第7話 無能力サポート、天使と朝まで契約交渉する
『配信収入と攻略収入は、半分ずつでいいわ』
その日の夜。
稲垣徹は、ベッドに転がったままスマホの画面を見つめていた。
送信者はマリー。
一通目は『正式採用になったので、報酬について確認しておきたいのだけど』だった。
そして、二通目がこれである。
「半分か。太っ腹だな……半分?」
徹は画面を見直した。
『配信収入と攻略収入は、半分ずつでいいわ』
「半分で、いい?」
誰が。
何を。
どういう意味で。
文面どおりなら、マリーが得る配信収入と攻略収入を、徹と半分ずつ分けることになる。
徹はドラゴンロードの討伐報酬を思い出した。
一億二千三百万円。
その半分は、六千百五十万円。
「……はは。すっげえな」
家が買える。
もちろん、実際には税金や手数料、装備の維持費などが差し引かれるのだろう。
しかし、問題はそこではない。
マリーは高校生のアルバイトへ「収入の半分を渡す」と、メッセージひとつで告げてきたのだ。
しかも、おそらく本気である。
再びスマホが震えた。
『もし必要なお金があるなら言ってちょうだい。別に用意するわ』
続けて、もう一通。
『至急なら、一千万円くらいまで準備できる』
「待て待て待て!」
徹は思わず叫んだ。
「金額が大きすぎる!」
ベッドから立ち上がり、部屋を二往復する。
そして、筋肉痛に耐えられず、すぐに座った。
「落ち着け……」
誰に言ったのかは、自分でも分からない。
マリーに悪気はない。
徹の仕事を、それだけ高く評価してくれているのだろう。
だからこそ、勢いで決めていい話ではない。
勤務時間。
手当。
保険。
仕事中に怪我をした場合の扱い。
契約が曖昧な職場ほど、後になって揉める。
いくつものアルバイトを渡り歩いて、それだけは身に染みていた。
「……言うべきことは、言わないとな」
徹はスマホを握り直した。
『夜分に恐れ入ります。報酬について相談したいのですが、今から電話しても大丈夫でしょうか?』
◇
「で、電話……?」
綾瀬茉莉は、自室のベッドへ仰向けになったまま固まった。
後ろで適当にまとめられた黒髪。
黒いジャージに、よれた靴下。どちらも中学のころから使っている。
机の上には、飲みかけのゼリー飲料と栄養ドリンク。
その隣に、届いたばかりの配信機材の箱が積み上がっていた。値札は、着ているジャージの何十倍もする。
そして胸元では、赤い宝石をあしらったプラチナのようなネックレス――通常状態のヴァリアントが、部屋着のときも外されないまま揺れていた。
そこにいるのは、最強の天使ではない。
学校では一日中眠っている女子高生、綾瀬茉莉だった。
「電話って、電話するってことだよね」
それ以外に、どんな意味があるというのか。
茉莉はメッセージを見つめた。
相手は、昨日正式採用したばかりの専属サポート。
そして、学校では毎日隣に座っている男子である。
「落ち着け、私」
個人的にクラスメイトの男子と電話をする。
そんな出来事は、これまでの人生でほとんどなかった。
だが、これは仕事だ。
仕事の電話である。
茉莉は一度目を閉じた。
ゆっくりと開くと、眠そうだった瞳が、天使マリーのそれに変わっていた。
『私は大丈夫。都合のいいときに電話をちょうだい』
送信した直後、着信画面へ切り替わる。
「早っ」
茉莉は深呼吸し、通話ボタンを押した。
「……はい」
『お疲れさまです。稲垣です。先日はありがとうございました』
「こちらこそ。それで、報酬の話だったわね」
『はい。配信収入と攻略収入を半分というのは――』
「少なかった?」
『えっ?』
徹の言葉が止まった。
「メッセージを送った後に考えたのだけど、仕事量はあなたの方が多いのよね」
マリーは戦闘へ集中する。
その間、徹は情報収集、素材回収、備品管理、配信設定まで担当する。
「私もヴァリアントの補修や装備の新調があるから、とりあえず六割くらいで――」
『ストップ、ストップ!』
電話越しに、徹の慌てた声が響いた。
『少ないんじゃなくて、多いんです。とてつもなく多いです』
「多いの?」
『多すぎて危ないです』
「危ないの?」
『金額が危ないです。俺の胃にも危険です』
初めて聞く表現だった。
意味はよく分からなかったが、徹が本気で困っていることだけは伝わってくる。
『こういう金額を、メッセージの勢いだけで決めたら駄目です。きちんと契約内容を整理しましょう』
「勢いじゃないわ」
茉莉はムッとした。
「私にとって、あなたが必要だから、その分を渡す。それだけの話よ」
『……ありがとうございます』
徹は、柔らかな声で礼を述べた。
そして直後に、勢いよく続ける。
『だったら、なおさらきちんと話し合いましょう! とにかく金額が多すぎるんです。困るんです! こんな金額をもらったら、俺の胃がもちません!』
「え、あ、ごめん。じゃあ四割で」
『割合の話じゃないです!』
そんなやり取りを何度も繰り返すうち、話は勤務時間、危険手当、治療費、配信に出演した場合の扱いにまで広がっていった。
徹の胃がどうにか耐えられる条件へ落ち着いた頃には、窓の外が白み、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
『それでは、契約書ができたら、もう一度確認させてください』
「分かったわ」
『遅くまで、ありがとうございました』
「こちらこそ。おやすみ、トオル」
『おやすみなさい、マリー』
通話が切れる。
茉莉はスマホを胸元へ置いた。
「面倒な人……」
そう呟いてから、少し考える。
「でも、必要な面倒ね」




