Log2-1//アマヨリ
おぼろげな意識のなかで微かに聞こえた、よく知る声は、まるで地獄に垂れ下がる蜘蛛の糸のようだった。確かに掴んだはずの糸は切れ、もうあの笑顔に会えないという地獄に叩きつけられた。
これは大切な人を残してきた罰なのだ。
――リ
――ヨリ
「アマヨリ〜!」
「――っ、ダイアンッーー‼︎」
悲鳴をあげたアマヨリは、起こしにきてくれたアルフリーナを驚かせた。
「びっびっくりした……、また悪夢を見たのね……」
「ごめん、また夢にうなされてたみたい」
アルフリーナは優しい顔つきでアマヨリの乱れた服を整え、気遣うように言った。
「朝ごはん、出来てるから食べにおいで」
「うん!」
脱出作戦から、既に三ヶ月が経とうとしていた。
ベーコンが焼ける匂いと、パンの香ばしい香りが寝室まで漂っている。
その香りに誘われるように、アマヨリは身支度もほどほどにカーディガンを羽織り、階段を滑り降りた。
「おはようー」
ふわふわの癖っ毛を束ね損ねて、あちらこちらから飛び出した紫紺色の髪。
口元には白い痕と、着慣れていないボタン式のシャツは、ボタンをかけ間違えている。その姿は、まるで幼い子供のようだった。
「おはよう、アマヨ……、今日も盛大な痕が……」
「あ……」
毎日のようにそれを指摘するのがアルフリーナの役割となりつつある。
アマヨリは慌てて口元を拭い、ボタンを掛け直しながら、いつもの席についた。
「またうなされてたって聞いたけど、大丈夫?」
キッチンのカウンター越しに、グレーのストライプ柄のエプロンをかけたワサトが心配そうに声をかける。
「平気、平気。ちょっと寝過ごしちゃったけど。今日は港町で案件だったね」
さっきの寝起きからは想像もつかないような明るさで、気丈に振る舞った。
何度も見る悪夢にうなされるたびに二人に心配をかけている。これ以上心配をかけたくなかったのだ。
そそくさと手元のお皿に残ったパンに、カリカリの特製ベーコンとピクルスを乗せるとアマヨリはガブリと頬張った。その姿を見て安心したワサトは話を続ける。
「午後からの案件だし、それまで家のことは俺がやるから少しゆっくりしていればいいよ。今日はタイミングが合えば先生にも会ってくる」
「先生!? 三ヶ月ぶりだから何か進展あるかな……、でも先生のことだから小言まで伝言されそう……」
アマヨリは茶渋の残ったコップに、絞ったばかりのオレンジジュースを注ぎながら、笑い声をあげたアルフリーナをチラリと見る。
「先生はアマヨリに甘いから大丈夫よ! 小言も心配ゆえによ」
「ぜんぜん甘くないよ! いつも顔を合わせただけで、説教ばかりなんだよ……」
向かいに座るアルフリーナは苦笑いを浮かべて食後のコーヒーに渦を作る。
ワサトも会話に混ざろうと、エプロンを外して、アマヨリの隣へ腰掛けた。
「何か進展を聞けるかもしれないよ?」
ワサトは先生の話で盛り下がるアマヨリを元気付けようと言葉を繋ぐ。
けれど、アマヨリはがっくりと肩を落としたままだ。
「ダイアン見つかるかな……」
脱出作戦から別れたきり、ダイアンは行方が分からなくなっていた。
最後に見た姿を考えると、重傷を負い、アマヨリを海へ投げ入れてから、彼がどうやってあの場を逃げたのか全く分からなかった。
微かに聞こえた銃声のような音と、岩場をくまなく探すサーチライトだけが底知れぬ不安を残す。
アマヨリの脳裏には、常に絶対に考えたくない言葉が浮かぶ。
「メソメソしてもしょうがないだろうよ。彼は君を守りたくて一人残ったんだ。先生たちが手塩にかけて何年も訓練したんだし、絶対に生きてるよ」
今にも泣き出しそうなアマヨリをいつもの調子でワサトは慰める。
「うん……、そうだよね」
返す言葉に祈りを込めるように伝えると、カップの中のオレンジジュースを見つめた。
天井で優雅に回るシーリングファンを眺めながらワサトはぼやくように言った。
「それにしても、この場所もそろそろ潮時かねぇ。最近やたらに統制局と思わしき奴らを街で見かけるようになったよ」
アルフリーナは神妙な面持ちで相槌を打つ。
「そうね。もう拠点の手配は始めてると思うけど、そろそろこの辺りも派手に捜査が入りそうね」
何やら二人が難しい会話を始めたため、アマヨリは少し蚊帳の外だった。
変な質問をして、お茶を濁さぬように二人の会話をじっと聞く。
「だろ? もう一年くらいはと思っていたけど、そんなにいない方がいいんじゃないか。最近はシャエリアの国境だけじゃなく帝国内でもテロが起きる。軍が相当躍起になって組織を炙り出そうとしてるから気をつけないと」
「まったく、あれまで私らの仕業だと思われるのも時間の問題よ……。うちの先生はどうすんのかしらね」
アルフリーナのその言葉に、ワサトは何か思うところがあるのか、天井に視線を移し言った。
「おそらく……、その状況すら、利用しているかもしれない」
アルフリーナはその言葉には返事をせず、カップに口をつけた。
なんとなく静まり返ったダイニングに気まずさを覚えたアマヨリは、ワサトに尋ねる。
「あのぅ……引越しが近々あるって思っておいたら、いいかな?」
アマヨリが心許なくしている横で、アルフリーナは静かに席を立つ。
ワサトは気にすることなくそのまま続ける。
「おお! そうだな。でも俺らには急に知らされるから。普段から荷物は増やさず、まとめておけよ〜」
「そんな急なの?」
「ふぁ~! まだまだ、あまちゃんだな! まあ、情報が漏れないようにだよ」
「大丈夫かな。なんか怖いよ」
不安な顔をするアマヨリを見て、ワサトはフォローするように続ける。
「大丈夫、心配しなさんな。ここではすでに周りも味方につけてんだ。俺たちの日ごろの行いよ!」
どこか調子よく答えるワサトを、信用していないわけではなかった。けれど、あまりにも大きな組織を相手にする彼らの状況を踏まえると、不安が拭えなかった。
アマヨリの晴れない顔にワサトは付け加える。
「帝国側だって、証拠をある程度固めて踏み込むまで、それなりの手順がある。そうならないための情報収集は怠っていないし、常にリスクを見極めてるつもりだよ」
ワサトの言葉に納得したアマヨリは、なるほどと頷いた。
先ほどまで向かいでコーヒーを飲んでいたアルフリーナがいつもより、めかし込んだ装いで戻ってきた。組織からの指示でアルフリーナに仕事が入ったようだった。
「私、そろそろ行くね。ワサト、アマヨリのことお願いね」
この組織の中で、諜報を担う彼らはいつも危険と隣り合わせだ。
アマヨリが二人と出会い、共に生活するようになったのは、ダイアンとの脱出作戦によって、海中から拾い上げられてからのことだった。
2章スタートしました。^^引き続きよろしくお願いします。




