第34話 無能力サポート、最強のいない第十一層を進む
同時刻。第十一層。
徹は、岩陰に背をつけて、息を殺していた。
落ちてから、どれくらい経ったのかも分からない。
誠は、風の保護で三人分の落下を制御しきったあと、しばらく動けなかった。
「悪い……ちょっと、休ませてくれ」
「休め。今は動かない方がいい」
徹は、平原を覗いた。
金色が、三つ。いや、四つ。
巨体が、岩の上や砂の上に、思い思いに寝そべっている。
ここは、巣だった。
「先輩」
笑美が、小さな声で言った。
「私たち、どうすれば」
「進む」
徹は、遠くの岩壁を指した。
「あそこに、窪みがある。ここより狭い。狭ければ、あいつらは入れない」
「あそこまで、どれくらい」
「三百メートルくらいだ」
「……三百」
笑美の顔が、青くなった。
「大丈夫だ」
徹は言った。
自分の声が震えていることは、聞こえないふりをした。
「ゆっくり進む。大きく動かない。走らない。あいつらは、大きく動くものを優先して狙う」
「なんで、そんなこと」
「調べたんだよ」
徹は、それ以上言わなかった。
この生き物に殺されかけた。あの日から、ドラゴンのことが頭から離れなかった。
そのたびに検索して、図書館にも通った。
克服したかったわけではない。
怖くて、目が離せなかっただけだ。
「あと、視力は良くない。だが音には敏感だ。声は最小限にしろ」
「はい……」
「行くぞ。俺が前だ」
三人は、岩陰から岩陰へ、少しずつ進んだ。
一歩を、時間をかけて置く。砂を蹴らない。呼吸を浅くする。
徹は、この動き方をどこかで知っていた。
イベント警備のバイトだ。人混みの中を、誰にもぶつからずに抜ける歩き方。
あのときと同じだった。ただし、命がけではなかったが。
(……マリーがいれば)
ふと、そう思った。
(こんなルート、探す必要もないんだよな)
あの人なら、ここを歩かない。上から入って、一撃で終わらせて、素材を消し飛ばして、俺が悲鳴を上げる。
それで済んでいた。
徹は、次の岩陰へ移った。
(……仕事、しやすかったな)
無茶をする人だった。深夜二時に連絡を寄越すし、思いつきで階層を変えるし、素材のことは何も考えていない。
なのに、なぜか、やりやすかった。
言えば通じた。理屈を出せば聞いてくれた。こちらが用意した段取りに、ちゃんと乗ってくれた。
あの無茶を、段取りで支えるのは、嫌いではなかった。
(……俺、あの人に、けっこう頼ってたんだな)
徹は、そこで思考を止めた。
いま考えることではない。
――そう思ったのに、止まらなかった。
(変だな)
心細い。
仕事がないから、ではない気がする。
なぜ心細いのかが、うまく説明できなかった。
「先輩」
誠が背中を突いた。
気づかないうちに、進むのをやめてしまっていた。
「大丈夫ですか?」
「……悪い」
徹は、また歩き出した。
◇
半分ほど進んだところで、笑美が止まった。
徹が振り返る。
笑美は、動いていなかった。
視線の先。岩の上に寝そべっていた一際大きな個体が、薄く目を開けていた。
その黒い瞳が、まっすぐ笑美を見ている。
「……っ」
笑美の喉が鳴った。
膝が固まっている。指先が白い。
徹は、ゆっくりと戻った。
走らなかった。声も出さなかった。
手に、べったりと汗が出てくるのが分かった。
笑美の肩に、そっと手を置く。
「月島、動くな」
小さく言った。
「大丈夫だ。目が合っただけだ。あいつは、まだ動いてない」
「せ、先輩」
「呼吸を、ゆっくり。吸って、吐く」
笑美の肩が、上下した。
「そのままだ。俺が押す。足を、そのまま滑らせろ」
「……はい」
笑美が、声を絞り出した。徹は、笑美の肩を押した。
一歩。二歩。
岩の上の巨体は、動かなかった。
やがて、興味を失ったように目を閉じる。
「……すみません」
「謝るな。よく耐えた」
徹は前を向いた。
自分の手が、まだ震えているのが分かった。
◇
あと百メートル、というところで、風が鳴った。
徹が振り仰ぐ。
空から、黒い影が降りてきた。
鳥だった。ただし翼を広げれば五メートル近い。鉤爪が、日を弾いている。
ドラゴンなどの強大なモンスターの周りには、屍肉をあさるモンスターが徘徊している。
その影が、誠へ向かって降下した。
「マコト!」
誠が転がって避ける。鉤爪が岩を削った。
「なんだこれ!」
「スカベンジャー だ! 第十一層の鳥属種!」
「知ってんのかよ!」
「調べたんだよ!」
鳥が旋回して、また降りてくる。
徹は、周囲を見た。
ドラゴンロードは、まだ動いていない。だが、この鳥に追い回され続ければ、いずれ音が出る。動きも大きくなる。
どちらも危険だった。
だが、危険の順番はある。
「月島!」
「はい!」
「あの鳥を撃て! 一撃で落とせ!」
「い、いいんですか!」
「今しかない! 撃て!」
笑美がタクトを構えた。
瞳が、黄金色に光る。
「雷撃招来ッ!」
黄色い稲妻が、旋回する鳥を捉えた。
翼が焼け、巨体が回転しながら地面へ叩きつけられる。
一撃だった。
「やった――」
徹の顔から、血の気が引いた。
落ちたスカベンジャーが、最期に、長い鳴き声を上げたからだ。
高く、鋭く、遠くまで届く声だった。
「……しまった」
空が、暗くなった。
一羽ではなかった。三羽。五羽。岩壁の向こうからも、影が湧いてくる。
仲間を呼ぶ声だった。
徹の判断は、間違っていなかった。
だが、結果は最悪だった。
次の瞬間。
岩の上の、一際大きな個体が、目を開けた。
◇
金色の巨体が、身を起こした。
翼が広がる。喉の奥に、赤い光が灯った。
そして、その光は、徹たちへは向かなかった。
ドラゴンロードは、空を仰いだ。
熱線が、放たれた。
空を覆っていたスカベンジャーの群れが、まとめて焼き払われる。羽と灰が、雨のように降ってきた。
徹は、動けなかった。
自分たちを狙ったのではない。
巣に湧いた羽虫を、払っただけだ。
そして、払い終えた巨体が、ゆっくりと首を下ろした。
黒い瞳が、三人を捉えた。
「――走れ!」
徹が叫んだ。
「あの茂みだ! マコト、風で砂を巻き上げろ!」
「!! そうか、よし!」
誠が両手を突き出した。
「風よ!」
砂が舞い上がる。竜の視界が、一瞬濁った。
三人は走った。
徹が最後尾についた。振り返りながら、二人の背中を押す。
「止まるな! 前を見ろ!」
以前と、同じ台詞だった。
そのとき。
誠だけが、違和感に気づいた。
風が、変わったのだ。
背後の大気が、ごっそり動く感触。誠は、それを説明できなかった。
誠の足が、止まった。
「――危ない!」
誠が振り向いた。
何かを見たわけではない。
ただ、体が勝手に動いた。
「風の保護よ!」
淡い光が、徹を包んだ。
直後、尾が来た。
徹の視界が、白く飛んだ。




