第6話 無能力サポート、天使に正式採用される
「常温になりました。どうぞ」
「ありがとう」
徹から受け取った水を飲みながら、マリーは『星の部屋』を眺めていた。
漆黒のブロックに囲まれた室内を、無数の光が漂っている。
光は星のように明滅し、ときおり形や色を変えた。
運営へ事前に休憩申請を出しているため、配信は二十分間停止している。
「ふわあ……」
マリーは口元を押さえ、欠伸をした。
今日は学校で眠れなかった。
原因は、今も目の前で道具や素材を整理している少年である。
(配信も素材回収も、申し分ない)
(自分で考えて、言われる前に動く。仕事ぶりだけなら、文句なしなのだけど……)
徹の手元には、借りた攻略端末と、書き込みで埋まったメモ帳がある。
審査前に図書館へ立ち寄り、浅層のモンスターや罠、素材の回収方法まで調べてきたらしい。
開かれた最初のページに、几帳面な字が並んでいた。
『前回の反省――ブラックウルフ戦では、危険を感じながら計画を止められなかった。ドラゴンロード戦では、避難経路の確認が足りなかった。二度と、同じ後悔はしない』
(そこまで考えて、準備してきたの……?)
マリーは、またひとつ不採用にする理由を失った。
問題は、学校でも毎日顔を合わせることだ。
「ふわあ……」
もう一度、欠伸が漏れる。
整理を終えた徹が戻ってきた。
「マリー」
「何?」
「よければ、これを」
徹がミント味ののど飴を差し出す。
マリーは手のひらを前へ出した。
「ごめんなさい。のど飴は、はちみつレモン味と決めているの」
「そうなんですね。分かりました」
徹は飴をしまった。
「次からは、はちみつレモン味を準備します」
マリーの眉間に皺が寄る。
『やっぱり断ろうと思う』
学校で聞いた徹の言葉が蘇った。
(断るつもりなのに、次の準備をするの?)
徹が、はっとした。
「すみません。採用される前提のような言い方でした」
「……別に」
考えていることを見透かされた気がして、マリーは目をそらした。
(ああ、やっぱり、やりにくい)
仕事だけなら、申し分ない。
しかし、あまりにも距離が近い。
学校でも、仕事でも。
徹は「住む世界が違う」と言っていた。
世界が近すぎるのも、それはそれで面倒なのだ。
そのとき、空気が動いた。
マリーが顔を上げる。
すぐ目の前まで、徹が迫っていた。
「えっ――」
徹がマリーに飛びついた。
そのまま二人で床へ倒れ込む。
「ちょ、ちょっと、何を――」
徹の身体が覆いかぶさっている。
近い。
あまりにも近い。
「ど、どいて……!」
徹の顔を見た瞬間、マリーの声が止まった。
苦痛に歪んだ表情。
背中に広がる、小さな赤い染み。
マリーは壁を振り返った。
ブロックに刻まれた紋様から、蛇に似たモンスターが浮き出ている。
「ルーインワーム!」
毒を持つ、遺跡擬態型のモンスター。
ルーインワームが、もう一度飛びかかってくる。
マリーはヴァリアントの柄を握った。
しかし、徹に覆いかぶさられた状態では大剣を振るえない。
「ヴァリアント――バスタルドー・モード!」
金属音とともに、大剣の刀身が左右へ開いた。
内部に収納されていた、氷のように細い副剣が現れる。
マリーが切っ先を向けた。
青白い光が走る。
ルーインワームは空中で真っ二つになり、二人の手前へ落ちた。
「トオル!」
マリーは徹を床へ横たえた。
顔が青ざめ、呼吸も乱れている。
「ああ、もう!」
コートからエリクサーを取り出し、徹の口元へ運ぶ。
「飲みなさい!」
徹が秘薬を飲み込むと、その身体が一瞬だけ輝いた。
青ざめていた顔に、少しずつ血色が戻ってくる。
徹が目を開けた。
「ありがとう……ございます」
「アンタね!」
マリーは空になった瓶を握りしめた。
「私の装備には、防御力も毒耐性もあるの。なんでアンタが私を庇うのよ!」
「いや、その……」
「おかしいでしょ! バカなの!?」
口では徹を責めながら、マリーは自分自身に腹を立てていた。
ルーインワームに気づかなかった。
考え事をしていた。
寝不足だった。
そんなものは、失敗の理由にならない。
徹が負傷したのは、自分が油断したからだ。
目の奥が熱くなる。
マリーは涙を見られないよう、徹に背を向けた。
「……初めてよ」
「え?」
背を向けたまま、マリーは首を振る。
「なんでもない」
「あの……」
「何?」
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
マリーは目元を拭い、徹へ向き直った。
「……どうぞ」
「どうして、俺なんですか?」
徹は伏し目がちに尋ねた。
「俺は、ブラックウルフ相手にも苦戦するような人間です。能力もない。装備もない」
「知っているわ」
「俺より上手くできる人は、いくらでもいます。さっきだって、何も考えていませんでした」
徹は自分の背中へ手を回した。
「危ないと思って、身体が動いただけです。マリーの装備を確認していなかった。サポートとしては、俺の不手際です」
「違う!」
マリーの声が、星の部屋へ響いた。
徹が驚いて顔を上げる。
「さっきのは私の失敗よ。あなたの失敗じゃない」
「でも――」
「油断したの。あなたが全部先回りしてくれるから、私は戦闘だけに集中すればいいと思ってしまった」
「……恐縮です」
「恐縮しなくていい!」
マリーは徹をまっすぐ見た。
「確かに、あなたより経験のある人はいる。強い能力や高価な装備を持っている人も、いくらでもいるわ」
これまで何人もの攻略者と組んできた。
優秀なサポートとも仕事をした。
それでも。
「あなた以上に仕事がしやすいと思った人は、いなかった」
徹の目が丸くなる。
「ブラックウルフを前にしたときも、ドラゴンロードを前にしたときも、あなたは自分にできることを探した」
マリーは言葉を続ける。
「周りが何をしてくれるかじゃない。自分に何ができるかを考え、実際に行動する。私が欲しいのは、そういう人よ」
そして今日も、徹は同じことをした。
無能力者でありながら、国内最強の天使を支えた。
本人が価値に気づいていないだけだ。
マリーは一度深呼吸し、徹へ手を差し出した。
「おめでとう、トオル」
星のような光の中で、天使が笑った。
「あなたを、天使マリーの専属サポートとして正式に採用します」
徹は差し出された手を見つめた。
それから、恐る恐る握り返す。
「……よろしくお願いします」
◇
(失敗した……)
翌朝。
綾瀬茉莉は学校の机に突っ伏し、寝たふりをしながら後悔していた。
(勢いで採用しちゃった)
徹が優秀であることは間違いない。
しかし、隣の席問題は何ひとつ解決していない。
(私の安らぎの時間が……)
その隣では、徹も暗い顔で机を見つめていた。
「……エリクサーって、あんなに高いんだな」
攻略後、マリーから見せてもらったレシート。
徹の予想より、金額のゼロが二つ多かった。
(弁償しろとは言われていない。でも、あんなものを二本も俺に使わせたんだよな)
(タダ働きでも足りないんじゃないか……?)
マリーは、正体が露見する未来を恐れていた。
徹は、莫大な借金を背負った気分になっていた。
「はああああ……」
二人同時に、大きなため息をつく。
始業のチャイムが鳴った。
こうして、最強の天使と無能力サポートの、少しややこしい日常が始まった。




