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第35話 無能力サポート、もう一度スカウトされる



 地面を、何度も転がった。


 止まったとき、体のどこが痛いのか、分からなかった。


 左腕が、変な方向を向いている。


 頭から流れたものが、目に入って赤い。


 息を吸うと、胸が軋んだ。


「トオル!」


 誠の声が、遠い。


「先輩ッ!」


 笑美の悲鳴。


 視界の端で、笑美がタクトを構えるのが見えた。


 やめろ、と言おうとした。


 声が出なかった。


「エミ、やめろ!」


 誠だった。


 誠が、笑美の腕を掴んでいる。


「離してください! 先輩が!」


「だからって、俺たちじゃ何も出来ないだろ!」


「でも!」


「聞け!」


 誠が、笑美を抱き寄せて岩陰へ引き込んだ。


 その顔が、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。


「……俺だって、俺だってなあ」


 誠の声が、震えていた。


「でも、トオルならこう言うんだ。今は動くなって、絶対言う」


 誠は大粒の涙を流していた。自分の無力さが悔しくて。


 笑美も、声を上げて泣いた。


 誠の気持ちが、痛いほど分かったから。


 徹は、それを見ていた。


(それでいい)


 そう思った。


(よくやった、マコト)


 視界が、狭くなっていく。


 金色の影が、こちらへ近づいてくるのが分かった。


 地面が、揺れている。


(……しっかり、逃げろよ)


 瞼が、重い。


 このまま目を閉じれば、たぶん、楽だ。


 閉じかけた。


 そのとき、声が聞こえた。


 あの平原で聞いた声だった。


『仲間の能力と周囲の地形を使ってブラックウルフを倒した。ドラゴンを前にしても、仲間を逃がすために動いた』


『あなた、すごいのね』


『私の専属サポートにならない?』


 徹は、目を開けた。


 自分に何ができるかを考えて、実際に動く。


 あの人が欲しがったのは、そういう人間だった。


 いま、自分に何ができる。


 考えろ。


 考えるのが、俺の仕事だ。


「……っ」


 徹は、右手を地面についた。


 激痛が走った。構わなかった。


 膝を立てる。ガクガクと震えながら、それでも地面をなんとか踏みしめる。


 そうして、立った。


 左腕はぶら下がったままだった。血が顎から落ちた。まっすぐ立てているのかも分からない。


 それでも、徹は前を見た。


 金色の巨体が、目の前にいた。


「……俺は」


 声が、掠れた。


「天使マリーの、サポートだ」


 こちらを見ろ、と思った。


 二人から、目を逸らさせろ。


 それが、いま自分にできる唯一のことだった。


 巨体が、首を持ち上げた。


 喉の奥に、赤い光が灯る。


 徹は、逃げなかった。


 その、直後。


     ◇


 空が、光った。


 一筋の白が、彗星のように落ちてきた。


 着地の衝撃で砂が円形に吹き飛び、徹の前に、白いコートが割り込んだ。


 跪く形から、勢いよく立ち上がる。


 白銀の髪が、跳ね上がった。


 乱れていた。


 息が、上がっていた。


 肩が、大きく上下している。


「マリー……?」


 徹は、その背中を見た。


 髪が乱れて、呼吸が荒くて、着地の姿勢も雑だった。


 なぜそんなに急いで来たのか、徹には分からなかった。


 マリーが、振り返った。


 そして、徹を見た。


 折れた左腕。血に濡れた顔。破れた服。膝が笑っているのに、立っている姿。


 マリーの瞳が、大きく開く。


 徹になにがあったのか、あのドラゴンロードに何をされたのか。


 それらが脳裏に及んだとき、背のホーリーシンボルが、逆立った。


 青白い粒子が、彼女の周囲で暴れ始めた。


 そしてマリーは、ゆっくりと背負う大剣へと手を伸ばす。


「――」


 声が、出なかったらしい。


 一拍あって、それは出た。


「私のトオルに」


 空気が、鳴った。


「何をしたあああああああああああああああああああああああああ!!」


 ヴァリアントが、抜かれた。


 徹は、そのあと何が起きたのか、正確には理解できなかった。


 光が、横に走った。


 それだけだった。


 音は、遅れて来た。


 目の前にいた巨体が、消えていた。


 岩の上に寝そべっていたものも、その向こうにいたものも、消えていた。


 巣が、丸ごと、なくなっていた。


 砂が、静かに降ってくる。


 平原には、何も残っていなかった。


「……嘘だろ」


 徹は、そう漏らした。


 半日かけて、息を殺して、動きを抑えて、それでも足りなかった相手だった。


 三百メートルを進むのに、命を懸けた場所だった。


 それが、一振りで、音もなく消えた。


 徹の頭は、その落差を処理できなかった。


 処理できないまま、こう思った。


(……助けに来てくれたんだな)


 朦朧としていた。深く考える余裕は、どこにもなかった。


(クビにしたのに、わざわざ)


(……本当に、良い上司だ)


 徹は、そこで力を抜いた。


     ◇


 静けさが、戻った。


 徹は、その場に座り込んだ。


 力が抜けたというより、緊張が抜けた。


 もう、動かなくていい。誰も逃がさなくていい。考えなくていい。


 そう思った途端、体中が痛み始めた。


「トオル!」


 マリーが駆け寄ってきた。


「動かないで! いま、いま――」


 コートを探る手が、震えている。


「エリクサー、エリクサーはどこ、確かに入れて、あった、あったわ」


「マリー」


「待ってて、いますぐ」


「大丈夫です」


 徹は、座ったまま言った。


「ゆっくりで、いいですよ」


 マリーが、顔を上げた。


「……そういう訳にもいかないでしょう」


「そうですか」


「そうよ」


 徹は、少し笑った。


 おかしかった。


 いつも段取りを組むのは自分で、慌てるのは彼女を宥める側だった。


 それが今は、逆になっている。


 最強の天使が、瓶の蓋を開けるのに二回失敗していた。


「貸してください」


「え」


「自分で飲めます」


 徹は右手を出した。


 マリーが、瓶を差し出しかけて、止めた。


「無理でしょう。左腕が」


「大丈夫です。下の方を持っててくれれば」


「……」


「さあ、マリー」


 マリーは、しばらく迷ってから、瓶を前へ出した。


 徹は、右手で蓋を回し、封を開ける。


 そして、マリーから受け取って、口へ運んだ。


 喉を通った瞬間、体の芯が熱くなった。


 骨が繋がる感触。頭の傷が塞がる感触。


 痛みは、残った。


「……効きますね、これ」


「一本百万円だもの」


「そこは言わないでください」


 徹は、瓶を返した。


 マリーは、それを受け取って、しばらく黙っていた。


 徹の顔を、じっと見ていた。


 その表情が、少しずつ緩む。


 微笑んで、それから、キッと表情を引き締めた。


「トオル」


「はい」


 マリーが、立ち上がった。


 そして、徹の前へ、手を差し出した。


「私の専属サポートにならない?」


 風が吹いた。


 砂が、二人の間を流れていく。


 徹は、その手を見た。


 以前にも、同じ言葉を聞いた。


 あのときは、意味が分からなかった。夢か現実かも分からなかった。


 いまは、分かる。


 分かったうえで、こう言った。


「……時給、高いですよ?」


 マリーの目が、揺れた。


 徹は、その手を取った。


 引き上げられて、立ち上がる。


 マリーが、笑った。


 少しだけ、目が濡れていた。


 徹も、笑った。


     ◇


「トオル!」


「先輩ッ!」


 岩陰から、誠と笑美が飛び出してきた。


 笑美は泣きながら走ってきて、徹の腹に突っ込んだ。


「いてて、待て、治ったばかりだ」


「先輩の馬鹿ぁ!」


「痛い痛い」


「なんで立ったんですか! なんであんな!」


「立てたからだよ」


 誠が、少し遅れて来た。


 徹の肩を、無言で叩いた。


 叩いた手が、震えていた。


「……よく生きてたな、相棒」


「お前のおかげだよ、相棒」


「俺は何も」


「風の保護がなかったら、死んでた」


 誠は、何か言おうとして、やめた。


 そして笑美が徹の袖を掴んだまま、鼻をすすった。


「先輩。私、また役に立てませんでした」


「立ったよ」


「でも、私が撃ったから」


「あれは俺の指示だ」


 徹は言った。


「判断したのは俺で、撃ったのは正しかった。結果が悪かっただけだ」


「でも」


「現場じゃ、よくある」


 徹は、平原を見渡した。


 何もない、平らな地面が広がっている。


「さあ、帰ろう」


 四人が、笑いながら頷いた。


 その、瞬間だった。


 足元から、低い音がした。


 徹の顔が、引きつった。


「……この音、知ってるぞ」


 地面に、亀裂が走る。


 マリーが薙ぎ払った区画が、支えを失って、内側から崩れ始めていた。


「マリー」


「何」


「……やりすぎましたね」


「緊急事態だったのよ」


 ズゴン、と大きな音が鳴った。


「地盤が抜けます!」


「走りなさい!」


 四人は走った。


 背後で、地面が次々に落ちていく。


「マリー様、修繕費!」


「今言わないで!」


「これって、すっごく怒られるやつですよね!?」


「だから言わないで!」


「みんな、しゃべってないで早く走れえええ!」


     ◇


 その後のことを、徹はあまり覚えていない。


 気がついたら担架に乗せられていた。


 勇者マイトが、部下に指示を出しているのが見えた気がする。


「……本当に、間に合うんだからなあ」


「これだから、マリーは……」


 誰かが、そう呟いたようにも思う。


 徹は、そこで意識を手放した。


     ◇


 三日後の教室。


 徹は、白い三角巾で左腕を吊って、自分の席に座っていた。


 骨は繋がっている。傷も塞がっている。


 ただ、痛い。


 エリクサーは体を治すが、痛みまでは持っていってくれないらしい。


「専属くん、大丈夫か」


「その呼び方をやめろ」


「三角巾似合ってんな」


「褒めるな」


 誠は笑って、自分の席へ戻っていった。


 教室は、いつもどおりだった。


 三日前、この教室で自分が話題になっていたことを、徹は知らない。


 徹は、痛む肩をかばいながら、椅子に背を預けた。


 窓の外に、ゲートの光が見える。


 以前も、あの光を見ていた。あのときは、時給千五百円の求人を眺めていた。


 そしてドラゴンロードに襲われて、三日前にも、やっぱり襲われた。


「……よく生きてたなあ」


 誰に言うでもなく、そう呟いた。


 それから、隣を見た。


 綾瀬茉莉が、机に突っ伏していた。


 いつもどおりだった。


 いつもどおり、すやすやと眠っている。


 目の下のクマは、相変わらず濃い。


 ただ。


「……なんか、嬉しそうだな」


 徹は、そう言った。


 寝顔が、少しだけ笑っているように見えたからだ。


 理由は、分からなかった。


 考えようとしたが、肩が痛んで、それどころではない。


 徹は、そっとカーテンを引いた。


 日差しが、彼女の顔から外れる。


 始業のチャイムが、鳴った。




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