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アポカリプシスの監視者  作者: 新堂まなぶ
第1章『所与』

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26/28

Log1-24//ポラリスへ捧ぐセレナーデ

 季節は白夜が終わりを迎え、沈むことを辞めていた太陽は今までの眠りを取り戻すかのように地平へと沈み込む。ぼんやりと浮かび上がっていた白夜月は、帝国の張り巡らされた監視網の明かりに負けず劣らずに輪郭を表し始めた。

 アマヨリが来てから既に、数日が経とうとしていたが、ダイアンはアマヨリが来たその日のうちに、研究所の仮眠室で寝泊まりをすることになった。


 眠るまでの間、アマヨリからたくさんの土産話を聞いた。クバトやファイのこと、ソリスとのこと、レンユウと脱走して懲罰室に入ったこと。他にも、軍人の子供と仲良くなったことなど。腹を抱えて笑う話もあれば、肝を冷やす話まで盛りだくさんに。

 彼女が紡いだ物語を、身振り手振りで一生懸命に話す姿を見ながら、相槌を打って過ごす時間はダイアンにとって幸せで満ち足りたものだった。

 二人は毎日、尽きることなく夜通し話をした。だいたい先にアマヨリが疲れ果てて眠ってしまうがダイアンはそれでよかった。

 静かで穏やかなときのなかを、懐かしい寝息が聞こえてくるのを見守りながら、静かに仮眠室へと戻るのだ。


 リラの帰着は翌日の午後四時と詳細に聞いていた。彼がこれから起こす事の顛末を知ったらどんなに驚くことだろう。ダイアンは結末を想像し、職員たちの処遇を案じた。けれど、すぐにその必要がないことに気がつく。

 自分たちは隠された人間なのだと。

 万が一問題になっても、彼ならうまい言い訳を述べるのではなく、嘘も事実として記録を上書き、正当な手続きを踏むことで問題になることを避けるはずだ。

 彼の周りで事実を知った者がいれば、実績を天秤にかけられ、箝口せざるを得ないだろう。それがリラ・ランブラという人間だ。

 ダイアンには、職員のことまで考えている余裕はなく、むしろ考えてはいけない気がした。笑顔で飲み物を差し出す職員たちの顔と声が思い浮かぶ。

 ダイアンは、それらを振り切るようにして、顔を上げた。



 色を失い出した朽葉色の絨毯を、月が美しく照らし出すころ。

 静寂の中、耳元で名前を呼ぶ声がした。


「……ヨリ」

 よく知っている声だった。優しく、穏やかで。

 でも……、結構な頻度で怒っていることが多いような……。

「アマヨリ」

 夢か現実か……。何度か呼ばれるので、ぼんやりと耳を澄ますと、はっきりと聞こえる。自分を呼ぶ声が。

(あれ? 呼ばれている?)

 アマヨリはバネがついたように飛び起きると、目の前には見慣れた顔が飛び込んできた。

「なんだ、ダイアンか……」

 再び布団に潜り込もうとするも、違和感に気がつき現実に引き戻される。

「ん? あれ、どうしたの?」

 目の前のダイアンは、いつもの落ち着き払った姿と違い、何かを警戒するような緊張した様相だった。色々と質問を投げかけようとしたが、それを察するかのように急に口を塞がれる。

 アマヨリは、状況を冷静に飲み込もうとした。


「話は後でする。今は何も言わずに声を出さずについてきて」

 着替えもそぞろに済ませると、ダイアンに手を引かれるがまま部屋を出た。

 つけろと言われた偽のバウンドヴェイルが方向感覚を狂わせる。

(なんでアルダナリの格好を……)

 持たされたヴォイドリンクで、たくさんのセキュリティゲートを潜ったことだけは理解できた。アマヨリは、今にも声を出してダイアンに聞きたかった。

 どこへ行くの? と。

 エレベーターに乗り込むと、やっとダイアンの足が止まる。少し会話ができると期待したが、額に汗を浮かべ、カウントされていく数字を急かすように見つめる彼に、とてもそんな余裕はなさそうだった。張り詰めた空気がエレベーターの中で膨張していくのがわかる。アマヨリは仕方なく状況を静観した。

(あの時みたいにどこかに潜り込むのかな……)


 不安に満ちた足取りで、たどり着いた先の階段をダイアンと共に駆け上ると、アマヨリは足を止め、言葉を失い、取り外したバウンドヴェイルを床に落とした。

「なに、これ……」

 目では追えないほどに広がる終わりの見えない闇の中に、白く輝く月。

 その景色を静寂という音が覆う。

 安らかな匂いは本能を思い出させる。

 ぶるぶると身震いをしたアマヨリは呆然と立ち尽くした。

 ダイアンはそんなアマヨリの手をとり、穏やかに言った。

「これが施設の外の世界だよ。でも、これからもっと広い場所へ行くんだ。きっと星も見える」

 天を見上げたダイアンの横顔は、瞳に強さを宿し、いつかの幼い少年では無くなっていた。

 真っ暗な闇の中を、月明かりを頼りにして、ダイアンはアマヨリを抱き上げ、軽々と欄干を乗り越えた。

「ちょっと! ダイアンどこに行く……」

 驚いて声を上げたアマヨリの口をそっと塞ぐ。

「静かに……」

 アマヨリはダイアンの態度から嫌な予感がしてならなかった。

 訳もわからないまま、無言で歩く彼に手を引かれ着いて行く。足元からは草を踏みつける音と、枝の折れる音だけが響く。生暖かい空気が体にまとわりつきながら、この異様な状況を強調するかのように嫌な汗をかかせる。


 不穏な空気に耐えられなくなったアマヨリは、責めるような口調でダイアンに言った。

「一体どこに向かうの? 何をするの? なんか様子がおかしいよ」

 説明が必要だと感じたのか、ダイアンはポツリと小さな声で言う。

「約束の、場所……」

 アマヨリはあの幼い日の約束をダイアンが覚えていてくれたのだと驚いた。

「ごめん、まだ話せない、時間がないんだ。ここから少し急ぐから、走るよ」

 アマヨリの手を握ると、ダイアンは何かから逃げるように走り出した。


 あの日、ジオフロントの世界を初めて駆け抜けた日。

 同じ高さの視線。

 握った手の大きさ。

 息を切らした背中。

 その一つ一つが以前とは比べ物にならないくらい、今は大きく頼もしい。


 木々の間から漏れる月の光が二人を照らす。

 灰色の世界にほんの少し差し込む光。

 今はただ、走り続けるしかない。

 嫌な予感だけがアマヨリの中をじわじわと支配した。


 ――はぁ、はぁ、はぁ。

 息を切らしながら二人は、地面に倒れ込むように、木の根を枕に大の字で寝そべった。二人の苦しそうな息遣いは、鬱蒼とした木々が風に靡くたび、かき消されてゆく。

「はぁ、もう、ここまでくれば大丈夫」

 たどり着いた場所は、森の中にひっそりと佇む屋外の研究棟だった。だいぶ昔に造られたものらしく、建物は緑色の苔に飲まれている。人工的異物感はすっかり消え去って、森の一部となりつつあった。


「ダイアン……、はぁ、これはっ……。一体なんの遊びなの?」

 ダイアンはゆっくりと体を起こし、着ていた制服を脱ぎ始めた。アマヨリは驚きながら飛び起きて顔を背ける。構わず服を脱ぎ捨てるダイアンを見て、アマヨリはすぐにそれは遊びではないのだと理解した。

 制服の下にはすでに上下黒色の防水スーツを纏い、何やらメタリックグレーの物騒なものも体に括り付けている。それが何を示すのか、アマヨリの中で嫌な予感と重なった。

 ダイアンは急いだ様子で、アマヨリの質問には答えないままに、施設の物置を開けた。中には、ダイアンと同じ色の防水スーツと やはり、別の形状の物騒なものが袋に詰められている。

「後ろ向いてるから、これに着替えて欲しい」

 ダイアンから袋を受け取ると、くるりと後ろへ向き直った。

 程なくしてアマヨリは、こんなに着るのが難しいものがこの世界にはあるのかと、感心するほど、背中のファスナーに四苦八苦した。

 絡まった糸のようになりながら着替えるアマヨリに気がついて、ダイアンは笑いを堪えながら手早くファスナーを閉めてくれた。

 そういえば、前にも髪が結べなくてダイアンが結ってくれたことがあったな、とアマヨリは思い出した。


「これから、いつものヴォイドリンクを外すけど、そしたら全力で向こうまで走るんだ」

 ダイアンは、手首にかかるヴォイドリンクを外そうとして、何かを思い出したように手を止める。

 そして、首元から何かを引っ張りだすと、アマヨリの前に差し出した。

 手には紫色に艶めく、四芒星の石のついたペンダントが握られている。

「これ、お守り。アマヨリが持っていて」

 そう言って、ダイアンはアマヨリの首に四芒星のペンダントをかけた。


「大丈夫、君は必ず守るから」

「ダイアンどういうこと?」

「ここから……、逃げるんだ」

「え!?」


 質問が頭の中を満たしたが、答えを聞く間も与えないかのように、ダイアンはアマヨリと自分のヴォイドリンクをナイフで思い切り引きちぎった。

 ――キィィーーーンッ。

 激しい高音がその場に鳴り響く。

 異常な音を耳にしてアマヨリは、すぐにその場を離れなければいけないのだと、慌てて走り出した。

 この聞き慣れない高音が、木々のざわめきに紛れるまで、とにかく走り続けた。

 ――ここから逃げる。

 アマヨリにはその理由がわからなかった。十五になったらここを出ると言われてきたはずなのに。

 アマヨリは不安を抱えながら、時折、後ろを警戒して走るダイアンを振り返った。

 辺りはまだ暗く、静寂に包まれたままだ。


 しばらく走ると、二人の息遣いが波音にかき消され始めていたことに気が付く。

 目的の場所は目前に迫っていた。


 ――はぁ、はぁ、はぁ……。

 早く理由を知りたくて、走る速度に勢いが増す。


「もう少し行ったあたりかな」

 ダイアンがそう呟くと同時に、あたりが真っ白になり、視界から色と輪郭が失われていくのがわかった。

 ――はぁ、はぁ、はぁ……。

 一帯は強い光に照らされ、目の前には複数の人影がかろうじて見える。

 呼吸はまだ整いそうにない。

 重い足音と、一人ではない人の気配。

 ――はぁ、はぁ……。

 呼吸音と一緒に聞こえる。

 ――パキッ

 ――パキキッ

 枝を踏む音が鮮明に聞こえる距離は、もう逃げられないのだと悟らせた。

 ――はぁ、っ。

 アマヨリは、思わず呼吸を止めた。


「まさか。こんなことをしでかすなんて、想定を遥かに超えましたよ」

「なんだ、お見通しってわけなんですね」

「ククク。お見通し? 君は何か勘違いしてはいないですか」

 不気味な笑い声を上げたその男は間違いなく、あのリラ・ランブラだった。

 アマヨリがはっきりと顔を見たのは初めてで、照らされた光で彼の特徴的な顔が映し出される。スーツ姿で白髪混じりの髪を四方に乱し、ライトに照らされた靴は泥だらけだった。ヴォイドリンクの異常を検知して、まっしぐらに駆けつけてきたのがわかる。

 肝心のダイアンは見つかったというのに、まるで動じる様子がない。リラの質問に勘違いとは何か、と問い返す余力すらあるようだ。アマヨリは息を飲んで様子を伺う。

「ここは帝国の敷地ですよ。掌握しているのですよ。全てを」

「監視のしすぎじゃないですか、プライバシーも知らないんですね」

 そう言ってダイアンは、にっこりと微笑むと同時に、足を後ろへ引き、腰に備えたナイフの柄を掴む。しなやかな動きが、的を射るように手から離れ、リラ・ランブラへの軌道を描いた。

 ――ドゥッッー。

 微かな鈍く籠る音。

 抵抗の刃はリラ・ランブラの翳した腕に鋭く食い込み、肉を切り裂きながらその切先を貫通させた。

 ――シュパンッー。

 リラの腕を貫くと同時に、聞いたことのない、空気を割るような衝撃音が響く。


 アマヨリの視界からゆっくりと沈んでゆく人影。

 咄嗟に伸ばしたアマヨリの手から滑り落ちていくように、ダイアンはその場にしゃがみこんだ。

「ダイアンっ!」

 アマヨリの悲鳴と共にリラ・ランブラは腕にナイフを留めたまま、衛兵へ静止をかけた。かざした腕からはポタポタと赤い雫が衣をつたい落ちてゆく。

 背後の衛兵へ無言で殺気立った睨みを利かせるリラ・ランブラからは、お前の命は無いというような気迫さえ感じられた。

 衛兵は動揺するように、おずおずと後ろに下がると、武器を再び十二時の方向に持ち直した。


「ずいぶん……、手荒いですね」

 足を抑えながらよろめき、苦しそうに皮肉を口にするダイアンに、リラは淡々と現実を述べていく。

「こんな事をして何になりますか。海にでも飛び込んで心中するつもりですか。ここを抜けても本土にたどり着くのは不可能ですよ。船艇で移動しても、その間にここの監視網にかかりますから」

 ダイアンは、リラ・ランブラの言葉に耳を傾けることなく、アマヨリを後ろに庇い立てると、ジリジリと迫る衛兵をじっと待ち構えた。

 アマヨリは小さく震える体を押さえ込むように、力いっぱい拳を握る。

 目の前にはダイアンの背中が息をするたびに上下し、汗ばんだ体の熱が自分にまで伝わる。


「こちらに来てもらいましょう。あなた方は冒険が過ぎます」

 リラ・ランブラは、数人の衛兵に二人を捕えるように指示を出した。

 屈強な衛兵が余裕を見せながらこちらに向かってくる。ダイアンは後退りしながら背後に待ち構える漆黒の闇に視線を落とす。

 ――ザッザッザッ。

 ――カシャカシャ。

 衛兵の近づく音がアマヨリの鼓動と恐怖を増幅させる。思わず目を瞑った。


 ――シュツゥンッ!

 そっと開いた視界から、目の前で一人の衛兵が倒れ込むのが見えた。

 ダイアンの手元は、見えないほどの早さで次を捉え、風を切る音と共に白銀の軌跡が

 もう一人の衛兵を音もなく貫いた。

「うっ……」

 衛兵の見開いた瞳はしっかりとこちらを見据えたまま、体は地面に捉えられていた。

「ダイアン?」

 アマヨリの問いを察したかのようにダイアンは言った。

「急所は外してる」

 恐ろしさのあまり、これ以上の言葉を紡ぐことができない。

 アマヨリは息を止めるようにしてただ、ダイアンを見ることしかできなかった。


「アマヨリ、いくぞ!」

 掛け声とともに、ダイアンはアマヨリを抱き止めると、背後の漆黒の中へ飛び込んだ。

 漆黒は地の底など用意がないと言わんばかりに、二人を飲み込んでいく。

 そのまま落ちるようにダイアンは壁面に備え付けられたロープを片手で掴み、岸壁を蹴り上げ、滑るように下降してゆく。熱を持ったロープの匂いと風の匂いが混ざり合い不安を誘う。

 アマヨリは悲鳴をあげすぎて、喉を枯らした。

「ごめん、死ぬかと思うよね。今ロープ切るからちょっと待って」

 ダイアンはすぐに追手がかからぬよう、ロープを切断し終えると、再び精魂尽き果てたアマヨリの手を引きながら岩場を越えていった。


 しばらく切り立った岩場を、二人は傷だらけになって進み、身を隠せそうな場所までたどり着く。


「ねぇ、どうしよう。いったい何が起きているの? はやく撃たれたところを手当しないと」

 涙声で訴えるが、手はカタカタと小さく震えて、言うことを聞かない。

 針のむしろのような鋭い岩場には、健気に咲いた夜の花が月夜に照らされるのを待ち侘びている。

 ダイアンは張り出した大岩まで辿り着くと、しゃがみ込んで呼吸を整え、冗談めいたことを言った。

「ひとまずここに少しの間隠れよう。アマヨリは昔からかくれんぼは得意だろう?」

「何をこんな時に!」

 緊急事態に通じない冗談を言うダイアンに、アマヨリは怒りと共に不安を覚えた。

 撃たれた脚をなんとかしなければいけなかった。



「ははは、君って人は」

 脚に巻かれた靴下がなんとも滑稽だった。アマヨリらしい。

 思わず声をだして笑ってしまうほどに。

「なんで笑うのよ! 緊急事態よ!」

「大丈夫だよ、これくらいで死なないから。とにかくあと少し……」

 ぐすんと鼻を啜りながらアマヨリは今にも泣き出しそうだった。ダイアンはアマヨリを落ち着かせようと、頭を撫でると、堰を切ったように大粒の涙をこぼして、泣き出した。そして、アマヨリは嗚咽まじりに言った。

「私っ、こんなこと、ひっく、望んでないよ」

「そうだよね、ごめん。でも君を安全なところまで連れて行きたいんだ」

 ダイアンは、片足を引きずりながらアマヨリの前に立ち、そっと頬に触れた。次から次へと溢れ出る光の粒には静かな月が映り込む。ダイアンはその月を掬うように拭うと、胸に刻み込むように名を呼んだ。


「――アマヨリ」


 大岩の隙間からはうっすらと星を浮かべた夜空が見える。けれど目の前の不安を抱えた夜空は今にも霞んでしまいそうだった。


 その夜空をダイアンは優しく、抱き寄せた。


 いつの間に彼女をこんなにも小さく感じるようになったのだろうか。

 震える肩を抱きながらダイアンは聞こえてくる鼓動に心を寄せた。

 防水スーツの上からでもわかる鼓動の速さは、過ぎてゆくときを走馬灯のように推し進めていく。

 いつもそばにあった暖かな香りは、変わらずにここにあった。

 血の通った体も、名を呼ぶ声も。

 全てが今もここにあるのだ。

 この理不尽な世界に生きているのだ。

 ダイアンは心に星を思い浮かべ、強く願った。


 ――星神様、どうか彼女をお守りください。

 そして、彼女がこの先、色づいた世界で幸せを見つけられますように。



「涙は止まったみたいだね」

 ダイアンはそう言うと優しく微笑み、アマヨリの装備を確認していった。

 アマヨリは脚に巻きつけた靴下を強く結び直そうと傷に触れると、銃創から熱がじわじわと広がっているのが見えた。

「えっ? なにこれ…ダイアンこれちょっとおかしい」

「大丈夫。 それより早く先を急ごう」

 地面を照らしていたサーチライトが、だんだんと色濃くなり、自分たちを探す足音が近づいてくるのがわかった。それらを横目で確認しながら、ダイアンはタイミングを見計らっているように見えた。

「ねえ、ダイアン、私たちは一体なに? ここにいてはだめな理由は?」

 アマヨリはどうしても聞いておきたかった。私たちは一体何から逃げようとしているのか。ダイアンの歩みが止まり、繋いでいた手に力がこもるのがわかった。

 そして、少し悲しい顔をしてこう言った。


「ここにいる子供たちは皆……、作られた存在……」

「つくられたそんざい?」

「つまり……、産業用のクローンなんだよ……」


 ――産業用クローン?


 アマヨリには初めて聞く言葉の指す意味が全くわからなかった。

 その意味を確かめようとしたが、ここをすぐに動かねばならず、アマヨリはその先を聞くことができなかった。

 地面を照らしたライトは顔をしかめるほどに強くなり、銃火器を連ねて歩く衛兵の焦燥感に駆られた足音が重く岩場に響く。

 ダイアンは、すぐにアマヨリの手をとって再び岩場を超える。

 やがて地の終点へと、たどり着く。

「お守りは持ってるね、装備も大丈夫」

「?」

「よし、ちゃんと浮くからびっくりしないで。この先で必ず仲間が迎えに来るから、少しの間頑張って!」

「えっえっ」

 ダイアンに再び抱き抱えられたアマヨリは、何が起こるか知らされていない状況に、ただただ驚き、怯えるしかなかった。ダイアンの足元からはキラキラと砂のようなものが海面を滑り落ちて混ざり合い、不安を誘う。

 一歩踏み込んでしまえば、そこに地はないように見えて、アマヨリは恐怖でダイアンにしがみついた。

「ダイアン!? 落ちちゃうよ」


 暗闇の中でようやく月あかりにありつけた待宵草は、煌々と咲き誇り、岸壁を金色に染めあげていた。

 その光は、まるで世界が二人を中心に回っているかのように、ほんの一瞬だけ、永遠という時を錯覚させる。


 ダイアンは、金色の光に照らされながら優しい笑みを浮かべた。

 そして、振り絞るような声で言った。


 ――君をずっと――。


 再び強い光に照らされた瞬間、アマヨリの体はふわりと宙を浮くような感覚と、全身の冷たい感覚に衝撃を受けた。

 自然と体が浮き上がり、水面から顔を出す頃には光の向こう側に、複数の衛兵が並んでいるのを認識できた。

 岸へ戻ろうともがいているうちに、彼らはどんどんと小さくなってゆく。

 冷たいはずなのに、力強く抱きしめられた感覚と温もりは、体の感覚を失っても消えることはなく、ダイアンの言葉が胸を締めつけた。



 ♢♢♢♢

 はぁ、はぁ、はぁっ――。

 もうどれだけ走っただろうか。足場の悪い岩場を超えて必死で追ってくる衛兵をアマヨリから遠ざけるようにダイアンは走り続けた。ただでさえ足場が悪いというのに、岩場に張り付く待宵草が邪魔をして足を滑らせる。

 巻きつけた靴下はなぜか赤く染まることはなく、代わりに脚の重さがなくなっていく感覚があった。もう痛みも感じない。

 汗が滴り落ち、踏みつけられた待宵草の軌跡が逃げ切ることを拒否するように居場所を知らせた。


 ダイアンは入り組んだ洞窟に足を踏み入れようとした、そのときだった。

 衛兵の一人が背後から静かに姿を見せる。

「撒いたと思ったけど、やっぱり追いつかれたか。そんなもの構えて、また当たったらどうするんだよ。お前、局長からクビにされるぞ」

「…………」

「なんだよ、早く拘束しないのか? もう俺は《《最初から諦めてる》》」

 ダイアンは先ほどのリラの言動から、自分たちがこれ以上傷つけられることはないだろうと確信を得ていた。

 自ら出頭するように、衛兵のところへ歩いて行くと、目の前の衛兵は突然、ダイアンの急所を蹴り上げて引き倒した。

「クッソ! いってぇ! どう言うことだよ、

 逃げないって言って……、なんで……」



 ♢♢♢♢

 初秋を迎えた季節とはいえ、冷たい海水は意識を朦朧とさせるには十分だった。間際に見た光景が夢なのか、現実なのかわからないくらいにぼんやりと。

 意識を失う直前、微かに聞こえた銃声だけは、どうか夢であって欲しいと願わざるを得なかった。


「すまない、監視網への侵入に時間がかかった」

 聞き慣れた声と顔が、うっすらと目の前に浮かぶ。

「安心しろ、作戦は成功した」

 その声を聞いて、緊張が解けたのか、アマヨリは再び意識を失った。


 水平線はかすかに色づきはじめる。

 紫紺色の空には大鷲が夜明けを待ち侘びていたかのように、

 一羽寂しく、弧を描きながら舞っていた。


*****1章完*****

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。2章も引き続きよろしくお願いします。少し間が空きまして、一週間後からまた配信させていただきます。(ちょっくら休暇に入りますm(_ _)m)その間にも気になる箇所が出てきたら過去分、修正入れるかもしれません。良い休日をお過ごしください。

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