Log1-21//偽りの世界
開発局での生活も慣れ始めた頃、ダイアンは蓄えた知識で少しずつリラの仕事を手伝えるようになっていた。
「あ、いけない」
ダイアンは突然、何かを思い出したように、慣性制御エレベーターへ乗り込み、下層階にあるリラの研究棟へ向かった。
巨大な円環状の建物を高速で上下横断できる開発局専用機の中で、乗り合わせた男に声をかけられる。
「休みの日にも熱心だね」
彼は開発局で働く職員の一人で、新人扱いのダイアンの面倒をよく見てくれるベテランだった。
「はい、まだわからないことが多くて。迷惑になるといけないので」
オメガ9にいたときは、休日などという概念はなかったために、ダイアンはこの休日の過ごし方を少し悩んだ。そこで、開発局内の人の動きや職員の会話を情報収集するために休日は様々な場所へ出向くことにしていた。
新人だから勉強するという建前のもと記録したり、うろついたりしていても怪しまれることはなかった。
「たまには息抜きも必要だぞ」
「はい、ありがとうございます」
男はニコニコと機嫌よく、上を指さしながら言う。
「屋外のデッキに行ったか? みんな下のカフェを使うけど、俺らの権限なら屋外もいけるし、あそこはコーヒーも飲めるから行ってみるといい」
リラから与えられたセキュリティ権限は、まるで警戒していないのか他に意図があるのか。恐ろしいほどにどこへでも行ける権限だった。
彼の研究室と最上階に置かれた執務室、実験棟とあらゆる場所への入室ができたのだ。
ダイアンは、男に会釈をするとエレベーターを降りて見覚えのあるゲートへ足早に向かった。
「おはよう、今日の気分はどうだい? まさか君とこんなふうにまた会うなんてね」
久々に顔を合わせたソリスは、身長も伸びて声も変声期を迎え始めている。それでも相変わらず彼は、アルダナリのように自らの意思で話すことができない。
ダイアンが驚いたのは、リラ・ランブラから与えられた肝心の業務内容といえば、オメガ9と同じフロア内にある、リラの専用研究施設でのソリスの管理だった。クリプタから言われていた、三つ目の〝過ごし方〟は今となっては、しっかりと確保できていた。
ソリスはダイアンのことも、アマヨリのことも覚えていた。
「ダイアンさんは研究職に就いたのですね」
「まぁね、本望じゃないけど……。それにしてもまさかこんなに丸見えだったとは」
あの頃は、バレていない、完璧な侵入だ。と思っていたが、ソリスと過ごしていた室内は全て特殊ガラスで覆われており、外側からよく見渡せる。
リラからは全てお見通しだったのだ。
その事実に驚愕し、自分たちのあまりにも幼稚な作戦に、ダイアンはその場で顔を覆うほどに、間の抜けたものだった。
「そういえば、ソリスは他の部屋って入ったことあるの? 隣の子と交流とか……」
「いえ、この部屋以外では医療棟に行く以外外に出ることはありません」
「そうか……。君はなんのためにこの部屋にいるのかを知らされているの?」
「はい。目的は聞いています」
ソリスはその言葉の意味を理解できているのだろうか。
全く動じる様子のないソリスに、ダイアンの心は重く沈む。
クリプタが知りたがっていた最高機密レベルCL-5の研究内容。
ダイアンはその実態をリラを手伝ううちに把握していた。目の前の彼らもまた、帝国の作った欺瞞に満ちたシステムの犠牲者なのだ。
「ソリスは、いつかここを……」
ダイアンはポツリとソリスへ問いかけたが会話を止める。
〝いつか〟
この先、彼がこのまま実験材料のようにされ続ける事実。
彼といつかの未来の話をすることは、リラ・ランブラと何ら変わらないのだと思ってしまったからだった。
「何か言いかけましたか?」
ソリスの表情は知れないが、なんとなく自分の言いかけたことを察したのではないか。とダイアンは罪悪感に駆られた。
そして、それを取り繕うようにまた会話を重ねてしまう。
「いや、君の学習能力や運動能力データを見させてもらったんだけど、驚いたよ。他にも何か突出しているものがありそうな勢いだね」
このデータ一つ一つに意味がある。
そのことを知ってか知らずか、ソリスは喜ぶこともなければ、悲観することもない。
時間になったのか、エアビューには〝入室〟の文字が浮かぶ。部屋にリラが来たようだった。正規の出入り口は二重に扉が管理されている。〝CL-5〟最高機密レベルの部屋。
「最近、このデータにばらつきがあると思いませんか」
入室早々にリラがデータの分析結果に指摘を始める。
「いえ、機微なものだと思いますけど、ここ数ヶ月は同じような推移ですよ」
「過去何年分のデータを見ましたか? きちんとそこから見なければこの機微な変化を見逃しますよ」
ここに張り付く職員はアルダナリと自分に限定されている為、なにか教えを乞おうと思うと、リラに聞かねばならなかった。最高機密というだけあって、リラは頻繁にここを訪れ、誰かに任せたままにするなどということはない。
リラからの指摘にダイアンはすぐに修正に取り掛かる。
「すみません、修正して送り直します」
リラは相変わらず相槌も打つことなく、戻って行った。
彼からは、助手としての振る舞いをこなすように強く求められた。それは、同じ局内でもリラの研究内容を探る動きがあったからだ。
時折背後に追跡の気配を感じ取ることもあり、ダイアンは一人での行動に気を遣わねばならかった。
(このままじゃ、まともにクリプタに報告を送れやしない……)
ダイアンは焦りながらも、慎重にリラへ情報を送り直す。
監視だらけのフロア、枢密府の防諜専門の職員が紛れている可能性のある、疑念に満ちた局内。
同じフロア内にいるはずなのに、クリプタに様々な報告をする手段は、どれも利用できそうになかった。
ダイアンは一人ポツンとベンチに座るソリスに視線を戻す。
(ぼくたちは、なんのために生まれてきたのだろう)
外という側から見た光景は、全てが残酷で救いもない。
ダイアンのなかで、言い知れぬ感情が湧き上がる。
真実を知ったときの、あの背筋が真っ先に凍りついていくような恐ろしさ。
虚しさを。
真っ白なソリスの手は軽やかに本のページを捲る。
その微かな音でさえ響くほどの静寂をかつて知っていただろうか。
ダイアンはソリスの隣にそっと座り、天を見上げた。
人工的に作られた空を模した天井は、何のドラマも持たない。
ただ天を青くするという使命だけを持って延々と偽りの空を演じ続けるのだ。
でもそれはこの天井だけではない。
目の前の彼も、別室の子供たちも、そして自分さえもこの作られた世界の中で決められた役割に動かされるだけ。
もし、もしこの決められた役割を自分の意志で選ぶことが出来たなら、一体自分はなにを選ぶのだろう。
あのとき、ソリスの規則を無視してまで、本を見せたいと言ったアマヨリは、この役割すらも飛び越えてしまおうとしていたのかもしれない。
アマヨリは無意識にそれに気がつき、抗おうとしていたのだろうか。
ダイアンは、あの時の彼女の気持ちが今ならわかるような気がした。
「ソリス……、ここから出たいと思わないのか」
聞いておきたかった。この問いを彼にしなければならないと思った。
たとえ彼の答えを、一字一句間違えずにわかっていたとしても。
けれど、ソリスの解答はダイアンが出したものとは、かけはなれたものだった。
「以前、アマヨリさんにも同じ質問をされました。その時に彼女は、私と一緒にここから出ようとおっしゃいました」
思わず声を出してしまった。
あまりにも彼女らしくて。
無計画で、突拍子もなく、誰かの為に行動できて。
そしてダイアンは思わず言った。
「そうか、演じることそのものをやめてしまえばいいんだ」
ソリスはそれに付け加えるように言った。
「私にも、やめちゃえと言っていましたよ。方法は自分が見つけると……」
毎日同じ景色を見ることが当たり前だと思っていたあのとき、アマヨリが現れてから自分の世界は一変した。つまらなくて自由のない日常は、変化を恐れて変えることを諦めた代名詞だった。けれど彼女にとってのその日常は、変えたい世界であり、変えられる世界だったのだ。
ダイアンは熱を持たない偽りの太陽を見上げ、ソリスへ伝えた。
「時間はかかるかもしれないけど、俺も君たちが本物の太陽を見れる方法を探すよ」
「本物の太陽……、ということは月や星もアマヨリさんの言っていた本物があるのですね」
ダイアンは優しい眼差しでソリスを見ると、静かに頷いた。
「本当の星空はアマヨリの瞳のようだよ」
「……。綺麗な空なのでしょうね」
そう返したソリスにハッとしたダイアンだったが、それからは何を話しても、いつもの規則正しい返事をしただけだった。
すみません、文章が切れたり、おかしかった箇所があったので修正入れました。内容には影響ありません。




