第49話 無能力サポート、天使の教え方を翻訳する
マリーの端末が鳴ったのは、朝の準備をしている最中だった。
差出人を見た瞬間、その表情が曇る。
「円卓からよ」
「また何かありました?」
マリーは、画面をスクロールしながら読み進めた。最初の数行のうちは、まだ普通の顔をしていた。三行目あたりで眉が寄り、五行目で口元が引き締まり、最後まで読み終えたところで、端末を握る手に力が入った。
「なによこれ!」
「新人育成に力を入れろ、ってことですね」
「その下よ!」
徹は、横から画面を覗き込んだ。
円卓決議として、新人育成強化が正式な組織方針になったこと。上位攻略者は新人育成へ積極的に協力すること。一定の育成実績を求めること。
そして、その下。
「……従わない場合は配信時間制限、収益にも制限」
「脅しじゃない!」
「まあ……言い方はだいぶ強いですね」
マリーは端末をテーブルに置き、腕を組んでソファに沈み込んだ。組んだ腕の指先が、二の腕を苛立たしげに叩いている。
「攻略者は自由なはずでしょう。誰と潜るか、どこへ行くか、何を配信するか。全部自分で決められるから、私はこの仕事を選んだのよ」
「言いたいことは分かります」
「分かってないわ」
「分かってますよ。俺だって、いきなり業務内容を追加されたら文句を言います」
マリーは、ちらりと徹を見た。それから、また視線を天井へ戻す。
徹は、テーブルの上の端末を、なんとなく眺めていた。
先日訪ねた、あの家のリビングを思い出した。八杯の砂糖を溶かしたコーヒーを飲みながら、マイトが言っていた言葉。
マリーはすごいやつだ。だから、あいつには攻略者として責任ある態度を取ってもらいたい。
あのときは、正論の裏側を見たと思った。今こうして、正論が制度になって降りてくるのを見ていると、また違うことを考える。
徹は、少し迷ってから聞いた。
「マリー。攻略配信で一番大事なことって、なんですか?」
「自分が一番楽しむことよ」
即答だった。
迷いも、考える間もなかった。
「……新人育成とかじゃなくて?」
「楽しくない配信をして、見てる人が楽しいわけないでしょう」
マリーは、当たり前のことを言うように答えた。
徹は、思わず笑った。
「なによ、その顔」
「いや。なんか安心しました」
「……気持ち悪い」
「ひどくないですか!?」
マリーは、ふん、と鼻を鳴らして立ち上がった。だが、その口元が、さっきよりわずかに緩んでいることに、徹は気づいていた。
◇
とはいえ、円卓の指示を無視するわけにもいかない。
徹は、タブレットに登録攻略者のリストを開いた。
条件は三つ。マリーと面識があること。ある程度の実力があること。そして、育成の成果が形として見えること。
スクロールしていた指が、二つの名前で止まった。
「じゃあ、エミと誠を連れて行きません?」
「エミは分かるけど……なんで誠まで?」
マリーは、意外そうな顔をした。
「一人を一人で育てるより、チームでやった方がいいでしょう」
「二人分の面倒を見ることになるじゃない」
「その方が効率がいいんです」
徹は、タブレットに二人の登録情報を並べて表示した。
「エミの《雷撃招来》は火力が高い。ただ、最大出力まで溜めるのに時間がかかります。その間、本人は何もできません」
「知ってるわ。前に一緒に潜ったとき、見たもの」
「その穴を、誰かが埋める必要があります」
徹は、もう一方の名前を指した。
「誠の風魔法は、単体だと決定力に欠けます。でも、防御と妨害と囮なら、かなり使えるはずです」
「……なるほどね」
「二人でやれば、どっちの弱点も潰せます」
マリーは、しばらく画面を眺めていた。それから、渋々といった調子で頷いた。
「分かったわ。連れていきましょう」
◇
誘いの連絡を入れたのは、その日の昼だった。
笑美からの返信は、三十秒で来た。
『マリーさんと一緒に攻略ですか!?』
『すごいです!』
『すごすぎてすごいです!』
徹は、その三通を、そのままマリーへ転送した。
「……そんなに?」
「そんなにです」
「攻略に行くだけでしょう」
「エミにとっては、そうじゃないみたいですね」
マリーは、画面を見つめたまま、少し困ったような顔をした。褒められ慣れているはずの顔が、こういうときだけ、うまく処理できないでいる。
誠からの返信は、十分後に来た。
『行く』
『あとエミのメッセージ、日本語として合ってんのか?』
◇
四人でのダンジョン攻略は、第三層から始まった。
新人育成、という言葉が効いているのか、マリーは珍しく指導者らしく振る舞おうとしていた。ゲートをくぐる前に「今日は私が教えるわ」と宣言し、二人を並ばせて、腕を組んで頷いてみせた。
最初の交戦は、通路の広間だった。
ゴブリン三体。第三層としては標準的な相手だ。
「じゃあ、やってみなさい」
マリーが、後ろへ下がる。
誠と笑美が前へ出た。笑美が手を掲げ、周囲の空気に微弱な電流が走る。誠が風を纏い、位置を取る。
ゴブリンが動いた。
「もっと速く!」
マリーの声が飛んだ。
「敵をよく見て! そこ、今よ!」
「はい!」
笑美が返事をする。返事はしたが、動きは変わらなかった。
「分からん!」
誠が叫んだ。
ゴブリンの一体が、笑美の側面へ回り込む。誠が慌てて風を放ったが、方向が定まらず、壁に当たって霧散した。
徹は、その一部始終を見てから、口を開いた。
「マリー、説明が感覚的すぎます」
「なんでよ!」
「今の指示、全部『速く』と『よく見て』と『今』でした」
「その通りに動けばいいでしょう」
「マリーだからできることを新人に要求しないでください!」
マリーが、口を開けたまま止まった。
その間に、ゴブリンがもう一歩踏み込んでくる。
徹は、二人へ向き直った。
「誠。風は、当てようとしなくていい。エミとゴブリンの間に、壁を作る感じで置いてくれ」
「壁?」
「押し返さなくていい。減速させるだけでいい」
誠が、手を前に出す。今度は、放つのではなく、留めるように風を展開した。
突っ込んできたゴブリンの足が、明確に鈍った。
「エミ。最大出力はいらない。三割でいい。あの一番手前の一体だけを狙って」
「三割ですか?」
「三体まとめて狙わなくていい。一体ずつ確実に落とす方が早い」
「……はい!」
笑美の掌から、細い雷が走った。溜め時間は、二秒もかからなかった。
一体が痺れて崩れる。
「誠、そのまま右!」
「おう!」
三体目が沈むまでに、一分もかからなかった。
マリーが、腕を組んだまま、それを見ていた。
「……あなた、なんでそんなに具体的に言えるの」
「マリーが強すぎて感覚で説明するから、俺が翻訳係になっただけです」
「翻訳って言い方、なんか腹が立つわ」
「事実です」
マリーは何か言い返そうとして、やめた。代わりに、次の通路を指さした。
「……次、行くわよ」




