第48話 無能力サポート、パンケーキ動画を大バズりさせる
テーブルを拭き終え、徹はティッシュをまとめた。
咳もようやく収まった。
マイトはしばらく黙っていたが、やがてカップを置いた。
「マリーはすごいやつだ」
徹は顔を上げた。
「……はい」
「自分だけで、あの高みに達した。生半可なことではできない」
今度は、棚を指さす気にはならなかった。
マイトは徹を見ていた。皮肉を言うときの薄い笑みもない。
「俺は、あいつには攻略者として責任ある態度を取ってもらいたいと思っている」
徹は、警察署の前で言い合っていた二人を思い出した。
あのときも、マイトはマリーへ厳しい言葉を向けていた。
ただ、今聞いた「すごいやつだ」も、同じ男の言葉だった。
「……まあ、それは俺が言うべきことではあるまい」
マイトはそこで話を切った。
徹も、すぐには何も返さなかった。
視界の端に、白いコートが入る。
神棚の上で、天使マリーが剣を掲げていた。
(……やっぱり大好きじゃねえか)
「お前がついてから、あいつの戦い方も少し変わった」
不意に、自分の話になった。
「そうですか?」
「ああ。以前より周りを見るようになった」
マイトは、何気ない調子で続けた。
「だから……お前があいつのところに残ったこと自体は、悪くなかったのかもしれんな」
徹は返事をしようとして、一度、口を閉じた。
この人からは、ずっと、自分のところへ来いと言われていた。
装備も、仕事も、その先の道まで示された。断ったあとも、いずれ考え直すとでも思っているような顔をされていた。
その相手が、今は、残ったことを悪くなかったと言っている。
「……ありがとうございます」
少し、嬉しかった。
マイトは軽く顎を引くだけで、またカップを取る。
徹も残りのコーヒーを飲もうとして、神棚が目に入った。
(……この人に認められていいのかな)
礼を言ったことは、取り消さなかった。
◇
打ち合わせを終え、充電した機材を受け取った頃には、街は夕方の色になっていた。
神谷に礼を言い、徹とマリーは王子家を出た。
歩き出してしばらくすると、徹のスマートフォンが鳴った。
神谷からだった。
今日撮ったテスト映像の、短い編集案が二本届いている。
徹は道の脇へ寄り、順に再生した。
一本目は、カメラに向かって食レポをするマリー。
背筋を伸ばし、きちんと言葉を選びながら、パンケーキの美味しさを紹介している。
二本目は、撮影が終わったと思って食べているマリーだった。
画面の中で、彼女の肩から力が抜ける。
一口食べ、目を細める。
テーブルの下では、足がぱたぱたと動いていた。
自分の「まだ食べるんですか?」という声まで入っている。
徹は小さく笑った。
続いてメッセージが届く。
『どっちを使う?』
徹は二本目を選んだ。
『こっちでお願いします。こっちの方がマリーらしいので』
返信すると、すぐに了承が返ってきた。
「神谷さん?」
「はい。今日の映像、短く編集してくれたので。確認しました」
マリーは頷き、歩き出した。
徹もスマートフォンをしまって、その隣へ並ぶ。
少しして、今度は公開したという連絡が来た。
「もう出たみたいです」
「早いわね」
マリーは自分のスマートフォンを取り出した。
「こんなので本当に伸びるの?」
「どうでしょう。見てみます」
徹は公開された動画のページを開いた。
再生数は、すでに五桁になっていた。
早い。
そう思いながら更新すると、数字の並びが変わった。
徹は足を止めた。
「……マリー」
「なに?」
もう一度、更新する。
六桁だった。
桁を数え直している間に、コメントの数も増えている。
「これ、更新するたびに桁と数字が上がってます」
「は?」
マリーが戻ってきた。
徹は投稿時刻を確かめた。
まだ十分も経っていない。
また更新する。
今度は、先頭の数字が増えていた。
「え、ちょっと。何これ」
マリーが徹の画面を覗き込む。
動画が再生され、画面の中の彼女が、パンケーキを食べて目を細めた。
『ん~~』
隣のマリーが固まった。
『やっぱりここのは最高に美味しいわ』
「ちょっと待って! これ、撮影終わってからじゃない!」
徹は画面から顔を上げた。
「そっちを使ってもらったので」
「そっちって……!」
マリーは自分のスマートフォンを操作した。
間もなく、神谷から返事が届く。
『稲垣君からGOはもらった』
「トオル!?」
「すみません。でも、こっちの方がマリーらしいと思ったので」
マリーの口が開き、何か言おうとしたまま止まった。
その間にも、再生数は増えていた。
コメント欄を開く。
《こんな顔するんだ》
《足! 足ぱたぱたしてる!》
《ずっとパンケーキ食べててほしい》
《もう一枚頼むの早くて笑った》
《攻略してないマリー、もっと見たい》
徹が読み終える前に、新しいコメントが入ってくる。
短く切り抜いた動画も、次々に現れ始めていた。目を細めるところ。足が動くところ。もう一枚と注文するところ。
少し前まで同じテーブルで見ていた光景が、別々の画面で繰り返されている。
「……私が何年かけて攻略してきたと思ってるのよ」
マリーが呟いた。
自分の画面を更新する。
また、数字が増えた。
「パンケーキ食べただけで……?」
徹も、もう一度コメント欄を見た。
戦い方を褒める言葉はなかった。敵の強さを比べる書き込みも、ほとんどない。
美味しそう。
楽しそう。
可愛い。
そんな短い言葉が、いくつも並んでいた。
「戦っていない時のマリーを見たい人も、こんなにいるんですね」
返事がなかった。
マリーはスマートフォンを見ていた。
唇を少し結び、親指でコメントを送る。途中で止めて、一つ読み、それからまた下へ進める。
徹は急かさずに待った。
そのとき、自分のスマートフォンに通知が出た。
金髪の自画像アイコン。
つい先ほどまで向かいに座っていた顔だった。
《勇者マイトさんが動画を高評価しました》
「…………」
徹の頭に、Tシャツの背中が浮かぶ。
《Angel Mary》。
コラボネックレス。
十分の一のヴァリアント。
そして、神棚に飾られた八分の一のマリー。
「どうしたの?」
隣から訊かれ、徹は顔を上げた。
「いや……熱心な視聴者もいるんだなって」
マリーは首を傾げた。
◇
王子家のリビングで、マイトはスマートフォンを見ていた。
画面の中では、マリーがパンケーキを食べている。
一口。
目を細める。
テーブルの下で、足がぱたぱたと動く。
マイトの顔は真剣だった。
神谷がそばを通り、画面へ目を落とす。
「お前、それもう五周目だぞ」
マイトは画面から目を離さなかった。
「競合分析だ」




