第37話 無能力サポート、天使の孤独な戦いを見る
会議は、徹が想像していたよりも淡々と進んだ。
各階層の攻略状況。
通行制限区域。
救援依頼の処理。
出席者は発言するときだけマイクを寄せ、終わればすぐに離す。
配信で見る姿とは違っていた。
誰も叫ばない。
決め台詞も言わない。
笑いを取ろうともしない。
何体倒したかではなく、どこまで道を残せたか。次に誰が入れるか。どこへ人手を回すか。
地味な話ばかりだった。
けれど、誰も聞き流してはいなかった。
マリーを除いて。
「マリーさん」
三田が呼ぶ。
マリーは窓の外を見ていた。
「マリーさん?」
「聞いてるわ」
「返事は一度でお願いします」
「それより、この椅子、少し低くない?」
「備品の話は会議後に聞きます」
周囲から小さな笑いが漏れた。
三田も怒らず、次の項目へ進む。
「続いて、重点目標の新人育成について。マイトさん、お願いします」
マイトが資料をめくった。
「重点目標の新人育成関連ですが」
マリーの肩が、わずかに動いた。
壁際から見ていた徹には、その小さな動きが見えた。
「攻略者不足は、依然として解消していません。現状では第五層ですら、踏破区域を安定して広げられる人材が足りていない」
マイトの声は静かだった。
「浅層で同じ討伐を繰り返すだけでは、判断力も連携能力も育たない。適性を確認したうえで、より多くの攻略経験を積ませる機会が必要だと考えています」
誰かが頷く。
「現場経験がなければ、緊急時にも動けない」
「引率者の確保が先では?」
「それを待っていては、引率できる人間そのものが増えない」
意見が交わされる。
マイトは一つずつ聞き、短く答えていく。
そのたびに、マリーの指が机を叩いた。
こつ。
こつ。
小さな音だった。
「次期の育成方針としては、これまでより一段深い階層での経験を――」
「反対よ」
マリーが言った。
マイトの説明が止まる。
三田が困ったように眉を下げた。
「マリーさん。発言するときは挙手を」
「手を上げている間に話が進むでしょう」
「それでも手順は守ってください」
「じゃあ、今上げるわ」
マリーは発言したあとで手を上げた。
また、部屋に小さな笑いが起きる。
三田は額を押さえたが、やがてマリーを指した。
「どうぞ」
マリーが手を下ろす。
「経験が必要なのは分かるわ。でも、深い階層に連れていけばいいという話ではないでしょう」
「深ければいいとは言っていない」
マイトが答える。
「適性を見て、段階的に経験を増やす。報告にもそう書いてある」
「その適性を、誰が正しく判断できるの?」
「過去の攻略記録と能力評価だ」
「それだけで、何が起きるか全部分かるの?」
「分からない。だから経験が必要なんだ」
二人の間を、言葉が真っすぐ飛んでいく。
マリーは苛立っていた。
マイトは冷静だった。
だが、彼女の言葉を受け流してはいない。
質問へ答え、反論へ反論している。
「危険を理由に経験を積ませなければ、新人はいつまでも新人のままだ」
「でも、怪我をした人達もいる」
マリーの声が、少しだけ低くなった。
会議室の空気が変わる。
「二か月前。第二層までしか経験のなかった初心者パーティーが、第三層でドラゴンロードに遭遇した」
徹は、壁際で顔を上げた。
第二層まで。
第三層。
二か月前。
それは、自分たちのことだった。
◇
「それは新人育成の是非とは別の問題だ」
マイトは即座に返した。
「本来、第十一層にいるはずの個体が第三層まで移動した。通常の育成計画で想定できる範囲ではない」
「想定できなかったら、仕方ないの?」
「仕方ないとは言っていない」
「死んでいたかもしれないのよ」
「だから事故後の対策が必要だ。だが、その事故を理由に育成を止めることはできない」
「どうして」
「新人育成は重要だからだ」
マイトは目を逸らさなかった。
「経験を積まなければ、助けられる人間も増えない。危険を完全になくすこともできない。どこかで、誰かが進む必要がある」
徹にも、マイトの理屈は分かった。
経験を積まなければ、同じ事故を防げる人間も増えない。
マリーの手が、机の上で握られる。
「それで――」
白い翼が、わずかに広がった。
「それで、トオルが怪我をしていい理由にはならない!」
声が、会議室の壁を叩いた。
静まり返る。
マリーは肩で息をしていた。
新人。
経験。
危険。
公の話をしていたはずなのに、最後に出てきたのは、一人の名前だった。
彼女自身も、口に出してから気づいたらしい。
視線が、壁際の奥へ向く。
徹と目が合った。
マリーの表情が止まる。
しまった、とでも言いたそうな顔だった。
もう遅い。
円卓に座る全員の目が、徹へ向いていた。
田端も。
上野も。
渋谷も。
マイトも。
誰も、「誰だ」とは訊かなかった。
驚いた顔もなかった。
第一話の配信映像は広く拡散されている。ここにいる全員が、壁際の少年が事件の当事者だと知っていた。
知っていて、誰も徹へ意見を求めない。
無視ではない。
徹の席が、最初からそこにはないのだ。
「マリー」
マイトが呼んだ。
声は変わらず、真剣だった。
「トオルが怪我をしていいとは、誰も言っていない」
「同じでしょう」
「違う」
「何が違うのよ!」
「あのドラゴンロードを第十一層で仕留められなかったのは、俺の失敗だ」
マイトは、はっきりと言った。
会議室の空気が、もう一度変わる。
「結果として第三層に被害を出した。そこに言い訳をするつもりはない」
仲間の話はしなかった。
当時、何を考えていたのかも話さない。
ただ、自分の失敗だと認めた。
「だが、それと新人育成の必要性は別だ。俺の失敗を理由に、次の攻略者が経験を積む機会を奪うべきじゃない」
「私は――」
「マリーさん」
三田が、穏やかな声で割って入った。
「ドラゴンロード討伐を依頼したのは円卓です。依頼後の監督を含め、円卓にも責任があります」
三田は出席者全体を見回した。
「この件について、誰か一人へ責任を押しつけるつもりはありません。マイトさんの報告も、マリーさんの意見も、どちらも記録します」
「記録して、それで終わり?」
「終わらせないために記録するんです」
「でも――」
何人かが、苦笑いを浮かべていた。
怒ってはいない。
マリーを嫌ってもいない。
また始まった。
仕方のない子だ。
そんな、年下の親戚を見るような顔だった。
別の出席者は、同情するように三田を見ている。
会長も大変だ、と顔に書いてあった。
「それでは組織は回らない」
マイトが言う。
「一人を守るために、全員の経験を止めることはできない」
「一人を守れない組織が、誰を守るのよ」
「守れないことがあると認めたうえで、守れる人間を増やす。それが組織だ」
二人の視線がぶつかる。
徹は、何も言えなかった。
自分のために怒るマリーを止めることも、マイトへ返すこともできない。
壁際の席には、マイクさえない。
あの事故がなければ、マリーとは出会っていなかった。
それ以上を、うまく考えることができなかった。
徹は、ただ壁際に座っていた。
やがて三田が議事を進めた。
マリーは最後まで不満そうだった。
マイトも主張を変えなかった。
それでも、誰かを責める言葉は、それ以上出なかった。
会議の終了が告げられる。
椅子が引かれ、資料が閉じられる。
中央のテーブルにいた人々が、次々に立ち上がった。
徹だけが、まだ座っていた。




