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第44話 安管受付、飴玉一つで天使を嫉妬させる




 男は第五層の石壁にもたれ、片脚を投げ出していた。


 近くでは、大きなモンスターが石畳を削っている。


 画面の角度では、種別までは判別できない。


 だが、男が自力で動けないことは分かった。


 装備の一部が壊れている。


 意識はあるようだが、立ち上がろうとしても体が持ち上がらない。


「本人確認できました。午後の申請者です」


 愛理は登録情報と画面を照合した。


「第五層へ行ったの?」


「勧告はしました。第三層までに留めるように」


 隣の職員が救助対応を進める。


 愛理も画面へ向き直った。


 忠告を無視した。


 受付で声を荒らげた。


 自分を見下した。


 だからといって、怪我をして当然だとは思わない。


 無事に帰ってきてほしい。


 そのために警告したのだ。


「近くにいる攻略者を確認します」


 端末が第五層周辺の情報を表示する。


 最も早く接近できる位置にいたのは、マリーと徹だった。


 愛理は緊急連絡を送る。


 わずかな間を置いて、回線がつながった。


『管制?』


 マリーの声だった。


「安管管制です。第五層で負傷者を確認しました。自力移動が困難です。救助協力をお願いできますか」


『場所を』


 即答だった。


 相手が誰なのかも、どうして負傷したのかも訊かない。


 愛理は位置情報を送った。


『負傷箇所は分かりますか』


 今度は徹の声が入る。


「片脚を負傷している可能性があります。意識あり。装備の一部が破損。付近にモンスター一体を確認しています」


『最寄りの退避地点までの経路は』


 愛理は地図と映像を切り替えた。


「正面経路は一部崩落しています。東側の通路は通行可能ですが、石畳に沈下があります」


『分かりました。現地で確認します』


 モニターの中で、徹が地図をマリーへ見せた。


 マリーが一度だけ頷く。


 二人が動き出した。


 最初から迷いのない動きではなかった。


 徹は途中で一度立ち止まり、崩れた石壁と地図を見比べる。


 正面を捨て、遠回りになる東側へ進路を変えた。


 マリーは急かさない。


 徹が決めた道へ、そのままついていく。


 男へ迫るモンスターが、前脚を振り上げた。


「間に合って」


 愛理の口から、業務用ではない声が漏れた。


 次の瞬間、モニターが青白く染まった。


 マリーが二人の間へ降り立つ。


 振り下ろされた前脚を大剣で受け、そのまま横へ弾く。


 モンスターの巨体が傾いた。


 青白い光が、一度だけ走る。


 それで終わった。


 マリーは倒れた敵を確認することもなく、負傷した男へ向き直った。


『意識はある?』


 徹が駆け寄り、男へ声をかける。


 返事があった。


 徹は壊れた装備を外し、負傷の状態を確認した。


『動かさない方がいいです。マリー、体を支えてください』


『運べばいいのね』


『持ち上げる前に、俺が固定します。急がないで』


 徹が必要な処置を終えるまで、マリーは待った。


 それから、男の体を支える。


 力なら、マリー一人で足りる。


 だが、どの姿勢で運ぶか。


 どの道を使うか。


 どこで休むか。


 徹は一つずつ確認して決めていく。


「東側通路、現在も異常ありません」


 愛理も管制から情報を送る。


『了解です』


 徹が答えた。


 モニターの中で、三人が第五層の退避経路へ入る。


 愛理は彼らの姿が安全な区画へ移るまで、画面から目を離さなかった。


     ◇


 その日の夜。


 マリーと徹が、救助した男とともにゲート事務所へ帰ってきた。


 男はマリーに体を支えられ、徹が外した装備を抱えている。


 受付職員が引き継ぎ、負傷状態を確認した。


 愛理も端末を開く。


「帰還を確認しました。救助記録を照合します」


 男と目が合った。


 男は何かを言いかけたが、結局、口を閉じた。


 謝罪はなかった。


 愛理も求めなかった。


 負傷状況。


 発見位置。


 救助開始時刻。


 帰還確認。


 必要な事実を記録する。


 それが終われば、今日の仕事は一区切りだった。


 男が処置のため別室へ運ばれた後、愛理は受付から身を乗り出した。


「稲垣さん、少しいいですか?」


「俺ですか?」


 徹が戻ってくる。


 愛理は制服のポケットから、個包装の飴玉を一つ取り出した。


 遅番で喉が乾いたときのために、持ち歩いているものだった。


「今日はお疲れさまでした」


「いえ。俺は、できることをしただけなので」


「それでもです」


 愛理は飴玉を、徹の手のひらへ載せた。


「お姉さんからのプレゼントです♡ これからも頑張ってくださいね」


「……ありがとうございます」


 徹は困惑しながらも、飴玉を受け取った。


 その横で、マリーが愛理を見ていた。


 続いて、徹の手のひらにある飴玉を見る。


 もう一度、愛理を見る。


「……」


 表情は、ほとんど変わっていない。


 ただ、さっきまでより空気が冷たい。


「あの……マリーさん?」


「何かしら」


「いえ。何か失礼がありましたか?」


「別にないわ」


 平坦な声だった。


 愛理は自分の行動を振り返る。


 救助記録に不備はない。


 帰還処理にも問題はない。


 徹へ飴を渡しただけだ。


「マリー、帰りましょう」


「分かっているわ」


 徹は何も気づいていない。


 飴玉をポケットへ入れ、愛理へ頭を下げた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ、救助へのご協力ありがとうございました」


 二人が並んで出口へ向かう。


 マリーは最後まで、徹の飴玉が入ったポケットを見ていた。


 理由は分からない。


 ただ、明日から徹へ物を渡すときは、先にマリーにも何か用意した方がいいのかもしれない。


 愛理は、職員としてはあまり必要のない反省を一つ増やした。


     ◇


 翌朝。南高校。


 徹が鞄から筆箱を取り出した拍子に、個包装の飴玉が机へ転がった。


「なんだ、それ」


 誠が拾い上げる。


「ああ。昨日、安管の受付でもらった」


「受付?」


「救助の後に、お疲れさまって」


「へえ」


 誠の口元が、面白そうに持ち上がった。


「年上の女の人から?」


「そうだけど」


「やるじゃん、トオル」


「何がだよ」


「お姉さんからのプレゼントなんだろ?」


「なんで台詞まで分かるんだ」


「本当にそう言われたのかよ」


 誠が笑う。


 徹は飴玉を取り返した。


 その会話を、隣の席で聞いていた茉莉が顔を上げる。


 眠そうな目が、徹の指先にある飴玉へ向いた。


「飴玉もらって喜ぶなんて、小学生みたいだね」


 声が、いつもより少し刺々しい。


「いや、もらったから持ってきただけだ」


「ふうん」


「何だよ」


「別に」


 茉莉は顔を背け、机へ頬杖をついた。


 明らかに機嫌が悪い。


 だが、その理由に心当たりがない。


 徹は誠を見る。


 誠も肩をすくめた。


「……俺、綾瀬になんかしたか?」


 茉莉は答えなかった。


 ただ、徹が飴玉を鞄へ戻すまで、横目でじとーっと見ていた。





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