Log1-10//容認
日課を終えて部屋に戻ると、アマヨリがまだ戻ってきていないことに気がついた。
とっくに部屋にいておかしくない時間帯なのに、戻る気配がなかったのだ。
「……まさか」
ダイアンはベッドの下に隠した靴下の中を見てみると、忍ばせておいたクリプタのヴォイドリンクと点検口のそれがなくなっていた。
やっぱり。という腹立たしい気持ちと心配が入り混ざり、後を追いかけることにした。しかし、何の鍵も持たないダイアンに行ける場所は限られており、〝侵入禁止〟と表示されたグリフサインの扉の前で立ち尽くすしかなかった。
「ここで何をしている」
「!!」
しまったと思ったときにはもう遅かった。
胸もとが締め付けられる感覚に、背中への衝撃、宙に浮いた足元。身動きが取れなくなったことをダイアンはすぐに理解した。
「ここから先は私の権限が及ばない場所だ。普段から近づくなと言ってあるはずだ。何が言いたいかわかるか」
「はい……」
ダイアンの服を掴んだまま、目の前の男は、今にも溢れそうな感情を抑えながら続けた。
「お前は賢いがまだ幼すぎる。守りたいものがあるなら軽率に動くな」
背筋が凍る思いとはこのことか、と壁に押さえつけられながらも冷静でいる自分が少し怖くなった。
クリプタの手が緩んだので、服を整え直しながら何事もなかったかのように平然と問いかけた。
「アマヨリを……探していて……見ませんでしたか?」
「ここでは見ていない。何度も言うが、軽率にこのエリアを歩くな」
ダイアンはクリプタを怒らせると怖いというのは、誰よりも知っていた。彼はここの施設長であり、みんなを管理する立場にあるのだと最近は大人の事情もわかるようになってきていた。
他にもクリプタと同じように働く大人は何人もいるが、その人達さえも、クリプタを恐れているのが良くわかる。普段は、気さくで物知りで冷静、アマヨリにはめっぽう弱くて、小言ばかりなのに。
けれど、ダイアンにとっては、唯一ここでは頼れる大人であり、唯一恐れる大人でもあったのだ。
「遊んでたらつい……、次から気をつけます」
「……」
何か言いたげなクリプタにじっと見つめられると、何もかもを見透かされてしまうようで、心臓が口から飛び出すのではないかと思うくらいに、ダイアンを緊張させた。
クリプタからは深いため息がもれる。
「お前たちには手を焼くよ。ちょうどいい、話があるから部屋に来なさい」
ダイアンは粛々と後をついていくしかなかった。
♢♢♢♢
ダイアンの心配をよそにアマヨリはバウンドヴェイルの少年、ソリスのいる部屋に忍び込んでいた。
「ソリス、ソリス」
消灯時間なのか部屋はいつもより真っ暗闇で、名前を呼んでも返事がなかった。そろそろと壁つたいに歩いていると、ドンっと何かにぶつかり進行が遮られる。
「いたたた……何これ」
アマヨリは額を抑えながら目の前の障害物を見上げて言葉を失った。
「やれやれ、こんな堂々と出入りしていたとは。知恵があるのも困ったものですね」
暗く、顔の特徴はつかめなかったがクリプタやセネリスではない大人の男性であることは間違いなかった。神経質そうな高めの声と、一方通行な早口でその人物はペラペラと話し続けた。
「しかし……、随分と大きくなりましたね。十年経過したのは知っていましたが……、ここに来た目的はなんですか」
逃げても無駄だということはアマヨリにもわかったので、正直にソリスに会いに来たことを話し、この、まだ見えぬ大人の理解を得ようとした。
「えっと、勝手に入ったのはごめんなさい。どうしてもソリスに会いたくて」
正直に言ったとて勝手にここに忍び込んだことで、懲罰室ゆきになることはわかっていたし、後でクリプタに散々叱られて、二度とここには来られなくなることも覚悟しなければならなかった。口酸っぱく言っていたダイアンの顔が浮かぶ。
しかし、この目の前の大人からは、予想外の言葉が返ってきた。
「ああ、最近自分の名前を認識するようになっていたから警戒してましたけど……まあ、そう呼びたいのなら、そう呼べばいいですよ。今、いないのですよ。色々検査に出していて。医療棟です。会うのなら七日後を勧めますよ」
「え!」
見知らぬ男は矢継ぎ早にこちらの疑問を察したかのように話していく。おまけに再会できる日取りまで親切に教えてくれて。
「……私は別にそちらの人間ではないですからね、あなた達が規則を犯していることについては面倒なので特段言いません。時間の無駄です」
アマヨリは男の言葉を確かめるように言った。
「会いに来てもいいってこと?」
「私はあなた達に許可を出せる立場にない。来るのならもっと狡猾にやりなさい、とだけ言っておきましょうか」
大事なことを聞き逃すまいと、アマヨリの眉はどんどんと寄っていく。
「こうかつ……?」
ペラペラと良く話す大人だったが、アマヨリには言葉が難しく自分なりに解釈したことを聞き返して確認をとることしかできなかった。そんなやりとりに次第に苛立ちを隠せなくなった男はため息をこぼし、くるりと体を翻すと、再び暗闇に消えていった。
「ゴーグルかけてたな、あの人」
アマヨリが部屋に戻るとベッドにダイアンはまだいなかった。
さっきの出来事を話したかったのに戻ってくる気配もない。つまらなそうにゴロンとベッドに寝転ぶと、ゴーグルの大人が言っていたことをもう一度、ひとつ、ひとつ思い出していた。
「そういえば、医療棟に行ってると話していたけど、何かあったのかな……次はちゃんと会えるのかな……」
――二年前
「アルダー‼︎ 早く来て、早く!」
アルヘニクスが血相を変えて、アルダナリを慌ただしく呼び寄せた。そんな時は大体緊急事態なことが多く、その場にいた全員に緊張が走った。
「どうしましたか」
運動場の片隅で子供たちを見守っていたアルダナリ達が、いつもは走ったり急いだりしないのに、この時はすぐに駆けつけてきた。
「エータの様子がおかしくて、体も熱いし……」
「わかりました、管理官を呼んできますのでお待ちください」
運動場で横たわるエータの手を握ったアマヨリは、エータの尋常でない体温に緊張を覚えた。苦しそうな息遣いにどうしてやることもできず、ただ手を握ってやることしかできないもどかしさを抱えたまま、見守るしかなかった。
しばらくすると、クリプタと同じ服装の大人達が来て、エータを運び出そうとしたのでアマヨリは慌てて彼らを引き留めた。
「ねぇ、エータは大丈夫だよね? 戻ってくるよね?」
エータを抱えた一人が首を横に振り、行き先が医療棟であることを告げた。
「ここには戻らないでしょう、大丈夫。こちらで治療しますから安心して」
アマヨリは涙が止まらなかった。
いつもアマ姉と言って、懐いてくれていたエータ。
まだここに来たばかりで五つだったエータ。
こんな形でお別れになってしまうなんて。もう二度と会えない悲しみと、エータの無事を心配してしばらく補給食が喉を通らなかった。
この一件から数年の時が流れたが、その間にも他のグループでやはり同じように医療棟送りになったことが数件あった。その度に何もできない無力さに襲われて皆、深く傷ついた。
そうしているうちに、いなくなった子供のことや医療棟の存在について話をすることがなんとなくタブーとなってしまっていたのだ。
「エータ元気かなぁ」
過去を思い出しながらほうけていると、ダイアンが疲れた顔で戻ってきた。
「あ! アマヨリ! 鍵勝手に持ってって、またソリスのところに行ってただろ! おかげでクリプタに見つかって怒られたんだぞ! それに……」
ダイアンは言いかけて口をつぐんだ。またこの部屋を離れる話をしたらアマヨリは落ち込んでしまうだろうと。
アマヨリも、勝手に鍵を持ち出してソリスの元へ行ったのは良くないことだとわかっていた。素直に謝り喧嘩に発展することはなかった。
「で、アマヨリはソリスに会えたの? 今日は何したの?」
ダイアンはソリス自身のことよりも、アマヨリがソリスとどんな会話をして、何をしたのかが気になって仕方がなかった。自分よりも社交的で、分け隔てなく誰とでも接することのできる彼女を好ましく思わない人はいないのだ。そんなダイアンの心配の種を知らず知らずに撒き続けるアマヨリ。
「そうだ、聞いてよ! ソリスに会いに行ったら居なくて、代わりにゴーグルの男の人がいた。セネリスみたいな白衣着てたけど、顔は暗くて見えなかった」
ベッドから身を乗り出しながら、興奮気味にアマヨリは出来事を話した。
「ええ⁉︎ それ大丈夫だったの?」
「うん、最初はまずいって思ったけど……、こっそり来るなら会いにきてもいいって」
はしゃぐアマヨリとは対照的に、顔をしかめたダイアンは、アマヨリの言っていることが少し事実とは違うのではないかと疑った。
「こっそりって、そんなこと本当に言ったの? 明日になったら懲罰室行きなんてごめんだからな」
「嘘じゃない! 本当に来ていいって言ってたよ! えっと、こう……かつ? こうかつにやりなさいって」
アマヨリが狡猾などという言葉を知るはずがないし、何より彼女は今までダイアンに嘘をついたことは一度もない。ダイアンはアマヨリの話を信じざるを得なかった。
「それなら、今度からもう少し会いやすくなるってことか。クリプタにもヴォイドリンクのことは言われなかったし、大丈夫か」
「ダイアン、クリプタに見つかって怒られたって大丈夫だったの?」
色々と心当たりの多いアマヨリは肩をすくめてダイアンを見た。
「……まあ、適当に誤魔化したし、いつもの小言だよ」
本当は、自分が部屋を出ることに関して、伝えておきたいことがあったが、ダイアンにはまだ正直にアマヨリへ話を切り出す勇気がなかった。
「ならいいけどー、最近クリプタ怒ってること多いよね」
そう言ってアマヨリはベッドに足を投げ出して寝転がった。
それを見たダイアンはアマヨリの発言に少々呆れ果てた。
「いや、怒ってるのはアマヨリが……」
天真爛漫で人懐っこいアマヨリには、クリプタも手を焼いているのをダイアンもよく知っていた。頻繁に会いに来ることを禁じられているのに、ひょっこりとクリプタの元を訪れたと思えばいたずらを働き、アルダナリに話しかけ続けて困らせたり、補給食を残したり盗み食いしたり。
レンユウと引っ掻き合いの大喧嘩をしたこともあった。思い返すだけでも結構な問題児だった。彼女を身近に見てきたダイアンにとっては、クリプタの気持ちも痛いほどわかるのだ。
ただ、今ここでアマヨリが原因だと言ったら絶対に喧嘩になることは避けられそうになかった。
「いや、なんでもない。それより、そのゴーグルの人は他に何か言っていた?」
「そういえば……ずいぶん大きくなりましたねって。私、会ったことあるのかな」
ダイアンにはそのセリフの意味することがなんとなくわかったので、とある特徴をアマヨリに聞き返した。
「もしかして、丁寧な話し方だけど早口じゃなかった?」
「あ! うん! 難しいことも言っててあんまりわかんなかったけど……、ダイアン知ってるの?」
「うん、リラ・ランブラ。もう何年も会ってなかったけど」
その人物を思い浮かべるだけで身の毛がよだった。なぜならそれは、紛れもなくあのリラ・ランブラだったからだ。
思い出さないようにしていた幼少期の記憶が一気に引き戻されて、強制的に過去という映像を見せられたダイアンの心は消沈したが、その映像を塗り替えるほどに、アマヨリは重要なことを言った。
「ソリス、医療棟に行くって言ってたけど……、戻ってくるかな」
「なんだって!」
ダイアンはその言葉に驚いて思わず声が大きくなった。珍しくアマヨリに口を押さえられるほどに。
医療棟、それは行ったら戻ってこられぬ場所。
そして、それを確かめられるかもしれない術を手に入れているダイアンは、もう一度このエリアの外へ、ソリスのいる医療棟に行くことを決意し、作戦を立てることにした。
ソリスのことですっかり頭が切り替わってしまっていたが、あのジオフロントの世界でアルヘニクスを発見したことをアマヨリに話すかダイアンは迷っていた。万が一彼女が誰かに話してしまったら大変なことになるのは目に見えていたからだ。
アマヨリはレンユウのように秘密を話してしまうタイプではなかったが、この前の絵本のこともあり、善意や正義感から話してしまう可能性もあったのだ。
ただ、アルヘニクスのことはどうしても気になり、ヴェイルのことだけ聞いてみた。
「あのさ、帝国軍ってさバウンドヴェイルつけてたりするのかな?」
アマヨリは記憶を辿るようにして答えた。
「うーん。ときどき来る人たちの中に、付けてる人は見たことないよ。なんで?」
「いや、そういえば軍の服装でアルダナリはいないなーって」
少し変な顔をしたアマヨリは言った。
「わたしあの制服の人たち嫌い」
「おれも……」
二人の間にはしばらくの沈黙が流れた。アマヨリの言うとおり、ダイアンはあの帝国軍の制服を着た大人たちが大嫌いだった。
思い出すのは、ごくたまに日課室で過ごす子供たちの様子を見に来るときだ。誰もが横柄でアルダナリや自分たちをモノのように扱い、話しかけても無視されることが多かった。
だから、あんなに冷たい奴らと一緒に船に乗って行ったアルヘニクスが、心配でたまらなかった。
「アル兄大丈夫かな……」
思わず漏れた言葉にアマヨリは凛として答えた。
「アル兄なら心配いらないよ! きっといろんなところを走り回ってるよ!」
そう言ったアマヨリの言葉に、そうだね。と返せない自分がいた。




