Log2-8//アルジリス・ノクス
その頃、帝国では頻発する反帝国組織のテロやドミニオン内の内戦に手を焼いていた。ドミニオン内は連合警察とよばれる組織が治安の維持に努めていたが、武力衝突も各地で起き始め、もはや連合警察の権限と装備では対処しきれない状況に陥っていた。
もともと周辺の小国を取り込んできたタウコニアでは、内戦がたびたび起きており、それら燻ぶりを利用したテロが帝国との国境沿いで起きるようになったのだ。
事態を制圧できなくなったタウコニアは、主権を手放すに等しい決断であったが、帝国軍の駐留を容認せざるを得ない状況に追い詰められていた。
「すまない、コーヒーを頼むよ」
まだ陽も差さないうちから、軍の制服に身を包んだ男は朝食を取っていた。
流れてくるニュースに反応し、ぶつくさと不機嫌そうにしている。
頭をかきむしりながら、目の前のクローンを呼び寄せて、いつもの食後のコーヒーを注文した。
はい。とだけ答えたクローンは、テーブルの食器を慣れた手つきで片付け、調理場へと戻って行った。
手元のエアビューからは物騒なニュースが流れ続けている。
『今日未明、タウコニアにて反政府組織により、大規模なテロ攻撃がありました。死者は十人を超え、行方不明者は三十人以上になると……』
(タウコニアでもか……、最近一段と増えたな。いったい枢密府はなにをもたもたしているんだ)
パラパラと飴色の短髪がテーブルに落ちると、嫌な気分がじわじわと込み上げた。
「どうした? 頭なんか抱え込んで。少し休んだほうがいいんじゃないか」
振り返ると、紺色の制服を着た男が一緒に画面を覗き込んでいた。
「先に言われるとは、休んだほうがいいのは君だろう、クリプタ君」
遅れて朝食の席についたクリプタは苦笑いを浮かべると、軍服を着た男に言った。
「休めとは言ったものの、こんなところで朝食を取っていていいのか、結構な犠牲者がでてるようじゃないか。ノクスの家名が泣くぞ」
――そんなことはわかっている。
ノクスは何もできない苛立ちを浮かべながら言う。
「やれるならやってるさ……。シャエリアには既に数年前から駐留が開始されているが、収まったのは一時的で、結局すぐに別のところでまた起きる。今必要なのは行き過ぎた階位制度の見直しと、無秩序なドミニオンへの締め付けを緩めることだ。枢密府の年寄りどもは評議会でいったい何を話し合っているんだか」
そう言ってノクスは目の前で注がれたコーヒーを一気に飲み干した。
「相変わらず、ぬるいコーヒーを飲んでるんだな」
ノクスは平然とした顔で、まあね。とだけ言って、クリプタの元に運ばれてきた
食事を眺めながら、その揶揄いと皮肉の入り混じった言葉に昔と変わらぬ彼の姿だとどこかホッとした自分がいた。
「もう少し犠牲が積み上がったら枢密府から指示が来るさ」
ノクスは周りの様子を気にしながら声をひそめて言った。
「……中だと思うか」
「ああ」
「協力を仰げるか……」
クリプタは食事の手を止めず、目線も合わせずにその質問を待っていたかのように、静かに答えた。
「もちろん……、ただし条件がある」
追加で注がれたコーヒーは吹きかかった息で小さな波紋を作った。ノクスは薄笑いを浮かべて半ば諦めたように言った。
「なんだ、それを最初から言いにきたのか。本当にクリプタ君には参るよ」
「こちらの準備が整い次第、クローン部隊にアルファ1からオメガ9に移したクローンがいる。そのクローンを当たって欲しい。今後のためにも見ておいてくれ。話はそれからだ」
「了解」
本当にそれだけを言いに来たようで、クリプタはほとんど手付かずの食事を置いたまま席を立っていってしまった。残されたノクスは、彼の心の空虚さを見たようで、あの頃の孤独を閉じ込めたままなのだと、静かな悲しみが胸に積もった。
クリプタとは業務上の付き合いもあるが、子供の頃からの友人だった。
臆病で引っ込み思案なノクスは、学生の頃からいじめられることも多く、代々軍人家系の階位〇三を有しながら、ビクビクと何かに怯えるように生きていた。
そんなノクスの不足を補うように、クリプタはいつも冷静沈着で物おじせず、弱虫と揶揄われたノクスへ手を差し伸べてくれた。
聡明で優しい彼ではあったが、いつもふとした瞬間に見せるその眼差しは、どこか寂しげでもの悲しい目をしていた。幸せになって欲しいと願っていたが、まだその瞳は昔のままだったのだ。
「アルジリス・ノクス君、君の意見も聞こう」
帝国軍本部、副都市レバルトでは、ドミニオン内でのテロ対策の協議を行っていた。不必要に広い会議室には、軍の幹部たちがまばらに、お互いの距離を取るように座している。
進行役の幹部からの指名に、ノクスは誰も問わぬことを毅然として言った。
「すでに犠牲者が各ドミニオンで出ています。シャエリアは既存の駐留部隊を増強し、被害の大きいタウコニアへも早々に軍を派遣して、調査に乗り出したほうがいいのでは。まだ枢密府から許可は降りないのでしょうか」
向かいに座った男が諦めたように答える。
「昨日の評議会ではまだ許可が出ておらんのだよ」
「なら、帝国軍の本体がダメなら統制局を使ってはどうでしょうか。もともと民衆の監視要員ですが武装させて……。いや、統制局員として行けばいい。それなら我々に指揮権がある」
軍を持たないドミニオンには、連合警察と呼ばれる治安維持組織がある。統制局は日々、連合警察から上がってくる情報を元に、民衆の監視を行なっている。異端者や反抗的な動きがあれば拘束し、取り調べや拷問にかけるなどの権限を有している。
ただし、統制局は軍のような武力行使を主目的とした部隊はない。情報収集に長けた軍の組織の一つであった。その組織を利用してまでも、ノクスはこのテロを早く止めたかった。
「統制局か……、できなくはないが、帝国内で活動する彼らは情報を持ちすぎている。万が一テロ組織の人質にでもなった時の損失が大きい」
「帝国内の対応ならともかく、ドミニオンですからね……」
次々に幹部たちは検討するそぶりを見せるものの、動こうという気はないようだった。
「うむ、枢密府はどんな感じなのかね、フェデラリス総帥」
帝国軍総帥である、スピラ・フェデラリスは軍の最高指揮官ではあったが、この専政的な帝国の盤上では、彼の権限などあってないようなものだった。
しかし、それを口にするものはここにはいない。
いつもの枢密府へのお伺いを立てた彼は、当然のように言葉を返す。
「評議会の方では、タウコニアがまだ駐留を許可していませんから。時間の問題なのです」
ノクスは今にもあふれそうな感情を抑えるように、低い声で言った。
「このまま犠牲者が増えていくのを待てと言うのですか」
フェデラリス総帥は、ノクスの熱量を鎮めるように答える。
「そうは言っていない。気持ちはわかるが、我々が無理に介入して悪化させる可能性もある。何よりまだ帝国に大きな犠牲はない。我々の心血を注ぐタイミングではないのだよ、ノクス君」
フェデラリス総帥はそう言って、動かぬ盤上の権力者というコマを、必死に飛び越えようとするノクスに、憐れみさえも含んだような言葉で阻止した。
「いずれドミニオンは帝国の一部となる運命。その時までノクス君、君は盤上を飛び越えてはならないのだよ。その心根の美しさは時に、自らを苦しめてしまうのだろうね」
タウコニアが帝国に要請するのには、そう時間はかからなかった。
まるで誰かが裏で糸をひくかのように。
頻繁に耳にするようになった爆破物を使用したテロは、怪我人や死者をうなぎ登りに増やしていった。街では帝国に反対する勢力が帝国評議会に関する偽情報を拡散し、民衆の感情を煽りながら世論を不安定なものへと導く工作が行われていった。
ついには、最後まで軍の駐留を拒否したタウコニア首脳も、窮余の一策として、兵士を半数以上、クローン兵とすることで合意した。
動きは迅速に、フェデラリス総帥は、帝国軍の派遣を命じ、その指揮官としてノクスが選出された。
帝国軍は、暗躍するテロリスト達を本格的に掃討する作戦を開始しようとしていた。
ノクスは派兵前に、レバルトの郊外に置かれたある場所へ来ていた。
(久々に来たな……)
すれ違う人々が皆、足を止め、不動の姿勢で挨拶を交わす。
精悍な顔つきではあるが、まだどこか幼さの残る眼差し達は、ノクスの気弱な背筋を伸ばした。
ここは、入隊したばかりの新人たちが軍のしきたりや、規律・規則、訓練を通して軍の一員、いわゆる兵士として知力・体力・技術を身につける軍の教育施設だった。
新人たちは主に兵役で入隊する者の他に、帝国中から集められた階位九や八の者が多かった。彼らは、新人教育を終えて、配属されれば軍人でいる限り、階位が七まで引き上げられる。
そのため、階位の低い八や九の者たちが貧しさからの脱却ゆえに集まってきていた。
ノクスは通された部屋で少し待つと、いかにも強面で屈強な男が入室してきた。
けれどその見た目とはうらはらに、強面の男はどこか不安そうに尋ねた。
「我々が送り出した兵士たちに、なにか問題がありましたか……」
「いや、今日は少し様子を見に来ただけだ。これから自分の師団へ配属になる者もいるわけだからね。こうして若く溌剌とした姿を見るのも、襟を正されるようだよ」
「そうでしたか、いや、ノクス少将がお越しになるとは、なにかあったのかと」
「すまない、驚かせしまったようだね。これからタウコニアへの派兵を控えている。しばらくはここに足を運ぶこともないと思うとね。若く優秀な人材を見ておきたいんだ」
ノクスは、もっともらしい理由を並べたて、私用で来たことを隠した。
しばらく新人たちの訓練の様子を見学し、指導教官たちへ叱咤激励を送る。それらしいことをひととおりこなし終わると、最後の場所へ案内された。
強面の軍曹は扉の前に来ると、今までと異なり遠慮がちに言った。
「特に日々変わりはありませんが、時間を取らせてしまうので、こちらは見なくても問題ないかと……」
「いや、一見同じように見えるが割と個体差が大きいんだ。少し見ておきたい。説明も必要ないだろうし、君はここで待機していればいい」
再度、もっともらしいことを言ってノクスは一人、自動扉の向こう側へ足を踏み入れた。
静けさの広がる室内ではクローンたちが武器の整備に勤しんでいる。
規律を乱す者もなく、不必要に視線を向ける者もここにはいない。
普段であれば軍曹の言うとおり、見る必要もない場所だった。
早々に気づいたクローン兵は立ち並び、一糸乱れぬ動きで挨拶を行う。ノクスは彼らの胸元の識別コードを確かめるように一人一人を見て回った。
時に話しかけ、所属や仕事を聞いた。相変わらず彼らからは、規則正しい回答が返ってくる。
やがて、一人のクローンの前で足を止め、ノクスは顔を見た。
――α1/Ω9_09_20014 (アルファワン・オメガナイン)
(彼のことか。アルファ1からオメガ9に移動か。珍しいな……)
「ここでは何を?」
「はい。偵察部隊に所属しています」
「そうか。重要な役割だな。期待している」
そう声をかけたノクスは、クローン兵の前に手を差し出した。
「……」
クローン兵は何かに気づいたように、手を握り返す。ノクスは静かに敬礼を送り、そっと踵を返した。手の中には、彼から受け取った記録チップを固く握りしめて。
「優秀なクローンたちだったよ。よく訓練されている。人も見習うべき点があるのではと思ったよ」
ノクスは案内役の強面軍曹に皮肉めいた口調で言った。
彼の冗談とも取れる会話に、軍曹は少し困ったような顔をしたが、なんの問題もなかったとわかると胸を撫で下ろした。
「ここは、人間たちは新人ですが、クローンはすでに経験を積んだ者たちです。教官役はできませんが、新人たちの最良な訓練道具になり得ています」
何か思うところがあったのか、ノクスは少し考えるようにして言った。
「そうか。それはいい試みではあるのだろうが、費用もそれなりにかかっている。道具なら大切に扱うことも、新人たちへよく言っておくといい」
軍曹は再び顔を緊張させると、ノクスへ畏るように返事をした。
ノクスは帰りの道中で、複雑な感情を巡らせていた。いつも思うのは何か立ち振る舞いをした後に、少将らしく振る舞えたか。判断は間違っていなかったか。
ということを必ず考えてしまうのだ。
どんなに学を積み、経験を重ねても、大きな組織を抱える重圧は消えない。
代々軍人家系でありながら、とてもこの仕事が自分に務まるとは思えなかった。
ノクスはため息を漏らしながら、クローンから受け取った記録媒体のチップをポケットから取り出した。
クリプタのように堂々と、したたかにできたなら、どんなにいいか。
手のひらの上で黒く光るチップを眺めながら、癒えない悩みに悶々とした。
チップには一人の少年の情報が掲載されていた。
(人を探してるのか。ん? まてよ。顔写真があるなら自分で軍の端末から調べられるじゃないか。なんで私に……)
ノクスは一つ一つ情報を見ながら精査していく。
(なるほど、士官学校に所属しているかを調べたいのか。しかし、この若さでアカデミアとは……。どこにでもいる少年のようだが。鳶色の髪に茶色い瞳……。どこかの子息なんだろうか)
アカデミアに所属する人物の情報はごく限られた人間しか閲覧できない。
そのため、クリプタはノクスに頼む他なかったのだ。
けれど、アカデミアのリストから該当の少年は見つからなかった。
「居なかったよ、こんな人探しなんて珍しいな。優秀そうな子だったけど。一応、該当の年齢層の人物データを、指定された方法で送っておいたよ。数千件あるぞ……。クローンのサンプリングでもするのか」
再び幹部専用の食堂を訪れたクリプタは、苦笑いを浮かべるノクスの質問に、あいまいに答えた。
「まあそんなところだ……、ありがとう。助かったよ」
そう言って席を立とうとしたので、ノクスはすぐに引き止めた。
「こっちもありがとう。役に立ちそうだ」
渡されたチップには、少年の情報の他に、既にノクスが欲しがっていた情報が一緒に入っていた。
それは、タウコニアでテロを働く実行犯の、リクルートを担当するという男の情報だった。
「そうだろ? 俺がお前との約束を破ったことがあったか」
――そうだった。クリプタは約束を守る男だった。
自分が言うまでもなく、彼は先日の話を既に織り込み済みで、自分との依頼話を進めていたのだ。
テロを中から手引きする者を炙り出すための準備を。
「そうだったね、しばらくタウコニアに駐留するだろうから、何かあれば連絡してくれ」
「もちろんだ」
朝食のすんだ厨房からは食器の重なり合う音が耳障りに聞こえた。
クリプタの手付かずのコーヒーには、既に記録を消去して返したはずの記録チップが折り曲げられて沈んだままになっている。
音もなく沈められたチップを気の毒に思いながらも、ノクスはカップを配膳するクローンへ手渡した。




