Log2-9//重さ
山吹色の葉をつけていた木々も、すっかり葉が落ち身軽になっていた。
季節は新たに冬という旅人を迎え入れようとしていた。
移り行く季節の変化は時の流れをあらわにし、温度管理の徹底された屋内で過ごして来たアマヨリには、肌で感じる冷たさも、生きるものすべてに限りがあることさえも、美しく思えた。
朝晩はすっかり冷え込み、ベッドから出るのが少々辛くなったアマヨリだったが、アジトでの生活も定着し、便利屋稼業もそれなりにこなせるようになっていた。
仕事が入らない日は、もっぱら勉強や基礎体力の向上に専念し、アマヨリは少しずつ逞しく成長していた。
「行ってらっしゃい〜」
旅行カバンを片手に軽く手を振るアルフリーナは、コンテナに乗せられた人々を探るため、シャエリアへと飛び立った。近くとはいえ、軽く五時間は浮行船に乗らなければならない距離だ。今回は故郷への帰省を理由に潜入するらしい。
偽造IDで各地を飛び回るアルフリーナは、なんの躊躇もなく出国の手続きを済ませていた。
「ヨリちゃん、この後は隣街まで足を伸ばして仕事だよ」
「はーい。掃除は得意だから任せて!」
この頃になると、アマヨリはすっかりワサトたちと打ち解けていた。
二人とは十歳近く離れていたが、距離を縮めたかったアマヨリは、思い切って施設にいた頃のように振るまった。その甲斐あってか、彼らとはなんでも相談できる関係が築かれつつある。
身支度を済ませて外へ出ると、すでにワサトがスカイックに乗って待っていた。
アマヨリはいつものように、後ろへ飛び乗ると、元気な掛け声と共にフルスロットルで出発した。
隣の町は港町と違い、平坦な土地にこぢんまりとした邸宅の並ぶ、比較的裕福な人々が暮らすエリアだった。
坂道に囲まれた景色に慣れてしまったせいか、整然と並ぶ家々が新鮮に見えた。
整備の行き届いた町並みは、余所者を受け付けない雰囲気さえある。家屋の大きさが港街の人々との暮らしの違いを顕著にした。
兵士のように連なった並木道を越えていくと、真っ白な石畳の敷き詰められた屋敷が見えてきた。
「あった、あった、あの家だよ」
指さした家の門戸の前に人影があるのがみえた。
今回の依頼主は穏やかそうな風貌の初老の男だった。
品のある仕草や、ゆったりとした口調は、港町の豪傑な男達とは異なり、落ち着いた人柄が感じられる。
「最近、妻の体調が思わしくなくてね。屋敷内の清掃と、妻の庭に花を植えるのを手伝ってもらえるかな」
依頼主は当主であるアクベンスという齢六十ほどの男だった。
早速、男は屋敷内を案内しながら、依頼する部屋の中を見せる。
「かしこまりました。メインで使用されるお部屋から取り掛かりますね」
もう随分と仕事にも慣れ、客の対応に苦戦することはなかった。
手際よく家具の埃をはたき、掃き掃除からモップがけ、ワサトが改造を施した掃除用具も使いこなし、アマヨリは順調に仕事を終わらせていった。
「あとは窓かぁ」
各部屋の窓を拭き上げ、扉を開けてゆくとひんやりとした風が穏やかに通り抜けてゆく。昼下がりの暖かな日差しが、最後の仕上げをするかのように部屋を照らす。
アマヨリはこの瞬間の、空気が澄んでいくような清々しさが、気持ち良くて好きだった。
ワサトと手分けした部屋は残り二箇所となり、アクベンスはアマヨリへ声をかけた。
「便利屋のお嬢さん、この部屋なのですが……」
何か言いにくいことがあるのは、すぐにわかった。
「何か困り事があるのですか?」
アクベンスは俯いたまま、部屋に通すことを躊躇している。
(見られたくないのかな?)
ピンと閃いたアマヨリは、提案をする。
「触って欲しくないものや、見せたくないものがある場合は、最小限にとどめることもできますので、遠慮なくおっしゃってくださいね」
にこやかに、慣れた口調で返すとアクベンスは安心したのか、意外なことを頼まれた。
「この部屋で見たものは、他言無用でお願いできると助かります……」
よからぬものでもあるのだろうか。
部屋は何の変哲もないただの寝室だった。
ふと、本棚やベッドの袖机を見ると、そこにはたくさんの写真が飾られている。
施設にいたときにはなかったものの一つではあったが、便利屋仕事を通して、たくさんの家庭に上がり込んでいたアマヨリには、それがごくありふれた光景だということは認識していた。
ただ、他の家庭とは明らかに異質なものがここにはあった。
幸せそうに並んだ家族写真の中に。
少しの動揺が伝わってしまったのか、アクベンスは写真のものについて語り出した。
「実は、私たち夫婦は十年ほど前に、一人娘を事故で亡くしてましてね。写っているクローンは娘のものです」
今まで訪れた一般的な家庭には、クローンが同居していることはなかった。しかし、富裕層のエリアではクローンのいる家庭は珍しくない。
どのクローンも無機的で、大切にされている様子はまるでなかったのだ。
けれど、この家では家族写真に一緒に映るクローンが存在している。
アマヨリが警戒心なく写真をまじまじと見ている様子にアクベンスは、ほっとしたように話を続けた。
「私の娘は自身のクローンが来たことを大変喜びました。クローンへ感情移入することは禁止されていますが、娘はまるで妹のように大切にしていたんです。ですから私たちも〝彼女〟と家族同然に一緒に過ごしてきました」
アクベンスのどこか遠くを見るような眼差しに、アマヨリはそっと仕舞っていた、自分の気持ちを重ねた。
「しかし、無情にも事故は娘の命を奪い去り、彼女は残されました。私たちは帝国へ返還することもできず、家族のまま暮らし続けることにしたのです」
アマヨリはすべての部屋を掃除していたが、彼女らしき姿を屋敷内で見かけることはなかった。この写真に映るクローンの顛末を聞くのが少し怖い気もした。
―― 一体どこへ行ってしまったの?
「ある時、妻は娘を失った喪失感に耐えかね、心を壊してしまいました。クローンである彼女を娘だと思い込むようになり、もはや私が何度違うと言っても、聞き入れることはありませんでした」
アクベンス当主の目から一筋の涙が頬を伝っていく。
アマヨリは、彼の過去を抉り出してしまったのではないかと思った。
話を止めようと声をかけたが彼は首を振り、話を聞いて欲しいようだった。
アマヨリは寄り添い、風のよく通る窓辺で静かに彼の声に耳を傾けた。
「そして悲劇は起こりました。妻は娘の顔が見たいと言い出し、彼女のヴェールを取り払おうとしたのです」
アルフリーナの話が脳裏をよぎる。ぞわりと身体中に電気が走ったような感覚だ。
「娘は……、そのままぴくりとも動かなくなり……、息絶えました」
あの時。自分はまだどこか、作り話のように聞いていたのかもしれない。
目の前の事実が輪郭を帯びていく度に、胸の奥が傷だらけになっていく。
もう、目を瞑っていることが許されないのだ。
当主の横顔は悲しみに満ち、アマヨリの心にさえも浸透していく。
「最後は、統制局が彼女を引き取ってゆき、私たちの元には誰もいなくなりました、寂しいものです」
「あの、奥様はその、法を破ってしまって大丈夫だったのでしょうか」
「ええ。妻は完全に精神を壊してしまいましたから。統制局も裁きようがなかったのだと思います。今も会話することすらままなりません」
この広い屋敷の中にクローンの使用人がいないのはおかしい、とワサトが言っていたことの理由がわかった。
彼らはクローンを見ることができなくなってしまったのだ。
かけられる良い言葉も見つからず、アマヨリは施設を出ていったレンユウやアル兄たちのことばかりが頭に浮かんだ。
「きっと……、今ごろ新しい星に生まれ変わって、娘さんと本当の姉妹のようにおしゃべりしていると思いますよ」
彼女は幸せだった。そんなこと、アマヨリには言えるはずもない。
せめてもの慰めの言葉として、星となり二人幸せになっていることを願い、励ましの言葉を伝えるので精一杯だった。
大切な人を失うとは、残されるとはどんなに辛いことなのだろう。
アマヨリはぎゅっと拳を握りしめた。
アクベンス当主は、穏やかに言う。
「生まれ変わって……。なるほど、星神様の話だね。私もそう願いたいです。昔はそう考えられていましたが、今ではそう願うことも許されない……」
帝国には死者は創星神の一部となる、という教えがある。
アマヨリは知らないうちに今では禁忌となった考えを口にしていた。
しかし、当主は気にせず、そのまま続ける。
「お嬢さんの、夜空のような瞳で言われたら、なんだかそのような気がしてきましたよ」
――夜空の瞳。
ダイアンがそう言ってくれたことを思い出し、アマヨリは胸に手を当てる。
そして、またその気持ちを仕舞い込み、ゆっくりと前を見た。
「星空がよく見えるように、残りの窓も綺麗にしますね」
アマヨリは自分の気持ちを奮い立たせるように、残りの仕事に打ち込んだ。気持ちを込めて綺麗にしよう。そう思うと、いつになく窓を拭く手に力がこもった。
人から大切にされたクローンもいたのだと。
閉ざされた世界に、一筋の希望が見えたような気がした。
「今日はありがとう。話を聞いてもらえて少し楽になったよ。今度はぜひ遊びに来てください。たくさん茶菓子を用意して待っているよ」
当主はそういうと、にこやかに送り出してくれた。
優しさに溢れた家族だったのだろう。
施設にいたときは、〝夫婦〟や〝家族〟といった言葉すらわからなかった。
その意味を少しずつ理解できるようになり、自分自身にも同じ感情があるのだと安堵する。
けれどその感情を知れば知るほど、彼らと自分たちクローンを隔てているものが何なのかを、考えてしまうのだ。
(クローンもいつか人と同じように家族を持ったり、夫婦になったりそんな未来はあるのかな)
先のことを考えると不安ばかりだった。
けれど、ワサト達のように自分のできることを、精一杯やろう。
アマヨリはそう心に決めた。
二人は仕事を終え、夕食を取ろうと酒場に入っていた。週末というだけあって大勢の客で賑わい、酔いどれの客が料理を運ぶクローンに文句を言っていた。
「おい! いつになったら注文したものが来るんだよ!」
「申し訳ありません。順番にお作りしていますので、もう少しお待ちください」
「お前らはそんな謝罪しかできないのかよ!」
感情のこもらない謝罪にカチンと来たのか、男はいきなりクローンの胸ぐらを掴んで投げ飛ばした。
――ガツンッーー。
鈍い音と、皿の砕け散る音が響き渡る。
あたりは騒然としたものの、酒場では時々発生しうる光景なのか、屈強な店主に男はつまみ出され、散らばったガラスを掃き始める。
一向に起き上がらないクローンに誰も駆け寄らず、店主の舌を打つ音が聞こえた。
「ちょっと、私行ってくる」
言葉が出たときにはもう体が動いていた。
倒れたクローンに駆け寄り頭部を確認すると、出血さえしていないものの、顔からみるみる血の気が引いていく。
「大変! 誰か、手当できる人はいませんか?」
そうアマヨリは叫び、あたりを見まわした。
皆こちらを見るものの、手を貸してくれる様子はない。
それどころか、ワサトは血相を変えて走り寄り、アマヨリの手を掴んで無理やり店を出ようとした。
「いっ、痛い。ワサト離して、早く手当をしないと」
「すみません、連れがちょっと変な気ぃ起こしちゃって。具合が悪いみたいなんで今日は連れて帰ります。支払いはするのでオーダーは止めてください」
店主にそう伝え、支払いを済ませると足早に店を出た。
「ねぇ! なんで助けなかったの? 怪我、絶対酷かったよ」
「……」
ワサトは返事もせずに、そのまま店の裏手に停めてあったスカイックに跨って、アマヨリを無理やり引き寄せた。
片足もまだスカイックに乗せていないのに。
「あんまりだよ……」
「あんまりはどっちだよ!」
普段聞くことのないワサトの声量は、自分の行いが間違いであることに気づくには十分だった。
アマヨリの怯えた顔に、冷静さを取り戻したワサトは、声のトーンを下げて続ける。
「これだけ一緒に見てきて分からないのか? あの行動がどういう結果になるのか想像つかないのか?」
叱られたのはクリプタとダイアン以来だった。
あまりにも無慈悲な状況に、アマヨリは言わずにはいられなかった。
「でも、流石にあの状況で見放すなんて出来ない! あのまま治療もしなかったら死んじゃうかもしれないんだよ⁉︎」
ワサトも納得しないアマヨリを前にして、少し口調を強める。
「よく聞け、この世界でクローンは物と一緒だ。彼らは、俺らはただの消耗品なんだ。そんな世界で開けっ広げにクローンを気にする奴がいたら、疑いの目を向けられると思わないのか? 統制局が絡むと厄介なんだ。仲間の命が危険に晒される」
アマヨリは前のめりになった体を、すぐに戻す。
――なんて浅はかなのだろう。
以前ワサトが話していたことが頭に浮かぶ。
自身の未熟な行動一つで、仲間の命が簡単に消されてしまう。
彼は経験したからこそ、こんなにも危惧しているのだ。
勢いのなくなったアマヨリに、ワサトは穏やかに言う。
「助けてやりたい気持ちはわかるんだ。痛いほど。でも今じゃないんだ、まだできない」
ワサトの声は悲しげだった。
「うん。ごめんねワサト、私が軽率だったよ。その先に繋がること何も考えられてなかったよ」
スカイックから見下ろした街は明かりが灯り、商店を歩く人もまばらになっていた。
しばらくワサトは黙ったままだった。
上着を着る間もなく出たせいで、掴んだワサトの両肩は冷え切っている。
「いや、ごめん。感情的になりすぎた。表立ってやるのは得策ではないから、裏からできる方法を考えればいいんだよ」
空にはすっかり星が出ていたがまばらにかかった雲が星を隠した。
まるで心にモヤのかかった自分のようだと思えた。
さっきのクローンは大丈夫だったのだろうか。
何もできない無力さだけが残った。
「命ってさ、平等じゃないんだよ」
ワサトがぽつりと呟いた言葉が、アマヨリはずっと頭から離れなかった。




