Log1-15//惜別
『ねぇ? ダイアン、今日もソリスのところに行こうと思うのだけど』
『え? あ、うん』
ここ一ヶ月の間、日課が早めに終わるとソリスのところに行くのが当たり前になっていた。この日もアマヨリは彼のところへ行く準備をしている。
ソリスは相変わらずあんな感じで、会話はアマヨリの一方通行だったが、最近〝少しわかったこと〟がある。
バウンドヴェイルのせいでアルダナリ達と同じと思っていたが、彼には色々とすごいところがあったのだ。
『ソリスはアマヨリと同い年なんだよね?』
『うん、そうみたい。なんで?』
『いや、頭が良いだけなのかと思ったら、足も早いからアマヨリと同い年には思えなかったんだ』
先日貸した本は丸暗記しており、ダイアンたちを驚かせた。オメガ9のメンバーとは比較にならないほどの高い能力に、他にどんなことができるのかと、ますます興味が湧いていた。
隣でアマヨリはいつもの手提げ袋にそそくさと荷物をつめ、準備が終わるとダイアンに懇願した。
『ちょっと寄りたいところがあるの!』
ダイアンにはアマヨリの寄りたいところがどこなのかすぐにわかった。
あの禁止図書を保管している書庫だった。すでにもう何冊も持ち出しては、読み終えている。そのなかで特別にソリスに見せたいものがあるというのだ。
『禁止って書いてあるんだから、ソリスのところに持ち出すのは流石にまずいんじゃないか』
『え〜、だめ?』
〝少しわかったこと〟の一つに、アマヨリはソリスのことになると、一歩も譲らないときがある。
それが彼女なりのソリスへの思いやりなのは、ダイアンも知っている。
けれど、純粋さゆえにリスクを恐れず、感情のままに行動してしまうことが、心配でたまらなかったし、リスクを冒してまで彼を気に掛ける理由が気になっていた。
彼女の情熱の磁針を狂わせるソリスと言う存在が、ダイアンの胸の奥にも、わずかな歪みを生み始めていた。
『ダメだよ。君はソリスのことになると本当に、一生懸命だね』
ため息まじりに拗ねるダイアンに、アマヨリはケロリと答える。
『そうかなぁ? だって、あそこに閉じ込められているなんて、なんだか、かわいそうだし。一人ぼっちは寂しいと思って』
広い部屋の中で、一人ポツンとベンチに座るソリスの姿が思い浮かぶ。
『アマヨリはかわいそうだから会いに行くの?』
『そうじゃないけど……』
アマヨリの気持ちもわからなくはなかった。あの場所での暮らしは、アマヨリから見れば辛く映ったのだろう。本当にソリスと友人になりたい、という思いはダイアンにもあった。
自分たちがオメガ9のみんなと賑やかに過ごす反面、一人で本を読む彼の姿は寂しく映る。何気ないアマヨリの同情にソリスが気の毒だと思ったが、そこまでアマヨリに想ってもらえるソリスが、ダイアンには羨ましくも思えた。
『彼が何を考えて、思っているのかわからないけど、同情されて会いに来てると知ったらいい気はしないと思うよ』
『どうじょう?』
ダイアンはアマヨリでもわかるようにもう一度言い直したが、同情されることが彼を傷つけるということに、いまいちピンときていないようだった。
『どうして? かわいそうだと思ったらいけないの?』
実際に〝かわいそう〟と口にしたことは、アマヨリのためにも教えておいた方がいいと思った。
――いや違う。自分自身がアマヨリの気持ちを確認しておきたかっただけかもしれない。〝かわいそう〟だから行くんだよね、と。
ダイアンはそんな気持ちを隠すように続ける。
『ソリスはあそこにいることが〝かわいそう〟なこととは思っていないかもしれないよ、第一、彼は僕らの生活を知らないんだ。僕たちだってここにいることが可哀想だと周りから思われるのは、なんか違うだろう?』
同情で行くのなら、その方がいいと思いながら、アマヨリには違うと問いかける自分がいる。
ダイアンはアマヨリの答えを待った。
アマヨリは、眉を寄せてしばらく黙る。
『そっか、そういうことか。ダイアンは優しいね。私はソリスに会いたいから今日も会いに行く! それが今の気持ち!』
他の人なら模範解答と言うだろう。
真っ白な歯を覗かせて、微笑む姿が偽りのない彼女の心を表した。
『会いたい、かぁ……』
寄り道を諦めたのか、アマヨリは秘密の扉を目指して廊下を駆けていく。虚しさと一緒に、ダイアンの元にはふわりと、アマヨリの優しい石鹸の香りだけが残った。
ソリスの部屋を訪れると、いつもより部屋が薄暗くなっていた。ダイアンたちは警戒するように部屋の奥へと歩いてゆく。花々のアーチの下で寝転ぶソリスがいた。
『ソリス! どうしたの一体』
二人の足音に気づいて体を起こしたソリスは、まるで自分たちが来ることを予期していたかのように天井を指さして言った。
『この前アマヨリさんから教わった星座の話、今日はお二人にこれを見てもらおうかと』
指し示した天井にはいつの間にか満天の星空が映っている。
アマヨリは興奮して飛び上がった。
『なにこれ! すごい! 前に見た星空みたいだ!』
『これはどうやってやったの? 僕たち運動場でもプラネタリウムを見るけど、こっちの方がなんて言うか、すごく綺麗だ……』
ダイアンはその景色に圧倒されてポカンと口を開けたまま手を伸ばした。
『最新式と聞きました。星の光は星核エネルギーを極小にまで抑えて発光させているようです。本物を見たことがないので、違いはわからないですがアマヨリさんは、以前見たとおっしゃっていたので』
アマヨリは大はしゃぎしてソリスに言った。
『すごいよ! 私が見たのと同じに見えるよ。でも、本物はね、星が空を走っていくの。星が消えちゃう前に願いごとを心の中で唱えると叶うんだ。ってクリプタが言ってた』
三人は横並びで寝そべるとしばらく星を眺めた。
ソリスのバウンドヴェイルにも星々が映り、ダイアンはここにいる全員が同じ気持ちで空を見上げているような気がした。
そしてソリスはこのシステムの仕組みを理解しているのか、予期するように言った。
『もうすぐ流れてきますよ』
『え! 願い事しなきゃ!』
祈るように手を合わせたアマヨリとソリスは思い思いに願いを唱えたのだろうか。
アマヨリの願いも気になったが、ダイアンはソリスの願いが気になって仕方がなかった。なぜならアルダナリと同じだと思っていたのに。
彼は会うたびにどこかで意思を持っているようにも見えたからだった。
♢♢♢♢
カストロザリア帝国の繁栄には、E.Pブラフマー開発の元となる、星核エネルギーと呼ばれる安定型エネルギーの存在があった。それらの供給により、帝国の産業や技術力は目覚ましい発展を遂げ、敵対するアダルマグニアとの軍事力に圧倒的な差をつけた。
世界は星核テクノロジーにより便利な生活になる一方で、神罰戦争の深傷を負った遠隔地や、一部のドミニオンではインフラ設備の格差に加え、階位制度によって貧富の差が拡大していく。
そして、神罰戦争から十五年近くが過ぎようとしていた頃、帝国各地では統治のあり方に反抗する、反帝国組織が次々と生まれ、各地でテロが起きるようになった。ドミニオンと周辺国との間で摩擦は静かに起き始めていた。
♢♢♢♢
『ふぅ』
ダイアンは十二歳になっていた。部屋の引っ越し準備を整えていたが、ここで暮らす者たちの私物はあまりにも少ない。
衣類以外で持ち出すものといえば、工作物や落書き帳などの文具用品と細かな生活用品くらいだ。ベッドのシーツを剥がし、回収用のケースに収めたら準備は完了する。何か荷物でゴタゴタすることもない。
唯一、ダイアンだけが持っている私物といえば、革張りの青い手帳と、ベッドの下に眠る埃を被った小箱があった。
『そうだ!』
思い出したように小箱を開けてみると、四芒星型の紫色の石が粗雑に入れられていた。よく見ると、小さな穴が空いていて、紐などを通せるような作りになっている。特に身につけたり、飾ったりするわけではなかったが、リラから持たされていた持ち物の一つだった。
処分するわけにもいかず、ずっと箱にしまってそのままになっていた。早く荷物をまとめてしまいたかったダイアンは、再び箱に閉じ込めて荷物の中に放り込んだ。
準備もすぐに終わり、ガランとしたベッドに寝転ぶと一日の出来事をゆっくりと振り返った。
『嘘だろぉぉ〜!』
いつも喧嘩っ早いテーヴァが泣きそうな顔でダイアンに縋りつく。
ヘリヌールは静かに泣いていて、レンユウは大騒ぎしてアルダナリに注意された。
そしてアマヨリは……。
泣いてくれると思っていたが、意外にも落ち着いた様子で静かに座っていた。
十二歳の誕生日を迎えたダイアンは、皆へ部屋が変わるだけではないことを初めて告げたのだ。新しい日課に試験的に挑戦することになり、用意された別の部屋に移る。と。
なんの前振りもなく、その事実を知ったメンバーたちは、こんな重要な話を一度もしてくれなかったことにショックを受け、言葉を失った。
『ごめん、どうしても当日まで言うことを禁止されていて』
ヘリヌールは溢れる涙を何度も、何度も拭いながら言った。
『仕方ないよ。またすぐ会えるんだよね? アル兄達みたいにサヨナラじゃないよね』
『……うん』
ヘリヌールの言葉が、返事を躊躇させた。彼女も、もう時期ここを出る。約束できる自信はなかった。みんなの涙する音が静かな部屋をこだまする。
テーヴァは立ち尽くすダイアンを抱き寄せて、鼻を真っ赤に染めながら啜り泣いた。
『ちくしょう、俺と同室になると思ってたから。先に別れなんて、誰とこれから戦えばいいんだ!』
テーヴァの言葉に、悲しみのこだまはぴたりと止んで笑いが起きると、いつものメンバーの笑顔が戻った。ダイアンもそれに釣られるように、血気盛んなテーヴァとの同室を想像するとなんだかおかしくなった。
ヘリヌールが毎日喧嘩にならなくてよかったと言うと、ダイアンも内心テーヴァとの生活は少し疲れそうな気がしてホッとした。けれど、テーヴァとの喧嘩で負った手の傷痕を思い出したように見ると、少し寂しくなった。
レンユウは最初こそ大騒ぎしていたが、また会えると聞いて落ち着きを取り戻しつつ、やっぱり寂しいと口にした。
『他の部屋にいるだけだもんね。アマヨリのことは私に任せて!』
レンユウはアマヨリがオメガ9に来る少し前に入ってきた。
アマヨリとは違った元気さと、勝ち気さで意見がぶつかることも多々あった。喧嘩も随分したけれど、あけすけなその性格に救われることも多かった。
ダイアンの神経質で理屈っぽい性格は、時に大きな心の負担になることもあった。
今では〝まあいいか〟とやり過ごせるようになったのもレンユウとアマヨリの影響が大きかった。
『二人が一緒だと色々な意味で心配だよ、懲罰室行きにだけはならないように……』
『えー、そんなことないよ。ねえアマヨリ?』
隣のアマヨリに話を振ると、どこか上の空のようだった。レンユウはアマヨリの姿に眉をひそめると同時に、ダイアンをギロリと睨んだ。
そして、耳元でこういった。
『ダイアン、アマヨリに話してなかったの?』
ダイアンは頷くと、レンユウは呆れた様子で〝最低〟と言い残したのだ。
部屋に戻ってもレンユウの〝最低〟という言葉が頭から離れなかった。
天井にはクルクルと星のモービルが音もなく回り、それをぼんやりと眺めながら、自らの行動を顧みた。
やはり言っておくべきだっただろうか。なんとなく、言えなかった理由を探してしまっている自分が情けなくなってダイアンは目を瞑った。
うっすらと瞼越しにモービルから放たれる光が、心を揺らすようにゆらゆらと動くのがわかる。
ダイアンは、しばらくして名前を呼ばれていることに気がついた。目を開けるとそこには星型のモービルではなく、プラネタリウムのような紫紺色の瞳があった。
『わっ! アマヨリ!』
『ごめんね、起こしちゃって』
日課室で皆と別れてから、アマヨリと顔を合わせていなかった。ゆっくり話せるのは今日が最後なのに。ダイアンはしっかりと目を覚まし、そっと体を起こすと何もないベッドの上にアマヨリと丸まるように座った。
『あのさ、本当はもっと早くに伝えたかったんだ』
『どうせ私が大騒ぎするから、クリプタからダメって言われてたんでしょ。約束ちゃんと守ったなら偉いよ』
アマヨリは足の指を動かしながら、落ち着かない様子で膝に顔を埋めている。
『みんなには別の部屋に行くと言ったけど、本当はクリプタのところに行くんだ。俺にしかできないことがあるから手伝ってほしいって』
『クリプタのところ? あの部屋に行くの?』
『ううん、別に部屋があるからそっちに行く。こことは全く違う場所にあるから簡単にはみんなのとこに戻って来れないんだ』
『ずっと⁉︎』
アマヨリは埋めた顔を、勢いよく上げると、ダイアンの瞳を不安そうに見つめた。
彼女のことだから、きっと怒るかどんなことをするのか興味津々に聞いてくるに違いないと考えていた。想定外の反応にダイアンは戸惑いを隠せず、笑って誤魔化すように視線を逸らした。
『ははは、まさか。クリプタからは十五になっても適性があればみんなのように外には出ないで、ここで仕事に就けると言われてる。なんだろう、管理官とかかな?』
自ら口にすると十五までの年月はあまりにも重く、遠い未来のようにも感じた。
ヘリヌールには、また会えると言ってしまったが、きっと会えないままだろう。あんなに泣いてくれているヘリヌールに本当のことなど、とても言えなかった。
この建物の探検も、ソリスの謎も、何もかもが中途半端なままで、アマヨリを残してここを離れるのは落ち着かない。
けれど、この場所の外へ行けるのなら行ってみたいという好奇心もあった。今までと違う環境と未知の経験。
クリプタからの情報では細かいことはわからなかったが、何かワクワクできることもありそうだった。
〝大切なものを守るために協力してほしい〟そう彼からは言われていた。
人から頼られることは結構好きだったし、その相手があのクリプタであるなら、なお更その期待に応えたいとも思った。自分の能力を試してみたいと。
不安ばかりではなさそうな、むしろどこか少し希望を纏ったダイアンに、アマヨリは何かを飲み込むように、諦めたように、ポツリと言った。
『十五歳までかぁ……、実はね、なんとなくダイアンがどこかに行っちゃうんじゃないかって最近ずっと思ってたの』
寂しそうにするアマヨリの顔にダイアンは少しの罪悪感を覚えた。
星型のモービルの風を切る音が微かに聞こえ、天井を舞う小さな光の粒は、やはりダイアンの心を代弁するかのようにゆらゆらと揺れている。
そんな心の様子が見えてしまったのか、アマヨリは、ベッドから飛び降りてダイアンの前に向き直ると、しっかりとした口調で言った。
『約束、忘れないよ。ダイアンなら大丈夫だよ』
アマヨリは、クヨクヨしてなどいられないという態度で小指を突き立てながら、さっきの表情とは一転、笑顔を見せた。
気にせず行ってこい。
そう言ってくれているような笑顔にダイアンは、不安でゆらめいた心がぴたりと静止するのがわかった。




