Log2-12//混迷(2)
アマヨリは連日のマナー講習と、ヒール靴での立ち振る舞いに悲鳴をあげていた。
「セネリス〜、もう私、頭も足もパンパンで……」
泣きそうだと訴えたが、アマヨリはもう泣いていた。涙目の顔を見てセネリスは慌ててステップを踏む足を止めた。
「これは! すまない。レディに対して少しペースが早かったね。今日はお終いにして、休憩にしようか」
その言葉に安堵したアマヨリは、へたへたと床に座り込んだ。
慣れないヒールで踵は靴擦れで血が滲んでいる。やる気だけはあったが、どうしても体がついてこないのだ。
「ふぇ〜、ありがとう〜セネリス〜」
セネリスも久々の教え子に、熱を燃やし過ぎていたことに気がつき、反省の言葉を口にすると、アマヨリを外出に誘った。
「気分転換にいいところがあるのだけど、行かない?」
久々の外出にアマヨリは心を踊らせ、目を輝かせた。
「ひゃぁぁぁ、すごーい! はやーい!」
いつもワサトのスカイックに乗せてもらっていたが、ゼルグライドに乗るのは初めてだった。車両型輸送機であるゼルグライドは、富裕層の間ではメジャーな乗り物の一つで、星核エネルギーから作り出された電力を動力源とし、道路上と建物のない上空であれば自由に往来できる。スカイックと違い、複数人乗車もでき、初めてのゼルグライドにアマヨリは興奮した。
「ははは、なんにでも反応が新鮮でいいね」
アマヨリは、道中セネリスに、気になっていたことを素直に聞いてみた。
「ねぇ、セネリスはクローンではないのに、どうして沈黙の星に入ったの?」
こんな煌びやかな暮らしをしている人達が、わざわざリスクを冒してまでクローンを解放する理由がわからなかった。ましてやそれが人間であるのなら、なお更だとアマヨリは思っていた。
セネリスは少し考えて、穏やかな声で答えた。
「……どうしてだろうね。確かに、あのまま局にいれば不自由のない生活も可能だ。不幸な境遇にある君たちを助けたい。そう言うと、ただの偽善なのかもしれないね」
セネリスは何かを思い出すように続ける。
「先生……、クリプタとは子供の頃からの友人でね。当時はまだクローンという存在は限られていたけど、身近に目にするクローンがいたんだ。生身の私たちとなんら変わらない存在だった」
「だった……」
アマヨリは、その言葉の先にあるクローンへの悲しみは、セネリスも同じなのだと、気がついた。
彼の遠くを見つめる悲しい顔が車窓に映る。
「本当は、私の罪滅ぼしなのかもしれない……」
ポツリと言った言葉に、アマヨリはセネリスを見た。
「いや、君たちのような子供たちを生み出すことを止められなかった我々の罪……」
――やっぱり、生まれて来てはいけなかったのだろうか。
あの、産声を聞いたときに胸に湧いた感情が、再び自分の中をぐるぐると巡り出すのがわかった。
その議論をすることの可否さえ、自分たちには与えられていないような気さえした。
セネリスが先を続けようとしたが、どこまでいっても自分たちの存在が、蚊帳の外のような気がして、耐えきれなくなったアマヨリは堰を切ったように話し始めた。
「私ね、わからない。わからないの。この前、子供が誕生する瞬間に立ち会ってとても神聖で神々しくて、これが生まれてくることなんだって。これがヒトなんだって思ったの。でも私は? 私たちは? って。ヒトの都合で造られて施設の中で育てられ、家畜のようにして次々と生まれてくんだよ」
アマヨリは助けられることでさえ、人々の都合のような気がしてならなかった。
「生まれてきたことの意味ってなに? 生きる意味って? 私はこのまま道具として生まれて道具として終わった方がいい気さえするの。どう足掻いても、この事実だけは変わらないから」
事実を知るたびに、いつの間にか深く傷ついていた心は、とっくに限界を迎えていた。
アマヨリはとめどなく流れる涙と、コントロールできない感情に混乱した。
「先生たちはさ、私たちが普通に人として暮らしていけるようにって、こうやって動いてくれているけど、本当にそれがいいことなのか、とか、必要なことなのかとか……。
なんか、なんか……私、わからなくなってきちゃったよ……」
セネリスは涙を拭うアマヨリに、そっとハンカチを差し出す。
「そうだね。人間はなんて過ちを犯したのだろうと思うよ、本当に。踏み入れてはならない領域に手も足も突っ込んでしまったのだからね」
顔を上げたアマヨリへ穏やかな視線を送ると、セネリスは続けた。
「正直な話をするとね、君の求めている答えも正解も、きっと私は今ここで出せないし、与えることもできないと思うんだ。でもね、君たちが前に進むための……生きていくための道筋なら一緒に作れると思っているんだよ」
――生きていくための道筋。
その言葉をアマヨリは胸の中で繰り返すと、セネリスを見つめた。
「君たちをクローンという枠組みから外す議論でさえ、我々の都合のようにも思うかも知れないけど、君たちはあまりにも何も知らされないまま、籠に閉じ込められている。そのカゴの鍵を壊すことだけでも私はしたいと思ってる」
「私、私は……」
――生まれてきて、よかったんだよね?
藍色の空を、月明かりが照らし、セネリスの横顔を浮かび上がらせる。
ゼルグライドの車窓からは、過ぎゆく景色が滲んで見えた。
セネリスは、言葉を飲み込み、窓の外を見つめるアマヨリにそっと語りかける。
「誰しも、一度は必ず考えてしまうんだ。生まれてきた意味を」
鼻を啜る音だけが車内に響く。
「その答えを見つけられる人もいれば、死ぬまでわからない人もいる。意味を求める人もいれば、意味のないことだと割り切ってしまう人もいる」
アマヨリは初めて自分の心にとどめていた本当の気持ちを吐き出した。
「私、怖い。この世界を知れば知るほど自分との違いがわからなくなるの。でも自分はヒトと違うんだって思うこともあるの。同じだと、変わらないと思っていたものが否定されてしまうのが怖い……。怖いよ」
「今はまだ、君はクローンだと知られることなく生きている。いつかそれが明るみにでたとき、それからが君の本当の戦いでもあるんだ、きっとまたこの問いで苦しむこともあるかもしれない。でもね、これだけは忘れないで欲しいんだ。君は一人じゃないって」
――一人じゃない。
ずっと孤独だった。自分だけが見えないものに抗い続けていた気がした。
当たり前の様に、道具として使われているクローンを見てきた。どこの街にもいて、セネリスの館にさえもいた。その景色に慣れてしまう自分がいた。
嫌なことも飲み込んで、おかしいことをおかしいと言えない自分が嫌いだ。
仕方がないと目を背けてしまった自分が、もうあの幼い頃の自分ではなくなってしまった気さえした。
いつの間にか景色はすっかり都会の灰色の世界から色のついた世界へと移り変わっていた。天を自由に羽ばたく鳥たちがゴールを競うように並走している。
「私、皆んなと同じになりたいよ」
「同じになる必要なんてないさ、君はアマヨリという名で、お転婆娘で、私の弟子でもあり、同僚で友人だ。君はきみでいられる世界が必要なんだ」
「私でいられる世界……」
「そう、でも今の君たちは、その機会さえ奪われているんだよ。私は少なくともそんな彼らの機会を救ってやりたいと考えてる」
――そうだ。私はその機会のために生かされた。
そう思い直すと、アマヨリは、くよくよと考えても仕方がないような気がした。
スカートをギュッと握り、今は自分の心の中を彷徨う感情に、少しの間だけ蓋をした。
「ありがとう、セネリス。私、ダイアンを見つけてみんなを助けたい。そのためにも前に進まなきゃね」
涙の跡を見せながら、まっすぐと前を見つめたアマヨリの瞳は、施設で見たあの時の瞳とは違っていた。セネリスは、何も言わず穏やかに頷いた。
ゼルグライドの旅はあっという間に目的地へ到着し、終わりを迎えた。
「ほら、着いたよ」
港町とは違った緩やかな海岸線に沿って切り立った岩壁は、海を囲う。太古の氷河に削り取られた大地はなだらかな丸みを帯びていた。
空は正午だというのに藍色をして、雪まじりの海岸との美しいコントラストを描いていた。
ゼルグライドから足を下ろすと、荘厳な岩山の向こう側に、小さな島々がみえた。
「もしかして、あの島……」
「ここから、クローニング局のあるカリュプス島が見えるんだよ。君をあそこへ連れていくことはできないけど、今も彼らはあそこで生まれ、生きている」
アマヨリは現状を噛み締めるように、頷き言った。
「私、絶対にあの場所へもう一度行く。絶対にダイアンを見つけ出して、みんなを助けたい」
「うん、その時は僕たちもいるからね」
怒涛の日々が終わり、すっかりアマヨリの所作はどこぞの淑女とも引けを取らないものとなりつつあった。
パーティーの数日前から依頼者と詳細な打ち合わせを重ね、最後の仕上げに入った。
「本当に助かります。うちのエレノアはご覧のとおり、部屋に引きこもったままで、屋敷の外に出てくることが、ここ数ヶ月ありません……」
トゥレイス家の当主は応接間の窓へ目を向けると、困り果てた様子で深いため息をついた。よく手入れされた庭越しに娘の部屋の窓が見える。
「そうでしたか。これを機会に一緒にレッスンでもと思ったのですが、今はまだ難しそうですね。それにしても一体なにがあったのですか」
セネリスも、カーテンが閉め切られたままの窓を見つめながら、当主を気遣った。
当主は誰にも話せていなかったのか、聞いてほしいと言わんばかりに話し始めた。
「それが……学園で何かあったようなのです。私たちには何も話してくれず、原因もわからないままで。これ以上、引きこもっていてはおかしな噂も立ちますし、年ごろの娘なので縁談の話も断らざるを得ない状況でして。なんとしてでも今回のパーティーに出席することで、この事実を周りへ隠しておきたいのです」
庭先に見える彼女の部屋は明かりも灯っていないようだった。隣で話を聞いていたアマヨリは体裁ばかりを気にする当主に違和感を覚えていた。それはセネリスも同じだったようで、アドバイスするように言った。
「ご依頼の件、承知しました。私のようなものが意見など烏滸がましいことかと思いますが……。いずれは本当にお嬢様が外に出られるようにならなければ、事態を引き延ばすだけで解決にはなりませんから。どうか対話を続けてあげてくださいね。アマヨリと同い年のようなので、なにか力添えできることがありましたら、いつでもお呼びください」
親身なセネリスの態度に安心したように、当主は頼るように答えた。
「いやいや、そんな。セネリス君にそう言ってもらえると心強いです。パーティーが終わったら少し話をしてみようと思います。また何かあれば相談させてください」
民間医である当主と異なり、帝国の基幹部に勤めるセネリスは、軍医としてそれなりの権威も持ち合わせており、部屋に飾られた数々の証は人を信用させるには十分だった。
人心掌握を得意とし、医師という肩書を活かし、自分たちを頼ってくる人間の心の隙間に付け入ることも。
セネリスにとって、あまりにも容易いことだった。
「正直、こういった家族の話は他人へ相談することもなかなか難しいものでして。そんな時セネリス君が声をかけてくれて、本当に助かりました。それに、こんな素敵な方がお知り合いにいたとは」
今回、アマヨリはセネリスの親友の娘ということで、あらかじめ話を通していた。
まるで芝居の台本でもあるかのように、セネリスは続ける。
「いえ、私を医学の道に進めてくださった、トゥレイス当主には大変な恩がありますので。父なき今もこうしてあの場所で働き続けられるのもあなたのおかげです」
当主は眉をよせて少し申し訳なさそうに答えた。
「あの時、セネリス君を本来の家業から遠ざけてしまった私は、あなたのお父様に申し訳が立たないですよ」
静かにゆっくりとかぶりを振ったセネリスは、アマヨリへ視線を向けて、言った。
「この子は……、亡くなった友人の娘ですが、複雑な家庭で育っていまして。幼い頃に両親を亡くし施設で育ちました。私も数年前にそれを知りこちらで引き取ったのですが、まだ妻を迎えておりませんので、養子にすることができていないのです」
一体この台本は誰が用意しているのだろうか。
アマヨリはスラスラと先日の打ち合わせ通りの設定を、役者のように話すセネリスが少し怖くなった。
「それは、なんと痛ましい。何か困りごとがあったら是非、私に言ってください」
アマヨリはその設定自体、どこまでが本当の話で、何が嘘なのか全くわからなかった。唯一わかったことは、セネリスがトゥレイス当主の善意を利用して、自分の手札を増やしたことだった。
(私もうまくやれるかな……)
先ほどまでの重苦しい空気はすっかり和らぎ、当主とセネリスの笑う声がこだまするようになっていた。アマヨリの足は、慣れないヒールで靴擦れ跡だらけになっていたが、パーティーでは、豪華なオードブルや飲み物が楽しめると聞いて、それを唯一の心の支えに準備を進めることにした。




