すみません、あの、父の元へ戻らないといけないんです」
正装姿の男は無言のまま、掴んだ腕を離さなかった。廊下に並ぶ表向きには応接室と呼ばれている部屋へ、アマヨリを押し入れた。
ガチャンという、ロックのかかった音だけが響き、ドアの前に立った男は言った。
「これは誰の指示だ」
会場は騒がしく、きちんと聞き取れていなかったが、密室で改めてその声を聞くと、どうやら嫌というほど聞き覚えのある声だった。いつものように、聞き慣れた言葉が、次から次へと男の口から出てきた。
「一体、何を考えているんだ……」
「はい。ごめんなさい」
仮面を外した男は、怒りを通り越して半ば呆れたように項垂れた。
正装をしたクリプタだったのだ。
「ワサトとアルフリーナも一緒なのか」
「いえ……、アルフリーナは別件で出張中のままです。ワサトは留守番です……」
ワサトが寝ずに考えた言い訳を、今日このまま使うことになるのだろうか。
なぜか他人事のようにアマヨリは思い浮かべていた。
クリプタは大きくため息をついて、額に手を当て何か考えているようだった。
「いつもの仕事なのだろうが、さすがにここへの介入はまずい。開発局の幹部もちらほら見かけるし、なぜ一言相談しないんだ」
便利屋の案件ということにしてほしい。
そうワサトからも言われていた。クリプタの話し方から、そうではないと言ったらとても不味そうな気がした。アマヨリはセネリスの名前を出すのも躊躇し、とにかくこの場を適当に誤魔化そうと振る舞った。
「今日は、お客さんの代役を頼まれたの。髪も染めているし、仮面は絶対に外さないから大丈夫。この場にいればいいだけだから心配しないで」
逃げ道を塞ぐように、クリプタの視線がアマヨリを捕らえた。
「それじゃあ、留守番しているはずのワサトがなぜ、わざわざ配膳役をしているんだ? 誰に頼まれた?」
「あ……」
―― クリプタは誤魔化せない。
アマヨリは、これ以上、言い訳もできなくなった。
すでにクリプタはワサトを見つけており、すぐに自分を探し歩いていたのだと気がついた。下手に嘘をついても悪い方向に動くだけだと思ったアマヨリは、正直にクリプタへ事の経緯を説明した。
「……なるほど、セネリスの個人的な依頼だったが、その中に我々がターゲットにしている人物と接触できる機会があるからと。それでこんな危険な真似をさせたのか」
あんなに親身になって受け止めてくれたセネリスにアマヨリは、ごめんなさいと何度も心の中で謝った。落ち着いて話を聞いてくれているようだったが、クリプタからは怒りのオーラが滲み出ているようにも見える。
誰が悪いことをしているわけでもなく、少しでも情報を入手しようと動いているだけなのに、とさえ思ったアマヨリは、付け加えるように言った。
「私、便利屋仕事だけじゃなくて、ちゃんと組織の一員としてみんなと動きたいよ」
クリプタは何も答えなかった。
アマヨリにはその態度が、お前には無理だ。と言われているようで悲しく、これ以上何かを言えば、「許可できない」と決定づけられてしまう気がして、言えなかった。
けれど、黙り込んだアマヨリを再び見つめたクリプタは、静かに言った。
「条件がある」
彼の言葉は、黙然と立ち尽くしたアマヨリの肩を叩くようだった。
「私の指示する案件にだけ、メンバーとして動くことを許可する」
「本当に⁉︎」
思いもよらぬ言葉に、感情を露わにしたアマヨリは、クリプタに飛びついた。
あまりに勢いよく飛びつかれたクリプタは、不意打ちをくらったように、よろけてアマヨリを支えきれず、尻餅をついた。
「あたた、アマヨリ……、なにを……」
ふと、腕の中に収まったはずの少女は、大人びた真紅のタイトドレスを着こなし、ドレスに合わせた同色のリップは艶めかしく口元を彩る。
はだけたシフォンのショールから覗いた胸元は、クリプタの記憶から無垢な少女を消し去るには十分だった。
思わず伸ばした指先は彼女の仮面を外し、ゆらめく紫紺色の瞳に自身を映した。
「……リア」
慌ててクリプタは口元を押さえると、すぐに顔を背けた。
「クリプタ?」
硬直するクリプタを前に、不思議そうに声をかけたアマヨリは、はだけたドレスを整えると、笑顔で言った
「クリプタが許可してくれたから、私もっといろんなこと覚えて頑張るね」
今にも緊張を忘れてはしゃぎながら部屋を飛び出していきそうなアマヨリに、ヨロヨロと立ち上がったクリプタは、釘を刺すように改めて言った。
「今回の件を許したわけではないからね。大体、ここは社交場ではあるけど、政治や仕事の話をするだけではないんだよ。ましてや今日は身分も明かさぬ仮面パーティーだ。色々な目的で女性に近づく者もいる。強引になる者もいれば、しつこく誘う者もね。そんな男たちを君は上手くあしらえるのかい?」
当主の動きと、運ばれてくるオードブルの動きにのみ集中していたアマヨリは、自分へ注がれる視線に全く気がついていなかった。
「君は、目立ちすぎなんだ……」
クリプタは額に手をやりながら二度目のため息をついた。
「ドレス、ちょっと派手だったかな……」
ドレスを選んだのはアマヨリではなく、もちろんセネリスだ。レッスンを始める前に帝都の店を回り、色々と試着をして、セネリスのお眼鏡に適うドレスを決めた。
制服で過ごしていた期間があまりにも長かったせいか、アマヨリにセンスは皆無だった。いささか派手ではないかとアマヨリも思っていたが、乗り気のセネリスの気分に水を差したくなかった。
「なるべく端で大人しくしてれば、いいかな?」
顎に手を置き考え込んだクリプタは、アマヨリに向き直ると仮面をそっと付け直した。そしてじっと紫紺色の瞳を見つめたのだ。
「な、なに?」
段々と近づいてくる黄金色の眼差しは、アマヨリの顔を、みるみると緊張させていった。
ぷっと息を漏らす音と同時に、クリプタは笑い出した。
アマヨリはポカンと口を半開きのまま、目の前でいたずらに笑うクリプタを見ているしかなかった。
「そんなことじゃあ、ここの紳士たちはかわせないね」
ようやく自分が揶揄われたことに気づいたアマヨリは、憤慨して訴えた。
「ちょっと! クリプタひどい、揶揄わないでよもう!」
クリプタを押し除けながら、頬を膨らませたアマヨリは、更にお転婆と揶揄われ、子供扱いされたことに腹を立てた。
おまけに額をコツンと弾かれて、そのリアクションを楽しむクリプタにふと、ダイアンの仕草が重なった。
「……クリプタのバカ」
「ごめん、ごめんつい。私が一緒にいれば声はかけられないだろうから、付いて来るといい」
「……」
クリプタのタチの悪いいたずらに、怒りも湧いたが、動揺した心の隙をつくようにダイアンと同じ仕草で振る舞うクリプタに彼を重ねてしまった。
アマヨリの心は穏やかではなくなった。大人という余裕を振りかざすクリプタの態度に、もやもやと苛立ちさえも覚えたアマヨリは、クリプタに向き直ると、
「納得いかないわ! 私もう、あの頃みたいに何も知らない子供じゃない。セネリスと訓練してきたので上手くやれますから!」
「いっ!」
クリプタの足をしっかりと踏みつけて、再び会場に戻って行った。
「痛ってぇ〜、アマヨリの奴!」
クリプタはかがみ込んだまま起き上がれずにいた。
――俺は何をやっているんだ……。
彼女に向き合うことを避けてきた結果がこれなのか?
冗談じゃない。よりにもよってなんで彼女と重なった?
気付かぬように、見ないように、触れないようにしていたのに……。
一筋の亀裂が、ミシミシと音を立てながら、自分の心の中で壊れていくのがわかった。




