Log2-4//クローニング局(回想編)
鳥のさえずりが絶えず響き、息を吸えば先ほどの暖かさを忘れるほどに、透き通った空気が身体中を巡るのがわかる。
ワサトの話がまるで空想世界の出来事のようで、ひとつずつ飲み込んでいくのがやっとだった。深呼吸でもしなければ、次々と積まれてゆく現実という積み荷が、崩れてしまいそうだった。
隣で深呼吸を繰り返すアマヨリの様子を確認しながら、ワサトはゆっくりと説明する。
「要するに、クローニング局と呼ばれるところは、帝国の一部の階位を持った人間の寿命を伸ばし、奴隷とするために作られた施設ってこと。その施設の局長をしているのが先生なんだ。でも、彼はその非道に満ちた世界を変えようと、反帝国組織〝沈黙の星〟としてもう一つの顔を持ってる」
あの日、クリプタはクローンの役割を奴隷代わりと言った。
しかし、実態はもっと残酷なもので、クローンの元となるオリジナルと呼ばれる人々の〝生命維持装置〟だったのだ。
帝国は、クローンを〝カノプスの器〟と呼び、交換用の生命資産として大量のクローンを作り出していた。
「私たちは……、十五歳を迎えると帝国のためにその身を捧げ、オリジナルの元へ送られる。必要とされるその時が来るまで仕事を与えられ、何の感情も抱けないままに命を求められる……。じゃあ、じゃあ……」
アマヨリは思わず立ち上がり、感情を抑えきれなくなった。
「みんなは……、もういないかもしれないってこと?」
ワサトは静かに頷き、アルフリーナは付け加えるように言う。
「でもね、器として機能するまでには大体、数十年かかる。それはデータとして出ているの。今私たちが動けば救える命も増えるのよ」
目を瞑り、もう一度深呼吸をする。
「ダイアンは……、知っていたのですね……」
――君は必ず守るから。
あのときダイアンから言われた言葉が、重みを増して思い出される。
「彼も苦しんでいたわ。だからこそ、あなたを施設から脱出させたのよ」
アルフリーナはダイアンの気持ちを推しはかるようにアマヨリに言った。
そして、脱出作戦をクリプタから指示されたときのことを、彼女は思い出していた。
――アルフリーナの記憶
「この作戦、軍の監視網を突破しないといけないのだから、命懸けよね?」
珍しくクリプタの執務室にスーツ姿のアルフリーナが訪れていた。
「もちろんだ。ミカミの件もあるから、今回は私も作戦に入るつもりだ」
アルフリーナは、納得できる答えが得られなかったために、もう一度質問をする。
「これはあなたの私情? 私は、ランブラ局長が引き取るというのだから、そのまま行かせればいいと思っているのだけど」
核心を突いたつもりだったが、クリプタの表情は変わらない。
「そうしたいのはやまやまだが、二人を施設から引き離した後のリラの動きを見たい。何より枢密府から彼らを隠しておきたいんだ」
「隠す? 局長のところにいた方がよほど安全じゃないかしら。彼らがカノプスの器にされないのであれば、他の子供たちにこの枠を使いたいんだけど」
彼がそこまでする理由が分からない。とアルフリーナは視線の合わないクリプタの顔をじっと見た。
「すまないがアルフリーナ、気持ちはわかるが二人をこちら側に置いておくメリットが必ずある」
「でも、その理由は明かせないのでしょう?」
押し黙るクリプタを前に、アルフリーナは少し表情を緩めて言った。
「はぁ、いいわ。別に何から何まで話す必要はないし。どこで漏れるかわからないものね。そのくらい重要なことなのね」
帝国という巨大な相手に、多くの機密情報を仕入れ、それを駆け引きの材料としながら暗躍することにアルフリーナは慣れていた。
クリプタの握っている情報が、共有されることがないことくらい当たり前で、信頼関係があるからこそ成り立っていた。
けれど、アルフリーナにはどうしても拭いきれない疑いがあった。
幼いときから彼の元で育った二人を脱出させるという作戦が、クリプタの私情として、うっすらと浮かび上がるのだ。
だからこそ、アルフリーナは問う。
その二人を、メンバーの命をかけて助け出す価値があるのかと。
「君の気持ちはわかるんだ。今回はかなりのリスクを孕んでる。それでも最善を尽くすだけの理由がある」
「……」
釈然としない表情でアルフリーナはデスクのクリプタを見下ろし、しばらく黙り込んだ。
考えを整理したかったのもあったが、どうしても《《あのこと》》が根底にあり、すぐに承諾することなどできなかった。
続く沈黙に終止符を打つように、クリプタは言った。
「本当に……、すまないと思ってる……」
――本当に?
クリプタの口から紡ぎ出された言葉が、アルフリーナの閉じていた心をこじ開ける。
純粋に赦しを請う彼の言葉は、無意識に罪から解放されたいと、もがき苦しむ心情ゆえなのか。
単に責任者として謝らねばならないという責務なのか。
クリプタの表情からは本心を読み取ることができない。
別に謝って欲しいわけでも、苦しみ続けて欲しいわけでもない。
ただ、忘れないで欲しかった。
都合よく、動く駒ではないことを。
アルフリーナはこの腹の探り合いのようなやり取りも、次第に面倒になった。
「いいの、もう。仕方なかったの。ミカミも私も心のどこかで覚悟はしてた。あなたが謝ることではないのよ。とにかく、私情があってもなくても、あなたがそう判断したなら私はそれに従う」
「……ありがとう、アル。当日の動きと地図を説明する」
いつもは表情ひとつ変えないはずの、ホッとしたような表情のクリプタを見て、アルフリーナは目の前の人物が背負った荷の重さを知った気がした。
間断なく鳴り続けるクリプタのヴォイドリンクは、淡々と作戦の話を進めるクリプタを追い詰めているようにも見えた。
アルフリーナは少し考えを改めた。
(なんだか……。私情を挟んで欲しくないと思ったけど、彼にも救いがあった方がいいのかな……)
♢♢♢♢
湖畔には緋色の光が差し始め、鳥たちがねぐらへと戻ったのか、すっかり一羽もいなくなっていた。
穏やかな風が枝葉を揺らし、サワサワと心地の良い音があたりを包む。
なびく髪を抑えながらアマヨリは緋色の湖畔を眺めた。
子供たちの憧れた世界は、こんなにも美しく色を変えるのに。
濁りきった世界の現実を知ったアマヨリは、ダイアンだけが背負った現実を、何一つ気づくことができなかった愚かさに、自分を責めた。
「あそこにいたアルダナリたちも、他のエリアで私たちのように育てられた子供たちだったのですね」
ワサトは頷き話を続ける。
「そういうこと。プラントって言って、アルファからオメガまである。まあ、いろいろと役割があるけど。選りすぐりの一部のクローンが、上級階位者と呼ばれる人たちの元へ行くんだ」
クローンの生成プラントを維持するには莫大な費用がかかる。
そのため生命維持装置として利用できるのは、帝国の中でほんの一握りにあたる上級階位者だけだった。
ワサトは、真剣に聞き入るアマヨリに安心してそのまま話を続けた。
「クローンに関しては、わりと厳重に管理された法があってさ、原則クローンは帝国の持ち物なんだ。だから上級階位者たちは帝国との関係が重要になってくる。命綱を握られているようなもんだ」
クローンにはその他にも、所持にあたっての事細かなルールが存在していたが、
それは表向きのルールに過ぎず、多くのクローンたちが人間の悪意に晒されていた。
「要は〝人〟と認識させないためのもの。例えば顔を出すのは御法度だし、人と同じ生活、つまりは補給食以外のものを食べさせたり、子供やパートナーの代替えにしたりすることも禁じられているんだ」
アマヨリは、信じられないほどに作り込まれた世界を受け止めきれず、ワサトの声が段々と遠くなっていくような気がした。
――隠された表情。
――バランスの取れた補給食。
――真実を言わない大人たち。
全てが出来すぎていた。笑いたくなるほどに。
「クローンの役割は明確で、人間が依頼する労働と器、つまりは寿命提供のみってわけ」
これまでの施設での生活が、ワサトの話と重なってゆき、まるでテストの答え合わせをしているような気持ちになった。
「それと、なぜバウンドヴェイルを着けているのか。これ、気になるだろー?」
長年の疑問が明らかになりそうで、アマヨリは大きく頷いた。
「さっき顔を出すのはNGって言っただろう? クローンってことはオリジナルと顔も同じ。そんなのが目の前にいたら不気味だろう? あれをつけることで、顔を覆い隠すのと感情を抑制する効果があるんだ」
「感情を抑制……」
アルダナリたちの無感情なやり取りを思い出したアマヨリは、また一つ、新たな答え合わせを完了させた。
真実が明かされていく度に、アマヨリは、自分の存在を確認するようにぎゅっと腕を掴む。
「アルダナリと心が通じあえなかったのはバウンドヴェイルのせいだったんだ……」
隣のアルフリーナは、座り疲れたのか、足を投げ出すようにして座り直した。
そしてアマヨリの声に補足するようにアルフリーナは言う。
「あれが厄介でね……、感情が抑制されるのも、もちろんだけど、何より一度つけると外せないのよ」
アマヨリは恐る恐る聞いてみた。もし、外そうとしたらどうなるのかを。
「首が飛ぶのよ。……っていうのは冗談だけど。実際は、電気信号で脳が焼かれるほどのダメージを受けるから。こんなにコストをかけて作ったものを、みすみす手放す人はいないだろうけどね……」
以前、アマヨリはテーヴァと一緒に、アルダナリのヴェイルを外そうと、イタズラしたことを思い出し、背筋が凍った。
目の前のワサトは急に立ち上がり、足元の石をいくつか拾い上げる。
カチンカチンと石たちが手の上でぶつかり合う音が響く。
「そもそもクローンっていう存在は、オリジナルの代替え品、生命そのものとしての利用価値が最も高いんだ……」
現在の技術では、人工的に人体の一部を培養して生成することも可能であった。けれど、培養できない部位もあり、生成が完了するまでに時間がかかる。
必要なときに、必要なものを用意できないのだ。
人として生み出すことで、機械に変わる労働力と、生きた医療資源としての価値が顕在化し、今やなくてはならない存在となっていることにアマヨリは恐怖を覚えた。
「えっと、その……、利用されたらクローンはその後どうなるの?」
ワサトは手に持った石を思い切り、湖面へ向かって投げた。
石はぴょんぴょんと水面を生き物のように跳ねてゆく。小さくガッツポーズをきめたワサトは再度石を投げる。
「まあ、処分だよ」
ぽちゃんと石が湖に沈んでいく音だけが聞こえる。
そして苦笑いを浮かべ、ワサトは振り返ると、言葉を失うアマヨリに向かって言った。
「提供部位にもよるけどね。ほとんどは不要クローンとして、クローニング局によって焼却処分される。また作ればいいわけだし。そうそう、クローニング局っていっても対応は医療棟で行われてる。なぜあそこに医療棟があるのかわかっただろう?」
「ひどい……」
ショッキングな内容にアマヨリは言葉を絞り出すのが精一杯だった。
語り慣れたワサトの口調は、冷静に話を聞くにはちょうど良いのかもしれなかった。
「実際にクローンとして、出荷されてからの状態しか見たことない奴らは、なんの感情も湧かないさ。あれのパーツ交換となんら変わらない」
そう言ってワサトは茂みに止めたスカイックを指差した。黒みがかった灰色にくすんだ青を混ぜたような躯体は、この森では異様に浮いている。
その浮いた無機質さが、自分たちを映す鏡のようだとアマヨリには思えた。
――私はこの気持ちをどうすればいいのだろう。
――どこにぶつければいいのだろうか。
「どうして、どうしてこんなことやめさせないの!?」
アマヨリは、逃げ場のない感情をワサトへぶつける。
「一度、社会の機能として根付いたシステムを否定するって、すごく大変なことなんだ。今じゃオリジナルの生命線となったクローンは、なくてはならない存在で、止めるどころか、誰も疑問を持つことさえない。それに、やっと戦争が落ち着いたんだ。ことさら帝国のやることに声をあげて戦おうとする奴はいないよ」
「そんな……」
いつの間にか抑えきれなくなった感情が、乾いた草地に、ほろほろと流れ落ちる。
アルフリーナはアマヨリの背を優しく、さすった。
それを見たワサトも励ますように話を続ける。
「でも俺たちは言うよ。そんなのぜってぇ間違ってるって。今こうして話してるし、うまいもんをうまいと言って、俺たちは生きてるんだ。これからもっと仲間を増やして各地に沈黙の星を広げる」
ワサトの言葉尻から、彼らも同じ施設で育ってきたことがよくわかる。
「ワサトたちもプラントにいたのですね」
「いっけね、言うの忘れてたね。俺は元プラントΧ8(カイエイト)だったんだ、アルもプラント育ちだ。……というか、アダルト組を除く、ほぼ全員が、クローンだよ」
三人は場所を変えて、湖畔沿いをゆっくりと歩き出した。
「私、今までなにも知らなかった。大切な人たちが心も命も失ってるなんて」
「あぁ、無理もないよ。俺たちだって、先生がいなかったら、この事実を知ることもなかった。だから他の奴らもこの地獄から助けてやりたいんだ」
西陽が木々の間から溢れ、しっかりと前を見据えたワサトの横顔を照らす。
その顔がどこかダイアンの眼差しと重なる。
きっと彼も、同じ覚悟をしていたのだろう。
「クリプタは……、クリプタはなぜ、私たちのことを救おうとしているの?」
彼はクローンではなく、あくまでオリジナル側の人間であり、なおかつクローニング局の責任者だ。それなのに、帝国の組織にいながら、反抗する組織を作り、クローンの解放を目的とすることが、どうしても腑に落ちなかった。
「彼は……」
アルフリーナは何かをためらうように、答える。
「彼はいつも、人間の贖罪だと言うわ……。生み出すべきでないものを、創ってしまったと……」
そう言ったアルフリーナの顔は悲しみに溢れていた。
そして、さらに続ける。
「クローニング局の職員以外は、本当のクローンの姿を知らないから。でも彼は知ってる。人と同じように育つ、心のある彼らを……。 これでも彼には感謝してるのよ」
アマヨリは彼らがクリプタを深く信頼し、自分たちの意志でここにいることがよくわかった。
幼いとき眠れずにいると、よくクリプタがおぶって部屋中を歩きながら、歌を歌ってくれたことを、思い出した。
背中に耳を当てると響いてくる低い声が、なんだかくすぐったくて、心地よかった。暖かい背中が揺り籠代わりで、よく眠れたことを。
クリプタとダイアンとの日々は、アマヨリの中で大きな覚悟に変わって行った。




