Log2-3//空中散歩(回想編)
そろりと部屋を抜け出そうとすると、出入り口にはフード付きのタンクトップに短パン姿の男がすでに待ち構えていた。
「へ〜。これは先生があの顔になるのもわかるな!」
顔をまじまじと覗き込んだ男は、ギョロリと大きな目を見開いた。
黄土色の短い髪はこざっぱりとして溌剌とした印象だ。
出入り口を塞いだ褐色の腕は、テーヴァを思い出させた。
アマヨリは後ろへあとずさるように、ギョロ目の男から離れる。
「悪いけど、ここからは出られないよ☆」
「クリプタはどこ!?」
ギョロ目の男は、アマヨリの口元に人差し指を当てる。
「おっと! ここではその名で呼んではいけないよ。俺らは先生って呼んでる」
「なんで違う呼び方を……。話はまだ終わってないの、先生でもクリプタでもいいから出して!」
結局、昨晩クリプタから聞いた話だけでは、納得できなかった。
ダイアンの捜索にも着いていくはずだった。けれど、アマヨリは泣き尽くしてそのまま眠ってしまったのだ。
「まぁ、ここじゃないところで話そうか。もう一人来るからこのまま待ってて」
「……。わかり……ました」
ギョロ目の男の言い方から、ここにはもう、クリプタはいないのだと察した。
アマヨリは素直に男の言うことに、従うほかなかった。
数分待つこと、螺旋階段から見覚えのある黒髪の女性が音もなく降りてきた。
長い黒髪は妖艶さを放ち、スラリと伸びた手足に纏った宝飾品がよく映えている。
落ち着いた口元はソリスの部屋に咲いていたツツジの花のように鮮やかだ。
「お待たせ、行きましょうか」
黒髪の女を見てアマヨリの朧げな記憶が少しずつ繋がりだす。
「あ! 倉庫で会った人!」
「あら、覚えていてくれたの? あんまり記憶されるのは良くないけど……、とんだお転婆がまさか、あなたとはね。先生がここにあなたを連れてきたのが、なんとなくわかるわ」
黒髪の女は参ったとばかりにクスクスと笑う。
「アマヨリって呼んでいい?」
「は、はい。私も……」
「アルフリーナ。ここにいるワサトはアルって呼ぶけど、どっちでもいいわ」
アマヨリは少し戸惑いながら、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「じゃあ俺は、ワサトって呼んでよ。ヨリちゃん」
「ヨ、ヨリ?」
あの日、小型艇へ引き上げてくれたのは彼らだろうと、アマヨリは二人の声をぼんやりと思い出した。
二人に促されるように、外へ出たアマヨリは、思わず目を瞑る。
「わっ……」
受け止めきれないほどの眩しさにとても目を開けていられなかった。
瞼の奥は真っ暗なはずなのに、真っ白で恐る恐る目を開ける。
そこには、本物の太陽と空があった。
高らかに輝く太陽と、どこまでも続く蒼穹が。
「太陽って暖かい……。風は不思議な匂いがするんだね……」
ダイアンと逃げ出したときは、そんなことを感じている余裕すらなかった。
今こうして本や教材でしか知らなかった世界が、ここにあるのだと思うと胸に込み上げてくるものがあった。
乾いた空気は、照りつける熱を冷ますように吹き抜けてゆき、太陽は、隠された真実を明るみに出すように地表を照らした。
アルフリーナは、柔らかい眼差しでアマヨリを見守り、ワサトは手を差し伸べた。
「ここから少し歩くけど、歩き慣れないだろうから足元に気をつけてな」
干された沢山の洗濯物がかかる通路へ出た。それらをかき分けながら、歩き慣れない石畳の上を、アマヨリはよろよろと二人について行く。
途中、大きなシーツに遮られ二人の姿を見失いそうになる。
「まっ待ってー」
子供の積み木を並べたような赤や黄色の建物がひしめき合っている。
「あはは! ヨリちゃんこっちだよ〜」
褐色の石畳で敷き詰められた坂の麓には、港が見えた。
海岸線に沿うように沢山の浮行船が物資の揚げ下ろしで停泊している。
「私たちのいるところは高台だから、景色がすごくいいの。でも歩いて往来するにはちょっと不便ね」
アマヨリは汗ばんだ額を拭いながら、初めて見る街の景色に興奮していた。
「すごい! ここがみんなが行った世界なのね」
「そうだよ。ここだけじゃない、もっと世界は広いんだ。市場の方に行ってみようか。うんまいもん食わしてやるからな!」
ワサトはそう言って勢いよく坂を下って行った。
市場と呼ばれた場所は、活気に満ち溢れていた。
一度足を踏み入れれば、あちらこちらから声がかかるのだ。
これを買わないか? あれを見ていって! それを食べてごらん。など。
目が回りそうなほどの情報量がどっと押し寄せてくる。
アマヨリは首を左右に振るようにして二人の後をついて回った。
「何だか私、冷たい飲み物が欲しいなぁ〜」
橙色の屋根の店先で、アルフリーナが喉元を撫でながらチラリとワサトを見やった。
「なに、その目は……」
アマヨリは、橙色の液体を見つめて、言葉を失った。
「これ、オレンジジュースって言うんだぜ」
あまりの衝撃に、ダイアンとよく秘密の場所で食べた、桑の実の味さえ霞むほどだった。
「すごい……、何これ」
「あ、そう言うときはさ、うまい! て言うんだぜ〜」
「うまい? うまい!」
ワサトは隣でニヤニヤとしながら、アマヨリのリアクションを楽しんでいるようだった。
「これこれ〝うまい〟じゃなくてね〝美味しい〟って言うのよ。ワサト、教えるなら丁寧に教えて」
「ニシシ、そうでした〜」
二人のそんなやり取りをよそに、アマヨリはゴクゴクとオレンジジュースを一気に飲み干した。昨晩クリプタから水をもらった以外に、なにも口にしておらず、お腹を空かせていたのだ。
何か補給食を取らなければと思ってはいたが、落ち込んだ気分から、空腹を感じることも忘れていた。
心おどる甘美な味と香りに、罪悪感さえ覚えた。けれど、伏せっていてもなにも前に進めることができないのだと、あの施設で生きる子供たちには、痛いほどにそれが染み付いていた。
まずは自分がしっかりと動けるようになろうと、アマヨリは気になる店があると、ワサトに尋ねた。ワサトも久々に頼られることに機嫌を良くしたのか、単にアマヨリの反応を楽しんでいたのかは、アマヨリは知る由もない。
ワサトは、いい匂いのするところへ連れて行っては、気前良く代金を支払った。
「あれ? ワサト、今月きついとか言ってなかったっけ」
すんなりと三人分を支払っていくワサトを不思議に思って、アルフリーナは尋ねる。
「ん? 気づきましたか。じゃぁーん!」
ワサトはエアビューを開いて見せる。そこには《《限度額不明》》の支払い用コードが映し出されていた。
「わーお。必要経費扱いなのね」
「というわけなので、今日は大盤振る舞いだぁ〜!」
ワサトが指差す方に見えていたのは、黒い板の上で焼かれている茶色い塊だった。
白い煙は、ただならぬいい匂いを放ち、道行く人の足を止める。
ワサトは満面の笑みでアマヨリへそれを手渡した。
「食べてごらんよ」
恐る恐る口に運ぶと、弾力と共に熱々の汁が喉に滑り落ちる。
「ンンンー! あふい!」
二人はニヤニヤとしながら、相変わらずこちらの顔を見ている。
「それは肉ってやつだ。んまいだろ〜」
ワサトも熱さで体をのけぞらせながら、肉にかぶりつく。
アルフリーナから猫舌だと揶揄われ、三人は楽しそうに笑いあった。
「施設にいるとこんなものがあるなんて、みんな知らないもんな」
「ええ、早くこんなこと終わらせないとね」
熱々の肉を頬張ることに夢中で、二人のやり取りが自分のことを指していることなど微塵も気がつかず、アマヨリは次の立ち寄り先を見定めていた。
三人は、先生の懐事情など気にも留めず、必要なものを買い込んでいく。
荷物が増えてきたところで、ワサトは荷物を置きにアジトへ一旦戻ることになった。
残されたアルフリーナは、アマヨリを頭から足の先までくまなく見ると、苦笑いを浮かべて言った。
「私のお下がりだと少し大きいのよね、ワサトが戻るまでに下着と衣類を調達しに行こうかしら」
手足の裾を捲った衣服は、どこか小さな子供がサイズの合わない服を着ているかのようになっていた。
「あまり目立たないものがいいから、これとこれなんてどうかな?」
市場からモール街に移動した二人は、ショーウィンドウに飾られた今どきの服装を頼りに、着替えを探していた。
アルフリーナは手に取った服の中から、アマヨリに似合いそうな色合いのものをいくつかピックアップしていく。
服なんて選んだことのないアマヨリには全く、良し悪しの判断のつくものではなかった。けれど、鏡で合わせてみると、不思議と似合う、似合わないはわかる。
アルフリーナの的確なアドバイスもあって、選んだのは、柔らかなクリーム色の生地に、小さな小花が刺繍されたシャツと、ブラウンのフレアスカート。
この辺りでは同じ年ごろの少女がよく着ている格好だと店主が教えてくれた。
毎日同じ制服しか着たことのなかったアマヨリは、鏡に映る自分が、生まれ変わったかのようにみえた。
「どう、ですか……」
「うん。これならどこへ行っても問題なさそうね」
アルフリーナは納得の表情を浮かべた。
アジトから戻ったワサトが、ハンドル付きの乗り物に跨り、迎えに来ていた。
「スカイックは知ってるよね」
乗車定員最大二名、立ち乗り式の小型浮遊バイク。
ダイアンが憧れていた乗り物の一つだった。
ワサトは得意げに自分の後ろを親指で指し示すと、ニヤリと笑う。
アマヨリはスカイックに興奮しながら、ワサトの後ろに乗り込んだ。
「自動運転解除っと!」
アルフリーナが制止をかける。
「ちょっとワサト、改造モードで走るのやめて。別にそんなに急いでないわ」
ワサトは舌を小さく出すと、エアビューを再び覗き込んだ。
「それでよろしい」
バウンドヴェイルを簡易的にしたようなゴーグルには地図が映るようだ。
「あれ? アルフリーナは行かないのですか」
荷物を持ったまま、こちらを見送ろうとするアルフリーナに、アマヨリは不安そうな声で尋ねる。
「私は少し予定があるから後から合流するわね、大丈夫。ワサトの《《空中散歩》》を楽しんで!」
ワサトは行き先をエアビューで選択すると、スカイックはそれに反応し、一気に空へと上昇した。
「キャァぁぁぁっー! 落ちるー!」
「アッハハ〜。足固定されるし、落ちないから大丈夫だよ〜。背中に掴まっててね〜」
味わったことのない感覚と恐怖にアマヨリは、ワサトにしがみつく腕に力を込めた。
やっとのことで感覚に慣れると、恐怖で固く閉じていた瞼を恐る恐る開けてみる。
眼下には灰色の屋根の家々と、先ほどまでいた港や市場が広がっている。
見渡す先には所々がうっすらと暖色づいた山脈も見えた。
ときどき、警告音のような耳障りな音が聞こえてくる。
どうやら専用航路を外れると鳴るらしい。自分たちの他にも大型の艦船や初めて見る乗り物が空という無限の空間を行き交っていた。
「あの……、さっきからその音、大丈夫なんですか」
音のレベルが変わり、アマヨリはどうしても気になった。
「あ〜、やっぱうるさいよね〜。今監視網が切れる場所に入るから、ちょっと待ってて」
少しして、追い詰められる様な音から解放された。
それとタイミングを合わせるかのように、アマヨリは景色の輪郭を追えなくなる。
「街がすごい速さで遠ざかってく……」
どんどんと小さくなっていく街を尻目に、アマヨリはさらに不安を覚える。
(どうしよう、また行き先もわからないまま着いてきてしまったけど、どこに行くんだろう)
ダイアンと脱走したときに、きちんと話をできなかった後悔から、アマヨリはワサトへ尋ねた。
「あの……、これは話をするために、どこか目的地に向かっているのですか」
ワサトは上空の冷えた空気を浴びながら、気持ちよさそうにしている。
「それもあるけど、まぁ少しの間、空中散歩を楽しもうぜ」
チラリと振り返ったワサトの顔は、何かイタズラでも思い付いたかのような顔をして、口元を歪ませている。アマヨリはこの表情に既視感を感じ、ワサトの背中にしがみついた。
「ごめん、ごめん、ちょっと急いでたから、つい」
「なんだか、足がフラフラして気持ちが悪い……です……、ふえ〜」
合流したアルフリーナが、目の前で無茶な運転をしたワサトを叱りつけている。
「もう、ちょっとは加減ってものを知りなさいよね!」
ワサトは反省とは無縁の様子で、服をたくしあげ腹を掻きながら彼女に謝っている。
その姿を見たアマヨリは、施設にいたときの自分の姿と無意識に重ね合わせた。
ふと、気がつけばあたりは山吹色に色づき始めた草木に囲まれていた。
そのコントラストを際立たせるかのように、真っ白な幹が静かな森の中から天を突くように伸びている。
「ここ……」
アマヨリは見覚えのある景色に、キョロキョロと落ち着かない視線を送った。
ワサトはスカイックを茂みに隠しながら不安そうにするアマヨリへ答える。
「気づいた? 白樺の森。あの島にもこんな森があっただろう?」
ダイアンと脱出したときに駆け抜けた森のようだった。
暗がりの中ぼんやりと、白く浮かび上がる木々はどこか幻想的で絵のような。
思わずあの時の鮮明な記憶が甦り、胸を掴まれたような苦しさが込み上げる。
「もう、あの場所には帰れないのですね……」
時間が経つにつれ実感する現実に、もうこれは長い夢ではないのだと諦めがついた。
二人はアマヨリの問いに静かに頷き、森の方へと歩き出した。
しばらく森の中を歩くと、木々の合間から翡翠のような色をした湖が見えた。
湖面に浮かぶ鳥たちが、変わるがわる飛び立っては舞い戻り、鳥たちのおしゃべりが静かな湖畔に音を与える。
三人は枯れかけた芝の上へ腰を下ろすと、ワサトが最初に口を開いた。
「少し……。いや、今のヨリちゃんにはだいぶ堪えると思うけど、覚悟して聞いて欲しいんだ」
クリプタからは、産業用クローンの話はおおかた聞いたが、これ以上に覚悟のいる話とは一体なんなのだろう。と、新たに押し寄せる不安と覚悟に目を瞑った。
そして、ワサトの方へ向き直ると、静かに返事をしてアマヨリは覚悟を決めた。
「わかりました。教えてください」




