Log1-23//恋愁
その事が刻々と迫るなか、クリプタはガランとした部屋でひとり、外を眺めていた。
風は少しの冷たさを孕み季節の変わり目を知らせてゆく。
岸壁に打ち付けられた波音は、彼の迷いを責め立てるように決断を焦らせる。
ダイアンの餌付けですっかり懐いた大鷲が、食事を求めて夕暮れ時の空を舞うその姿は、彼の断尾ともいえる覚悟を鈍らせた。
クリプタは口を固く結び、夕闇に染まった水平線を見据える。
ひとつ呼吸をすると、背筋を伸ばしてヨレた襟を整えた。
アマヨリは十五歳を迎えようとしていた。クリプタから呼び出しを受けたのは少し前のことで何の打診もなくいきなり、リラ・ランブラのいる開発局行きが告げられたのだ。
行き先を口外することは当然許されず、残りの期間をクバトやファイたちと楽しく過ごそうと思っていたアマヨリは、繰り上げられたリミットに落ち込んだ。
「でもさ、もうすぐダイアンって人に会えるんでしょ? それならよかったね!」
レンユウのいたベッドには、今ではファイが寝転がっている。落ち込んでいても、もうあの、あっけらかんとした口調で励ましてくれる人はいない。
ファイは飴色の髪をくるくると指に巻き付けながら、天井の星々がゆらめくモービルを、うっとりと眺めていた。
「ダイアンに会えるのは嬉しいけど……、ファイたちに色々してあげたいこと、まだあったのに……」
アマヨリが残念そうに大きくため息をつくと、ファイは言った。
「この本、大切にするね 大事な人ができたら読んであげるんだぁ」
ファイは無邪気な笑顔を見せて、絵本を抱え込むように右に左にと、ベッドの上を転がり嬉しそうにしていた。
その様子を見て少し安心したアマヨリは、身支度を整えて少ない部屋の荷物をまとめた。そして、いつの間にか眠ってしまったファイの枕元へ、カラフルなペンと使い古した紙の束をそっと置く。
静寂な時がここでの思い出を語りながら過ぎてゆく。
アマヨリは目を瞑りダイアンとの約束を思い出していた。
幼い日の約束が叶えられる日が来るのだと。
小さな寝息を立てて眠る少女はどこか幸せそうだ。足元に寄せられた毛布をかけ直しそっと見守る。
幼い寝顔にアマヨリは、穏やかな優しい声で囁くように言った。
「おやすみ、ファイ」と。
別れの儀礼を済ませ、まだ涙の跡も乾かぬ間にアマヨリは、クリプタに連れられてオメガ9のエリアを出ていた。隣を歩く無精髭の男と会うのは、呼び出しを受けた日以来だったが、いつも眉を寄せる癖があるせいか、皺がくっきりと浮かび上がり、えらく老け込んだように見えた。
(クリプタってまだ若かったような気がするけど……、忙しいのかな)
目の前にはいつか見た、青い光の柱が傲慢に行き交う人々を見下ろしている。視界の片隅にその景色を追いやりながら、アマヨリはクリプタを気にかけた。
「本当は……ここを出るとき、みな驚くが……、お前たちは別に驚かないだろ」
アマヨリはクリプタのその言いぐさに、ギクリとしたが暗黙の了解となっていたので、そのまま聞き流す。
あんなにダイアンと試行錯誤して隠れながら出たエリアを、クリプタはいとも簡単に重厚な扉のセキュリティを解除し外へ出たのが、なんだか悔しかった。
「クリプタもダイアンに会うのは久しぶりなの?」
「そうだね。向こう(開発局)には私でも簡単に立ち入りができないんだ。こちらのセキュリティレベルとはわけが違う」
「それじゃあ私、向こうに行ったらクリプタと会えなくなっちゃうの!?」
それは寝耳に水だった。ダイアンとせっかく再会できると、この日を指折り数えて待っていたのに。今度はクリプタと会えなくなってしまうなんて。
毎日、補修したり、組み上げたりと、つまらない日課をこなしてきたのに。やっと自由になれると思っていたのに。
なぜ会いたい人に会うことすら叶わないのだろう。そう考えると、今まで聞かずにそっと寝かせておいた様々な疑問を一気にクリプタにぶつけたくなった。けれど、それを察したかのように彼は不満に満ちたアマヨリの顔を見て、諭すように言った。
「気持ちは解るが、お前は恵まれているんだよ。今にこの意味を理解するときが来る、私は別に居なくなるわけじゃない。どうしても会いたくなったら、ランブラ局長に相談しなさい」
いつもの様に、小言の一つや二つ、言われるかと思っていたが、優しい口調で答えた彼の顔はどこか緊張しているように見えた。
♢♢♢♢
やっと会えるというのに、何だか浮かない気持ちでダイアンは、アマヨリが到着するのを開発局のゲート前で待っていた。
リラがタウコニアに出張している間に、クリプタと接触できるこのタイミングは貴重なのだ。自分の行動履歴もリラには確認できない。この一年近くの間、何度かクリプタに接触できる機会はあったが、開発局の情報を警備の男を介して引き渡すのが精一杯で、アマヨリのことを聞いたり、近況を確かめあったりする間などなかった。
クリプタいわく、開発局のセキュリティレベルを持つと、あらゆる監視にさらされるとのことだった。
なにより、あれこれと今後のことを考えていると、浮ついた気持ちで彼女を待っているなんてことはとても出来ず、ダイアンは素直に再会を喜べなかったのだ。
日中はゲート前を多くの人々や、スカイックと呼ばれる簡易型の浮遊バイクが、巨大な構内を颯爽と行き来している。
この光景も随分と見慣れてしまったせいか、今や何の感情も湧かない。
開発局のゲートすぐ隣には、他フロアへの往来可能な慣性制御エレベーターが設置されており、縦横無尽にこの地下空間を移動できる。眼下に広がるジオフロントそのものが、星核エネルギーを使った実験場の様なものなのだ。
自分自身さえもこの実験場のなかの一つのパーツにすぎない。
ここで生活を送るうちに、幼き日に見ていた世界の色が失われ、ただの景色となってしまったことにすら気づかなくなっていた。
そのエレベーターから、ゾロゾロとたくさんのアルダナリたちの中に見知った顔が降りて来るのが見えた。ダイアンは軽く手を挙げて場所を知らせた。
「やぁ。久しぶりだね、出迎えありがとう。また背が伸びたんじゃないか? もう追い越されそうだ」
最後に会ったときはまだ、目線を上にしていたが、リラが首が痛い。と言って、最近では顔を見て話すのをやめていたくらいダイアンの身長は伸びていた。いつもあんなに見上げていたクリプタの目線が、同じになり不思議な気分だった。
「クリプタこそ随分老け込んだんじゃないか? やっぱりおっさんって呼んだ方がいいんじゃ……」
ずらした視線の先には、客人の服装に身を包んだ一人の少女が、クリプタの影に隠れるように静かに立っていた。
「久しぶり、だね。なんか声まで変わっちゃって、ダイアンじゃないかと思った」
「ア、アマヨリこそ、静かだからわからなかったよ」
紫紺色の髪はいつになく癖っ毛だったが、目鼻立ちは以前よりすっきりと浮かび上がって凛としている。好奇心に満ち溢れ、キラキラとしていた瞳は、憂いを含んだ夜のように。客人の服装は以前よりずっと、たおやかに見えた。
まるで初めて会ったかのように、ぎこちない態度で振る舞う二人に、クリプタは苦笑いを浮かべた。
「久々に会えたのに、随分二人ともよそよそしいな。再会を喜びあいたいのだが、私はここに長居は出来ない。ダイアンと少し話をしても?」
アマヨリはうなずき、少し悲しそうな顔で言った。
「もう、お別れ?」
すると、クリプタはアマヨリの頭をぽんぽんと撫でるように触れ、まるで幼子をあやすように〝またすぐ会えるよ〟と言って誤魔化していた。
ダイアンはアマヨリを開発局の応接室へと通し、リラの客人として扱った。アマヨリを連れて来た道を早足で戻り、開発局の入り口で立ち止まる。
先ほどの神妙な雰囲気は、一体どこに行ったかというような口調で、一緒に過ごしていた頃のクリプタが現れた。
「なーぁんだ、お前は。この間に女の扱い方も学ばなかったのかぁ?」
大人の余裕を見せつけるかのような態度で、クリプタは同じ視線でニヤリと笑う。ダイアンは不意打ちを喰らったかのような顔で慌てて返事を返す。
「いっ、忙しくてそんなことしてる暇あるわけないだろ! 短期間で理系の知識叩き込むのに苦労したんだぞ!」
「ははは、すまん、すまん。一途な恋か……」
――一途な恋。
ストレートな指摘に顔から火が出るほどに恥ずかしくなり、思わずダイアンは黙りこくってしまった。
「なんだ、真っ赤になって。もう少し素直になったらいいんじゃないか」
タイミングだとか相手の気持ちだとか、ダメだったときのこととか。目の前の大人はそんなことお構いなしで。繊細な気持ちの葛藤のなかにズケズケと踏み込んでくる。
動揺のバロメーターのように顔の色を変えたダイアンは、クリプタを睨む。
「うるせぇよ」
クリプタはまるで同級生のように、ダイアンを揶揄ってケラケラと笑うので、行き交う人々がチラチラとこちらを見ていた。ダイアンは人目が気になったが、クリプタはそのままのほうがいいというので、二人はエレベーターまで当たり障りのない会話をしながら歩いた。
「予定通りで……。いいんだな? こっちの準備は整ってる。うまくいくと思うよ」
クリプタはピタリと足を止めて、逞しくなったダイアンの背をじっと見据える。
そして真剣な眼差しで言った。
「思う、ではなく遂行しろ」
久々に聞いた厳しい口調に振り向いたダイアンは、すぐに顔を正面へと向き直り、姿勢を正した。
「了解。遂行する」
♢♢♢♢
開発局の一角にある応接室で、アマヨリは退屈そうに椅子に体をもたれかける。欠伸が止まらず、大口を開けながらダイアンの帰りを待っていた。
待っている間、外に出て開発局内を見に行ってしまおうかと考えた。扉の前に立ったが、扉はまったく反応せず、外に出ることが叶わなかったのだ。仕方なく、机の前でぼうっとしながら扉を眺めていると、白衣に身を包んだダイアンが入って来た。
「ダイアン、私を閉じ込めたでしょう」
「なら、正解だったってことだね」
「あっ……」
目の前で呆れた表情をして、けれど口元は穏やかに笑っているような。懐かしい表情に少しほっとした。なにも変わらぬ彼がそこにいたから。
ダイアンには少々憂鬱なことがあった。作戦を実行するまでの間、アマヨリを置いておく場所がなかった。とりあえず、荷物に紛れ込ませたアマヨリをこれから自分の生活している部屋に置かなければならない。一緒に同室で過ごしていたのは、もう何年も前の話で、余計なことばかりがダイアンの頭の中を支配する。
出来合いのカーテンで間仕切りを作ったものの、この頼りなさでは理由をつけて、数日間は研究所の仮眠室で過ごさねばならないと考えていたのだ。
何の感動もない、ただ眠りに帰るだけの無機質で生活感のない部屋。
アマヨリ達と過ごしていた部屋よりは、物も広さもあるはずなのに、何もない部屋。
「この部屋を使っていいから。リラはあと三、四日で戻るからそれまでは自由に過ごして。あ、外に出るのは駄目だからね。必要なものは持ってくるから言って」
ダイアンが淡々と説明している横で、アマヨリは部屋をウロウロとする。
シェルフの上に置かれた花瓶からは花がこぼれ落ち、色を失っている。サイズごとに並べられたリネン類、積み上げられた本。カップボードにはダイアンの余裕の無さが降り積もっている。
アマヨリがまじまじと見るものだから、剥き出しの心を覗き込まれているようで、その場をすぐにでも離れたくなった。
「あんまりジロジロ見るなよな」
「だって見たことないものがたくさんある! ここにある本は読んでもいいの?」
好奇心に溢れた瞳は当時と変わらずそこにある。
真剣に本を選ぶ横顔をずっと見ていたいと願う気持ちがダイアンの胸を、ギュッと締め付けた。
「いいけど、きちんと戻してね。それと、部屋にシャワーもあるから使って。外から鍵をかけるけど、何かあったらそこにある画面を開いて知らせて」
「はーい。やっぱりダイアンだね、ふふふ。ところで私、リラって人が戻ったらまたどこかの部屋に移るのかな?」
彼女にはまだ、詳細を何も話していなかった。これはクリプタの指示ではなく、ダイアン自身の判断であり、彼女のことをよく知っているからこそだった。
正直にリラのところで暮らし、ここにはたまに顔を覗かせるくらいだと言ったら、絶対に暴れるか脱走を試みるかの二択しか残らない。
ダイアンは適当に誤魔化し、数日は自分の部屋でゆっくりするように伝えると、踵を返した。
「待って!」
腕が勢いよく後ろに引っ張られ、アマヨリがしっかりと腕にしがみついている。
「なんだよっ、急に掴むなよ」
「ごめん、あのさ、私今日ここで一人で寝るの? ダイアンも一緒だよね?」
目線の先にはカーテンで仕切られた場所にベッドとソファがあった。見下ろした少女は、先ほどの好奇心旺盛な態度とは打って変わり、不安で顔を青くしている。
余計な気を遣った自分が、やはりばかばかしく思えて、ダイアンは思いきりアマヨリのおでこをこづいた。
「ガキ。仕方ないから一緒にいてやるよ」
「ちょっと! 痛い! それにガキじゃない! 初めてのところだから、一人じゃ不安だっただけだよ……知ってるでしょ、ひとりぼっちが苦手なの」
久々に眉を寄せて頬を膨らませた顔が懐かしく、思わず笑みがこぼれた。
――知ってるよ。
君がおてんばで、負けず嫌いで、好奇心旺盛なところも。
そのくせ、誰よりも責任感が強くて、泣き虫で、甘えたがりなところも。
良いところも、悪いところも全部。そんな君のすべてが、
――愛おしいんだ。
アマヨリとの暖かで輝かしい時間は、ダイアンに迫る現実に刻々と影を落としていった。日中、ダイアンは昼食を早めに済ませ、資材を管理する倉庫へ足を運んでいた。
「あった……これだな」
ケースの側面には実験用の薬品カートリッジであることがわかるように示されている。それを一式抱え、いつものCL-5の研究所へと戻った。
すでに入り口の荷物検査は終えて倉庫に運び込まれたものだ。おどおどする必要もない。いつものように、中身を確認し棚へ補充するだけ。そうダイアンは自分へ言い聞かせ、早まる鼓動を落ち着かせた。
――とある日。
「あれ? これもう発注するんですか」
職員が不思議そうな顔で、ダイアンの発注履歴を見て話しかけてきた。
「はい、すみませんちょっと使い方を理解していなくて何本か無駄にしてしまったので」
「あ〜、そうだよね。局長そういうの、うるさいから気をつけて」
「はい、気をつけます。他に注文あれば僕がやるので言ってください」
新人だったダイアンは、局内の雑用もこなしていた。外からの荷物を局内へ運び入れるにはリスクがあった。クリプタの協力がなければ、この今手にしているものは手に入らない。
戻って早々、ダイアンは資材を慎重に確認する。
金属製のボンベには取扱注意の文字と、うっすらと境目が見える。
(本当に届いたんだ…)
そっとキャップを回すようにしてその境界を分つと、中には表に書かれた物とは程遠いものが見える。
白い緩衝材にピタリと包まれたメタリックグレーの金属の塊が現れた。
「装填もされてるし、問題なさそうだな」
再びダイアンは元のようにその塊を空のボンベへ収めると、祈るように鍵付きの棚の中へ紛れ込ませる。
扉を閉める手が少し震えているのをダイアンは、手のひらに爪跡を残しながらやり過ごした。




