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第33話 無能力サポート、眠れる天使を目覚めさせる



 月曜の朝、教室がざわついていた。


 綾瀬茉莉は、いつものように机に突っ伏していた。


 突っ伏したまま、耳だけが起きていた。


「見た? 昨日の配信」


「見た見た。あれヤバいでしょ」


「途中で真っ暗になったやつ」


「地面が割れてさ、そのまま」


 茉莉の指が、机の下で止まった。


「三枝と、稲垣と、あと一年の子だっけ」


「今日、三人とも来てないよ」


「え、来てないの?」


「全員来てないって」


 教室の空気が、少しずつ重くなっていく。


「あれ、演出じゃないよね」


「演出であんな切れ方する?」


「ドローン壊れたんだって。誰か言ってた」


「じゃあ、あのあと誰も見てないってこと?」


 誰も、答えなかった。


 茉莉は、机に額をつけたまま、スマホを引き寄せた。


 画面の中で、動画が再生される。


 のどかな平原。三十人ほどのコメント。岩人形が二体倒れて、笑い声。


 そして、地鳴り。


 地面に線が走る。三人が振り返る。


 いちばん手前にいた背の高い少年が、二人の方へ手を伸ばして――


 画面が、暗くなった。


 そのまま、戻らなかった。


 茉莉は、もう一度再生した。


 もう一度、暗くなった。


 三度目を再生しようとして、指が止まった。


 ――続きは、ない。


 この続きを知る方法は、この世に一つしかない。


 自分で、そこへ行くことだ。


 茉莉は、顔を上げた。


 髪が乱れているのが、自分でも分かった。目の下のクマが濃いのも、分かっていた。


 教室の前の方で、三人の女子が話している。


 一度も、話しかけたことがない。


 茉莉は、椅子から立ち上がった。


 膝が、少し震えた。


 歩いた。


 六歩だった。たった六歩なのに、ずいぶん遠く感じた。


「あの」


 声が、出た。


 三人が、振り返った。


 そして、固まった。


「……綾瀬さん?」


「え、綾瀬さんだ」


「びっくりした」


 三人の反応の方が、茉莉より動揺していた。


 茉莉は、一度だけ息を吸った。


「あの……何か、あったの?」


「え」


「稲垣くんたち。何か、あったの?」


 三人が顔を見合わせた。


 それから、いちばん手前の子がスマホを差し出した。


「昨日ね、配信中に地面が抜けたんだって」


「落ちた先が、第十一層らしいよ」


「十一?」


「うん。攻略者の掲示板で言ってた。ゲートの記録と、崩落地点の深度から」


「学校にも連絡が来てるって。担任が朝から電話してた」


 最後の一人が、声を落とした。


「……まだ、見つかってないみたい」


 教室の音が、遠くなった。


 第十一層。


 行ったことがある。私ではない、あの子が。


 そして私は、あそこにいるものを、知っている。


 浅層の攻略者が落ちて、生きていられる場所ではない。


「……ありがとう」


 茉莉はそう言って、頭を下げた。


「え、あ、うん」


「綾瀬さん、大丈夫?」


 答えなかった。


 もう、廊下へ向かって歩き出していた。


     ◇


 誰もいない屋上で、茉莉は立ち止まった。


 ずっと向こうに、ゲートが見える。


 息が、荒かった。


(第十一層)


(あの子たちだけじゃ、無理)


(ドラゴンロードがいる)


(一体でも無理なのに)


 頭の中に、さっきの映像が浮かぶ。


 地面に亀裂が走る。


 徹が、二人へ手を伸ばす。


 そして――暗転。


 その先がない。


 いま、どこにいるのか。


 怪我をしているのか。


 逃げられたのか。


 何も分からない。


 分からないから、考えられなかった。


 茉莉は、ゲートを見た。


(行かなきゃ)


 それだけだった。


 助けられるかどうかも。


 間に合うかどうかも。


 学校をどうするかも。


 何一つ、考えなかった。


(行かなきゃ)


 もう一度、それだけを思った。


 茉莉は目を閉じた。


 さっきまで震えていた呼吸が、ゆっくりと止まる。


 一秒。


 二秒。


 そして、目を開けた。


 眠そうだった瞳は、もうそこにはなかった。


 目の下には、ひどい隈が残っている。


 髪もぼさぼさだ。


 制服だって、いつもの学校の制服のまま。


 それでも。


 そこに立っている少女は、もう綾瀬茉莉ではなかった。


 天使マリーの目が、ゲートを見据えていた。


 茉莉は、制服の襟へ指を入れた。


 細い鎖を引き出す。


 その先で、赤い石が揺れた。


 ヴァリアント。


 指先が触れた瞬間。


 どくん。


 鼓動した。


 石がではない。


 自分の心臓が。


 それに応えるように、赤い光が灯った。


 茉莉は、ヴァリアントを強く握りしめる。


(行かなきゃ)


 それだけだった。


「――起動」


 瞬間。


 赤い光が、天へ昇った。


 屋上を貫くように、一条の光柱が立ち上がる。


 風が爆ぜた。


 乱れていた黒髪が、一斉に舞い上がった。


 その根元を、光が走る。


 黒がほどける。


 夜が朝へ変わるように。


 一本。


 また一本。


 漆黒の髪が、眩い白銀へ染まっていく。


 短かった髪が光の中で伸びる。


 肩を越え、背を越え。


 長い白銀となって、光の中いっぱいに広がった。


 制服のリボンがほどけた。


 シャツが。


 スカートが。


 光の粒子へ変わって舞い上がる。


 代わりに純白が降りてきた。


 肩を包む。


 胸元を走る。


 腕を覆う。


 腰から大きく広がり、長いコートの裾となって風をはらむ。


 白。


 ただひたすらに、白。


 足元を走った光がブーツを形作る。


 金属音が、一つ鳴った。


 そして。


 最後に、空気が震えた。


 少女の背後へ青白い粒子が集まり始める。


 一つ。


 十。


 百。


 無数。


 光の粒が渦を巻き、巨大な輪郭を描いていく。


 柄。


 鍔。


 刀身。


 少女の身体にはあまりにも巨大な、白銀の大剣。


 ヴァリアント。


 それが完全な形を得た瞬間。


 ――光が、翼のように広がった。


 屋上を覆うほどの青白い光翼。


 一瞬だけ。


 ほんの一瞬だけ。


 少女の背中に、天使の翼が現れる。


 そして、砕けた。


 無数の光の羽根となって、空へ舞い上がった。


 その中心で。


 白銀の髪が、ゆっくりと降りる。


 純白のコートが風にはためく。


 巨大な剣を背負った少女が、顔を上げた。


 目の下には、まだ隈があった。


 ついさっきまで机に突っ伏していた少女の痕跡が、そこだけに残っていた。


 けれど。


 その瞳を見れば、誰も間違えない。


 国内最高峰の探索者。


 最強の一角。


 人々が《天使》と呼ぶ少女。


 天使マリーが、そこにいた。


 マリーは、いつものように髪を整え――なかった。


 コートの襟にも触れなかった。


 配信映りなど、頭の片隅にもなかった。


 ただ、ゲートを見た。


「待ってて」


 誰もいない屋上で、小さく言った。


「いま行くから」


 地面を蹴る。


 轟音。


 屋上の空気が、円形に弾け飛んだ。


 コートが翻る。


 白銀の髪が一直線に流れる。


 次の一歩は、なかった。


 走る必要などない。


 天使マリーは、飛べる。


 校舎を越えた。


 街を越えた。


 ビルの谷間を、白い光が駆け抜ける。


 交差点を。


 車を。


 人々を。


 信号さえも。


 すべてを眼下へ置き去りにする。


 誰かが空を指差した。


 誰かがスマホを向けた。


 それすら、マリーは見なかった。


 ただ一つ。


 ゲートだけを見ていた。


(行かなきゃ)


 その思いだけを抱いて。


 白い光が、東京の空を一直線に貫いた。


 天使マリーは、飛んだ。


     ◇


 同じ頃、ゲートの前は騒がしかった。


「装備確認、急げ! 深層用の耐熱を全員分だ!」


 勇者マイトの声が、広場に響いていた。


 救援要請は、三時間前に出ていた。


 行政の記録によれば、崩落地点の深度は第十一層相当。到達可能な攻略者は限られる。


「退路は?」


「第九層まで確保しました。そこから先は――」


「俺が先導する、他も素早く進めろ」


 マイトは地図を睨んだ。


「安管に第十層以深の通行許可を申請しろ、至急だと」


「三時間かかります」


「短縮させろ、至急だと。人命がかかっていると」


 装備が鳴る。指示が飛ぶ。杖の少年が回復薬を数え、盾役が大盾を背負い直す。


 誰も、無駄口を叩いていない。


 この集団は、正しく機能していた。


 そのときだった。


 視界の端を、光が過ぎ去った。


 マイトが、顔を上げた。


 白い一条が、ゲートの光へ吸い込まれていくところだった。


 装備の音はしなかった。


 同行者もいなかった。


 申請の手続きも、退路の確認も、何一つ、なかった。


 ただ、飛んでいった。


 マイトの手が、止まった。


「……マリー」


 誰にも聞こえない声だった。


 あの背中は、第十一層へ向かった。


 準備をせずに。仲間を連れずに。許可を取らずに。


 自分たちは、三時間かけて、正しく下りる。


 正しく下りて、そして、遅れる。


 マイトは、装備のベルトを握り直した。


「……必ず追いつく」


 顔を上げる。


「出発する。申請は許可が下り次第、連絡しろ」


 そしてマイトたちは、マリーに続いて、ゲートへと進んでいった。




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