第53話 無能力サポート、天使と豆腐ハンバーグを作る
誠が、隣の班へ歩いていった。
「悪い、ちょっと聞きたいんだけど」
事情を説明する誠の声が聞こえてくる。「肉忘れた」のところで、また笑いが起きた。
「豆腐なら余るよ」
隣の班の女子が、あっさり言った。
「うち、味噌汁に半分しか使わないし」
「マジで? 助かる」
それを聞いていた別の班からも、声が飛んできた。
「パン粉なら余ってる。持ってく?」
「うちの班、玉ねぎ半分あるけど使う?」
「卵もあるよ。うち一個しか使わないから」
次々と、材料が調理台に集まってきた。
誠が、そのたびに頭を下げている。
茉莉は、その様子を、少し離れたところから見ていた。
豆腐が二丁。パン粉の袋。玉ねぎ半分。卵が二個。誰かが「これも使う?」と持ってきた片栗粉まで置かれている。
茉莉は、それらを見下ろしてから、顔を上げた。
「……もらっていいの?」
豆腐を持ってきた女子が、きょとんとした顔をした。
「え、うん。余ってるだけだし」
「でも」
「困ってんでしょ?」
別の班の男子が、そう言って、また自分の調理台へ戻っていった。
茉莉は、しばらく黙っていた。
それから、深く頭を下げた。
「…………ありがとう」
やけに丁寧な礼だった。
周囲の生徒たちが、一瞬、顔を見合わせた。
「いや、そんな大げさな」
「豆腐だよ、豆腐」
「綾瀬さん、真面目すぎ」
笑われた。
茉莉は、頭を上げてから、少し不本意そうな顔をした。
「……そう」
ただ、その顔が、いつもの無表情とは少し違っていることに、徹は気づいていた。
◇
材料は揃った。
問題は、ここからだった。
「じゃあ、綾瀬さんは豆腐の水切りをお願いします」
徹が言うと、茉莉が頷いた。
「水切りの方法は」
「キッチンペーパーで包んで、上から皿を乗せて重しにしてください。それだけです」
「時間は」
「十分。それ以上は待たなくていいです」
「分かったわ」
茉莉は、言われた通りに動いた。
徹は、そのやり方を選んだ理由を、自分でも分かっていた。マリーに指示を出すときと同じだ。一度に全部を渡さず、今やることだけを渡す。判断させず、作業だけを渡す。
茉莉は、その通りにやれば、その通りにできた。
「次は」
「玉ねぎです。みじん切りにします」
「均等の定義が」
「今回は気にしなくていいです。豆腐ハンバーグなら、多少ばらついても問題ありません」
「そう」
茉莉が、包丁を持った。持ち方は、さっき直したままだった。
徹は、その横に立って、時々「そこ、指を丸めて」とだけ言った。
それ以外は、口を出さなかった。
◇
一方、誠のやり方は、まったく違った。
水切りした豆腐を潰し、玉ねぎとパン粉と卵を混ぜて、成形する段になったときだった。
茉莉が丸めたタネが、手の中で崩れた。
「あ」
崩れた豆腐が、指の間からこぼれ落ちる。
「……失敗したわ」
「大丈夫大丈夫」
誠が、こともなげに言った。
「焼けばハンバーグだって」
「形が崩れてるけど」
「焼いたら誰も分かんねえよ」
「そういうものなの?」
「そういうもんだよ。だいたい、肉忘れた俺よりマシだろ」
茉莉が、手を止めて誠を見た。
「比較対象がおかしいわ」
「事実だろ」
「……まあ、事実ね」
茉莉は、崩れたタネをもう一度丸め直した。今度も、少しいびつだった。
だが、さっきよりは早く、迷いなく手を動かしていた。
徹は、二人のやり取りを、少し離れたところから見ていた。
自分は、できるように手順を渡す。
誠は、できなくても気にしない。
どちらも支え方には違いなくて、たぶん、どちらも要るのだろう。
◇
フライパンの上で、豆腐ハンバーグが焼ける音がしていた。
形は、六つとも違っていた。丸いもの、楕円のもの、片側が明らかに厚いもの。
「いい匂いはするな」
「匂いは正しいですね」
「見た目がな」
誠が言うと、茉莉がフライ返しを持ったまま反論した。
「見た目は栄養価に影響しないわ」
「影響はしないけど、食欲には影響するだろ」
「食欲は主観よ」
「開き直りが強い!」
焼き上がりを皿へ移す。味噌汁も、ご飯も、なんとか形になった。
三人で、調理台の上を見下ろした。
「できましたね」
徹が言った。
茉莉は、皿の上のいびつな豆腐ハンバーグを、しばらく見ていた。
「……まあ、食べられそうね」
平静な声だった。
ただ、そう言いながら、皿の位置を少しだけ直していた。並びが揃うように、二センチほど。
徹は、それを見て見ぬふりをした。
◇
調理実習が終わり、片付けを始めたところで、廊下から声がした。
「せんぱーい!」
誠が振り返る。
「うわ、なんでお前がいるんだよ」
「うちのクラス、さっき終わったんです。いい匂いしたので来ました」
笑美が、当たり前のような顔で調理室に入ってきた。エプロンはもう外している。
「そっちの実習の残りは?」
「全部食べました」
「食ったのにまだ食う気なのか」
「別腹です!」
徹が笑って、席を勧めた。
笑美が、茉莉の方を見た。
「あ、はじめまして。一年の永倉笑美です」
「……綾瀬茉莉よ」
茉莉は、短く名乗った。
笑美は、それ以上詮索することもなく、皿の上を覗き込んだ。
「これ、豆腐ハンバーグですか?」
「そうです。誠が肉を忘れたので」
「先輩、ハンバーグ作るのに肉忘れたんですか!?」
「もう言うな!」
笑美が、遠慮なく笑った。
「食べてもいいですか?」
「どうぞ」
箸を受け取って、笑美が一切れを口へ運ぶ。
噛んだ。
「ふわ~! すごい美味しいです!」
声が、調理室に響いた。
茉莉が、少し驚いたように顔を上げた。
「……本当に?」
「はい! すごいです!」
「そう」
「ふわふわで、優しい味で、すごいです!」
「こいつ何食ってもすごいって言うぞ」
誠が横から言うと、笑美が頬を膨らませた。
「美味しいものはすごいんです!」
「反論になってねえよ」
茉莉は、笑美の顔を見ていた。
昨日の第五層。アーマードベアの前で、八秒間ひたすら雷を溜めていた少女。倒しきれなかったことを本気で悔しがって、地面に座り込んだまま、次はどうするかを話し続けていた少女。
その子が今、何も知らないまま、綾瀬茉莉の作った崩れかけの豆腐ハンバーグを食べて、すごいと言っている。
茉莉は、視線を皿へ戻した。
「……ありがとう」
「え?」
「なんでもないわ」
◇
四人で、テーブルを囲んだ。
誠が肉を忘れた話は、笑美が来たことで一からやり直しになった。
「じゃあ、朝は冷蔵庫から出したんですか?」
「出した」
「出して、どうしたんですか」
「……分からん」
「分からないんですか!?」
「多分そのままキッチンに置いてきた」
「なんでですか!」
「知るか!」
笑美が、腹を抱えて笑っている。
徹も笑った。
茉莉も、小さく笑った。
誰も、茉莉を特別扱いしなかった。誰も、天使とは呼ばなかった。攻略の話も、配信の話も出なかった。
豆腐ハンバーグの形が崩れていることを笑われて、誠が肉を忘れたことを笑われて、笑美が味噌汁を三杯飲んだことを笑われた。
茉莉は、三人を見た。
徹が誠に何か言っている。誠が言い返している。笑美がその横で、二切れ目の豆腐ハンバーグに手を伸ばしている。
(……楽しい、かも)
その言葉の意味を、深く考えることはしなかった。
ただ、味噌汁が、思ったより温かかった。
◇
翌日の昼休み。
いつもの教室で、いつものように、徹と誠がしょうもない話をしていた。
「昨日の豆腐ハンバーグ、意外といけたよな」
「肉を忘れた人が言うことじゃないだろ」
「結果オーライだって」
「そういう問題じゃない」
その隣の席で、茉莉は包装を開けていた。
少し手こずっている。フィルムの端をつまんで、引っ張って、うまくいかず、角度を変えて、もう一度。
「あれ、綾瀬」
誠が振り返った。
「今日はゼリーじゃねえの?」
「……たまには」
茉莉は、それだけ答えた。
ようやく開いた包装から、おにぎりを取り出す。市販の、コンビニで買ってきたものだった。特別なものではない。昨日の豆腐ハンバーグのように、誰かと作ったものでもない。
一口。
ゼリーより、時間がかかる。噛まなければならないし、飲み込むまでにも間がある。効率で言えば、はっきり劣っていた。
それでも、茉莉は急がなかった。
徹と誠の会話が、隣で続いている。次の実習は何を作るのか。誠がまた何か忘れるのではないか。そんな話だった。
もう一口。
ふと、少し前の準備室のことを思い出した。
『じゃあ、俺がお弁当作ってきましょうか?』
あのとき、何も考えずにそう言った顔が、浮かんだ。
頬が、少しだけ熱くなる。
茉莉は、おにぎりを口へ運んだ。
もう一口。




