Log2-10//ロスト(1)
ワサトは気まずかったのか、夕食は一人で取ると言って外出してしまった。
一人きりのリビングは静かで、これまでの出来事を整理するにはちょうどよかった。開け放った窓からの冷たい風が、暖かなリビングの空気をさらっていく。
気がつけばここに来てから、アマヨリは数えきれないほどの知識や経験を得ていた。施設にいたままでは、到底手に入れることのできないものばかりだ。
色々な出来事を思い返すと、あの場所から逃がしてくれたダイアンへの想いが募る。
(ダイアン、無事でいてね。わたしが必ず探し出すから)
そよいだ風の心地よさにソファでうとうとしていると、ダイアンとの記憶が鮮明に蘇ってきた。
――お守り渡すね。
「お守り!」
思わず声をあげて飛び起きると、すぐに自室へと向かった。
(確かここに仕舞っておいてもらったはず……)
アジトへ運び込まれたときに着ていた服や、持ち物は綺麗に収納ケースに仕舞われていた。
手に取ったその〝お守り〟は夜空のような紫色をした四芒星のペンダントだった。
(それにしても、なぜこのことを忘れていたのだろう)
あまりに様々なことがあり過ぎて、アマヨリはすっかりお守りの存在を忘れていたのだ。けれど、忘れている方が、自分の心を保つためには都合が良かった。
「なんか、ぼろぼろになってる……」
海水に浸かったせいか、チェーンの部分は赤茶色に錆びていた。
しばらくペンダントを眺めていると、机に置いたままになっていた革製の青い手帳が目についた。クリプタから渡されてからまだ一度も目を通していなかったのだ。
ダイアンが日記をつけているのは知っていたが、アマヨリはこの手帳を見ることを避けていた。過ぎてゆく日々の中で成長して行く自分が、彼を置き去りにしていってしまうようで、時間の止まったままの手帳を見るたびに、罪悪感が込み上げてくるのだ。
そしてなにより、彼の書いた文字や文に触れることで、ダイアンの存在を近くに感じてしまうのが怖かった。
けれど、アマヨリは何かを決意したかのように手帳を手に取り、ページを捲った。
最初の記録は、十歳ごろから始まっていた。どうやらこの頃から施設への違和感を覚え始め、気になることを書き留めていたようだ。
そこには、高熱を出し医療棟へ運ばれていった子供たちのことや、テーヴァと喧嘩したこと、アルダナリが交代したことなどが綴られている。
ダイアンらしいレポートのような文章で、詳細に記されているものもあれば、はっきりとその時の思いを書いている日もあった。
パラパラと捲っていくとアマヨリのことが書かれていることに気がついた。
――ついにクリプタへのイタズラが成功した! 驚いてソファから転げ落ちる姿が最高にスッキリした! これはアマヨリの作戦勝ちだ。明日はどんなイタズラを仕掛けよう。
――二センチ背が伸びた! きっとアマヨリを追い越しているに違いない。驚くだろうか。
(え! やだダイアン、私より小さかったの、気にしてたんだ。すっかり私を追い越したのに。ふふふ)
幼いときはアマヨリの方が背が高かった。いつもアマヨリから弟のように扱われてしまうことが年上のダイアンにとっては一大事だったようだ。
――珍しくこちらにクリプタが来た。アマヨリの面倒をしっかり見ろと半ば脅された。クリプタは昔から彼女を甘やかしすぎている!
(ええ!)
クリプタにはしょっちゅう怒られてばかりいたので、その書き込みは心外だった。
――最近、詩集を読むと心の整理がしやすいようだ。アマヨリに会った日は詩集を参考に、気持ちを整理して綴ってみよう。
(なにこれ、ダイアンが詩集を読んでるなんて知らなかった。どおりでポエムっぽい作文ばっかりだと思った)
ダイアンの内面の新たな発見に自然とアマヨリは笑みがこぼれていた。
幼い日のくすぐったい想い出が蘇り、彼がすぐそばにいるような気さえした。
更にページを読み進めて行くと、ダイアンがリラのところに行く前日のことが書かれていた。
――明日がなんだか待ち遠しい。アマヨリの身長は追い越したし、アル兄のようになれただろうか。早くアマヨリに会いたい。
日記には時折、〝会いたい〟と綴ってあった。
その言葉を目で追うたびに、アマヨリの重なる気持ちが胸を締め付ける。
「あれ、途中で終わってる?」
なぜか日記の終わり際の文字をビーッとペンで書き損じているページがあった。
(これ! あの時、私が後ろから突っ込んだからだ……。途中で終わっちゃってる。なんて書きたかったんだろう……)
途中になってしまった日記の続きが読めなくなったことで、アマヨリはあの時の自分のお転婆加減に後悔した。
残り少なくなったページを惜しむように捲っていく。
――準備は整った。約束の場所までうまく辿り着ければ、色づいた世界が待っている。細かい心配ごとはあるが、お転婆で人懐っこいアマヨリのことだから、案外すぐに色々な人と打ち解けられそうな気がする。もう少し大人になったら、あのお転婆も少しは落ち着くのだろうか……。とにかく成功させなければいけない。彼女だけは送り出すと決めた。なにがあっても絶対に――。
前半部分に書かれた〝お転婆〟という言葉に、アマヨリは少し引っかかった。
最後のダイアンの決意とも取れる一文を目にして、とうとうアマヨリは堪えきれず堰を切ったように、わんわんと声をあげて泣き出した。
あまりに嗚咽まじりに泣くのでワサトは帰ってくるなり驚いて、慌てて階段を駆け上がった。
「わー! ごめんて、ちょっ! アマヨリ落ち着いて。俺も言い過ぎたって。そこまで泣くことないだろう」
もはや食事の時のことも追い打ちになったのか、ワサトを見てほっとしたのか、アマヨリの感情は補修の効かない器のように崩れ始めた。
わんわんと子供のように泣きじゃくるアマヨリを前に、ワサトはなすすべもなく、立ち尽くした。
「ごめんなさい、全然ワサトのせいじゃなくて……」
なんとか落ち着きを取り戻したアマヨリの前には、疲れ切ったワサトが立っていた。
窓を開け放ったままで、泣き声は外まで聞こえていたらしい。
部屋はすっかり冷え切っていた。
ワサトはキッチンに立つと、マグカップにチョコレートを放り込む。
ふつふつと温められたミルクは、ブワッと泡になり溢れ出た。
「おっと!」
ワサトは慌てて火を止める。
まるでアマヨリの涙のように堰を切って溢れた泡は、何事もなかったかのように鍋へと収まった。
――コトン。
カップが目の前に差し出されると、アマヨリは泣き腫らした顔を緩めた。
暖を取るようにカップを両手で包み込む。
口にしたホットチョコレートは冷えた体に染み渡り、バラバラになった心を繋ぎ止めてくれるようだった。
「貸してごらん」
ワサトに四芒星のペンダントを渡すと、錆びた金具を器用に外し、新しいチェーンに交換してくれた。
「これで首にかけられるよ」
これならずっと肌身離さず持っておける。
アマヨリは泣き腫らした顔でうなずくと、首元にぶら下がるダイアンのお守りをぎゅっと握りしめた。
「ダイアンは生きてると思うんだよね」
「え? 何かわかったの⁉︎」
「いや、ごめんそういうわけではないんだけど、さっき日記の最後のページがちらっと見えちゃったんだけどさ」
どうやらワサトは、諜報活動の職業柄というのか、目に見えるものを見て記憶する癖がついているようだった。
「最初からヨリちゃんだけを逃すつもりでいるような書き方だなって。彼はもし見つかっても、自分たちに危害が加えられることは無いって知っていたんじゃないかな。自分は残って後でなんとかする方法を考えていたんじゃないかと」
「そしたらやっぱり、まだあの島のどこかにいるってことだよね」
「俺はそう思うけどなぁ。先生は二人とも回収するつもりでいたから、ダイアンの考えはなにも聞いてないみたいだけど」
クリプタやセネリスの調査では、リラがダイアンに接触している様子はまるで見られないとのことだった。あの時に、リラも取り逃がしていたなら、あの巨大なジオフロントの世界で身を潜めている可能性も十分に考えられた。
アマヨリはもう一度あの場所に戻って、ダイアンを探したかった。そんな思いを汲んだようにワサトは話を続ける。
「俺、他にも気になることがあるからさ、ダイアンのこと調べてみるよ」
「ほんとう!? 先生たちも忙しいからうまく進んでいないんじゃと思ってて。ワサトも探してくれるなら心強いよ」
顔を明るくしたアマヨリに、ワサトは付け加えるように言った。
「俺が彼を探すこと、ヨリちゃんと俺だけの秘密にしてもらってもいい? 他のメンバーには言わないでおいて」
彼らには既に、様々なミッションが課されている。
ワサトが勝手に決めたことなので先生や他のメンバーに話せば、反対される可能性があった。アマヨリもその辺の事情は察知していたので、静かに頷いた。
この日二人は、色々な話をした。
ワサトと行動を共にすることも多く、これまでも仕事のことや組織のこと、たくさんのことを話して来た。お互いにまだ気を遣いあっていた部分もある。
ワサトから見れば、ダイアンの話はなんとなくタブーとなっていたし、アマヨリから見れば、いつまでもめそめそと泣き言ばかりで周りに気を遣わせるのが嫌だった。
けれど、アマヨリはありのままの自分を見せたことで、二人の間にあった壁が、ほんの少し、薄くなったような気がした。
ワサトは、まだまだ助けを欲しがっているアマヨリの幼い心に寄り添わねばと思い、アマヨリもまた、寄り添ってくれる人がいるのだと、心から安心できたのだ。




