Log1-02//孤独な少年
「えっと、ここがΩ9-AREA 07(オメガナイン・エリアゼロセブン)だから、ここの奥で間違いないか」
セキュリティゲートに表記されている番号を確認しながら、ダイアンは慎重に扉の先に進んだ。
アマヨリとの待ち合わせ場所は、居住するエリアと日課を行うエリアなどを仕切る巨大なセキュリティゲートを通過して、クリプタのいる管理エリアを抜けなければ辿り着けない場所にあった。
通常、このエリアをダイアンたちがうろつくことを良しとはされておらず、歩いていればたちまちに声を掛けられる。振り出しに戻らないようにするには、アルダナリやクリプタたち大人がすっかりいなくなる時間帯にしなければならない。
見つかったときの言い訳も二人はきちんと考えていた。〝クリプタに会いに来た〟そう言えば大抵ここを通る誤魔化しが効く。レンユウやテーヴァ達なら絶対に出来ないことだ。これは二人が彼の元で育ったという、いわゆる特権なのだ。だからこそ実の成る部屋の情報は、アマヨリと二人だけのものにしておく必要があった。
何より二人だけ、というこの特別な秘密をダイアンは独占しておきたかったのだ。
約束通りダイアンは待ち合わせ場所に着いたが、アマヨリの姿が見当たらない。あまり長居できる場所ではないため、あたりをキョロキョロと見回し、隠れられそうな場所を探した。扉の開く音が突如背中に響く。慌てて廊下の物陰に隠れ呼吸を止めた。
足音が途切れ、再び静寂が広がる。そろりと物陰から扉の方を覗くと、見覚えのある影が見えた。その影は、誰かを探す様子で行ったり来たり。
「……アマヨリ」
パンパンに膨らんだ布袋を持つ少女が、頬を動かしながら扉の前に立っていた。
息を止めて凍りついていたダイアンの気持ちなど露知らず、いつもの屈託のない笑顔でアマヨリは話しかけた。
「遅かったね。見てこれ!」
口をもぐもぐと動かしながら、布袋いっぱいに詰められた赤紫色の実を見せてきた。
「中にいたんだね、探したよ。こんなにたくさん持ち帰って。アルダナリ達にバレたら大変なことになるよ」
「だって、ちょうど食べ頃だったんだもん。それに今日はこれを届けたいの」
「届ける?」
「そう! まあ、私についてきたまえ。ダイアン君」
袋の実をポイポイと口に放り込んでは幸せそうにしているアマヨリの姿を見て、ダイアンはこれ以上何もいう気がしなくなった。
この赤紫色の実のなる木は、開かずの扉の先にある。アマヨリはそんなことは気にもせず、いつものように開かずの扉の前に立つ。
手首に装着しているヴォイドリンクが青く光る。
「ねぇ、まさかこの先に行くの?」
この秘密の実のなる木の場所には、もう何度も来ているが、さらに先の場所へはまだ足を踏み入れたことがなかった。ダイアンは不安そうにもう一度尋ねた。
「そのヴォイドリンクでこの先の部屋も入れるの?」
にんまりと笑った口元は赤く、まばらに途切れた白い歯が、余計にいたずらに見えた。
目の前の扉に備え付けられているディスプレイには、小さく〝桑の実育成中〟と表示が見える。部屋には鈴なりに実の成る低木がずらりと並び、作業用ロボットが器用に実を摘み取っている。制服姿が場違いであることは否めず、立ち入りのできない場所へ堂々と入り込むアマヨリに、ダイアンは驚かされるばかりだった。
「で、秘密って何なの? この実を届けるってどこに行くの?」
ダイアンは念入りに左右を見回しながらアマヨリの返事を待った。その間にもアマヨリはポイポイと桑の実を口に入れながら、どんどんと部屋の奥に進んでいく。
「ふふふ。まだ秘密だよ」
振り返ると最初の扉はいつの間にか小さくなっている。アマヨリが前進するたびに、ダイアンは何度も振り返った。
(アマヨリは心配にならないのかな……)
そう思いながら隠れる様子もなく、堂々と歩くアマヨリの後ろ姿を追いかけていく。彼女の迷いのない足取りは鼻歌まじりでなんだか楽しそうだ。
ダイアンは段々と自分の心配ごとがちっぽけなことのように思えてきて、いつの間にか後ろを振り返ることをやめていた。アマヨリの持っている布袋に手を伸ばし、桑の実を掴み取り、口の中に放り込んだ。
「酸っぱい!」
「あ、急いでたから酸っぱいのも混ざっちゃった。ほら、もうすぐ着くよ」
目の前には自分たちが入ってきたときと同じ厳重なセキュリティゲートがあった。扉には先ほどと違って『CGB-SECTOR03(シージービー・セクターゼロスリー)』と表記されている。
まさか部屋の終着点にも扉があるとはダイアンは微塵も考えていなかった。
アマヨリが扉の前に立つと、身につけたヴォイドリンクが反応してすんなりと扉が開く。その向こう側は、来た道と同じように無機質な廊下が長々と続き、壁際の照明がひっそりと光っていた。
「こっち!」
アマヨリは人の気配も確認しないまま、無機質な廊下に飛び出した。床を流れるエネルギー粒子がアマヨリの軌跡を残しながら白く光ってゆく。あっという間に小さくなった後ろ姿に慌てて後を追いかけたダイアンは、全く雰囲気の異なる場所に辿り着いた。
広かった廊下は半分ほどに狭くなり、カラフルな扉の部屋が並ぶ。薄紫色の光がゆらゆらと廊下を覆い、ときおり消毒薬のような匂いもする。
「ねえ、大丈夫? この先行き止まりだよ」
アマヨリは行き止まりなど気にせずに壁伝いに何かを探っていた。
操作パネルの埋め込まれた箇所を見つけ、ポケットからいつもと違うヴォイドリンクを取り出してパネルに翳した。
カシャンという聞いたことのない音だけが静かな廊下に響いた。
そのままアマヨリは、慣れた手つきで壁に触れると、壁だと思っていた部分は扉のように開き、背丈半分ほどの高さの空間が目の前に現れた。
「こっ、これは……!」
「ここが入り口だよ。色々試したけど、ここからじゃないと行けないの」
色々試した――。その言葉が気になったが、ダイアンは小さく屈みこみ、アマヨリの後を追ってその空間に足を踏み入れた。こんな場所でアマヨリを問い詰めている余裕などなかったのだ。
足元はさまざまな配線だらけで体に絡まないよう気を遣う。身を屈めながら進む道のりは這うようにして進むことを選んだアマヨリに比べて険しいもので。
申し訳程度についている点検口の明かりが頼りだった。
「ねぇ、アマヨリ、扉閉まったけど大丈夫なんだよね?」
明らかに不安そうなダイアンの声を聞いて、アマヨリはしてやったりと言わんばかりのにんまりとした顔で振り返る。
「なぁに? 怖いの? ガキなんだから」
アマヨリの真後ろを、同じ高さで這いつくばるのはなんだか気が引けたので遠慮した。そんなことも知らずに、前をスイスイと進みながら自分をバカにしたアマヨリにムッとしてダイアンは言い返した。
「ガキはどっちだ。こんなところに勝手に侵入して、何か罰を受けるかもしれないじゃないか。第一どうやってこの鍵を手に入れたんだよ」
アマヨリはケロリとして言った。
「この前、さっきの場所をウロウロしていたら、扉の前で拾ったの」
あまりに堂々としていうもので、ダイアンはその態度に思わず感服した。
「落とし物なんだから仕方がないよね」
アマヨリがそう言うと同時に足が止まる。目の前の壁には入り口と同じ扉が。再びアマヨリがヴォイドリンクを翳す。
感じたことの無い鼓動の速さが体を強張らせ、一歩を踏みとどまらせる。
「着いたよ」
その一言でますます足が震えた。しかし…。
「あれ? なんか、真っ暗だけど……」
あたりを見回したが、暗すぎて何も見当たらない。構えていた体から少し力が抜ける。けれどアマヨリはそんなことには構わず、壁伝いに進んで行く。
歩を進めるたびに、足元が少しずつ明るくなるのがわかる。地を踏む感触も硬いタイルから柔らかいものに変わった。潜めた呼吸から吸い込む空気が軽くなるのを感じる。徐々に暗闇から目が慣れてきた頃、光の差す場所に辿り着くと、そこには別世界が広がっていた。
「……」
足元には青々とした草花の絨毯が広がり、整えられた花々のアーチが幾重にも立ち並ぶ。枝葉を広げたまばらな木立。天を仰げば、ガラス越しに広がる人工太陽の天井が見えた。
「びっくりした?」
固まるダイアンの顔を覗き込みながら、アマヨリがニコリと笑った。
「こんなところがあるなんて……、これは今までで一番のビッグニュースだ!」
「おーっと。これで驚いてもらっちゃあ困るのよ」
仁王立ちしたアマヨリは、得意げに言う。すぐにダイアンの手を取ると、まるで自分のテリトリーのように慣れた足取りで走りだす。色とりどりの花々のアーチをくぐり抜け、まるで御伽話の世界に入った主人公のように。
胸を高鳴らせながらダイアンは、これから待ち受ける本当のビッグニュースが、一体どんな明日をもたらすのか、期待に胸を躍らせた。
「ソリス、ソリス」
アマヨリは息を切らしながら、小さな声で誰かの名を呼ぶ。
名を呼ばれたであろう者は小さな声で返事する。
「はい、ここにいます」
ひょっこりと花々のアーチから顔を出したのは、自分たちと同い歳くらいの少年のようだった。顔にはアルダナリと同じようなバウンドヴェイルを装着し、足元まである真っ白なガウンワンピースを着て。人工太陽に照らされた髪は赤く輝いて見える。
「紹介するね、この子はソリスっていうの」
アマヨリは呼吸を整えながら、隣に立つ少年の顔をじっと見た。
「……」
何も反応のない少年を急かすように言葉を付け加えた。
「ソリス、こう言うときは、よろしくねって言うのよ。そうすると友達になれるの」
「……はい、わかりました。よろしくお願いします」
ぎこちないように見えたやり取りだったが、ダイアンも自分の名を名乗り、ソリスに挨拶をした。笑顔こそ見えないものの、アルダナリとは何かが少し違っているような気がした。
ダイアンはそこかしこにある木製のベンチに腰をかけ、さんさんと降り注ぐ偽りの光に目を細めながら、アマヨリとソリスを静かに見守った。
アマヨリがソリスに布袋の桑の実を差し出しているのが見える。ダイアンは駆け寄り、慌ててそれを取り上げた。
「こんなの食べさせて大丈夫なの? ソリスは僕たちと違うみたいだよ」
「ちょっと返してよ! この前私たちと同じもの摂ってるのを見たから大丈夫だよ」
アマヨリがいったい何を根拠にそう言っているのかわからない。敵視するような視線を浴びてダイアンは諦めて袋を返した。
ソリスはアマヨリから言われるがまま、桑の実を口に放り込む。
特段反応を変えることなく、アルダナリと同じような返事をした。
「……いつものものより酸味や甘味が強いですね。口の中が変な感触です」
「でしょう、不思議だよね。ここに隠しておくからたくさん持っていってね」
ダイアンは桑の実の袋を再び取り上げる。
「なんで邪魔するの」
眉を寄せて明らかに不機嫌そうなアマヨリを前に、ダイアンは淡々と理由を伝える。
「邪魔もなにも、これは見つかったら僕たちどころか彼にも被害が及ぶだろ? これは僕たちで持ち帰らないと、ここに来たことがバレてしまう」
「でも……、ソリスはここに一人ぼっちだから何か喜ぶことをしてあげたいの」
アマヨリはしょんぼりと下を向いたので、ダイアンはため息をつきながら言った。
「アマヨリの気持ちはわかるけど、ソリスと二度と会えなくなる方が君も彼も悲しいだろう?」
アマヨリは小さくうなずく。
年下のアマヨリはまだ幼く、こうしてダイアンが彼女の未熟な行動を注意することも多かった。アマヨリもそれはいつもの意地悪ではないことを十分に理解していて、こうやって淡々と諭されたときは素直に聞いている。
ダイアンもまた、彼女の行動力が誰かのためにだけに働くこともわかっている。だからこそ、誰かのためにリスクを冒そうとするアマヨリを何度も引き留め、説得してきた。そんな彼女を守れるのは自分だけだと信じて。
「でも、どうして君はここに一人でいるの? 子供のアルダナリは見たことがないけどアルダナリと同じなのか?」
「いえ、私はアルダナリではないです。それにリラ局長が定期的にここへ来るので一人ではないのです」
その名に再び緊張が走る。ダイアンは思わず聞き返した。
「はい。開発局のリラ・ランブラ局長です」
クリプタからもリラの事を聞かれており、彼が何かしているのは間違いなさそうだと思った。
「ソリスはここにいて辛くないのか。リラがちゃんと面倒見てるとは思えないよ」
「……辛いと言うのはわかりませんが、面倒はアルダナリ達が見てくれているので、食事や行動において問題は特にありませんよ」
ダイアンは自分の質問にうんざりした。聞く意味のない質問をしたからだ。
アルダナリと呼ばれる者たちに感想や想いを聞くことは無駄なのだ。アルダナリではないというこの目の前の少年もダイアン達から見たらアルダナリと同じなのだ。
隣で聞いていたアマヨリが眉を寄せながら口を挟む。
「もう、すぐにダイアンは色々聞くんだから、ソリスはいい子だよ。
名前もね、無いみたいだったから私がつけてあげたの」
「アマヨリは何も聞かなすぎなんだよ。大体、聞かれたことしか返さないのにどうやって良い子とか判断するんだよ」
上唇を噛みながらアマヨリは鼻息を荒くする。隣のソリスは石像のように静かだ。
「ダイアンのわからずや。ソリス、あれ持ってきて!」
何もわかっていないのはどっちだ。と理屈の通じないアマヨリにもどかしい怒りを抱え、ダイアンはどかりとベンチに座った。
最初に通ってきた薄暗いエリアの方へ消えて行くソリスを目で追った。しばらくして戻ってくると手には見覚えのある本を抱えている。
「それ、大事なものなのに渡していいの?」
ダイアンは驚いてアマヨリに尋ねた。
だってそれは…。
「うん、いいの。貸してあげたの」
その答えを聞いて思わず自分の胸元をぐっと押さえた。
その本は、アマヨリがクリプタの元に来たときから持っていたもの。大事な約束をして、見ることを許された本。
かつて群青色だった表紙は今はぼろぼろで、タイトルも読めない補修跡だらけの本。色褪せた表紙とは対照的に、この物語を読むアマヨリはいつも色鮮やかに輝いていた。そんなアマヨリの姿は自分だけが知っているものだと思っていたのに。
ダイアンは少し不満げに揚げ足を取るかのように言った。
「ふうん、レンユウたちには見せてあげないのに?」
その言葉にアマヨリは、しかたないでしょ! と少し怒ったように返し、さらにダイアンにこう付け加えた。
「本当はみんなに貸してあげたいんだから、そんなこと言うならダイアンがクリプタに言ってくれればいいでしょ」
すっかり怒らせてしまったダイアンは、少し慌てながらアマヨリの機嫌を取らなければいけなくなった。隣に座ったソリスはそんな空気にも気がつかず本のページを捲り続けている。結局、アマヨリの機嫌を直したのはソリスだった。
「アマヨリさんが読んでくれてから、さらに理解が深まりました」
「ほんと! ふふふ」
キラキラとしたアマヨリの笑顔を前にダイアンは、ますます複雑な気持ちになった。正直なところ、この物語に全く興味はなかった。しょっちゅうアマヨリから隣で聞かされていて飽き飽きしているほどに。手元に本が無いなら好都合でもあった。
けれど、この物語を読むアマヨリの楽しそうな姿を隣で眺めているのはなんだか好きだった。
ダイアンは、大切な本と一緒に自分だけが知っているアマヨリまで、会って間もない少年のところに行ってしまったようで、素直に受け止められなかった。
突如現れたソリスの存在は、ダイアンの心にモヤモヤとしたものを抱かせた。
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