第46話 無能力サポート、天使の素顔を引き出す
テスト撮影は、街歩きから始まった。
神谷がカメラを構え、徹は機材を持って、そのそばを歩く。
少し先にいるマリーが振り返った。
「今日は、いつもと違うところを案内するわ」
白いコートの裾が綺麗に揺れる。
歩く速さも、振り返る角度も、カメラを見つけるまでの動きも滑らかだった。
徹には、いつもの配信の始まりに見えた。
「もう少し、自然に歩いていいよ」
「自然に?」
「撮られていないときみたいに」
「……分かったわ」
マリーが前へ向き直る。
数歩進み、また、ちょうどいい角度で振り返った。
神谷は何も言わずに撮り続けた。
買い物の撮影でも、マリーは商品を手に取ると、まずカメラへ見せた。何かを選ぶ間にも、画面の中でどう見えるかを気にしているのが分かる。
どれも、間違ってはいない。
ただ、店を出た神谷が映像を確かめている間、徹は次に何と言われるか、少し分かる気がした。
「……もうちょっと、気楽でいいんだけどね」
マリーは真面目な顔で頷いていた。
そうしてたどり着いたのが、カフェだった。
運ばれてきたパンケーキを見て、徹は以前の休日を思い出した。
あのときは、最初の一口を食べた途端、マリーが目を丸くした。いつもと違う顔が見られた店だ。
今回も、皿が置かれた瞬間、彼女の目がそちらへ向いた。
焼き色のついたパンケーキ。添えられた果物。白いクリーム。
マリーはフォークを持ち、神谷を見る。
「始めていいですか?」
「どうぞ」
カメラが向く。
マリーの背筋が伸びた。
「ここのパンケーキは美味しいわ。私が保証する」
まっすぐなカメラ目線だった。
一切れを切り分け、口へ運ぶ。飲み込んでから、また、きちんと顔を上げる。
「焼き加減もちょうどいいし、添えられた果物との相性も――」
神谷の眉が、ほんの少し動いた。
徹はカメラのそばから、マリーを見た。
フォークを持つ手が止まっている。皿へ目を落としかけては、カメラへ戻していた。
さっきから、まだ一口しか食べていない。
「ちょっと待っててください」
徹が声をかけると、マリーはすぐに口を閉じた。
神谷もいったんカメラの位置を下げる。
徹はテーブルへ近づいた。
「マリー、撮影が終わりました。そのパンケーキは食べてしまっていいですよ」
「そう。じゃあ頂くわ」
肩が下がった。
マリーは皿へ向き直り、さっきより大きめに切った一切れを口へ運ぶ。
「ん~~」
フォークを持ったまま、目を細めた。
「やっぱりここのは最高に美味しいわ。添えられている果物も色がきれいで、見るだけでも素敵」
今度はカメラを見なかった。
果物を一つ食べ、それから、クリームを少しつけたパンケーキを食べる。
テーブルの下で、ブーツの爪先がぱたぱたと動いた。
徹は空いていた椅子へ腰を下ろす。
「前に来たときも、そんな顔してましたね」
「どんな顔?」
「美味しそうな顔です」
「美味しいんだもの」
そう答えたマリーは、もう次の一切れを切っていた。
神谷は少し離れた位置で、カメラを向けている。
徹がそちらを見たとき、小さく名前を呼ばれた。
「……稲垣君」
「はい?」
「さすがです」
何がだろう。
訊き返すより先に、マリーが顔を上げた。
「あ、店員さん、もう一枚追加お願いします」
「まだ食べるんですか?」
「だって美味しいんだもの」
迷いのない返事だった。
神谷はカメラを止めなかった。
◇
カフェを出た三人は、近くの公園へ向かった。
遊歩道には木陰が落ちていた。マリーが少し先を歩き、徹と神谷がその後ろをついていく。
木々の間から、風が抜けた。
白銀の髪がふわりと流れる。
マリーは歩調を緩め、頬へかかった髪を指で払った。そのまま風の来る方へ少し顔を向ける。
目元が和らいだ。
口元にも、かすかな笑みが浮かぶ。
徹がそれに気づいたときには、隣の神谷はもうカメラを向けていた。
声をかけず、歩くマリーを追う。
風がやみ、彼女が前へ向き直ってから、徹は小声で言った。
「さすがです」
「プロなので」
神谷はカメラを構えたまま答えた。
徹が頷いていると、前を歩いていたマリーが振り返った。
「トオル、今日はずっとこんな感じだけど、大丈夫かしら?」
「大丈夫です。マリーは十分、そのままで絵になります」
マリーの足が止まった。
徹も立ち止まる。
白い頬に、すっと赤みが差した。
「……そう」
それだけ答え、マリーは前へ向き直った。
神谷は彼女を見て、それから徹へ視線を移した。
ひと呼吸ほどの間があった。
何も言わず、カメラの画面へ目を戻す。
徹は機材を持ち直し、再び歩き出したマリーの後を追った。
◇
公園での撮影を終える頃には、予定していた時間をずいぶん過ぎていた。
撮り直した街歩きや買い物の映像を確認し、もう少し撮っておこうと動いているうちに、機材のバッテリーも減ってきた。
徹が残量を確かめていると、神谷が言った。
「実家が近いから、そこで充電しようか」
「お邪魔していいんですか?」
「構わないよ。今後の配信の話も、座ってしたいし」
マリーも頷いた。
「お願いします」
三人で向かったのは、街中の一軒家だった。
神谷が玄関を開け、二人を中へ招き入れる。
「少し待ってて」
機材を置いた神谷が、いったん奥へ入っていく。
徹は靴を揃え、マリーと一緒に待っていた。
そのとき、廊下の向こうから足音がした。
背の高い男が現れる。
鮮やかな金髪。首にかけたタオル。その下には、鍛えられた肩と胸が、そのまま見えていた。
上半身裸だった。
徹は、顔と肩を順に見た。
見覚えがある。
「……マイトさん?」
マイトもこちらを見て、足を止めた。
「お前たち、どうしてここにいる」
隣で、マリーが息を吸った。
「ああああアンタ、なななななな何を――!」
「落ち着いてください、マリー」
彼女の声に、奥から神谷が戻ってきた。
マイトを見るなり、眉を寄せる。
「おい、マイト。家の中でそんな格好で歩くな」
「呼び捨て!?」
「落ち着いてください、マリー」
「筋トレをしていたんだ。それに、俺の家だろうが。指図を受ける謂れはない」
「どどどどど同棲!?」
「だから落ち着いてください、マリー!」
徹まで声が大きくなった。
神谷はマリーを見て、それから裸のマイトを見た。
「……弟です」
静かになった。
マリーが口を閉じる。
少しして、もう一度開いた。
「…………弟?」
「はい。落ち着きましたね」
徹もようやく息をついた。
ただ、自分も初耳だった。
「神谷さんの、弟さんなんですか」
「そう。結婚して名字が変わったの。旧姓は王子」
王子舞人。
勇者マイトの本名が、頭の中で繋がった。
マイトは首のタオルで汗を拭いた。
「こいつは『王子姓はダサい』と喜んで捨てた」
「だってダサいでしょう、王子って」
「家名を侮辱するな」
返事が早い。
マリーはまだ、二人を交互に見ていた。
徹もつられて見比べる。言われてみれば似ている気もするが、そんなことを考える前に、神谷が弟の肩を指した。
「まず服を着てきなさい」
「分かっている」
マイトは廊下の奥へ引き返した。
その背中が見えなくなってから、マリーが小さく言った。
「……びっくりした」
「俺もです」
◇
機材を充電につなぎ、三人が腰を落ち着けた頃、マイトがTシャツを着て戻ってきた。
マリーはそれを確かめると、神谷へ向き直った。
「私は神谷さんと打ち合わせをするわ」
「じゃあ、こっちで映像を見ようか」
二人が別室へ移り、リビングには徹とマイトが残された。
扉が閉まる。




