第36話 無能力サポート、『円卓』に呼ばれて壁際へ座る
第十一層から戻って三日。
学校へ復帰した、その日の午後十一時。
徹のスマホが震えた。
『肩は痛くない?』
天使マリーからだった。
徹はベッドに寝転がったまま、右手で返信する。
『痛いですけど、昼間と変わりません』
『熱は?』
『ありません』
『吐き気は?』
『ありません』
『指先の痺れは?』
『ありません』
そこで一度、メッセージが途切れた。
ようやく終わったかと思ったところで、またスマホが震える。
『本当に?』
『本当です』
『我慢してない?』
『してません』
『ちょっとでも変だと思ったら、すぐ連絡するのよ』
『分かりました』
既読がついた。
今度こそ終わったと思い、徹はスマホを枕元へ置く。
また震えた。
『今から様子を見に行った方がいい?』
『来なくていいです』
間髪を入れずに返した。
これが一日だけなら、徹も素直に心配されていた。
しかし、第十一層から戻って以来、確認の内容は増える一方だった。
◇
そして翌日の放課後。
第三ゲート前の集合区画でも、それは続いた。
「それ、私が持つわ」
マリーが徹のバッグへ手を伸ばした。
撮影用ドローン、交換バッテリー、救急用品、飲料水、行動食。普段なら徹が背負っている仕事道具一式である。
「大丈夫です」
「左腕が痛むんでしょう?」
「治ってはいます。痛みが残ってるだけです」
「だから私が持つのよ」
「マリーが持ったら、必要なときに俺が出せないでしょう」
「言えば出すわ」
「そのひと手間が増えるんです」
「じゃあ、何を出すか先に全部言って」
「そのときにならないと分かりません!」
互いにバッグの肩紐を持ったまま、しばらく動きが止まる。
徹が右へ引く。
マリーも右へ引く。
「離してください」
「あなたが離しなさい」
「俺の荷物です」
「私の仕事道具でもあるわ」
「管理してるのは俺です!」
「雇っているのは私よ!」
「そんなに気を遣われると仕事しづらいです!」
徹が叫ぶと、マリーの手が止まった。
白銀の睫毛が、わずかに揺れる。
「……安全管理よ」
「限度があります」
「あなたには限度がなかったでしょう」
「え?」
マリーはそれ以上言わず、手を離した。
徹の肩へ、バッグの重みが戻ってくる。
痛みに少しだけ顔をしかめると、マリーの手がまた伸びてきた。
「やっぱり私が持つわ」
「今のはバッグが急に落ちたからです!」
「痛かったんでしょう?」
「痛くないとは言ってません!」
「なら持たせなさい!」
「話が戻ってます!」
通りかかった攻略者たちが、何事かと二人を見ていた。
徹はバッグを抱え込み、マリーは不満そうに腕を組む。
その言葉を遮るように、彼女の端末が鳴った。
画面を見たマリーの表情が、今度は別の意味で曇る。
「どうしました?」
「……円卓からよ」
◇
届いたのは、定例の円卓会議への招集だった。
上位攻略者たちが、攻略方針や新人育成について意見を出す場所だ。大規模流出の際には、現場へ出る攻略者の招集も行っていた。
徹も名前だけは知っている。
招集の理由は、第十一層の修繕費だった。
添付された暫定見積もりには、三億円を超える金額が記載されている。
「これ、ドラゴンロードを何体か倒しても足りないですよね」
「そうね」
「赤字ですよね」
「そうね」
「どうするんです?」
「知らないわ」
「知らないで済ませないでください!」
マリーは露骨に顔を背けた。
徹が画面をスクロールすると、その下に会長からの個別メッセージがあった。
『困ったことがあるなら相談に乗るよ。とりあえず顔を出してください』
「優しそうな人じゃないですか」
「そう見えるなら、あなたはまだ円卓を知らないのよ」
「会長と仲が悪いんですか?」
「悪くないわ」
「じゃあ、何が嫌なんです?」
「話が通じないの」
それはお互い様では、と思った。
口にはしなかった。
「欠席したらどうなります?」
「また連絡が来る」
「じゃあ出ましょう」
「嫌よ」
「出ましょう」
「トオル」
「俺も行きますから」
マリーがこちらを見る。
「あなたも?」
「修繕費は経費です。仕事の話なら、俺も聞いておかないと」
「でも、あなたは円卓じゃないでしょう」
「だから随行です。マネージャーや秘書は入れるって書いてあります」
徹が招集要項を示すと、マリーは黙った。
やがて小さく息を吐く。
「……分かったわ」
徹はバッグを持ち直した。
その肩紐へ、マリーの手が伸びる。
「会議の日も、荷物は私が持つわ」
「そこはもういいです!」
◇
その二日後。
円卓会議が開かれる部屋に、円卓はなかった。
部屋の中央に置かれていたのは、いくつかの長机を組み合わせた大きな四角いテーブルだった。
その周囲へ、十脚ほどの椅子が並んでいる。
徹が最初に思ったのは、見たことのある顔ばかりだ、ということだった。
配信の切り抜き。
攻略情報サイト。
ゲート付近の広告。
名前までは出てこなくても、顔を見れば思い出せる人間が何人もいる。
田端や上野。それ以外の出席者も、登録者数十万人の有名人ばかりだった。
中央のテーブルでは、すでに次の大会について話している者たちがいる。
「今年の四校定期戦、西は誰を出す?」
「田端じゃなくて、渋谷を推す声もあるらしい」
四校定期戦。
徹には馴染みのない言葉だった。
勇者マイトも、すでに席へ着いている。
徹とマリーが入ってきたことに気づくと、軽く片手を上げた。
「怪我は」
「もう治ってます。痛みが残ってるだけで」
「そうか」
マイトはそれだけ言い、手元の資料へ視線を戻した。
マリーとは目を合わせなかった。
マリーも、マイトを見なかった。
言葉も交わさない。
それでも、その間だけ空気が張っているように徹には見えた。
「よう」
低い声がして、徹が振り返る。
大柄な男子生徒が立っていた。
高校生のはずなのに、肩幅だけなら大人の攻略者にも負けていない。背中には、巨大な斧が固定されている。
「天使んとこのサポートだろ?」
「はい。稲垣徹です」
「俺は田端。田端雄一。通称、剛腕」
田端は自分の斧を親指で示した。
「まあ見りゃ分かるよな。この斧を見て名前つけたんだろうよ」
「能力の方が先じゃないんですか?」
「さあな。つけた奴に聞いてくれ」
豪快に笑い、田端は徹の右肩を軽く叩いた。
「第十一層から、よく帰ってきたな」
「運が良かっただけです」
「運を使えるところまで生き残るのも実力だ。あんまり小さく言うな」
こちらが何者かを確かめるでもなく、田端はそう言った。
その隣に、長い青緑色の髪を簪で留めた女子生徒が立っている。
「こいつは上野。氷姫」
「田端さん。勝手に付け加えないでください」
「通称まで言わないと分からんだろ」
「分からなくて構いません」
上野は田端を一度見てから、徹へ視線を移した。
「……上野です。氷を使います」
「あ、どうも。稲垣です」
「存じています」
短く答え、上野は徹を上から下まで見る。
左腕を吊る三角巾。
仕事用のバッグ。
攻略者用ではないスニーカー。
視線が一往復した。
「なるほど」
「何がです?」
「まだ分かりません」
それだけ言って、上野は席へ戻っていった。
「悪く思うな。あいつ、いつもあんな感じだ」
田端も笑いながら後を追った。
代わりに、今度は小柄な少女が近づいてくる。
制服の上に、垂れ耳のついた大きなパーカーを着ていた。
パーカーの袖から出た指が、徹の三角巾を指す。
「それ、ドラゴンにやられたの?」
「はい」
「痛かった?」
「かなり」
「へえ。マリー、間に合わなかったんだ」
少女は少し離れたところにいるマリーを見た。
マリーは会長席の前で、事務局から資料の説明を受けている。徹を気にしているのか、何度もこちらへ目を向けていた。
「マリーって怖いよね。いつもあんな感じなの?」
「怖いというか、話を最後まで聞かないというか」
「やっぱり怖いんじゃん」
「悪い人ではないです」
「へえ」
少女が一歩、距離を詰めた。
「私、渋谷芽衣。先輩って呼んでいい?」
「学年が下なら」
「じゃあ、先輩」
渋谷は嬉しそうに笑った。
「ところで……先輩ってさ」
「はい」
「私とマリー、どっちが強いと思う?」
笑顔のまま、目だけが徹を見ていた。
先ほど聞こえた四校定期戦という言葉が、徹の頭に浮かぶ。
渋谷も出場候補なのだろう。
徹は渋谷の戦闘を見たことがない。
そもそも、天使マリーと比べられる人間がどれだけいるのかも分からない。
「それは――」
「なーんちゃって!」
渋谷は両手を上げた。
「困らせてごめんね、先輩。またあとで!」
長い袖を揺らし、今度は跳ねるように席へ戻っていく。
その背中を見送っていると、壁際にいた職員から声をかけられた。
「随行の方はこちらです」
案内されたのは、中央のテーブルではなかった。
部屋の奥。
壁に沿って並んだ補助席である。
秘書、マネージャー、企業の担当者らしい人間が座っていた。中央のテーブルからは、数歩分離れている。
徹は端の椅子へ腰を下ろした。
マリーは中央。
徹は壁際。
話しかけられたときには感じなかった距離が、席へ座った途端にはっきりと見えた。
机の上には、資料もマイクもない。
この人たちの前で、俺はただ座っているだけだ。
卑下ではなかった。
そういう席だった。
やがて、二十代前半ほどの男性が会長席へ座った。
柔らかそうな髪に、細い黒縁の眼鏡。
ほかの出席者と比べても、特別に強そうには見えない。
男性が指を鳴らす。
部屋の隅で待機していた青い蝶が、何匹も舞い上がった。
それぞれが出席者の前へ降り、淡い光を放つ。
光が消えると、蝶のいた場所に資料とペットボトルが置かれていた。
「資料は最新版に差し替えました。古いものは回収します」
徹は壁際から、マリーの前に置かれた資料を覗く。
天使マリー。
登録能力、圧縮解放。
ヴァリアントという名前は、どこにも書かれていない。
出席者の一覧には、熱量操作、剛腕爆砕、雪花涼月、念動砕破と、漢字の能力名が並んでいる。
会長の欄にあるのは、バタフライエフェクト。
一人だけ、英語だった。
「定刻になりましたので、始めます」
会長、三田結城が穏やかに告げた。
「ダンジョン攻略者意見審査会、定例会議を開会します」




